第2話

文字数 2,403文字

翌日、お昼の忙しい時間帯を過ぎ夕方からの販売に備えて仕込みをしていると、ドアのカウベルが鳴り昨日エージさんに連れられて来た女性がお米屋のおばあちゃんと一緒に入って来た。女性がお店を外から伺っていたらしく、夕飯のおかずを買いに来たおばあちゃんが声をかけ一緒に入ってくれたらしい。厨房から出てきたハナさんに促され、二人はお店の奥に二席だけあるイートインスペースに落ち着いた。こちらに背を向けていてよくわからないが、何やら女性が手にしたものを見せてハナさんに何か訴えかけているように見える。
「訳あり?」
レジに鯖の味噌焼きと菜の花の辛子和えを詰めたタッパーを持ってきたおばあちゃんが、顔はこちらに視線は二人に向けて聞いてくる。もう七十を過ぎているはずだけど、目が活き活きしている。女は幾つになっても噂好きらしい。
「分かんないんです。昨日、初めてお弁当買ってくれた人なんですけど」
「ハナちゃんとこのレシピ持ってたわよ。」
「うちのレシピですか?」
「お店の入り口が見える辺りで、手にレシピを持ってそわそわした感じで立ってたから、ハナちゃんのお弁当買いに来たの?って声かけたのよ。そしたら、あの、はい、いいえ、なんて慌てちゃってね。とりあえず入りましょ、って連れて入っちゃったの。後はハナちゃんに任せれば大丈夫って思ってね。事情が分かったら教えてちょうだい。連れて入ったからには気になっちゃうわ」
そう言うと、おばあちゃんは何かの景品らしいエコバッグにお惣菜を入れて帰って行った。お店に帰り着くまでにあちこちで噂話をして行くのは確実なので、夕方には商店街中に噂が広まっているに違いない。
おばあちゃんが出て行くと、はなさんが
「ナオちゃん、お味噌汁一つ持って来てちょうだい」
と声をかけてきた。私はアルコールで手を消毒しテイクアウト用のカップにお味噌汁を注いだ。今日の具材は春キャベツと油揚げ。春キャベツはザクザクと大きめにしているので、柔らかな食感ながら食べ応えがある。キャベツの甘味が沁みたお汁と味噌の相性は抜群だ。お盆にカップとお箸を乗せて女性の前に置く。
「うちのお味噌汁、食べてみて。」
女性は恐縮するように体を縮めていたが、はなさんに促され、いただきます、とカップを手にしてお味噌汁を一口飲んだ。
「…甘い…」
女性はカップの中を見たまま呟くようにそう言い、もう一口お味噌汁を飲んだ。うっすら頬に色がさしたように見える。
「美味しい。口に入るときは甘くて、その後に味噌の塩気が感じられて、とても美味しいです」
「味噌は食材に合わせて味噌の配合を変えてるの。今日の具材のキャベツも油揚げも甘味があるから、辛口の赤味噌を多めにしたのよ」
女性はハナさんの話に頷きながらも、夢中でお味噌汁を食べている。ハナさんはニコニコしてそれを見ている。女性がお味噌汁を食べ終わりお箸を置いた。満足そうにはぁ、とため息をつく。ハナさんはそんな彼女にうんうん、と頷いた後、私に向かって言った。
「ナオちゃん。こちらミツコさん。明日からお昼に来てもらうから」
ミツコさんは何度も何度もお礼を言いながら帰って行った。お店に入ってくるときはおどおどとして少し猫背だった背中が、心なしかシャキッとしている。手を振って見送ったハナさんは、ドアを閉めてクルリとこちらを向くと笑顔を解いて肩で大きく息をした。
「ナオちゃーん。お茶ちょうだい」
お客さん用に常備しているほうじ茶を、ポットからハナさん用の湯呑みに注いで渡す。ハナさんはしばらく両手で湯呑みを包むように持ち、背もたれに体を預けている。私は残り少なくなったお惣菜を下げ、新しく作ったお惣菜のタッパーを並べる。下げたタッパーのお惣菜は持ち帰り容器に詰め、重さを計って値札を付ける。陳列台にお惣菜ごとに並べ、下げたタッパーを洗おうと流しに立つと、ハナさんが横に来て湯呑みを覗き込んだまま調理台に寄りかかり、独り言のように話し始めた。
「昨日、ミツコさんがうちのお弁当買って帰った時、レシピつけてあげたでしょ?あれ、家に持って帰ったんだって。そしたら、それがミツコさんのダンナに見つかったらしくてね。レシピの右下にうちの名前入ってるから、なんの店だって聞かれて、商店街のお弁当屋さんだって答えたら、主婦なのにお弁当なんか買ったのか?怠慢だ、って怒鳴られたって。だから、店頭で配ってるのを息子さんの塾の送り迎えの時にもらった、って嘘ついたんだって。もしダンナが聞きに来たら、口裏合わせてくれ、って。あの人、それを言いに来たのよ」
そこまで言うと、ハナさんは湯呑みのお茶を勢いよくグビッと飲む。
「ダンナさんの意向で専業主婦らしいんだけど、家計をダンナさんが握ってて、毎週渡されるお金でご飯を作るんだって。額がその週によって変わるらしいんだけど、ちょっとでも物足りない献立だと怒鳴られるらしくって、自分の結婚前の貯金で補充してたらしいんだけど、それがバレてからは貯金の通帳を定期的にチェックされるらしいのよ。主婦たるもの、渡された金額で家族が満足するだけの食事を用意するものだ。工夫と努力が足りない、って」
バッカじゃないの、くだらない。
ハナさんが吐き捨てるように言う。
「彼女、料理が苦手らしくて、毎日怒鳴られてるって言うから、そんならうちの料理教えたげるから覚えなさいよ、って言っちゃったのよ。そんな訳で、11時から13時まで、手伝ってもらうことにしたの。ダンナさんにバレないように、彼女が来られる日だけね。ナオちゃん、悪いけど協力して」
ハナさんが顔の前で両手を合わせる。もちろんですよ、と言いながら顔がほころぶ。
ハナさんはそういう人なのだ。ミツコさんも、ハナさんの持つパワーに知らぬ間に引きせられたに違いない。なら、私は喜んで力になる。
ドアに付けたカウベルが心地の良い音を立てる。いらっしゃいませ!ハナさんと私は元気よくハモった。
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