第2話
文字数 3,454文字
お嬢さんは、くちばしで後ろ羽をととのえながら、こちらをうかがっています。
その様子を見ているうちに、すっかりなにもかも見すかされているように思えてきて、白フクロウは、動くことも、しゃべることもできなくなりました。
「どうかなさいました? 顔色がお悪いですわ」
白フクロウは目を白黒させました。お嬢さんは星を読む奥義の達人なのでしょうか。
「お日様が明るすぎるのかしら」
白フクロウはやっとくちばしを開きました。
「あなたは、わたしがだれだか知っていて、ここにきたのですか」
お嬢さんは、かわいらしい丸い目をぱちくりさせました。
「いいえ、あなたがだれかなんて、わたし、ぜんぜん知らないわ。でも」にっこり笑って続けました。「なんだか、感じのいいかただなって思ったの」
白フクロウはうしろにだれかいるのかと思って、頭をぐるっと回してみました。どこにも、だれもいませんでした。
そしてフクロウのお嬢さんは、かしこい白フクロウのおくさんになりました。
白フクロウのおくさんは、その秋のうちに、カシの木のうろのなかで、小さな卵を一つ産みました。つるりと丸く軽い卵を、おくさんは毎日抱いてあたためました。
かしこい白フクロウは、おくさんが卵を産んだその夜の星のならびから、生まれるわが子の命が、長くないことを知りました。
はじめての卵が、うまく育たないのはよくあることですし、だれのせいでもありません。おくさんはかしこい白フクロウになにも聞きませんでしたし、白フクロウもおくさんになにも言いませんでした。
しばらくたった夜、いつものように星空を見上げていた白フクロウのもとに、おくさんが飛んできました。
「ぼうやが生まれたわ!」
白フクロウはおくさんをねぎらいましたが、ぼうやには、会おうとしませんでした。
おくさんは、毎晩、頂上スギの三番目の枝にやってきました。
「どうぞ、顔を見てやってくださいな。ぼうやはお父さんに会いたがっていますわ」
白フクロウはあれこれ理由をつけて、スギの枝からはなれようとしませんでした。
「今夜もすい星を見はっていなければなりませんから」
「そうですの。では、ご用事がすみましたら、きっと」
おくさんは、目をふせ、カシのうろにもどっていきました。
白フクロウは夜空にあわく白いしっぽをのばした、すい星を見上げました。
なんとか今日まで、ざわざわする胸のうちをおくさんに知られずにすみました。
ぼうやの命は、あと一日。
ふと、自分がおさなかったころ、木のうろに兄さんたちといたころを思い出しました。白フクロウには兄さんたちがいました。
ぼうやはたった一人です。お母さんのあたたかな胸は知っていても、お父さんの大きな羽でだいてやったら、どんなにかよろこぶことでしょう。
星が好きな子なら、星の話をいくらでもしてやるのに。
何年もかけて学んだ奥義をおしえてやるのに。
けれど、時間がありません。
賢者は、運命を変えることはできないと、言いました。
白フクロウはくちばしをぎゅっと引きむすびました。
明日ぼうやがいなくなっても、いつものようにヒメネズミを取って食べるでしょう。たとえすじばっていて、あじけなくても。
羽ばたく音に、白フクロウはわれにかえりました。となりの枝に、おくさんがしずんだ顔でとまっていました。
「あなた。最後に一度だけでも、会ってやってはいただけませんか?」
おくさんの「最後」ということばに、白フクロウはどきっとしました。
おくさんにはぼうやの運命のことは一言も話していないし、おくさんが未来を読めるはずもないのです。けれど、知っている……そう思ったとたん、おさえてきた気持ちがあふれだしました。
「会ってもしかたがないでしょう。ぼうやの命は長くないのですから。わたしは最後までいつもどおりにふるまうつもりです」
おくさんは首をふり、羽をふるわせました。
「最後の日はだれにでもくるわ」しぼりだすような声でした。
「さっきぼうやはうまれてはじめてトンボを食べました。もし明日ぼうやの命がつきるとしても今夜はふとったカナブンを食べさせてやりたい。そしてあなたには、ぼうやをだいて、あやして、お話をしてやってほしいんです。そう思うのはおかしなことでしょうか」
