第5話 エブリデイ蕎麦で思い出して

文字数 5,946文字

 それから水曜日、木曜日と、どうなることかと思ったけど、夕方になると奈織おばさんから岡持ちを渡されるので、ツチカの家に出前に行って一緒に晩御飯を食べた。
 何が好きでどんな学校生活を送っているかとか、お互いのことを初めて話した。
 ツチカは女子高に通っていて、先輩の女子から告白されたという話を聞いた時には驚いた。本当にそんなことあるんだね。
「なんで女子高なの?」
「家も近いし、友達も行くし、っていう感じかなー」
「ふーん」
「幸太郎は共学でしょ……告白とかされないの」
「されないよ!されるわけない」
「ふーん。背大きいのにね」
「それだけで告白してこられても困る」
「ふーん。まぁ興味ないけど」
「なんなの?!」
 そんななんてことのない会話を交わしながら、こういう日常が続けば自分にとって平凡な毎日になるのだろうか。今はまだどこか非日常的な感覚が纏わりついている気がした。
「ツチカ―」
「はーい。じゃ……また明日ね」
「うん」
 いつものように市川のおばさんから声がかかったので、僕とツチカの夕食会はお開き。この時必ずツチカは何か言いたそうなそんな雰囲気を出すけど、直ぐに店先に戻ってしまう。
裏口から出てなおりに戻るほんのわずかな間に、僕はそれが『思い出した』というあの言葉の答えを待っているんだろうと思った。
 しかし考えてみても胸のつかえを取るようなことは思い出せなかった。子供の頃のアルバムの中に、幼稚園に入った後ツチカと並んで写っている写真があって、接点といえばそれ位しか分からなかった。
「明日写真持っていてみるか……」 
 多分このことを思い出さないから、少しイラついているんだと思う。
 翌日。金曜日の朝。今日はバードウオッチングをするつもりは無かったので、ダラダラと夜更かして寝たのが3時頃。ハッと目が覚めスマホを見てみると10時過ぎだった。
「やばっ」
 もうそろそろ朝食兼昼食の時間。ベッドから出てカーテンを開け大あくびをしながら思い切り伸びていると、反対側にエプロンをつけたツチカがいてこちらを見ていた。スマホを取り出し何かしているなと思ったら、枕元に置いてあった僕のスマホが震えた。
『お寝坊野郎』
 ツチカから来たLINEを見てなんだか恥ずかしくて一瞬イラっとしたので窓の方を見ると、ツチカは手を降り部屋から出ていってしまった。
 バードウオッチングという趣味があるのでそこら辺の男子高校生よりよっぽど早起きだよ、というLINEを送ろうかと思ったけど長すぎるのでもっと簡潔な単語を考えて送った。
「おはよう」
「おう。おはよう」
「おはよう。今日は早く起きてこないから逆に心配しちゃったわよ」
 下に降りるとおじさんとおばさんがご飯の準備をしていた。今日も素麺とおにぎり。大好物です。
「わぁっ」
 厨房のカウンターに置かれたお皿を持っていこうとしたら、突然後ろから肩を捕まれ思わず声を出してしまった。
「よっ。幸太郎大きくなったなぁ」
「漆原さん……」
 そうやって声をかけてくれたのは、奈織で働くアルバイトの1人の漆原さんだった。
 漆原さんは聞いたところによるとハーフで、銀色のような髪色のロングヘア―。そして長身で顔が小さくてまるで嘘のように美人と評判の看板娘の大学4年生。僕にとっては小うるさいお姉さんという感じだった。
 最近は就職活動をしていたのでしばらく見ていなかった。
「身長いくつになった?」
「……180cm」
「おー。見ない間に随分と大きくなって。流石に抜かされたかー」
「体重が欲しい」
「贅沢言うな」
「それで……就活はどうだったの?」
「ふふ」
 漆原さんは不敵な笑みを浮かべたままご飯の準備を始めた。教えてくれないんかい。
「よーし。いただきます!
