前編

文字数 4,149文字

「……んうっ…」
「あ!気が付いた!よかったぁ」
目を開けると、そこには安堵の表情を浮かべるぼくがいた。仰向けで横たわる僕の顔を真上から見下ろすように、しゃがみ込み、僕の顔を覗き込んでいた。
「あれ…?えっと…うぅ…」
なぜか頭が痛い。ぐわんぐわんと中から硬い何かで打ち付けられているような、そんな痛み。僕は額に手を当てながら、何とか上体を起こす。
「もう、びっくりしたよ。君が段差に躓いたと思ったら勢いよく転んでいくし、とっさにぼくの腕を掴むから、ぼくも一緒に転がったんだ」
おかげで少しすりむきました、と赤くなった両肘を見せてくるぼく。
「ああ…それは悪かったよ。ごめん」
「うーん…頭、痛い?」
「ああ、うん…少し」
「転んだ時に頭を打ったんだね。ぼくより痛そう」
ぼくは眉間にしわを寄せながら、心底嫌そうな表情をして言った。


「…ふう……それで、僕たちは、ええっと…何をしていたんだっけ」
僕はぼくに問いかける。
「なんだっけ?…うーん、君に分からないなら、ぼくにも分からないなぁ」
ぼくは僕に答える。
「ぼくは君に連れられて、走り回っていたからね。…あれ?忘れちゃった?」
ぼくは僕の顔を覗き込む。
「とっても焦った顔で走るから、怖かったんだぁ。今は大丈夫だね」
「そ、そうだったんだ、ごめん」
「あはは!謝ってばっかりだね!」
ぼくは、けらけらと笑っている。
何を、していたんだっけ。焦った顔で、走っていた…?頭を強く打ったからなのか、頭の中に靄がかかっているような感じがして、上手く思い出せない…。
ただ、なぜか、焦りを感じている。このままここにいてはいけない、そんな気がする。
「とりあえず、移動しよう。このままここにいるべきじゃない」
「そうなの?それじゃあ行こっか」
痛む身体をどうにか起こして、目の前にある通路を走る。

なんだろう。とても嫌な感覚。逃げなきゃいけない。そんな気がする。

「あの扉に入ろう」
長い通路、目についた扉の中に二人で入る。


薄暗い部屋。今にも切れそうに明滅を繰り返す数個の電灯が、部屋の中をオレンジ色に照らしている。部屋は広いようだが、薄暗さも相まって、奥まで見渡すことはできない。
ピチャ、ピチャ、ピチャ。
僕が歩いた数だけ、部屋に音が響く。何も履いていない足に伝わる感触、少しまとわりつくような液体が床一面に広がっている。
薄暗い中、目を凝らすと、ところどころにガラクタの山があるのが見える。……ガラクタ?いや、あれは―――。
それにしてもこの部屋は、ひどい臭いがする。鼻が曲がりそうな強烈な、鉄の臭い。床に広がる液体を手で触ってみると、足で感じるよりも鮮明に、ヌメっとまとわりついてくる感覚がある。液体のついた手を鼻に近づけてみると、より強く感じる鉄臭さ。鉄の臭いはこの液体から発せられている。ただ、色は分からない。しかし透明ではない。液体のついた手は、元の色と異なっている。………これは、血、だ。
「おーい!こっちに来てよ!」
少し離れたところから、ぼくが叫んでいる。ガラクタのせいで姿は見えないが。

ところどころにあるガラクタの山を避けつつ、ぼくのところに辿り着く。
「どうしたんだ」
「こいつ、まだ息をしている。まだ、生きてるんだ」
ぼくは座ったまま、何かを抱き抱えている。そこには、まだボクのままのボクがいた。
僕がぼくの近くにしゃがみこむ、と同時に、ボクは微かに目を開けた。その目は何処を捉えることもなく、空を見つめている。
「ボ…クは……」
そう一言呟き、ボクの首がかくんと、力を失い垂れた。
ボクはもう、息をやめていた。ボクであることをやめてしまった。ただのガラクタになってしまった。
「あーあ、ガラクタになっちゃった」
ぼくは呟いて、抱えていたそのガラクタをその場に捨て、またどこかへ、ピチャピチャと歩き出す。
僕は立ち上がり、辺りを見渡した。見えるのは、血で覆われた床と、ガラクタの山。
……ガラクタ、そう、かつて僕でありぼくでありボクであったもの。既に人の形を失ってしまったものも多い。どうすれば、こんなバラバラな肉塊になるのか。誰かが、切り刻んでいるかのような。
「うっ…」
なにか思い出せそうな気がしたが、上手くはいかなかった。


一通り見渡した後、視線を、今しがたできた新しいガラクタに戻した僕は気付く。
[48]
新しいガラクタの、右手の甲に刻まれている。僕は自分の右手の甲を見た。
[50]
同じような字体の数字が刻まれている。50、か…。ピチャピチャ歩いていったぼくにも、この数字は刻まれているのか。一体この数字は何を意味しているのだろうか。僕は知っている。のに、頭がぼうっとする。

