第一話 ドリームの弟子
文字数 8,840文字
この物語の主人公、愛原ゆめかはこう思っていた。
テレビで日曜日の朝にプリキュアがやっているけど、あれは実際なってみるとよくなかった。
女の子がプリキュアに憧れるのはケーキ屋さんとかお花屋さんに憧れるのと同じで、やってみるとかなりキツい。
そもそも、女の子が夢にすることはだいたい可愛いから憧れるというだけのことで、人生をこれこれに捧げるとかのレベルで言っているわけでもない。雰囲気で言っているだけだ。大人になれば誰でも楽な仕事がいいに決まっている。
現実にプリキュアをやると、顔を殴られれば鼻血はでるしお腹を殴られれば吐く。歯を食い縛って痛みに耐えているうちに顎がガタガタになる。
やられる方に限らずやる方もおなじで、これは頭がおかしいと思うんだけどプリキュアは武器がない。だから素手で戦うしかないから殴った衝撃がそのままダイレクトにくる。拳も痛いからとにかく全身が痛い。
全身血だらけにもなる訳でそんな女の子がかわいいわけがない。近頃の幼女も中学生女子がバイオレンスに興じているアニメでキャッキャキャッキャはしゃいでいるのも冷静に考えれば頭がおかしいのではないか。
そう言うわたしも見てたけどね。プリキュア。
そもそも現実でプリキュアやってたなんて言ってる自分も相当変だけどね。
遅ればせながら自己紹介をすると、わたしは愛原ゆめか。自分の名前がピンクキュアっぽいのに気づいたのは幼稚園のころからでそういう理由で気に入っている、プリキュアごっこをするときはいつもピンク、頭はそんなに良くない、でも人が言うほどでもないと思う。そしてこの現実世界でのプリキュアであるヴァルキュアをやっていました。
元ヴァルキュアという肩書きは現実世界においてまったく役に立たない。唯一役に立つのは引退したヴァルキュアは年金が貰える。一人でほそぼそと暮らしていくには足りると思うけど、贅沢はできない金額だ。別にお金のためにヴァルキュアやってたわけではないから少なすぎるとか文句を言うつもりはないけど、それにしても命を賭けて世界を救ったにしては少なすぎる。
わたしはアパートで一人暮らしをしていて入ったぶんは使ってしまうから預金はほとんどない。年金はずっと貰えるからこのままだらだら生きることもできるけど、それはそれでなんか薄ぼんやりとしていて実感のない人生プランなのだった。
一緒に戦っていた友達はまだヴァルキュアをやっている。わたしが抜けたときは五人チームで、抜けたのはわたしだけだった。しかもわたしはリーダーだったからいまあの四人の誰がリーダーになっているかは全然知らない。ヴァルキュアのチームは他にもいるからそっちに移ったかもしれない。
ヴァルキュアを辞めるときはだいぶ引き留められたからそれなりの人望はあったのかなあと思うけどもう辞めてしまったから関係なくなった。スマートフォンの連絡先に元メンバーの名前はあるけど、後見人の舞衣を除いて誰も気を使ってか連絡はしてこない。わたしはヴァルキュアだったことを忘れたいから都合がよかったんだけど友達まで失ってしまったような形になってしまったのは素直に寂しい。
舞衣との最後の電話は二日前だった。
「ねえ、本当に戻る気はないの?」
舞衣の電話越しの声がリフレインした。
コンビニでお金をおろして夜食と明日の朝のお弁当を適当に買って帰った家路に見あげた夜空は星がいっぱいで綺麗だ、星空はどんな気分でも見れば綺麗だと思う。
部屋に戻るといつも散らかっている。入ってすぐのキッチンには前日までに食べた弁当の空の容器がビニール袋に無造作に入っていてそれが何個も放おってあるし、空いたペットボトルと空き缶が調理台と流しを占領していてガス台のほうまで侵食してきている。
