第1話
文字数 1,998文字
「申し訳ありませんでしたっ!」
「まあね、人間なんだから、間違えることだってあるとは思うよ? けど、それをなくすために何重にもチェックしてるわけでしょ?」
取引先の課長が、『おまえがもっとしっかりしろよ』と言いたげな視線を、俺の隣で何も言わずただ頭を下げ続けるだけの俺の上司の後頭部に向ける。
「今後はもう一度チェック体制を見直し——」
……で、なんで俺ばっか謝ってんだ?
こいつが俺のミスに気付かず書類を通したのが悪いんだろ……って一番悪いのは、ゼロを一個多くつけるなんて初歩的な発注ミスをした俺なわけだけど。
つーか、いつもなら俺がチマチマしでかすミスを、相手の機嫌を損ねないよう、うま~いことフォローしてくれるはずの上司が、こんなどでかい爆弾を落とした今日に限ってだんまりを決め込んでいるのが許せねえ。……いやほんと、悪いのは俺なんだけどさ。
どこに向けたらいいのかわからない怒りが、今にも爆発しそうだ。
……やっぱこれって『アレ』のせいなのか?
俺が『理想の上司アプリ』なんつー訳のわかんねーもんに手を出したせい……?
今日も今日とて口うるさい上司にグチグチグチグチと説教を食らい、挙句の果てに「か~じ~わ~ら~。おまえまたこんな笑えないミスしやがって。おまえもう『ワラ』禁止な。『カジ』で十分だ。カジ、外回り行くぞ。さっさと準備しろ」なんて訳のわかんねーこと言いやがって。おまえの冗談の方が笑えねーっつーの。
憂さ晴らしになんかおもしれーもんがないかと新しいアプリを物色していて見つけたのが、このいかにも怪しげなアプリだった。
「ま、無料なら遊んでみるか」
なんて軽い気持ちで、説明もろくに読まずインストールしたこのアプリ。
美人の上司が、疲れた俺の心を優しく癒してくれる——そんなシュミレーションゲームを想定していたが、全然違った。
《苦手な上司を、理想の上司にカスタマイズしてみましょう》
アプリを開くと、まずこんな一文が画面に表示された。
なんだこれ?
【お笑い】
【泣き】
【スポコン】
【沈黙】
……いや、どれも嫌だろ、これ。
スポコン系上司って……思わずかの有名な熱血男が俺の上司になったところを想像して、ぶるっと身震いする。
俺、マジでそういうの無理だから。
《ここから先は課金アイテムになります》
【称賛】
【奉仕】
【支援】
【指導】
・
・
・
いやさすがにいきなり課金はないわな。
そう思って、無課金で使えるヤツの中で一番まともそうな【沈黙】ってヤツを選んだ。
その翌日からの職場は、俺にとってまさに天国のようだった。
いつも口うるさい上司は沈黙を貫き、一切ダメ出しなんかしてこない。
なんだよあのアプリ、最高かよ。
……なんて思っていたが、俺の単純なミスも沈黙でスルーし、謝罪すべきシーンでも一切謝罪の言葉もなし。
こんなの、理想の上司じゃなくね?
やっぱあそこで課金を渋った俺が間違っていたんだな。
家に帰ると、さっそくアプリを開き、もう一度しっかり目を通す。
これはやっぱ課金するしかないか。
でも、細かい違いがわかんねーな、これ。
どれでもハズレはなさそうだけど。
あーもういいや。目をつぶって当たったヤツで……!
あっちー。
昨日までは過ごしやすい気候が続いていたのに、いきなりの炎天下。
長袖のスーツの下を、滝のように汗が流れていく。
「携帯用扇風機あるぞ。それより冷たいスポーツドリンクの方がいいか? おまえ、汗拭き用のタオルも持っていないのか。まったく、俺がいないとなんにもできないヤツだなあ」
上司が、普段見たこともないような大きなリュックを背負っていると思ったら、次から次へと暑さ対策グッズが出てくるわ出てくるわ。
「これ、いいだろ。新発売の接触冷感タオル。今までの十倍冷たく感じるらしいぞ」
そんなことを言いながら、取り出したタオルで俺の額を流れる汗を拭おうとする。
「やっ、やめてくださいよ。マジで」
かぁっと頬が熱くなり、さらに大量の汗が噴き出してくる。
ってか、なんで俺は上司に照れてんだよ。
あー、やっぱあんなふうに選ぶんじゃなかった。
もう一回やり直しだ。
その日の夜、正座して何度も何度も課金上司の項目を吟味する。
今度こそ間違えられねえ。
「か~じ~、おまえなあ。何度言ったらわかるんだ」
今日も今日とて上司の説教から始まる朝。
「はい、さーせん!」
「『さーせん』じゃなくて、『すみません』だ。謝罪もろくにできないのか、おまえは」
深いため息を吐くと、上司が傍らに置いたばかりの使い慣れたカバンを手に取った。
「ほら、外回り行くぞ。さっさと準備しろ」
「はいっ、了解っす!」
「おまえなあ」
元気よく答える俺に、上司が苦笑いする。
結局今までの上司に一番近いヤツを選ぶなんてな。
俺って意外とドMだったのか?
