第1話 蕎麦屋に居候することになりました

文字数 7,366文字

 学校の帰り今後の人生についてという話になった。
「波風が立たない方がいい。できれば平穏に暮らしたい。感情が乱れることは極力少なく、静かに静かに生きたい」
 僕は隣を歩く宝田に割と本気で話したが、
「お前は高齢の文豪か」
 そう指摘されてけらけらと笑ってしまった。
「でもわりと本気だよ」
「えー早くねー」
 その後もあーだこーだ話ながら僕達は帰った。
「じゃあまた明日なー」
「うん。じゃあね」
 宝田と別れた僕は夕焼けに染まる道を歩く。これでいいんだと1人頷く。学校帰りに友達と話し、平和に帰る。こんな感じの毎日でよろしくお願いいたします。
 そんな風に考えながら帰宅。家の鍵を開ける。
 僕の名前は清里幸太郎。平凡をこよなく愛する普通の高校1年生。
「ただいま」 
 家に帰ってきても、お父さんは遅くまで仕事だし、お母さんは僕が幼い時に亡くなってしまったから大体1人。
 帰ったら直ぐ部屋に戻り、着替えを持ってお風呂に入る。
 お風呂に入った後はお父さんが作ってくれたご飯を温めて食べる。シングルファザーで多忙なお父さんだが、お母さんの遺言「ご飯ちゃんと作ってほしい」をきちんと守っている。
「本当ありがたい」
 そう思いつつ毎日感謝し美味しく頂いているが、もうそろそろ自分で作ってお父さんの負担を減らさなければと思う。
 そんなことを考えながら食器を洗い、リビングでダラダラとスマホをいじりながら、自分のツイッターアカウントである平凡botに「今日も平凡だった」と一文だけ投稿する。
 こんな風にして僕の平凡な毎日は過ぎていく。そのはずだった。

「コウ」
「……ん」
 目の前にお父さんがいた。気が付いたらソファーで寝てしまっていた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
 金曜日の夜はついつい夜更かししてソファーで寝てしまう。少し体が痛い。
 お父さんは冷蔵庫から缶ビールを取り出ししみじみ飲んでいた。
「コウ……今いいか」
「うん」
 いつも少しひょうきんなお父さんのいつもとは違うシリアスな雰囲気に、僕は嫌な予感を感じた。
「父さんな……海外に転勤になるわ」
「え!まじで」
「まじ」
「あらま……」
 正直、会社が倒産したのかと別の意味で覚悟をしていたけど、予想の斜め上遥か上空を超えていた。
「……場所は?」
「カナダ」
「まじか……」
「それで、だ。コウは一緒に来たいか?」
 お父さんにそう聞かれたが、正直日本にいたかった。海外旅行なら喜んで行くけど、自分がカナダに住むイメージが全く想像できなかった。そりゃそうだろうけど。
「……できれば日本にいたいかな」
「まあそうだよな。お父さんもそういうと思っていた」
 だからと、お父さんは話始めた。
 海外転勤の話は前々から上がっていて、正式に決定したのは1週間前。お父さんは僕が日本にいたいと言うと思っていたから、その為にある人達と話をしてきたという。
「誰にどんな話」
「大介おじさんいるだろ?」
「うん。この間そば食べたばっかだけど」
 大介おじさんとは僕が住んでいる町の最寄り駅近くの商店街で蕎麦屋を営んでいるお父さんの弟で、奈織おばさんという奥さんもいる。亮太君という息子がいるがもう社会人で家を出て一人暮らししている。
「まさか」
「察しがいいな。コウがよければ大介おじさんの所で暮らす、という話」
「……」
「嫌か?」
「嫌というか……このマンションはどうするの?」
「できれば売りたいな。転勤ではなく、ほぼ移住になりそうだし」
「……」
「コウがここに住みたいというのなら考えるけど」
 これは。この流れは平凡ではない。非日常的だ。凪いだ海のように平穏に暮らしたい僕の生活とは真逆の大荒れの海原だ。などど考えている場合ではなかった。
「おじさん達はなんて?」
「二つ返事でOK」
「……お父さんはどうなのさ」
 お父さんはゆっくりとビールを飲んだ。
「そりゃ凄い寂しいよ。だけど……やりたいことでもあるし、こんなチャンス中々ないと思う」
「……うん」
「それに、お前には1人で暮らしてほしくない」
「……勝手だ」
「勝手か」
 ははとお父さんは笑い、またビールを飲んだ。
「お父さん。返事は……明日でいい」
「そんな早くていいのか?2、3日は待つぞ」
「ううん。大丈夫。……とりあえず寝るね」
 お休みと声をかけ、僕は自分の部屋に行きベッドに倒れ込んだ。
 父親が海外転勤でその為におじさん夫婦の家に居候。これは果たして平凡だろうか。
 人生に伴う変化は人それぞれ。僕の場合、それが少し変わった形で訪れただけで、実はまだ平凡なのではないだろうか?