「いただきます。コウちゃんおにぎりまだ沢山あるからね」
「うん。いただきます」
「いただきまーす」
 皆で素麺とおにぎりを食べた後、漆原さんがさっきの質問に答えてくれた。
「就活、無事終わったよ」
「決まったんだ」
「大体ね」
「どういうこと?」
「大介さんと奈織さんにはもういった。知らないのは幸太郎だけだ」
 漆原さんはにやにや笑ながら麦茶を飲んだ。いつも僕にこういういじわるをしてくる。
 僕が漆原さんと会ったのは中学1年生の時で、漆原さんは大学1年生だった。僕とお父さんが奈織で蕎麦を食べている時に、「アルバイト募集の張り紙を見たんですけど」と入ってきたのが漆原さんだった。凄い美人な人だなと馬鹿みたいに口を開けていた、というのは漆原さんの証言で、僕は確かに美人だとは思ったが口は開けていなかった。
「別に興味ないからいいけど」
「あらあら拗ねちゃって」
「ちょ、ちょっと!」
「ごめんね幸ちゃん~」
 漆原さんは僕の頭を抱きしめて子供をあやすかのように撫でてくる。おじさんとおばさんはそれをスマホで撮影していた。
「なんで撮るの!」
「仲睦まじくていいじゃないか」
「そうね。姉弟みたい」
「よーしよし」
「やめてよ!」
 なんていいつつ、漆原さんのようは美人に頭を撫でられるのはかなりやぶさかではないので、僕はほぼ無抵抗のままなでを受け入れる。とはいえずっとこのままにされているわけにもいかないし、なにより就活がどうなるかが本当に気になっていた。漆原さんが選んだ進路というのは一体何なんだろうか。
「おじさーんおばーさん。ママからのお裾分けー」
 その時、表の引き戸が開いて入ってきたのは市川フラワーのエプロンをつけたツチカだった。
「おう!ありがとう」
「あら、美味しそうなモツ煮!」
「夜やるようにだって」
「こんにちわツチカちゃん」
「こんにちわ」
 漆原さんは変わらず僕の頭を抱きしめながらツチカに挨拶をした。ツチカはにっこり笑っていた。
 僕も声をかけようとしたが、ゴミ以下の何か汚い生物を瞬殺するかのような視線を向けられて思わず目を逸らしてしまった。
「おじゃましましたー」
 ツチカはにこにこ笑ながら出ていったが、引き戸が閉まる瞬間恐ろしい目をしていた気がした。一体何なんだろうか。何はともあれ今は漆原さんの就活の結果を聞かなければ。
「なに。幸太郎とツチカちゃんは仲悪いの?」
「そ、そんなことないと思うけど。それより就職先はどうなったの?」
「北海道に行くよ」
「え?!」
 その後漆原さんは片付けながら教えてくれた。色々な会社を受けたが髪の色を指摘された落とされたり、内定が決まったものの髪を染めるのは条件といわれうんざりしていた。そんな時に、北海道にいる親戚からとある財団が人材を募集しているから受けてみてはどうかと言われたという。
「本気じゃなく冗談で言ったんだと思うんだけどね」
「受けにいったんだ」
「うん。元々好きな場所だったし、そこを守り未来へと繋ぐ仕事っていうのはいいなってね」
 そうやって照れくさそうに話す漆原さんの横顔はいつもよりかっこよく見えた。
「それに就職じゃなくて、10ヵ月契約社員で働いてその後どうなるかだから」
「髪も大丈夫だったの?」
「全く」
 漆原さんは満面の笑みと共に親指を立てた。
「知らない場所へ行くの不安じゃない?」
「不安だけど、楽しみの方が大きいよ」
「にしても……」
「幸太郎はお父さんについていきたいの?」
「え……そういうわけじゃ」
「あんまり深く考えてもしょうがない時もあるぞ」
「わっ」
 僕は再び漆原さんに頭をわしゃわしゃと撫でられた。
 そしてその後はご飯の片付けや開店の準備があったので、その話はそれっきりになった。
 少し手伝ってから部屋に戻った僕はベッドの上に寝転がった。
「おめでとうを言いそびれた……」
 就職が決まったのにおめでとうの一言も言えなかった。お父さんについていきたいのと聞かれ、自分がまだ色々考えているんだなと実感した。後で謝ってちゃんとおめでとうを言おう。
 漆原さんは生まれ育った場所を離れ、遠くへ行ってそこに住んで働くことのイメージがちゃんと湧いているから挑戦する気になれたのだろうか。それともそこまで考えず勢いだけで行動しているのだろうか。
 そもそも僕は一体何を気にしているのだろうか。それもよく分からなくなってきた。この先自分がどうなるのか?どうなっていくのか?それに対する不安?