「でも……」
白フクロウは、胸をつかれて、言葉につまりました。
「なにをそんなにこわがっているの?」奥さんが静かに聞きました。「不器用でもあなたはいつも優しかった。今のあなたは、ちっともいつもどおりじゃないわ」
その瞬間、白フクロウは、雷につらぬかれたかのように感じました。
師匠だった老賢者の言葉の意味が、今、わかったのです。
小さな、ほんのかすかな呼び声がしました。
かしこい白フクロウは、風のはやさで飛び立ちました。
カシの木の枝に、太くて長いヘビがかまくびをもたげて、うろの穴をのぞきこんでいます。一直線にまいおりた白フクロウは、ヘビをくわえてなげすてました。
「たすかった」一瞬、そう思いましたが、これでぼうやの命がのびるわけではありません。それが運命というものです。でも……。
「やあ、ぼうや。お父さんだよ」
ぼうやはふるえていました。かしこい白フクロウは、そっと羽でつつみこみました。ぼうやの体は、おれてしまいそうなほど小さく細く、たよりないのでした。
やせてちいさなひなは、目も見えず、足もよろよろと力が入りません。
「お父さんなの? あったかい」
ひなが小さくつぶやきました。
白フクロウの胸のなかにも、あたたかい灯がともりました。
「ぼうや、お話してあげよう」
白フクロウは、ぼうやをだきよせてちょっと考えました。
「どんなお話にしようか」
「おいしいお話」
白フクロウは、ああとうなずきました。そして、いままでで一番おいしそうだった食べ物の話……フクロウの賢者にあげた、脱皮したばかりのやわらかいバッタの話をしました。「……ふつうのバッタはすじばっていて、かたいのです。脱皮したばかりのバッタは、みずみずしくて、やわらかくて、のみこむと、つるんとあまくて、めったに食べられないごちそうなのです。さて、おしまい」
「もう一回して」
「いいとも」
ほかにもいろいろなお話をしてやろうと思ったのですが、ひなはなんども同じ話を聞きたがります。
「もっとほかの話は? もうこの話はこの先どうなるか知っているのだし」
口にしながら、ひなのこの先のことを言っているようで、白フクロウははっとしました。
「ううん。いいの。だってね。なんど聞いても」ひなは、くくっと小さくわらいました。「おなかが、あったかくなるんだもの」
ひなは気づかなかったようでした。白フクロウはゆっくり息をすいこみ、また、やわらかいバッタの話をしはじめました。
三回目のお話がおわるまえに、白フクロウの羽のなかで、ひなは息をするのをやめました。その最後の短いひととき、やさしく強いお父さんにつつまれて、おいしくてあたたかいお話を聞きながら、ひなはやすらかにねむるように、しにました。
つつみいだいたひなの、鼓動がきえたそのあとも、白フクロウは、そのままうごけませんでした。
白フクロウは、しずかに泣いていました。
「老賢者さま。わたしはおろかでした」
羽の中で、ひなはまだあたたかです。でももう二度と息はしないのでした。
もっとだいてやればよかった。
もっと話をしてやればよかった。
もっと……もっと。
短い命であっても、命にかわりなかったのに。
フクロウの賢者が言いたかったこと……。
明日世界がほろぶとしても、
だれもが今日、今、このときを、生きている。
かわらず……いつもどおりに……。
天を見上げれば、満点の星がひときわきれいな夜でした。
けれど、かしこい白フクロウはうつむいて、羽にだいたひなの、ねむるようにやすらかな顔だけを見ていました。
その背中に、おくさんがそっとよりそいます。
星空をよこぎって、流れ星が一つ、きらめいて落ちていきました。
かしこい白フクロウはそれからも賢者の森で、奥さんとすごしました。十年後の冬、うらのガケがくずれました。さらに年かすぎ、年老いた白フクロウは、年老いた奥さんに見守られて、安らかにおだやかにいきました。
自分の命の尽きる日を、白フクロウは知っていたのでしょうか? 知っていても、知らなくても、どちらでも、同じだったでしょう。どちらであっても、かしこい白フクロウは、その最後の日を、いつも通り同じように、過ごしたからです。