いや、俺にとっての理想の上司がこの人だったってだけか。
(了)
「まあね、人間なんだから、間違えることだってあるとは思うよ? けど、それをなくすために何重にもチェックしてるわけでしょ?」
取引先の課長が、『おまえがもっとしっかりしろよ』と言いたげな視線を、俺の隣で何も言わずただ頭を下げ続けるだけの俺の上司の後頭部に向ける。
「今後はもう一度チェック体制を見直し——」
……で、なんで俺ばっか謝ってんだ?
こいつが俺のミスに気付かず書類を通したのが悪いんだろ……って一番悪いのは、ゼロを一個多くつけるなんて初歩的な発注ミスをした俺なわけだけど。
つーか、いつもなら俺がチマチマしでかすミスを、相手の機嫌を損ねないよう、うま~いことフォローしてくれるはずの上司が、こんなどでかい爆弾を落とした今日に限ってだんまりを決め込んでいるのが許せねえ。……いやほんと、悪いのは俺なんだけどさ。
どこに向けたらいいのかわからない怒りが、今にも爆発しそうだ。
……やっぱこれって『アレ』のせいなのか?
俺が『理想の上司アプリ』なんつー訳のわかんねーもんに手を出したせい……?
今日も今日とて口うるさい上司にグチグチグチグチと説教を食らい、挙句の果てに「か~じ~わ~ら~。おまえまたこんな笑えないミスしやがって。おまえもう『ワラ』禁止な。『カジ』で十分だ。カジ、外回り行くぞ。さっさと準備しろ」なんて訳のわかんねーこと言いやがって。おまえの冗談の方が笑えねーっつーの。
憂さ晴らしになんかおもしれーもんがないかと新しいアプリを物色していて見つけたのが、このいかにも怪しげなアプリだった。
「ま、無料なら遊んでみるか」
なんて軽い気持ちで、説明もろくに読まずインストールしたこのアプリ。
美人の上司が、疲れた俺の心を優しく癒してくれる——そんなシュミレーションゲームを想定していたが、全然違った。
《苦手な上司を、理想の上司にカスタマイズしてみましょう》
アプリを開くと、まずこんな一文が画面に表示された。
なんだこれ?
【お笑い】
【泣き】
【スポコン】
【沈黙】
……いや、どれも嫌だろ、これ。
スポコン系上司って……思わずかの有名な熱血男が俺の上司になったところを想像して、ぶるっと身震いする。
俺、マジでそういうの無理だから。
《ここから先は課金アイテムになります》
【称賛】
【奉仕】
【支援】
【指導】
・
・
・
いやさすがにいきなり課金はないわな。
そう思って、無課金で使えるヤツの中で一番まともそうな【沈黙】ってヤツを選んだ。
その翌日からの職場は、俺にとってまさに天国のようだった。
いつも口うるさい上司は沈黙を貫き、一切ダメ出しなんかしてこない。
なんだよあのアプリ、最高かよ。
……なんて思っていたが、俺の単純なミスも沈黙でスルーし、謝罪すべきシーンでも一切謝罪の言葉もなし。
こんなの、理想の上司じゃなくね?
やっぱあそこで課金を渋った俺が間違っていたんだな。
家に帰ると、さっそくアプリを開き、もう一度しっかり目を通す。
これはやっぱ課金するしかないか。
でも、細かい違いがわかんねーな、これ。
どれでもハズレはなさそうだけど。
あーもういいや。目をつぶって当たったヤツで……!
あっちー。
昨日までは過ごしやすい気候が続いていたのに、いきなりの炎天下。
長袖のスーツの下を、滝のように汗が流れていく。
「携帯用扇風機あるぞ。それより冷たいスポーツドリンクの方がいいか? おまえ、汗拭き用のタオルも持っていないのか。まったく、俺がいないとなんにもできないヤツだなあ」
上司が、普段見たこともないような大きなリュックを背負っていると思ったら、次から次へと暑さ対策グッズが出てくるわ出てくるわ。
「これ、いいだろ。新発売の接触冷感タオル。今までの十倍冷たく感じるらしいぞ」
そんなことを言いながら、取り出したタオルで俺の額を流れる汗を拭おうとする。
「やっ、やめてくださいよ。マジで」
かぁっと頬が熱くなり、さらに大量の汗が噴き出してくる。
ってか、なんで俺は上司に照れてんだよ。
あー、やっぱあんなふうに選ぶんじゃなかった。
もう一回やり直しだ。
その日の夜、正座して何度も何度も課金上司の項目を吟味する。
今度こそ間違えられねえ。
「か~じ~、おまえなあ。何度言ったらわかるんだ」
今日も今日とて上司の説教から始まる朝。
「はい、さーせん!」
「『さーせん』じゃなくて、『すみません』だ。謝罪もろくにできないのか、おまえは」
深いため息を吐くと、上司が傍らに置いたばかりの使い慣れたカバンを手に取った。
「ほら、外回り行くぞ。さっさと準備しろ」
「はいっ、了解っす!」
「おまえなあ」
元気よく答える俺に、上司が苦笑いする。
結局今までの上司に一番近いヤツを選ぶなんてな。
俺って意外とドMだったのか?
いや、俺にとっての理想の上司がこの人だったってだけか。
(了)