第1話

文字数 3,243文字

魚焼きグリルのタイマーが鳴り、私はスイッチを切ってグリルを引き出した。大きなアルミホイルの塊の隙間から、食欲をそそる香りとあたたかな湯気が溢れていて思わず喉がなる。トレーに取り上に被さったホイルを剥がすと、豚肉と玉ねぎ、イタリアンハーブが魅惑的に混ざり合った香りが辺りに漂い、ほぅ、と溜め息がもれた。
「ナオちゃん、いい匂い!大成功じゃない」ハナさんが後ろから覗き込み、パシパシ肩を叩く。お箸で豚肉と玉ねぎを挟んで口に運び、うんうん、と満足そうに頷くと親指を立てみせる。私はホッとして、アルミホイルに溜まった肉汁ごとトレーに移し全体を混ぜ合わせ、彩に乾燥パセリを振って棚に置く。新作のお惣菜「豚肩肉と新玉ねぎのイタリアンハーブ焼き」。今日のお弁当のメインのひとつだ。
「ナオ初プロデュース作、ってポップ立てちゃえば?」
ハナさんの言葉に、嫌ですよ。恥ずかしい。と返して、準備してあった同じ料理のアルミホイルを魚焼きグリルに入れて火にかける。ハナさんがからかうのには訳があり、これは私が働くお惣菜屋「はなごはん」で、私が初めて一人で考えて完成させたレシピだからだ。

「はなごはん」は駅前の商店街にお店を構える、手作りの家庭的な料理を販売しているお惣菜屋さんだ。日本中で商店街がシャッター街と化している中、この商店街は毎日お客さんで賑わっている。商店街を抜けた先に大手メーカーの独身寮と社宅があり、その周りに分譲マンションが数棟建っていることに加え、駅から徒歩圏内に大学があるので単身向けのアパートも多い。更に大型スーパーやショッピングモールが徒歩では厳しい離れた場所にあることも、商店街にプラスに働いている。最も、商店街のお店の店主はほとんどが地元民で周辺土地を所有しており、最寄駅に快速電車が止まることになった時、マンションやアパートの建設に土地は売ったものの、スーパーやショピングモールには売らなかった。というのが真相なのだけど。元々家賃がかからない上に土地の売却や家賃収入で生活費が確保できているので、ほぼ全ての店が商品をスーパーと同様の価格で販売しているし、商店街で使えるポイントカードも発行しているので、周辺住民にしてもわざわざ離れたスーパーまで自転車を漕いで行くメリットがあまりない。また。昔ながらの世話好き話し好きな店主たちが小さな子供連れにはおまけをくれたり育児相談に乗ってくれたりするので、若い主婦層の獲得にも成功している。
「はなごはん」も価格はかなりお得な上に、商店街の八百屋や肉屋、魚屋と連携して旬の食材を使ったお惣菜をレシピ付きで販売し、献立に悩む主婦から大好評を博している。しかも、ハナさんの料理はとにかく美味しいのだ。近くにある大学生にもハナさんファンはたくさんいて、学校に行く道すがらや帰り道に買っていく学生が多く、時にはサークルやゼミからまとまった数のお弁当の注文も届く。中には、ハナさんのレシピを見て料理を覚えた、と作った料理を持参してくれた子もいて、感激したハナさんが号泣して学生をドン引きさせてしまったこともあった。そんな人気のお店に自分のオリジナルの味が並ぶというのは、嬉しい反面すごいプレッシャーもあり、軽口を叩いて和ませてくれるハナさんの気遣いがありがたい。

