第25話  勝頼と勘助

文字数 1,618文字

「勘助よ私だ、分かるか?四郎勝頼だ」
「……!!」
勘助の浅黒い顔が一瞬凍り付いたように白くなったとに思われたが、すぐにその眼帯を着けぬ方の眼に涙がにじんだ。
「おお、四郎様、おお……。何とご立派になられて……」
「立派、立派と申すか」
勝頼はほろ苦い笑みを浮かべるしかなかった。
「確かに体だけはこの通り、立派になったのかも知れんな。お前と最後に会った時、私はほんの小僧に過ぎなかった。今の私はもはや壮年よ」
「……」
勘助の涙が頬に伝わり、氷の城塞に堕ちた。
「だがもはや私は人ではない。亡者の女王の力によって蘇った死者の軍勢の将となったのだ」
「……」
「お前や信繁叔父上のように戦場で堂々たる討ち死を遂げること叶わず、妻子を殺した上で自害するという惨め極まる最期を遂げた故、そちら側に行けなかったのだ」
「四郎様、何とおいたわしい……。それがしが貴方様の御側におれば、そのような目にあわせなんだものを。天下への戦に臨む貴方様を御助けすること叶わなかったこの爺めを、何卒お許しくだされ……」
勘助は突っ伏して号泣しながら詫びた。
「そうだ、お前のせいなのだぞ、勘助よ。私を置いて死に、私を助けなかったお前の……」
勝頼は己の双眸からあふれる涙を拭い、そして我が傅役たる隻眼の軍師に言葉を放った。
「勘助よ、己の罪を(あがな)いたいのなら、この私に父を超える武将となって天下を獲れという己の言葉の責任を全うする気があるのなら、こちらに来い。再びこの私仕えよ」
勝頼の万感の思いがこもった言葉が永遠の凍土ニブルヘイムに響き渡った。その熱い言葉は吹き荒れる氷雪をも融かすのではないかと思われた。
父である信玄はかつて見せたことの無い、いかにも興味深いという表情を我が子に注ぎ、叔父である信繁は憂いと悲しみに満ちた表情で我が甥と軍師を見較べている。
勝頼がこのような言葉を発したのは、敵を調略しよう、揺さぶりをかけようという計算からではない。
己の罪を悔いる我が傅役を見て、必然的に湧き出た言葉であった。
傲慢さ故御家を滅ぼした己の過去の過ちを償い、真の武人へと再生したいという魂の欲求から自然に導き出された言葉だった。
(そうだ、やはり私には勘助が必要だ。私が頂まで飛翔するには勘助の忠誠と智謀が必要なのだ)
「頼む、勘助」
勝頼は懇願するように言った。
「四郎様、何と勿体ない……」
勘助が身を起こし、涙に満たされた独眼を勝頼に向けた。
「それがしは……」
「血迷うたことを申すな、四郎!」
勝頼と勘助が流す涙を一瞬にして吹き飛ばすような烈風のような叱責の声を発したのは典厩信繁であった。
「お前は己がいかなる存在になり果てたのか、未だ理解しておらぬのか。お前は最早武田家の棟梁なのではない。邪神の僕であり、おぞましき亡者共を率いる魔将軍なのだぞ。そして我らもまた最早武田気の重臣なのではない。魔軍を滅ぼす使命を持って生まれ変わった聖なる戦士エインフェリアである。我らが手を組むなどあり得ぬ。血のつながりも主君の契りも最早永遠に絶たれたのだ。最後まで戦い合う以外に無い宿命なのだ」
「叔父上……」
勝頼は典厩信繁の闘志に満ち満ちた言葉に圧倒されるしかなかった。
幼い頃に会った叔父の印象は全く武人らしからぬ柔和で優しい人と言うものであった。
(あの父上の弟で天下最強たる武田軍の副将を務める人とは思えないな)
そう思ったものであった。
しかし今眼前の氷雪の城で己と隻眼の軍師を叱咤する叔父の不動明王の如き猛々しさ、厳格さは
どうであろう。
(最早これ以上勘助に言葉をかけることなど出来ようはずがない……)
これ以上勘助に懇願するのは武士にあるまじき未練卑怯である。そう一瞬で勝頼は悟らざるを得なかった。
(信繁叔父上とはこういう御人だったのか)
勝頼はお互い死して後初めてにしてようやく、我が叔父である武田典厩信繁という武人の真髄に振れることが出来たことに喜びと同時に無念さ、己の不明に対する羞恥といった複雑な思いを抱いた。




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