(終わり)
その様子を見ているうちに、すっかりなにもかも見すかされているように思えてきて、白フクロウは、動くことも、しゃべることもできなくなりました。
「どうかなさいました? 顔色がお悪いですわ」
白フクロウは目を白黒させました。お嬢さんは星を読む奥義の達人なのでしょうか。
「お日様が明るすぎるのかしら」
白フクロウはやっとくちばしを開きました。
「あなたは、わたしがだれだか知っていて、ここにきたのですか」
お嬢さんは、かわいらしい丸い目をぱちくりさせました。
「いいえ、あなたがだれかなんて、わたし、ぜんぜん知らないわ。でも」にっこり笑って続けました。「なんだか、感じのいいかただなって思ったの」
白フクロウはうしろにだれかいるのかと思って、頭をぐるっと回してみました。どこにも、だれもいませんでした。
そしてフクロウのお嬢さんは、かしこい白フクロウのおくさんになりました。
白フクロウのおくさんは、その秋のうちに、カシの木のうろのなかで、小さな卵を一つ産みました。つるりと丸く軽い卵を、おくさんは毎日抱いてあたためました。
かしこい白フクロウは、おくさんが卵を産んだその夜の星のならびから、生まれるわが子の命が、長くないことを知りました。
はじめての卵が、うまく育たないのはよくあることですし、だれのせいでもありません。おくさんはかしこい白フクロウになにも聞きませんでしたし、白フクロウもおくさんになにも言いませんでした。
しばらくたった夜、いつものように星空を見上げていた白フクロウのもとに、おくさんが飛んできました。
「ぼうやが生まれたわ!」
白フクロウはおくさんをねぎらいましたが、ぼうやには、会おうとしませんでした。
おくさんは、毎晩、頂上スギの三番目の枝にやってきました。
「どうぞ、顔を見てやってくださいな。ぼうやはお父さんに会いたがっていますわ」
白フクロウはあれこれ理由をつけて、スギの枝からはなれようとしませんでした。
「今夜もすい星を見はっていなければなりませんから」
「そうですの。では、ご用事がすみましたら、きっと」
おくさんは、目をふせ、カシのうろにもどっていきました。
白フクロウは夜空にあわく白いしっぽをのばした、すい星を見上げました。
なんとか今日まで、ざわざわする胸のうちをおくさんに知られずにすみました。
ぼうやの命は、あと一日。
ふと、自分がおさなかったころ、木のうろに兄さんたちといたころを思い出しました。白フクロウには兄さんたちがいました。
ぼうやはたった一人です。お母さんのあたたかな胸は知っていても、お父さんの大きな羽でだいてやったら、どんなにかよろこぶことでしょう。
星が好きな子なら、星の話をいくらでもしてやるのに。
何年もかけて学んだ奥義をおしえてやるのに。
けれど、時間がありません。
賢者は、運命を変えることはできないと、言いました。
白フクロウはくちばしをぎゅっと引きむすびました。
明日ぼうやがいなくなっても、いつものようにヒメネズミを取って食べるでしょう。たとえすじばっていて、あじけなくても。
羽ばたく音に、白フクロウはわれにかえりました。となりの枝に、おくさんがしずんだ顔でとまっていました。
「あなた。最後に一度だけでも、会ってやってはいただけませんか?」
おくさんの「最後」ということばに、白フクロウはどきっとしました。
おくさんにはぼうやの運命のことは一言も話していないし、おくさんが未来を読めるはずもないのです。けれど、知っている……そう思ったとたん、おさえてきた気持ちがあふれだしました。
「会ってもしかたがないでしょう。ぼうやの命は長くないのですから。わたしは最後までいつもどおりにふるまうつもりです」
おくさんは首をふり、羽をふるわせました。
「最後の日はだれにでもくるわ」しぼりだすような声でした。
「さっきぼうやはうまれてはじめてトンボを食べました。もし明日ぼうやの命がつきるとしても今夜はふとったカナブンを食べさせてやりたい。そしてあなたには、ぼうやをだいて、あやして、お話をしてやってほしいんです。そう思うのはおかしなことでしょうか」