足の踏み場を探して八畳の居間にたどり着くと、もちろんそこも散らかっていて飲みかけの五百ミリリットルの紙パックのジュースはストローが刺さってあってちゃぶ台に置いたままだし、ぎゅうぎゅうのゴミ箱からあふれたティッシュが畳に散乱している。
夜中にテレビを楽しむために隣の部屋から引きづってきた布団一式はそのままだ。脱いで洗濯機に入れるのを忘れた服や靴下や下着もそのままだし、散らかってるなーといつも思うけど片付ける気もないので布団を足でずらしてそこに座った。
お弁当をちゃぶ台においてテレビをつけたら何も面白くないので星が綺麗だったのを思いだした。
ベランダに出た。愛原ゆめかは昔、仲間に「どんなに離れていてもみんな同じ青空の下にいる」と言ったことを思いだした。
いまは夜だから「みんな同じ星空の下にいる」ことになるから、あの満天の星空のうちどれかが“みんな”の真上にあるに違いなかった。
星占いが得意な仲間がいて――彼女はフォーチュンと呼ばれていた――彼女に星の名前をそばで教えてもらったことはあるけどわたしはバカだから全然頭に入らなくて、あの星がこの星より大きいとか小さいとか明るいとか暗いくらいしか分からないけど、あのきらびやかな紅い星の下にはローズがいて、ぼんやり霞がかった蒼い星はフォーチュン、小さいけれどひときわ黄色く輝いている星はハニー、輪っかのある翠の星の下にはトルネードがいるに違いなかった。
流れ星がキラッと光った。
「あっ」
と声をだしてベランダの柵から上半身を乗りだした。シューティングスター。ドリームの必殺技だ。
慌てて目を瞑って願い事をしようと手を組んではみたけど何も思いつかなかった。別に祈ることも、ないか。
目を開けると流れ星は一瞬で大きくなってこっちに向かってきていて――
「ん?」
何か変だと思ったと思ったら頭蓋骨に凄まじい衝撃が走って、コンクリートの床に倒れこんだ。
「だッ!?」
頭を抱えてうずくまって痛みに悶えて、チカチカする視界をようやく上げると、そこには一匹の鳥、というか鳥型のロボットのようなヤツがパタパタと機械の羽根を器用にはばたかせて浮かんでいた。
「――人工妖精!?」
人工妖精、それは魔法少女モノのアニメに付き物の主人公のサポートをする妖精みたいなやつだ。だいたいヴァルキュアのスカウトとか戦闘のサポートをする。グーグルの代わりにもなるんだけど、
「○▼※△☆▲※◎★●(意味不明)」
「もしもし?」
バグっているそいつを掴んでペチペチ頭を叩いてやると気がついたみたいで目があった。
「――大変失礼しました、私の名前はルビィ」
わたしはいぶかしげに暫く「……」ルビィをじっと睨んでいると、
「驚きませんね?」
「うん。人工妖精でしょ?」
「どうしてそれを?」
「わたし、元ヴァルキュアだもん」
「まさか」
ルビィは周囲をぐるっと見回して、散らかっている部屋をしばらく見ると、
「信用できません」
「なんで?」
「“お部屋エントロピー”の値がヴァルキュア平均から大きく乖離していますので」
「……つまり散らかっているってこと?」
「はい」
わたしはムッとしたのと恥ずかしくなったのでカーテンと引き戸を閉めた。わたしは引きつった笑顔で、
「わたし一応レジェンダリアなんだけど……」
レジェンダリア、それはヴァルキュアの最高段位である。
「それならデータベースで照合できるはずです」
「調べてみてよ」
「お名前を」
「愛原ゆめか」
「名前は“愛原ゆめか”ですね、クラスは?」
「ドリーム、ライジングドリーム」
「“ドリーム”クラスのインスタンス、“ライジングドリーム”ですね、段位は?」
「レジェンダリア」
「“レジェンダリア”ですね、データベース照合中――該当者ありません」
「はっ!?」
「残念ですが」
ルビィはベランダの柵に留まった。
「品性Fランク、ヴァルキュア適正なし」
「おい」
「人工妖精のことを知っていたのは気がかりですが――どうかこのことはご内密に」
ルビィはふところから千円分のアップルストアのギフトカードを取りだして、
