爪と草

文字数 3,135文字



 郷間(ごうま)凪沙(なぎさ)は口調やふるまいには乱暴なところがあるものの、性格の芯のところでは、とびきり優しく、おまけに世話焼きで、人を守る気概にあふれると、私は知っている。
 幼い頃から数えて、助けてもらったことは何度になるだろう。その何度目で好感が恋心に変わったのか、はっきりとはわからない。
 凪沙のことだ、女が女に恋していると言ったって、何かを変に思うことはないだろう。だからと言って素直になれるかというと、それは別。
「何度も言うけど、蛍子(ほたるこ)、お前さ、何を思って美化委員に入ったんだよ。草むしりだ、石拾いだってなる度に、あたしにふたり分働かせて、それでいいのか?」
 体操着姿で地面に顔を向けながら、凪沙は私に問う。
 美化委員に入ったのは凪沙が入る様子だったからで、美化委員に入れば凪沙に助けてもらう口実ができると思ったから。もちろん言えない。
 一年の時にそれで懲りたかと思えば、二年になってもやっぱり凪沙は美化委員を選ぶようだったので、私も続いた。
「いいか悪いかと言うと、

わね。額に汗して働く幼なじみを、こうして涼しげに見守るのは」
 しゃがみ込み、中庭の雑草を端から抜いていく凪沙を、私は立ったまま見下ろしている。一応は私も体操着を着ているが、日焼けを嫌って、自分だけ日傘を差していた。ひとり奮闘する凪沙に傘をかざしてやるくらい、してもいい気はするんだけど、でも凪沙は日差しを嫌わないから、仕方ない。
「いい度胸だ、あたしを高みから笑うために美化委員に入ったってか?」
 凪沙が顔をこっちに向ける。頬に土がついた顔がかっこよくて、心がくらくらする。そんなことを思うのは、世界で私だけなんだろうけれど。いや、私だけであってほしい。あくまで内心の話で、私の顔には薄笑いさえ浮かび、凪沙の文句を払いのける。
「私の指はクラシックギターを弾くためにあるの。爪が欠けちゃったりしたら、いい音が鳴らなくなるでしょう。爪ってすぐ伸びるものじゃないの。コンクールだって近いんだから」
 爪が大事であるのは本当だった。だから、こうして凪沙に助けてもらう口実になる。
 右手の爪が問題だ。クラシックギターを弾くのには、指の爪で弦を(はじ)く。それゆえ長めに伸ばされているし、毎日きちんと紙やすりで整えている。私の場合、右手の爪は楽器の一部なのだ。どこか破損してしまったら、美しく鳴らなくなるのは当然。爪が傷つくかもしれないことは避けたい。
「それで、草むしりが終わったら、あたしのためだけに一曲弾いてくれるって?」
 凪沙が挑戦的な顔をして言う。一曲なんて言わないでほしい、百曲だって弾いてやりたい。できればふたりきりの場所がいい。そう思いはすれど、口をついて出るのは違うことだった。
「ちょうどよかったわ。お小遣いが足りなかったの。委員会活動の後のソロコンサート、チケットは一枚五千円だけど、買ってくれる?」
 むしろ私が五千円払いたいんだけど。凪沙が聞きに来てくれるんだったら。やっぱり言えやしない。
「あたしの財布、今、五円しかねぇよ。まけてくれ」
「い、や、よ。どれだけ値切るつもりなのよ。友情価格にも限度があるわ」
 ちなみに愛情価格には限度がないんだけど、やはり、それは言えず。
 ところで、ねえ、凪沙のお小遣いの日まであと十一日あると思うんだけど、五円でどうするの? 仕方ない。お弁当は作ってもらえるだろうから、向こう十日間、オリジナルブレンドのコーヒーと独創お菓子の試飲・試食係になってもらおう。もちろん全部おいしいんだけど。うん。これは仕方ない。
「おっ、なんか飴が落ちてるぞ。フルーツキャンディ、メロン味」
 凪沙は拾い上げてしげしげと見やる。個包装のキャンディがひとつ。おそらくは、各種フルーツ味詰め合わせだったもののひとつだろう。
