横顔

文字数 1,996文字

久しぶりに上がった祖父母の家は、二人が住んでいた頃と変わらない匂いがした。
「あら、ひなちゃん!大きくなって!」なんて、祖母の柔らかな声が奥から聞こえてきそうだ。

それでも、冷蔵庫に貼られたカレンダーが去年の九月になっていたり、祖父の老眼鏡ケースに埃が積もっていたり、時間はどこかで止まってしまったようだ。

祖父母は、まるで何かに呼び出されたかのように、二人が続けて亡くなった。
この家も、二人が亡くなったあとは、たまに父が換気にくる程度で、片付けらしいことはなにもしていなかった。大阪と兵庫の間くらいにあるので、東京から行くには片道4時間程度かかってしまうし、他の親戚ももう大阪には残っていない。

「お父さんと一階の方やっておくから、日菜子と由梨は二階のほう見てきて。あ、さっきそこで虫が死んでたから、足元気をつけながら歩いたほうがいいかも」
母が忠告すると、由梨が急につま先立ちになった。
「ああ…、虫出たら、お姉ちゃんよろしく」
「いや、由梨のほうが居酒屋でバイトしてんだから、虫なんか見慣れてるでしょ!」
「…うちの店は清潔だもん…」

私が前を歩いて、妹の露払いならぬ虫払いをしながら、二階に上がる。
「なんか、こっちはあんまり覚えてないかも」最後に二階へ上がったのは七年前くらいで、由梨も当時はまだ中学生だ、無理もない。「こっちがおばあちゃんの部屋?」
「そっちはおじいちゃんの部屋。そっちのアジサイの絵がかかってるほうが、おばあちゃんの部屋」
「アジサイじゃなくて、アサガオね。おじいちゃんみたいな言い間違え!」
由梨はくすくす笑いながら、アサガオの絵がかかったドアを開けた。

私がもうひとつの部屋に入ると、こちらはかなり埃っぽかった。
部屋の一辺はすべて本棚で埋められていて、一番手前の棚には雑誌が並んでいた。そのほとんどがカメラの雑誌で、一冊手に取ると、三十年前の六月号だった。祖父らしく、順番にしているようで、隣には七月号が並んでいる。
「あ、お姉ちゃん、納戸は虫が出そうだから、お姉ちゃんお願いね〜」
「え、やだよ。私、あそこ開けたことないし」

恐る恐る開けた引き戸の先は、大人が三人くらい入れる広さの納戸である。見渡したところ、虫はいないようだった。ただ、カビの臭いが立ち込めていて、よほど湿度が高いらしい。

そこにあるダンボールを開けると、中にはまたカメラの雑誌が入っている。
こちらは新しいのも古いのも混ざっていて、祖父らしくない感じもする。いつ大きな虫が出るのかと怯えつつ、雑誌を持ち上げてみると、カメラ雑誌の下から手芸の本が出てきた。どうやら祖母が片付けて置いた箱のようだ。

雑誌のダンボールの下には白い箱が重なっていた。
大きな正方形をしたその箱には「七五三」と書かれている。

中にはアルバムが入っていた。
父の幼い頃の写真が並べて貼られている。そして、写真の脇には、祖母の字で『お稲荷さんの横で。良い天気にも恵まれました。』とメモ書きが貼られている。
ページをめくっていくと、若い頃の祖母や、きっと私の曽祖父と思われる人たちがこちらを向いている。
撮影役に徹していた祖父の写真は、祖母が撮ったと思われるピントがボケた一枚くらいしかなかった。

その後は、海辺の写真が貼られた青いアルバムが出てきた。
海辺の街の写真だが、突然大きなコーヒーのオブジェが現れたり、銀色の建物が写り込んでいたり、非常に独特な写真たちだ。
父が子供の頃の写真よりは新しい感じはするが、どこの写真なのかわからない。
アルバムをひっくり返したり、ページを見直してみても、何も書いていなかった。

一階にいる父に聞いてみようと小脇に抱えると、背表紙に「ユートピア’81」と書かれているのに気がついた。

「お父さんさ、ユートピア’81って何?」
「ユートピア?」
「これ、二階の納戸から出てきたんだけど」
私が広げて見せると、父が笑いだした。
「あああ、はいはい、ポートピア’81ね!」母も隣で笑いながら覗き込む。
「ほんと、言い間違い多かったけど、書き間違いもあるなぁ!ポートピアって、神戸でやってた万博みたいなやつだよ」
このアルバムは祖父が作っていたようで、写真の脇に書かれた文字も祖父のものだ。

『銀色の建物は、露出が、うまくあわない』
『エミさんは、いつもこちらを向かない』
『オートフォーカス面白い 時折、敏感にきっちり合ってくる』
『こちらはやや鈍感 奥が鮮やかだとピントがうまくあわない』
『もう少し望遠のレンズを持ってくるべきだった』

どうやら新しいカメラを試していたらしく、走り書きで感想が書かれている。

最後の一枚には、女優のように髪を風になびかせながら、海を見つめる祖母の横顔が収められていた。

写真の脇には、
『暑かった エミさん たくさん歩かせてごめん』
と、書き添えられている。

几帳面に写真を並べながら、その横にペンを走らせる祖父の姿が、ふと目に浮かんだ。


〈終〉



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