書き散らし葉桜

文字数 1,139文字


2024/4:「海の中のひとたち」へ移動



 私は単純だ。
 コンビニのレジのお姉さんが笑顔で接客してくれた、それだけで明日も生きていてもいいのかもしれないと思う。
 別にすぐさま死ぬ予定がある訳ではない、けれども生きる予定もない、のだけれど。



 今まで「それでも」と思って生きてきた。辛い、それでも生きる。悲しい、それでも前を向く。失う、それでも歩く。

 降り積もった「それでも」はある朝唐突に雪崩を起こした。何も手につかない。何も考えられない。
 当然上司には訝しげな顔をされ、最終的には病院へ行きなさいと説得された。その頃には仕事どころか、食べることも寝ることもままならない、人間というよりかは何か歪な生物に私は成り果てていた。

 果ての果ての果て。
 言われるがままに行った駅前のメンタルクリニックで、仕事を休むようにと指示をされた。診断書が医師から私へ、私から会社へ流れるように渡っていく。流されるまま休職の手続きをしていく。そこに私の意思はなかった。どうしていいのか分からなかったし、今回ばかりは「それでも」が通用しそうにもなかった。

 何故なら私は死にたかったからだ。
 人は本来生きるのに理由はいらないと思う。生きていることがデフォルトであり、意味づけはフレーバーだ。死に向かって生きてはいるが死ぬことが目的でない以上、理由も意味もなくとも生きていけるのだ。けれど私は「それでも」死にたかった。

 正確にはデフォルトが「死ななければいけない」になってしまった。
 だから死ななくていい理由を毎日さがしている。こんな状態になっても「それでも」本当は死にたくなくて、それに値する理由をさがしている。

 食べられるようになっても、眠れるようになっても理由をさがすことからだけは逃げられなかった。
 毎日、私の生きる理由にしてごめんなさいと思いながら誰かを何かを理由にして生きている。友達に良いことがあった。道で躓いた時に声をかけてくれた。猫を見かけた。上手く話せた。天気が雨だった。

 理由は何でも良かった。「わたし」が良いと思えれば何でも。

 果ての果ての果てのはじまり。
 そうやって一日一日を生き延びる。きっと壊れてしまったんだ。でなければ、生きたいと死にたいが同時に存在しているなんて耐えられない。どちらも激しく主張し譲らず間で右往左往する自分は滑稽だった。

 「それでも」生きて「それでも」死にたがっている。
 嗚呼、結局最初から何も変わっていないのかもしれない。
 「それでも」の使い方が少しずれただけで、なにも、何一つ。

 そのことに気が付いた時ひどく穏やかな気持ちになり、もう居なくなってしまった自分を優しく抱きしめた。

 果ての果ての果ての愛。
 そこにはただの少しも動かない愛らしい人形が一つ。




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