「おでこの治療費と口止め料です」
「あ、どうも」
わたしは名刺のように差しだされたカードを名刺のように受け取って、
「ってわたしのスマホAndroidなんですけど!?」
ルビィは怒ってるわたしをよそ目に飛び立とうとして、
「それでは失礼します」
と言うので、
「待てロボ子!」
「ロボではありません、A・Iです」
と言うルビィの足を掴んだ。
「どっちでもいいわ!」
「離して下さい」
そんなこんなをしていると突然、向かいにある公園のほうから爆発音のようなものすごい音がした。
「なに!?」
「追手です」
「どうして追われているの?」
「ストレージを狙っているんです」
説明しよう。ストレージとは女の子がヴァルキュアに変身するための凄いアイテムなのだ。
公園からバキバキ木をなぎ倒す音が聞こえてきて、アパートの他の住人もベランダに出てきてざわついている。
「結構ヤバくない?」
「こちらに向かってきます」
「相棒はどうしたの?」
「“シリウス”クラスのヴァルキュアが一人、まだ新米ですが」
「ふうん、どうしてはぐれちゃったの?」
「奴ら空間移動するので」
「じゃあどこかでケリつけなきゃダメってことか」
「しかし――」
ルビィは少し黙ってから、
「もうすでに三回転移しています。正直私たちには打つ手がありません」
「そっか」
愛原はどこか他人事のように言った。
「本当にヴァルキュアなんですか?」
「だからさっきからそう言ってるじゃん」
「――愛原さん!」
ルビィが突然強い語気で言った。
「な、なに」
「ドリームに変身することは可能ですか?」
「無理、ストレージもう返しちゃったし」
ルビィは黙った。わたしは居間に戻ってガサガサコンビニの袋をあさって弁当の蓋を開けて割り箸をわって、
「いただきまーす」
食べはじめた。
「何してるんですか」
「何って、慌ててもしょうがないじゃん、もう詰んでるんだし」
外からはバキバキメキメキという轟音がだんだん大きくなってきて悲鳴も聞こえてくる。
「シリウスちゃんが来なければおしまいだねえ」
テレビでは笑いすぎてクシャクシャになったのか顔つきの芸人が二人で派手で下品なセットの上で漫才をしている。
「このハンバーグおいしー」
「愛原さん!」
ゆめかは割り箸をおいた。
「ルビィ、わたしがヴァルキュアだったのは本当だよ、それは信じてほしい」
「――」
でもわたしはもうヴァルキュアにはなれない。ヒーローは誰も救えない。それはスーパーヒロインも一緒だった。周りの人も、自分自身も。誰かに傷つけられた人が誰かを傷つけて、ヒロインがその人を傷つける。その痛みが恨みになってまた新しい敵がやってくる。痛いのが堂々巡りするだけで、ヒロインになる意味なんてないんだよね。まして傷つき易い女の子がさ――。
わたしは、それを知ってしまったから。
「愛原さん」
「行きなよルビィ、あのきれいな星の下にきっとわたしの最強無敵の友達がいる。あれくらいの怪物だったらワンパンで倒せるはずだよ」
ゆめかはベランダの戸のそばに立って出ていくように促した。その口元にはニヒルな笑いがあった。
「愛原ゆめか!」
機械音声が裏返って音割れするくらいのボリュームで、ルビィはゆめかを叱りつけた。
「うわっ!」
ルビィは興奮を抑えるように静まってから、絞りだすように、
「ドリームです」
「え?」
「私の所有しているストレージは“ドリーム”です!」
一方その頃、新米のヴァルキュア、アイシクルシリウスは焦っていた。
敵の魔法生物が三回転移するうちにすでにビル二棟と民家三軒が破壊されている。シリウスの少ない戦闘経験のなかで最大の被害だった。
シリウスは未熟な自分のせいだと汗でにじんだ顔を青白くしていた。しかしシリウスは夜の街を駆けて流星となった。
髪はショートの銀髪、銀と黒を貴重にしたオーソドックスな霊鎧 である。