今度は、山積みになっているガラクタたちの中に、数字を探してみる。
[14]、[37]、[5]…………
おそらく、僕やぼくやボクの手の甲であっただろうガラクタの一部に、同じような数字が刻まれているのが見つけられた。読み取れないものもあったが。
ピチャン…ピチャン…
歩いていったぼくの足音だろう音が、遠くの方から響いてくる。
僕も少し、歩いてまわろう。
ピチャ、ピチャ…
しばらく歩き、辺りを見回す。しかし、そこに広がるのは血の海とガラクタの山のみ。景色はあまり変わらない。
また方向を変えしばらく歩く。すると今度は壁に辿り着いた。継ぎ目のない冷たい壁が、視界いっぱいに広がる。
ガラクタの山を避けつつ、壁沿いに歩いてみる。すると、材質の違う壁がせり出した場所に辿り着いた。
そのまま壁沿いに進む。材質の違う壁には、簡易な扉が付いていた。
おそるおそる、扉を開けてみる。すると中から、カビ臭い、湿っぽい空気が吹き出してきた。
この部屋の壁は、何かで引っ掻き回されたかのように傷だらけで、一言で言うと荒れた状態だった。
不規則に点滅する、この部屋唯一の電灯の下に、ガラクタが一つ、転がっていた。
[2]
一瞬、寒気がした。……この部屋は空気が淀んでいる。早く出よう。
足早に、この荒れた部屋をあとにする。
改めて外側から見ると、せり出した壁の空間分がそのまま部屋になっているようだ。
後から作られた、簡易的な部屋といったところだろうか。
僕は部屋に背を向ける。
……よし、今度は、向こうの電灯の下あたりまで行ってみよう。


ピチャ、ピチャ…
目指した電灯の下に辿り着いた。そこには、妙な装置がいくつかあった。ガラスで作られた装置。装置の大半は壊れ、そのガラスは割れて崩れてしまっていたが、カプセルのような装置だったことが想像できる。少し濁った、透明な液体が装置の下の方に溜まっている。この液体がガラスの中に満たされていたのだろう。
その中で、ある一つの装置に目が止まる。割れたガラスの間から、装置からはみ出るように横たわるガラクタが一つ。右腕だったものを伸ばして倒れており、刻まれた数字が確認できた。
[1]
1とは、そう、最初の数字。初めの数字。初め…、初め……。つまり、僕たちの、初め。


一人目の、僕。


これは、このガラクタは、一人目の僕だ。そして、僕の右手には[50]、つまり僕は五十番目の僕なのだ。
僕は思い出す。少し前に見た記憶、ボクであることをやめたガラクタには、[48]が刻まれていた。
48と50の間には、49という数字しかない。
…ああ、そうだ、そうだったんだ。
焦っていた理由を、少し思い出した。
このままでは―――

そういえば、さっきからとても静かだ。ぼくの足音、聞こえるはずの音が聞こえない。ぼくはどこかで立ち止まっているのか。
しばらくじっとして、耳を澄ませていたが、一向に音は聞こえてこない。
すると突然、ビシャボチャンドバドバドバと、なにか複数の物体が液体の中に落ちるような、かつ液体が大量に流れ落ちるような音が、部屋に響いた。
同時に、叫び声のような音も聞こえた。
ぼくが鳴らした音だ、僕は直感でそう思った。

危険だ。
逃げないといけない。

頭ではそう思っているのに、足が動かない。
心臓が強く脈打つ。息が上手く出来ない。

はぁ、はぁ…
荒れた息づかいをした何者かが近づいてくる。

だめだ、だめだ、このままここにいては。僕まで…。

はぁ、はぁ、はぁ…

僕はその場から動けないままに、音がする方をじっと見つめる。
僕は、息を呑んだ。


………………………
…………………
……………
…そして、現れた。
電灯に照らし出されたそれは、かろうじて人型を保っている何か、だった。
身につけているものが、元の色がわからないほどことごとく、床に広がる液体と同じ…血にまみれていた。右手には、包丁よりも随分大きい刃物が握られている。
はぁ、はぁ…
荒い息は、奴から発せられている。
「…お前は……違う、よな……?」
奴は下を向いたまま言う。これは、僕への、質問か?
「……それは、僕に、聞いている、のか…?」
「…」
おそるおそる聞いてみるが、奴は何も答えない。しかし、先程より息の荒さが増している。聞いているこっちまで苦しくなるような息づかい。僕は狼狽える。
僕は、間違えてしまった…?
奴の息づかいの荒さと、僕の焦りが、比例するように増していく。
僕は、こいつから逃げようと、必死に走っていたんだ。
こう、なる前に…。
「…どいつも……こいつも………」
「なぜ!…どうして!」
「どいつもこいつも!」
「僕僕ぼくボクうるっさい!」
「どうして!」
「私ならば!」
「私でなければならないのに!」
「どうして!………」
私は声を荒げて叫んだ。そしてうなだれた。
「…私は…私を生み出すことは…できない……ということか…」
「………この!」
「天才の!」
「私であっても!」
私は、叫びながら、泣いていた。


沈黙が続く。


そして。
「…失敗作は、壊さなければ……」
私は呟き、僕の方に一歩また一歩と近づいてくる。
そして、私は静かに、動かしたことに気付かないほど静かに、上げた右手を振り下ろす。


僕は、死ぬのか。
今ここで、僕は、僕を、やめるのか。
半ば諦めたように、しかしかろうじて、目を瞑る。

………あれ?
待っても待っても、その時は来ない。
僕は、僕を保ったまま、その場に変わらず立っていた。

「私が、私である前は、僕だったんだよ。それに気付けなかった、忘れてしまった時点で、お前はもう、私である資格を失っている。…例え、オリジナルでもね」

うつ伏せに崩れていく私の後ろに、細身の刀を持った青年が立っていた。
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