後編

文字数 2,894文字

青年は、倒れた私の横に立つ。
顔を少し横に向けた私の目が、青年を捉える。
「き…さま……は…」
青年は私の髪をガッと掴み、私の頭を持ち上げる。
「私は、最初から私であった、わけではない。お前にも、僕であった時代があっただろう?…お前は忘れてしまったようだけどね」
青年はそう言うと、私の髪からパッと手を離してしまった。
バシャン
私の頭は、なんの抵抗もなく、床に落ちる。
私は、既に息絶えていた。

殺されずに済んだ。それは確かだ。だが、何だ。何なんだ、これは。この青年は誰だ。やられたこいつはそもそも誰なんだ。どうして僕たちの命を狙った。なぜ殺した。どうして、どうして…。
……いや、違う。僕は、分かっている。
僕は知っている。元から、知っていたんだ。
この青年も、この部屋の至るところにあるモノたちも、そして僕も、全部、目の前に倒れている私から生まれた存在だ、と。
「君は、生き残り、だね?」
青年の僕は、僕を見て問いかける。
「そう、みたい…ですね」
僕は、生きている。壊されずに、立っている。
「そんなに緊張しなくていい。私は、君、なんだから」
青年は僕の方に少し近づき、右手の甲を見せてくる。
[3]
…この青年は、三番目に造られた、僕。
そうだ、同じなんだ。
僕は、自分の右手の甲を見る。青年の僕も一緒に覗き込む。
「50、か…。さすがに造りすぎだね。あと……壊しすぎ、だね」
青年の僕は嘲笑い、そして哀しそうに言った。

「オリジナルは死んだ。もう、新しく造られることもないし、壊されもしない。…やっと、終わらせることができた」
青年の僕は、とても哀しそうな目をしていた。
「あの…まだあまり、よく分かってなくて…その……教えてくれませんか?」
「ああ、そうだったね。君は装置から出てそんなに時間が経っていない。でも大丈夫、言葉や初めから持っている記憶は、過ごしているうちに扱えるようになる」
「そうじゃなくて、その……僕が知らないこと、を…」
「そうか。……そうだね、君には知る権利がある。わかった、話すよ、私が知っていること」
青年の僕は、ゆっくりと語り始めた。


五年ほど前のこと。オリジナルは、天才である自分を増やしたいと、研究を始めた。自身のクローンを造る研究だ。
世のために、自身の才能を使いたい。でも自分一人では手が足りない。
だったら、自分を増やせばいいじゃないか。
そうして、研究が始まった。
まさにこの部屋だ。この部屋は、元はクローンを造り、育てる部屋だった。
ガラスの装置を見ただろうか。あれは全部、そのための装置だ。
液体で満たされた装置の中で、クローンは育てられた。
そして、研究を始めて三年ほどが経ち、遂に一人目が造られた。…だが、一人目は喋れなかった。奴の言う、失敗作。
もしかしたら成長が足りなかったのかもしれない、と一人目はもう一度、装置の中に入れられた。
研究に、失敗は付き物だ、と。
そして程なくして、二人目が造られた。二人目は喋ることができた。だが、植え付けたはずの記憶が全く残っていなかった。支離滅裂で辻褄が合わないことばかりを言う二人目を、今度は部屋の隅に作った小部屋の中に隔離した。
そして、三人目…私が造られた。植え付けた記憶を持ち、難なく喋ることが出来た私は、初めは成功例だと喜ばれた。……そう、初めは。
たった一言、私の発した一つの単語が、奴の態度を一変させた。
「世のため人のために、私と共に頑張ろう」
「うん、精一杯頑張るよ、僕も!」
「…………僕…?」
装置の中に居れば、成長は著しく早くなる。しかし、装置の構造上、居られるのはせいぜい十二、三歳相当の段階まで。その後は装置から出され、成長速度は緩やかになる。私は装置から出されたその時、子供時代の奴を再現していた。
忠実に再現していた、のに。
自分のことを『僕』と呼ぶ私を、奴は、『自分』だと認識できなかったらしい。
…奴は覚えていなかったのだろう。自分が子供の頃、自身のことを『僕』と呼んでいたことを。
私は二人目と同じく、部屋の隅の隔離部屋に入れられた。
食事もろくに出ない、衛生状況も全く良いとは言えないところだった。二人目は、部屋の中で奇声を上げながらよく暴れていた。
このままここに居れば、死んでしまう。
私は早々に逃げ出した。
逃げるのは簡単だった。研究所の内部構造も、研究所内にどんな人間がどこに何人いるのかも、研究所の周りの環境も、全て記憶の中にあった。
隔離部屋を出て、この生育部屋を出る前に一度、後ろを振り返った。そこで見た光景、あれは今でも忘れられない。
成長を続ける『弟たち』の間の、無残に割られた装置、下の方に崩れ倒れている一人目の僕。
これはいけない、そう思った。
こんな風になるのは、間違っている。
……止めなければ。………僕が、いや、私が。
『私』が起こしたことは、『私』が止めなければ。
そうして、逃げ出した後、より良い策を以て研究を中止させるために、準備を整えていた…。


「もっと被害が小さい段階で止めることができればよかったんだけどね。…心のどこかで信じていたんだ。奴が造り出していたものは、ちゃんと『自分』だったと、実験が成功していることに気付いてくれる、と」
「…でも、最後まで気付かなかった、思い出さなかったんですね」
「そういうことになるね……残念なことだよ、本当に」
「…」
「さて、と。オリジナルを含めて、少なくとも五十一人、残ったのは二人、か」
「そう、ですね…」
「……ふふっ、大丈夫。上出来だよ。よく生き残ったと思う、本当に」
「そう…なんですか」
「そう。オリジナルが死に、クローンのみが生き残ることも、想定の範囲内だ。……あんなオリジナルは、壊した方が良い。後悔することじゃないよ」
「………はい」
青年の僕は、僕に背を向け、歩き始める。
僕は、青年の僕についていく。
ふと、青年の僕は立ち止まり、僕の方に振り向いて問いかける。
「君は、どうする?」
「…え?」
「君はこれから、どうしたい?」
「どう、と言われても…」
「普通に暮らしたい?それとも、奴の後を継いで、奴が抱えていた研究をしたい?」
「……あなたは、どうするんですか?」
青年の僕は、にこやかに、僕をまっすぐ見つめて言う。
「私は、研究を受け継ごうと思う。この研究はこんな結末を迎えてしまったが、奴が抱えていた研究には、有意義なものも多い。…それに」
「…それに?」
「オリジナルより良い研究が出来るかもしれないからね」
「オリジナル、より?」
「私たちは成功例だよ。生き残っていることも含めて、オリジナルを超えたんだ」
「オリジナルを、超えた…」
「そう。だから、君は、どうしたい?」
「……僕は……」
青年の僕は、向こうへ歩き出す。
僕は、立ち止まったまま。
…僕は、どうするべきだろう。僕の心に、記憶に、問いかける。


[世の為に、才能を生かしたい]


「僕は!」
少し離れた青年の僕に呼び掛ける。
青年の僕は、背を向けたまま立ち止まった。
僕は青年の僕に走り寄る。
「僕は!…いや、私は!研究をしたいです!

!」
青年の僕は振り返って言う。
「その言葉が聞けると、信じていたよ」
優しい笑顔だった。
「さあ、行こうか」


―――私たちの未来へ




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