「よく……わかんない」
 気が付けば時刻は3時。それに気付いた途端また眠くなって、そのまま目を閉じた。

 次の日。目覚めるともうお昼前だった。何か凄い長い夢を見たような気がして、しばらく頭がぼんやりしていたのでシャワーを浴びた。その間に昨晩お父さんから言われたことを考えた。
「父が海外転勤でおじさんの所に居候か」
 そういうのは漫画とかアニメでしか見たことのない状況だったので、まさか自分がそうなるとは思っていなかった。
 お父さんが遠くへ行くのは寂しいけど、泣き叫んで甘える程子供ではない。それにお父さんは自分のやりたいことで前へ進めるんだ。応援してあげないといけない。
「人の夢は応援しないとね」
 唯一覚えているお母さんの言葉を呟いてみた。
「よし」
 僕はシャワーを止め、浴室から出て体を拭いて服を着て、少し下っ腹に力を入れてお父さんがいるリビングへ向かった。
「おはよう」
「おう……」
「ぎゃっ!……なんで泣いてるの?!」
「これ」
 リビングに入るとソファに座っているお父さんが泣いていて、ノートパソコンのモニターを指さしたので覗ぎこんでみると、不良が電気工になる昔のアニメを見ていた。
「お父さんがアニメ見るなんて珍しいね」
「あう……おうっ」
「しかも大号泣じゃん……」
 それからお父さんが落ち着くまで少し時間がかかった。これも予想外の展開だ。平凡から外れると色々なことが起きるものなのか。日常と平凡のバランスというのは実は危ういのかもしれない。
「はー泣いた泣いた」
「何でこのタイミングで見たの」
「上司が行く前に見ろっていうからさ」
「感想は……って聞くまでないか」
「Blu-rayポチった」
「そこまで?!」
「カナダで何回も見る」
「うん……」
 お父さんと一緒にソファに座ってノートパソコンのモニターを見ていた僕は立ち上がり、深呼吸をした。
「お父さん……僕はこっちに残るよ」
「そうか。よし。そうと決まれば」
 僕の言葉を聞いたお父さんは特に悲しむ様子も無かった。それを見てなんだか少し心配になってしまった。
「悲しく……はない?」
「俺は選択肢を与えたい。コウが選んだことを尊重する。だから悲しくはない。寂しいけど」
 お父さんはそういって笑って僕の頭を撫でた後、おじさんに電話して話始めた。
 僕は、家族より平凡を選んだ。胸が痛かった。
 それからは慌ただしかった。お父さんの海外転勤の準備。僕の引っ越しの準備。目まぐるしく毎日が過ぎていき、全ての準備が整ったのは終業式翌日だった。
 僕が早くおじさんの家に慣れるようにと、夏休みの初日からお世話になる。お父さんが配慮してくれた。
 終業式が終わった後、お父さんと2人でお寿司を食べて、その後は眠くなるまで2人でゲームをやった。目が覚めたら飛行機に乗る時間が迫っていて、感傷に浸る暇なく子供の頃から住んでいた家を後にした。
 空港に着くとおじさん達がいたが、かなり時間がギリギリだったので別れの挨拶も慌ただしかった。
「じゃあ落ち着いたらスカイプするから!だいすけよろしくな!」
 そうやってお父さんはバタバタとコミカルな感じで日本を後にした。
「よしっ。それじゃあコウちゃん。これからよろしくな」
「はい。お世話話になります。そういえばおばさんは?」
「奈織なら家で準備だよ」
「準備?」
「着いてからのお楽しみ」
 おじさんの車に乗り込み空港を後にした僕は、おじさんの他愛の無い話に相槌を打ちながら、おじさんの家でのこれからの生活のことを考えながら、流れる景色を見ていた。

 僕が住む町の最寄駅前にアーケード付きのあおげら商店街があるが、おじさん達が営む蕎麦屋はそちらではなく駅からちょっと離れたこげら商店街の中ほどにある。僕はこの名前がとても気に入っている。
 家から近かったからよく家族で行っていたし、お母さんが亡くなった後お父さんが仕事で忙しい時は僕1人で行くこともあった。
 だから馴染み深い場所でもあるし、なんなら手伝いだってしたこともあるけど、そこに住むなんて想像していなかったから、正直ちょっと緊張しているし少し不安だ。
「ついたぞー」
 あれやこれや色々考えていたらなおりに着いていた。なおりは見ての通り奥さんの奈織さんの名前を屋号にしていて、近隣からバカップルとからかわれているとかなんとか。
「おじゃましまーす」
「おじゃまじゃなくてこれからはただいまだ!」