「そういえば、昼休み、二階の窓からキャンディをばらまいていた残念なカップルがいたわね。お近づきになりたいとは思わなくて、声はかけなかったけれど」
 女同士のカップルとして、校内ではちょっと知れた二人組だった。実にうらやましい。私も凪沙とそういう関係になりたい。
 私が言うのを聞いて、凪沙は呆れ混じりになるのだった。
「お前、美化委員なんだから、せめて止めろよ。草をむしれとは言わないから。まあいいか、飴ひとつ儲け」
 凪沙は迷わず個包装を開けて、コバルトグリーンの飴玉を口に放り込んだ。私は私で呆れ顔になってしまう。
「落ちてるもの、よく拾って食べる気になれるわね」
「ちゃんと袋に入ってたわけだし、落ちたの昼休みなんだし、平気だろ」
 どうやら凪沙は糖分に飢えているらしい。明日の独創お菓子はうんと甘くしてあげよう。ついでにコーヒーはお手製フルーツミックスジュースに変更。
 飴玉を口に含んで気力が増したのか、凪沙は地面に目を向け、熱心に草をむしり始めた。私としては、さすがに申し訳なくもなる。まさかの二年目なのであるし。でも凪沙がまた美化委員に入ると知れば、他に選択肢なんてなかったのだ。
「渡しなさいよ」
 私はちっとも堂々とできず、むしろ震えがわかるような声で言った。凪沙はと言えば、何も察することなくきょとんとして、問いで返してきた。
「は? 渡せ? なけなしの五円玉をか?」
「ばか。違う。キャンディの包みを渡しなさいって言ってるの。美化委員なんだから、それ、捨ててきてあげるわ」
 凪沙に対して言っているにもかかわらず、私は顔を凪沙に向けられないでいた。そっぽを向いて、それで右手を差し出すのが精一杯だった。
「ああ、なるほど。この包みなら、爪も草も関係ねぇもんな」
 納得して、凪沙は立ち上がり、キャンディの包みを私の手のひらに置く――
 ――だけでは済まず、私の指を折り曲げ、爪を眺め、さらには触れてきた。私の心臓はもうパニックで、脳内はすっかり大恐慌で、ひゃっ、と声を上げることもできず。されるがまま。
「改めて見ると、綺麗な形の爪だよなぁ。やっぱり」
 凪沙が私の容姿を――たとえ爪であっても、褒めてくれたことってあっただろうか。悪くないほうの見た目のはずだし、お洒落にも気を遣っているし、けれど凪沙はずっと何も言ってくれない。これ、初めてじゃないだろうか。嬉しくて気絶しそう。
「な、な、何を、い、いい、今さら」
 そして全く堂々とできない私。
「あ、悪い。汚れた手で」
 思わず触れてしまったということなのか、凪沙は自分の手が草むしりで土まみれなのに気づき、手をぱっと放した。
「そ、そういうこと、じ、じゃ、なくって」
 もはや、これっぽっちも格好がつかないのだけれど、しかし素直になれるでもなく、やはり本心とは違うことが私の口をついて出た。
「い、いい、今さら。もう何年も前から、ずっと超絶綺麗だったわよ。知らなかったの?」
「いや、その、知ってはいたけどな」
 凪沙はばつが悪そうに空を仰いだ。私は私で恥ずかしさがこみあげるばかりで、凪沙のほうを向いていられなくなって、地面に目を向けた。左手に持ったままの日傘が影を作っている。
 どうしたものかわからず、ぎゅっとキャンディの包みを握っていたら、凪沙は、普段はちっとも聞かない、言い訳めいたふうで言った。
「まあ、お前の態度は問題あるけど、その爪を守るためだったら、三年になってもまた美化委員でいいかもな。爪のためだったらな」
 キャンディの包みを握る力が、ふっと弱まる。どう考えてもその言い分には無理がある。あれ?
 これって、素直になれないのは私だけじゃないって、そういうことなの?



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