シリウスは昼間の出来事を悔やんでいた。この夜、新 魔法少女の幹部の一人が猛攻を仕掛けてくることは知っていたから、どうにかしてこの夜までに一人、クラスメイトの友達をヴァルキュアにしなければならなかったのだが、拒絶されてしまったのである。
それも当然の話で、中学生にもなって自分がプリキュアになったなんて告白するのは普通じゃない。どんなに仲が良かったとしても関係を一発で破壊しかねないインパクトがある。
不安は的中してその友達からはドン引きされてしまい、関係を修復するためにその話はごまかして現在に至る。
「はあっ、はあっ」
息切れする。もう何十キロ走っただろうか。三回も阻止に失敗していたシリウスはもう疲れていて、やさぐれたような気持ちになっていた。
最悪の場合、生まれ育ったこの街が跡形もなくなってしまうかもしれないという絶望感、そのプレッシャーを受けとめきれない若い戦士は、何とか粘るよりも投げ出したい気持ちを抑えられなくなっていた。心が折れる寸前という状況だった。
どうして自分だけがこんなに苦しい思いをしなければんらないんだろう。まみだって普段はいい人ぶってるくせに、いざというときは何もしてくれないじゃん。みんな綺麗事ばっかりで、損をするのはいつも行動した人間だ。本気の人間はいつもバカにされる。そうやって上澄みだけを掬って生きていければいいと思ってる奴らばっかりなんだ。
「はあっはあっ」
そういえばルビィ言ってたっけ。ヴァルキュアになれる資格がある女の子はどんどん減ってるって。まあそうだろうな。いい人を演じるだけで自分のことしか考えてないよううな奴ばっかりだもん。だったらどうして――。
シリウスは膝に手をついて止まった。
「はあっ――」
そんな奴らを助けてあげる意味、あるのかな?
次の一歩がでない。汗が頰をつたって地面に落ちていく。心が折れかけているのは自分でもわかっている。しかし粘ろうにもどうしようもない。シリウスは街を救えない理由を街のせいにしようとしていた。
「ルビィ――!」
シリウスは一抹の望みをかけて懐からストレージを取りだした。ルビィとの通信を試みる。もしかしたらルビィが何かしてくれたかもしれない、もしかしたら、何かトラブルで敵が自滅したかもしれない。ほとんど有り得ない確率だが、その可能性に賭けるしかないほどシリウスは消耗していた。
さあ、天を見あげなさい。星を数えることができるならそれを数えなさい。
シリウスは通信専用のアプリを立ちあげて、ふと夜空を見あげた。目に真っ先に飛びこんできたのは、他の星よりもひときわ大きく輝くピンクの星だった。そしてシリウスは不思議とこう思った――。
あのピンクの星の下には、ドリームがいるに違いない――私が手にすることのできたストレージ、“ドリーム”の資格をもつ女の子が。
それは祈りだったのかもしれない。追い詰められた精神がうみだした幻だったのかもしれない。しかし彼女には弁明の余地があった。それは希望だったのである。たとえ虚しい空想だったとしても誰が彼女を責められるだろうか。
「お願い――!」
通話する前にルビィから着信があった。
「!!」
咄嗟に受話する。
「ルビィ!」
ルビィはその声でシリウスが追い詰められていることを察して、「落ち着いてください」と声をかけた。
「あいつはどこ!?」
「中央公園です、マップを送信します」
中央公園――よりによって住宅地か。
期待は裏切られた。それでも心を持ち直す。
「五分で行ける、どこかに隠れててね」
「いいえ、もう見つかりました、中継します」
ルビィの言葉の意味がわからずストレージの画面を見た。暗い公園の木々を背景にして一人の女の子が立っている。セミロングの髪が肩くらいまであって、シングルサイドアップというのか、小さい女の子がちょこんと二つ結ぶのを右側だけしていて、顔は可愛いがやつれていて睨むように笑うような表情をしている。上は近所の学校の長袖のジャージで下はかなり短いスカートの裾から黒いスパッツが少し見えている。