 大介おじさんはガハハと豪快に笑ながら僕の背中を叩く。痛い痛い。
「わっ」
 引き戸を開けて中に入ってみると、見慣れた蕎麦屋の店内が過剰なまでに装飾されていた。どこかの国で作られてであろうとても愉快なオーナメントが沢山ぶらさがっていて、それを縫うように奈織おばさんが自分で作ったであろう色々な飾りが張り巡らされていた。
 子供の頃からずっと顔を合わしているから今更新鮮味なんて無いのに、物凄い歓迎されている。この期に及んでまだこれからここに住むという実感が湧かなかった。
 まだどこか非現実的なような気がして、水の中をふわふわとさまよっている感じ。
「コウちゃん!」
 元気な声を出して店の真ん中に立っていたのは奈織おばさん。いつ会っても元気だし、いつ見ても若い。いわゆるアラフィフってやつなのに。
「コウちゃんは……私が産んだ!」
「突然何を言うの?!」
「記憶の捏造」
「どういうこと?!」
「蕎麦屋ジョーク」
「……わさびがきいてるね」
「お、おもしろすぎる……」
「そんな風にいわれるとめっちゃ恥ずかしいから!」
 奈織おばさんはいつも元気で、いつも突拍子無いことをいう。でもこれでも昔は誰もが知る大きな企業にいたとかいないとか。
 とにかく僕は荒ぶるおばさんをどうかにしてほしいとおじさんに助けを求めたが、おじさんはおばさんの蕎麦屋ジョークが面白かったのか、腹を抱えて笑っていた。駄目だこの夫婦。
 そうしてしばらく賑やかにした後、おじさんとおばさんお手製の歓迎コースの料理が出てきた。蕎麦屋らしく全て蕎麦にまつわるもの。そばがき美味しい。
「出してからいうのもなんだけど、コウちゃん和食好きよねぇ」
 おばさんはそばがきをつまみながら日本酒を飲んでいる。
「好きだけど、ピザとかも好きだよ。サイゼリヤーンも行くし」
「そんな印象が無いんだよなぁ」
 おじさんもそばがきをつまみながら日本酒を飲んでいる。僕はそば茶。
「コウちゃんひょっとして大人?」
「子供だよ!」
 そんな風に、おじさんとおばさんに茶化されていたら気が付けばもう夜だった。
「よし!今日はおひらき!」
 僕がおおあくびをしたところでおじさんが声を上げた。
 後片付けは手伝わなくていいと言われたが、こういうところで甘えてはいけないとやろうとしたが、初日以降は色々手伝ってもうらからと奈織おばさんにさらりと流されてしまった。
「コウちゃん。お風呂溜まってるから入っちゃいな」
「でも」
 そう呟いたけど、遠慮ばかりし過ぎると逆におじさんとおばさんに気を使わせてしまうと思い、お言葉に甘えることにした。
「あぁ」
 浴槽に浸かった瞬間変な声が出た。お父さんから海外転勤を伝えられた日から今日までずーっとバタバタしていて、ゆっくり落ち着いて考え事をする暇もなかった。
 でもまだ色々と実感が湧かないから、どうも落ち着かない気持ちになるけど、細かいことを今考えていても仕方がない。おじさんとおばさんと一緒に住む生活の中で、ちゃんと自分の暮らしを作っていこう。
「よし」
 浴槽から出て脱衣所で体を拭いていると、何やら少し騒がしい声がした。
 声はお店の方から聞こえる。服を着てそちらの方に行ってみると、おじさんとおばさんと誰かがげらげらと笑っていた。
 また酒を飲み始めたのかと厨房から暖簾をくぐると、小上がり席に誰かが座っているのが見えた。
 市川のおばさんだ。
 なおりの隣にある市川フラワーというお花屋さん。子供の頃から今まで何度か利用したことがあるし、なおりに行った時市川のおばさんがいたら必ず挨拶している。
「コウちゃん……10年ぶりだね」
「1週間前会ったばかりじゃないですか!」
「そうだっけ」
 1週間前もお父さんと一緒になおりへ行った時挨拶したのにこのとぼけよう。奈織おばさんと気が合うわけだ。
 やれやれと溜息を吐きながら席に近づくと、市川のおばさんに女の子が座っていた。
 最近の若い子である僕がいうのもなんだけど、最近の若い子だな~という感じの女の子だった。流行的に。偏見かもしれないけど、美大へ行きそうな感じ。
「コウちゃん!うちの娘!」
 市川のおばさんの娘さんとは子供の頃何回か顔を合わせたような記憶があるけど、小学校からは学区も違ったので一度も会っていなかったはずだ。名前はツチカだったような。