「難しい……」
 それから色々考えてみたものの、何の答えも出なかった。
 考えるのも面倒になったので起き上がり宿題をやることにした。2時間位やってからまたベッドの上に寝転がりスマホをいじるという大変有意義な時間の過ごし方をしていたら、いつのまにかウトウトしていて気がついた時にはもう夕方だった。
「こうちゃーん出前ー」
 しばらくボーっとしていたら奈織おばさんから呼ばれた。今日はあの写真を持っていって、『思い出した』のことをちゃんとスッキリさせたい。
 机の上に置いていた写真をポケットに入れて、僕は下へ降りた。
「はい!今日もよろしくね」
「行ってきます!」
「エッチなことすんなよー」
「しないよ!」
 岡持ちを持った僕にからかいの言葉を投げつける漆原さん。とんだセクハラ野郎である。
 けらけら笑う漆原さんを無視して、僕は奈織を出た。
 これで5日間連続ツチカと晩御飯を一緒に食べているなと、市川フラワーの裏口の扉を叩きながら思った。しかも毎晩蕎麦。改めて考えてみれば少し不思議。
 そんなことを考えながら呼び鈴を押した。
「はーい」
「幸太郎です」
「……お引き取り下さい」
「なんで?!」
「チッ……お入り下さい」
 何やら機嫌の悪いツチカ。僕が恐る恐る中に入ると、ちゃぶ台の上をやや荒めに片付けていた。
 ソーッと中に入り靴にを脱ぎ居間に上がり、いつものように岡持ちの中身をちゃぶ台の上に乗せた。今日は辛肉蕎麦と見せかけてラー油旨辛肉蕎麦だった。辛肉蕎麦より少し高めで、学生である僕にとっては中々の高級品だったのでめっちゃ嬉しかった。お腹も期待している。いつもアイスを食べているけどハーゲンダッツを食べれる位嬉しい。
 そしてそれにとろろご飯。最高の晩御飯だ。ツチカの機嫌が悪いのを除けば。
 ちらりとツチカの表情を見ると、蕎麦の入った器をキラキラした目で見ていた。
「た、食べようか」
「ふんっ」
 僕の言葉に首を背けるツチカ。なんで。
 とにかくこんな最高の食事をいつまでも放置しているわけにもいかない。それはツチカも一緒なのか、2人とも割りばしを割るとその後は黙々と蕎麦をすすり口に残った旨味でとろろご飯を食べる一瞬のループを楽しんだ。
「ごちそうさま」
「……ごちそうさまでした」
 美味かった。今日は特に美味しかった。こんなに美味しい物を食べれるなんて幸せだなと思っているのも束の間。ツチカがこちらをジッと見てくる。
「仲がよろしいんですね」
「え?」
「漆原さんと随分と仲がよろしいんですね」
 何かを咎めるかのようにツチカの声には苛立ちが含まれていた。
「そりゃあ前から知っているからね」と呟いた瞬間、僕は本題をちゃんと思い出した。
「ツチカのことも……前から知っているよ」
「え?!お、思い出したの?!」
 僕の言葉を聞いたツチカは目を七色に輝かせて身を乗り出してきたが、それだと色々角度的にまずかったので目を逸らした。むっつりにはなりたくない。
「こ、これのことでしょ」
 目を逸らしたまま、僕はポケットに入れていた1枚の写真を取り出した。それは昨晩見つけた幼稚園の頃の僕とツチカだった。
 ツチカが思い出したと聞いてきたのはこれのことだろう。きっとこれでお互い胸のつかえが取れるはずだ。
「ん?」
 ツチカは僕の手から写真を受け取ると、眉間にこれでもかという位に皺を寄せて眺めた後こういった。
「なにこれ?」
「え?!幼稚園の頃の僕とツチカだけど」
「あ、そうなの」
「これじゃないの?!」
 僕が驚いていると「まさか」とツチカは恐る恐る口を開いた。
「思い出したって……まさかこれのこと?」
「そ、そうだけど。違った?」
「ちげーよぉー」
 ツチカは叫びながら居間の上をのたうち回った。もうどうしようもない感情が体から溢れだし制御がきかない。そんな感じの動きだった。
「そんなになることのほどなの?!」
「なるわ!」
「全然思いだせないよ!」
「もうーーー!どうしてよ?!去年の大晦日公園で会ったでしょ?!」
「え。公園って大田堀公園のこと?」
「そう!朝6時位に!」
「あ」
 ツチカの言葉を聞いて、僕は去年の冬のことを思い出した。
 去年の大晦日。あの日は僕はいつものように野鳥を見ようと早起きをし、今は亡き自転車で家から10分程の所にある大きな公園へ行った。
 駐輪場に自転車を止めて一番野鳥がいる奥までゆっくり歩いて約30分。池の近くにある林道で、そこは小さい川も流れているので色々な野鳥が見れる所だった。ただ奥まった所にもあるので地元の人以外はくる所ではなかった。
 その日もそこへ行こうと歩いている途中、池の周りにあるベンチで1組のカップルが言い争いをしていた。邪魔をしてはいけないとちょっと離れて歩こうかと思ったらお互いに何か大きな声で言い争いをしていた。痴話げんかかなと思っていると、「いやっ助けて」「ちっこの野郎!」という叫び声が聞こえて、これは本気でやばいやつだなと感じた。でも咄嗟に体が動かなくてどうしようとどうしようと考えていて、今思うと本当あれでよく助けられらたなと思うけど、僕はその時丁度鞄にBluetoothのスピーカーを入れっぱなしにしていたのでそれをスマホとペアリングし、YouTubeでパトカーのサイレンの高音質を爆音で流した。その結果男は女の人から離れてその場から逃げていった。
「だ、大丈夫ですか?!」
 僕が近付くと女の人はベンチの上で呆然としていた。着衣の乱れは全く無かったので、恐らく口論をしていただけと思われるが、顔が青ざめていた。
「け、警察呼びますか?」
 女の人はその言葉でハッと我に返り、僕の顔と、Bluetoothスピーカーから流れているパトカーのサイレンの音を聞くと、安心したのか笑いながら泣き始めた。
「あの時の女の人が……ツチカだったの」
 ツチカは僕の言葉にコクンと静かに頷いた。
 でも僕はまだ信じられないでいた。だって。ベンチで泣き始めた女の人に朝日があたり照らされた時、僕は戸惑いながらも思ったんだ。
「あの時の女の人髪の毛ピンクだったじゃん!」
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