愛原ゆめかがスカートのポケットに両手を突っ込んでいる。
『あ、シリウスちゃん繋がった?』
ゆめかはルビィの瞳の光学レンズの向こうのシリウスに話しかけた。こちらを覗き込むとき、ゆめかの人相はぱっと明るくなった。
「もしもし?」
急に話しかけてきたゆめかに、シリウスは心の準備ができていなくて、
「も、もしもし」
と硬くなって言った。
「一人でヴァルキュアやってるんだって? 大変だねえ」
「え、あ、はい」
この子、ヴァルキュアを知っているのか。
「でももう大丈夫、このわたしが変身すればどんな敵でも二秒で片付けちゃうよ」
ゆめかは得意気な顔をして言ったがシリウスは不信感を募らせていた。
「あの、私たちと何か関係があるんですか?」
「もちろん、レジェンダリアだよ」
「はあ」
あり得ない。ヴァルキュアの最高位であるレジェンダリアは世界の均衡を保つために日夜、核攻撃級の化物と戦いを繰り広げているというのに、こんな所にいるわけがない。
そもそもシリウスはレジェンダリアと会ったことすらなかった。噂でしか聞かないような幻のような、憧れの存在。世界を掬ったスーパーヒロインのみに与えられし称号。それがこの不良っぽい、いかにも頭が悪そうなやつれた女の子のはずがないんだけど。
「ルビィ、本当にそうなの?」
「それは――」
言葉に詰まったルビィを見てシリウスは確信した。
「あの――お嬢さん」「ゆめか、愛原ゆめか」
「ゆめかさん、冷やかしは良くないですよ。どこで知ったか知りませんがプリキュアごっこじゃないんですから」
「え」
「じゃあ助けに行きますから、できるだけ安全なところに避難してくださいね」
シリウスはお姉さん的な対応をして、通話を切ろうとした。
「は? 助ける? わたしを?」
ゆめかはその雑な扱いに納得できない。
「じゃあ切りますね」
「ちょっと!」
通信は切れた。
「またこの扱い……」
ゆめかは一度天を見あげて呼吸した。その視線の先には輝くピンクの星があった。
「さてと――」
ゆめかが向き直ると、そこには唯と名乗るネオ魔法少女と、その傍らには六、七メートルくらいはある樹木の幹とか枝が絡みあって人のカタチになった魔法生物と言うらしいそれがいた。腕や脚がミシミシとしなって音がする。
「お話は終わった?」
唯が両手の爪を掃除するしぐさをしながら言った。唯はネオ魔法少女を名乗るとおり魔法少女らしくピンクの衣装で見たまんま魔法少女だ。
「なーんだ、やっぱり信用されてないじゃん」
「おっかしいなー」
「悪いけど、唯にそんなブラフは通用しないんだよ」
唯はゆめかに近づいて、強引に顎を右手でつまんで、
「ナメてんの?」
と睨みつけた。
「えへへ」
ゆめかは友達ににんまり笑うように言った。
「――」
唯は無言でゆめかの右頰を思いっきり平手打ちした。ゆめかはよろめいて後ろに下がったが痛がるそぶりもせずに、
「できればケンカはしたくなかったんだけどなあ――」
ため息をついて、もういちど向き直って、
「これが最後のチャンスだよ。大人しく帰ってくれれば、わたしも手出しはしない、でもこれ以上関係ない人たちを傷つけるなら――」
ゆめかは目を閉じて、それから唯を睨んで、
「ボコボコだよ」
と言った。
「あはははははっ」
唯は引きつったような病的な笑い方をした。人を小馬鹿にしたようなそういう笑い方でもあった。
「結構面白かったけど、もういいや、ムカつくんだよねそういう正義ズラしてるヤツ、もう死んじゃえ」
唯はふわっと軽く跳躍すると、樹木の怪物、モリアーティの左肩に座った。
「モリアーティ! あの子を殺しなさい!」
右手に持ったステッキでゆめかを指した。怪物の身体はミシミシと唸りをあげた。
「ゆめかさんッ!」
「ルビィ、ストレージを!」