「でも……」
白フクロウは、胸をつかれて、言葉につまりました。
「なにをそんなにこわがっているの?」奥さんが静かに聞きました。「不器用でもあなたはいつも優しかった。今のあなたは、ちっともいつもどおりじゃないわ」
その瞬間、白フクロウは、雷につらぬかれたかのように感じました。
師匠だった老賢者の言葉の意味が、今、わかったのです。
小さな、ほんのかすかな呼び声がしました。
かしこい白フクロウは、風のはやさで飛び立ちました。
カシの木の枝に、太くて長いヘビがかまくびをもたげて、うろの穴をのぞきこんでいます。一直線にまいおりた白フクロウは、ヘビをくわえてなげすてました。
「たすかった」一瞬、そう思いましたが、これでぼうやの命がのびるわけではありません。それが運命というものです。でも……。
「やあ、ぼうや。お父さんだよ」
ぼうやはふるえていました。かしこい白フクロウは、そっと羽でつつみこみました。ぼうやの体は、おれてしまいそうなほど小さく細く、たよりないのでした。
やせてちいさなひなは、目も見えず、足もよろよろと力が入りません。
「お父さんなの? あったかい」
ひなが小さくつぶやきました。
白フクロウの胸のなかにも、あたたかい灯がともりました。
「ぼうや、お話してあげよう」
白フクロウは、ぼうやをだきよせてちょっと考えました。
「どんなお話にしようか」
「おいしいお話」
白フクロウは、ああとうなずきました。そして、いままでで一番おいしそうだった食べ物の話……フクロウの賢者にあげた、脱皮したばかりのやわらかいバッタの話をしました。「……ふつうのバッタはすじばっていて、かたいのです。脱皮したばかりのバッタは、みずみずしくて、やわらかくて、のみこむと、つるんとあまくて、めったに食べられないごちそうなのです。さて、おしまい」
「もう一回して」
「いいとも」
ほかにもいろいろなお話をしてやろうと思ったのですが、ひなはなんども同じ話を聞きたがります。
「もっとほかの話は? もうこの話はこの先どうなるか知っているのだし」
口にしながら、ひなのこの先のことを言っているようで、白フクロウははっとしました。
「ううん。いいの。だってね。なんど聞いても」ひなは、くくっと小さくわらいました。「おなかが、あったかくなるんだもの」
ひなは気づかなかったようでした。白フクロウはゆっくり息をすいこみ、また、やわらかいバッタの話をしはじめました。
三回目のお話がおわるまえに、白フクロウの羽のなかで、ひなは息をするのをやめました。その最後の短いひととき、やさしく強いお父さんにつつまれて、おいしくてあたたかいお話を聞きながら、ひなはやすらかにねむるように、しにました。
つつみいだいたひなの、鼓動がきえたそのあとも、白フクロウは、そのままうごけませんでした。
白フクロウは、しずかに泣いていました。
「老賢者さま。わたしはおろかでした」
羽の中で、ひなはまだあたたかです。でももう二度と息はしないのでした。
もっとだいてやればよかった。
もっと話をしてやればよかった。
もっと……もっと。
短い命であっても、命にかわりなかったのに。
フクロウの賢者が言いたかったこと……。
明日世界がほろぶとしても、
だれもが今日、今、このときを、生きている。
かわらず……いつもどおりに……。
天を見上げれば、満点の星がひときわきれいな夜でした。
けれど、かしこい白フクロウはうつむいて、羽にだいたひなの、ねむるようにやすらかな顔だけを見ていました。
その背中に、おくさんがそっとよりそいます。
星空をよこぎって、流れ星が一つ、きらめいて落ちていきました。
かしこい白フクロウはそれからも賢者の森で、奥さんとすごしました。十年後の冬、うらのガケがくずれました。さらに年かすぎ、年老いた白フクロウは、年老いた奥さんに見守られて、安らかにおだやかにいきました。
自分の命の尽きる日を、白フクロウは知っていたのでしょうか? 知っていても、知らなくても、どちらでも、同じだったでしょう。どちらであっても、かしこい白フクロウは、その最後の日を、いつも通り同じように、過ごしたからです。
(終わり)