魚焼きグリルいっぱいに広げたアルミホイルの上にオリーブオイルを塗り、そこに1センチ幅に切った新玉ねぎを敷き詰める。その上に塩麹とはちみつを揉み込んで一晩寝かせた豚肩肉のスライスを並べて、グリーンピースを乗せてからイタリアンハーブと塩を振りかけ、アルミホイルをかぶせて端を捻って閉じていく。後は魚焼きグリルで10分程焼くだけだ。下準備さえしておけば手間もかからないし、ホイル焼きなので洗い物も出ない。豚肉に揉み込んだ塩麹とはちみつが肉汁と共に玉ねぎに染み込んで、簡単なのに間違いなく美味しい。一週間ほど前、八百屋のコウイチさんに新玉ねぎのメニューを依頼されて考えたメニューだ。最初はインゲンを使うつもりだったのが、エンドウの在庫があるからとコウイチさんが二束三文で売ってくれたので急遽グリーンピースに変更した。こうした商店街内の持ちつ持たれつで、安い価格を維持できているのだ。
ドアに付けたカウベルのからん、という音に続いて、こんにちは、とエージさんの声が聞こえた。思わず満面の笑みで顔を上げ、意味ありげな笑顔でこちらを見ているハナさんと目が合い、言いかけたいらっしゃいませが喉に引っかかった。そんな私に知らん顔をして、ハナさんはいらっしゃーい、とエージさんににこやかに声をかける。
「エージさん、今日のおススメはね、肉料理のお弁当でね。すごいのよ、ナオちゃんがメインを考えたのよ!豚肩肉と新玉ねぎのイタリアンハーブ焼きって言うの。おしゃれじゃない?」
「へぇ、ナオさんオリジナル?そりゃすごい。じゃ、今日は僕もマツもメインはそれにしよう。マツのと二人分ね」
あらー、ナオちゃんよかったわねー、エージさん副菜何にする?あさりと菜の花の和え物美味しいわよ、と話しながらハナさんはお弁当容器を手に勝手に副菜を詰めていく。お弁当は、忙しい昼の時間帯はそれぞれ肉と魚がメインのお弁当二種類に副菜を詰めたものを作り置きしているが、それ以外の時間はメイン一種類に副菜二種類を自由に選んでもらう。エージさんはメインが決まれば後はおススメで、というひとなのでハナさんも遠慮がない。エージさんは二軒隣の学習塾の経営者で、共同経営者で親友でもあるマツさんと二人、毎日はなごはんを利用してくれている。お昼と夜の二回来てくれる事も珍しくなく、マツさん曰く、料理のできない40男には、野菜たっぷりのはなはごはんは体と心の健康管理に欠かせないそうだ。
ハナさんがお弁当を詰めている間に、私はビニール袋と輪ゴムを準備し、エージさんのお会計をしようとレジに回ったものの肝心のエージさんはレジに来ず入り口あたりで外に向かい何か話しかけている。すると、エージさんの後ろから小柄な30代半ば位の女性が姿を現した。
「うちの生徒の保護者さんなんです。これから面談をするから、一緒にお弁当をつまみながら、と思いまして」
エージさんが女性に何にしますか?と声をかける横で、ハナさんが新ジャガの煮っころがし、私の母の味でね。と賑やかに話しかけている。しかし、女性は困ったように口元に手を当てて迷った様子でいて、おずおずとお弁当いくらですか?とエージさんに尋ねた。ハナさんが、「450円ですけど、量が多かったら小盛りにして値引きしますよ。」と答えると、一瞬迷った顔をした後、では、それでお願いできますか。とハナさんに向かって頭を下げた。するとエージさんが
「この時間になったのはこちらの都合なんで、お弁当はご馳走しますよ。他の保護者の方にも、御飯時にご馳走したことありますし、それ以外の時間にはお菓子をお出ししてますから、気にしないでください。それに、経費で処理しますから」とにこやかに言い、私のいるレジに来て領収書つけてね。とニッコリする。ついつい私の頬も緩む。ハナさんからあれやこれやと勧められ、結局エージさん達と同じメニューで小盛りにしたお弁当をビニール袋に詰め、エージさんに領収書と一緒に手渡すと、女性は明らかにホッとした顔をした。それは、初対面の私が見ても気付く程に。
エージさんがお弁当を持ち、二人は連れ立ってお店を出て行った。ありがとうございました、と見送りながらハナさんが意味あり気な視線を送ってくる。それにも訳があり、エージさんは私の恋人なのだ。ハナさんの視線を無視して、そろそろお昼用にお弁当詰めましょうか、と声をかけると、ハナさんはそうね。と頷いた後、ねぇ、ナオちゃん。と私を呼び
「さっきの人、覚えとこうね」
と真剣な表情で言った。先程の意味ありげな視線は私の予想とは違ったが、あの女性に対する心の引っ掛かりは当たりだった、と私は確信した。
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