ルビィの周囲に淡いピンクの光の粒が集まってやがて薄い立方体の実体となった。紛れもない“ドリーム”のストレージだった。
「やっぱり隠し持ってたじゃん!」
ドリームのストレージは愛原ゆめかに譲渡された。それを見ていた唯にはなぜか一抹の不安があった。
「ドリーム、ストレージはドリーム――」
まさか。
聞いたことがある。伝説的なチーム、『ヴァルキュア5』を抜けたリーダーである行方知らずの少女の話を。
その性質は純然たる光。警戒するべきは必殺技『シューティングスター』で、光のオーラを纏い自ら流れ星となり、圧倒的な速度で敵めがけて突進する。致命的な発動の遅さを除けば最強クラスに並ぶ技だ。
単騎での勝負なら十分警戒していれば簡単に回避できるが、連携に組み込むと厄介で特にヴァルキュア5の5人での連携攻撃は高い連携率によって回避は困難であり、決まれば一撃で勝負がつきかねないという。
唯はゆめかを見た、その顔は自信に満ちている。
「うっ……」
「希望の聖霊よッ!」
ゆめかは変身モーションに入った。もはや逃げることはできないだろう。もうじきシリウスが来る。仲間が増えればシューディングスターを回避することは難しくなるだろう。ならば。
「殺すッ、変身する前に殺すッ! エアロバインドッ!」
ゆめかの両手両足首に急激な空気圧が生じてガチガチに拘束した。変身モーションは途中でストップした。
「な、なにこれ」
「あれえ、魔法を見るのは初めてだった?」
テレビで日曜日の朝にプリキュアがやっているけど、あれは実際なってみるとよくなかった。
女の子がプリキュアに憧れるのはケーキ屋さんとかお花屋さんに憧れるのと同じで、やってみるとかなりキツい。
そもそも、女の子が夢にすることはだいたい可愛いから憧れるというだけのことで、人生をこれこれに捧げるとかのレベルで言っているわけでもない。雰囲気で言っているだけだ。大人になれば誰でも楽な仕事がいいに決まっている。
現実にプリキュアをやると、顔を殴られれば鼻血はでるしお腹を殴られれば吐く。歯を食い縛って痛みに耐えているうちに顎がガタガタになる。
やられる方に限らずやる方もおなじで、これは頭がおかしいと思うんだけどプリキュアは武器がない。だから素手で戦うしかないから殴った衝撃がそのままダイレクトにくる。拳も痛いからとにかく全身が痛い。
全身血だらけにもなる訳でそんな女の子がかわいいわけがない。近頃の幼女も中学生女子がバイオレンスに興じているアニメでキャッキャキャッキャはしゃいでいるのも冷静に考えれば頭がおかしいのではないか。
そう言うわたしも見てたけどね。プリキュア。
そもそも現実でプリキュアやってたなんて言ってる自分も相当変だけどね。
遅ればせながら自己紹介をすると、わたしは愛原ゆめか。自分の名前がピンクキュアっぽいのに気づいたのは幼稚園のころからでそういう理由で気に入っている、プリキュアごっこをするときはいつもピンク、頭はそんなに良くない、でも人が言うほどでもないと思う。そしてこの現実世界でのプリキュアであるヴァルキュアをやっていました。
元ヴァルキュアという肩書きは現実世界においてまったく役に立たない。唯一役に立つのは引退したヴァルキュアは年金が貰える。一人でほそぼそと暮らしていくには足りると思うけど、贅沢はできない金額だ。別にお金のためにヴァルキュアやってたわけではないから少なすぎるとか文句を言うつもりはないけど、それにしても命を賭けて世界を救ったにしては少なすぎる。
わたしはアパートで一人暮らしをしていて入ったぶんは使ってしまうから預金はほとんどない。年金はずっと貰えるからこのままだらだら生きることもできるけど、それはそれでなんか薄ぼんやりとしていて実感のない人生プランなのだった。