 気まずい。同級生でも親戚でもなんでもないこの感じ何か気まずい。向こうもそう思っているはずだ。現に凄くつまらなそうな態度でスマホをいじっている。辞書に載っているつまらないを映像化した人みたいだ。
「ツチカ!挨拶しな」
 うわぁ。おばさん別にいいのに。だってきっと「あぁどうも」みたいな冷たい視線を向けられるだけなんだから。
 市川ツチカさんが、気だるそうにこちらを向いた瞬間、顔を真っ赤にして目をこれでもか見開いた。
「あっ」
「なに?どうしたのツチカ?」
「かっ……」
 市川ツチカさんは固まって僕の方を指さしている。えっ。何。後ろに幽霊でもいる?もしかして。
 僕は恐る恐る後ろを振り向いたが、そこには壁に貼られているビールのポスターがあって、グラビアの女性がこちらを見て笑っている。
 安心して女の子の方を見ると、席から立ち上がり靴を履き入口の方へ。
「帰る!お母さんあまり飲み過ぎないようにね!おじさんおばさんありがとうございました!」
 市川ツチカさんはそういった後僕を睨みつけた後、引き戸を開き出ていった。
「あの娘どうしたのかしら」
「あらコウちゃん!」
「えっ。……あっ」
 奈織おばさんが僕を指さしたので何事かと思ったけど、直ぐに気が付いた。僕はTシャツとトランクスというだけの恰好だったことに。お風呂入っている時に奈織おばさんが「着替えここに置いておくね」と声をかけてくれたのだが、置いてあったのがTシャツとトランクスだけだった。
「コウちゃん変態だな」
「ううっ」
 大介おじさんに指摘され否定したいところだけど、確かに年頃の女の子の前でする恰好ではないような気がする。物心ついて会うなんてほぼ初対面みたいなもんだし、それなのにパンツとTシャツだなんて。どうなんだろう?
「別にパンツ一丁じゃあるまいし、そんな驚くことかしら」
 市川のおばさんは首をひねっている。
 しかし疲れているとはいえ、僕も不注意だったなと反省した。
「コウちゃん先に寝ていいよ」
「ゆっくり休みな」
「コウちゃん大分お疲れね」
「ありがとうございます。おやすみなさい」
 大介おじさんと市川のおばさんに挨拶をして僕は奈織おばさんと暖簾をくぐり厨房手前の階段を登った。
 おじさんとおばさんの店舗兼自宅は古い木造の家だったけど、限界が来たらしく数年前にリフォームして現代的な感じになった。お店の奥におじさんとおばさんの住居があり、2階は亮太君の部屋がある。
「コウちゃん新しくなってから亮太の部屋入ったことあるよね」
「うん。何回か」
「あの隣に部屋あるの知ってた?」
「あー……なんかあったような」
「あそこ納屋というか物置にしてたんだけど、コウちゃんが来るっていうから片付けたら部屋にできるなーって。最初は亮太の部屋にしようかと思ったんだけどね」
「すみません……」
「いいのよ!とりあえず今日はゆっくり寝なね」
「うん」
「手伝いとか荷物とかは明日以降ね」
 それじゃおやすみと言い残し、おばさんは下の階へ降りていった。
「わっ」
 奈織おばさんに言われた部屋を開けてみると、凄い綺麗に片付けられていた。布団が敷いてあって、凄い味のある木製の勉強机が置いてあった。エアコンもある。凄く新しく見える。
「え、これもしかして……」
 だとしたらもの凄い申し訳ないと思いつつ、部屋の空気がこもっているような感じだったのでドライをつけようかとリモコンに手を伸ばしたところで、窓を開ければいいかとそちらの方を見たけど隣は市川フラワーで建物と建物の間が大分狭い。
 そう思って窓から見えたのは、隣の建物の部屋で着替えをしている為上を脱いでいた女の子。市川ツチカさんだった。
 やばいと思う前に目が合ってしまった。
 市川ツチカは窓越しでもわかる程あっという間に顔を真っ赤にし、僕に中指を立ててカーテンを閉めた。
 色々と終わった気がする。
 初日から隣に住んでいる女の子に下着姿を見せつけた後、今度はその女の子の着替えを見てしまうとは。不可抗力だとしても!
「アニメの主人公みたい……」
 そう考えるとなんだか可笑しくて、全然平凡じゃないと、電気を消して布団に寝転んだ。
「疲れた」
 目を瞑るとあっという間に凄い眠気が襲ってきて、そういえばスポーツブラだったなとぼんやり考えていた。
 お父さん。お母さん。明日から僕変態です。
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