一緒に戦っていた友達はまだヴァルキュアをやっている。わたしが抜けたときは五人チームで、抜けたのはわたしだけだった。しかもわたしはリーダーだったからいまあの四人の誰がリーダーになっているかは全然知らない。ヴァルキュアのチームは他にもいるからそっちに移ったかもしれない。
ヴァルキュアを辞めるときはだいぶ引き留められたからそれなりの人望はあったのかなあと思うけどもう辞めてしまったから関係なくなった。スマートフォンの連絡先に元メンバーの名前はあるけど、後見人の舞衣を除いて誰も気を使ってか連絡はしてこない。わたしはヴァルキュアだったことを忘れたいから都合がよかったんだけど友達まで失ってしまったような形になってしまったのは素直に寂しい。
舞衣との最後の電話は二日前だった。
「ねえ、本当に戻る気はないの?」
舞衣の電話越しの声がリフレインした。
コンビニでお金をおろして夜食と明日の朝のお弁当を適当に買って帰った家路に見あげた夜空は星がいっぱいで綺麗だ、星空はどんな気分でも見れば綺麗だと思う。
部屋に戻るといつも散らかっている。入ってすぐのキッチンには前日までに食べた弁当の空の容器がビニール袋に無造作に入っていてそれが何個も放おってあるし、空いたペットボトルと空き缶が調理台と流しを占領していてガス台のほうまで侵食してきている。
足の踏み場を探して八畳の居間にたどり着くと、もちろんそこも散らかっていて飲みかけの五百ミリリットルの紙パックのジュースはストローが刺さってあってちゃぶ台に置いたままだし、ぎゅうぎゅうのゴミ箱からあふれたティッシュが畳に散乱している。
夜中にテレビを楽しむために隣の部屋から引きづってきた布団一式はそのままだ。脱いで洗濯機に入れるのを忘れた服や靴下や下着もそのままだし、散らかってるなーといつも思うけど片付ける気もないので布団を足でずらしてそこに座った。
お弁当をちゃぶ台においてテレビをつけたら何も面白くないので星が綺麗だったのを思いだした。
ベランダに出た。愛原ゆめかは昔、仲間に「どんなに離れていてもみんな同じ青空の下にいる」と言ったことを思いだした。
いまは夜だから「みんな同じ星空の下にいる」ことになるから、あの満天の星空のうちどれかが“みんな”の真上にあるに違いなかった。
星占いが得意な仲間がいて――彼女はフォーチュンと呼ばれていた――彼女に星の名前をそばで教えてもらったことはあるけどわたしはバカだから全然頭に入らなくて、あの星がこの星より大きいとか小さいとか明るいとか暗いくらいしか分からないけど、あのきらびやかな紅い星の下にはローズがいて、ぼんやり霞がかった蒼い星はフォーチュン、小さいけれどひときわ黄色く輝いている星はハニー、輪っかのある翠の星の下にはトルネードがいるに違いなかった。
流れ星がキラッと光った。
「あっ」
と声をだしてベランダの柵から上半身を乗りだした。シューティングスター。ドリームの必殺技だ。
慌てて目を瞑って願い事をしようと手を組んではみたけど何も思いつかなかった。別に祈ることも、ないか。
目を開けると流れ星は一瞬で大きくなってこっちに向かってきていて――
「ん?」
何か変だと思ったと思ったら頭蓋骨に凄まじい衝撃が走って、コンクリートの床に倒れこんだ。
「だッ!?」
頭を抱えてうずくまって痛みに悶えて、チカチカする視界をようやく上げると、そこには一匹の鳥、というか鳥型のロボットのようなヤツがパタパタと機械の羽根を器用にはばたかせて浮かんでいた。
「――人工妖精!?」
人工妖精、それは魔法少女モノのアニメに付き物の主人公のサポートをする妖精みたいなやつだ。だいたいヴァルキュアのスカウトとか戦闘のサポートをする。グーグルの代わりにもなるんだけど、
「○▼※△☆▲※◎★●(意味不明)」
「もしもし?」
バグっているそいつを掴んでペチペチ頭を叩いてやると気がついたみたいで目があった。
「――大変失礼しました、私の名前はルビィ」
わたしはいぶかしげに暫く「……」ルビィをじっと睨んでいると、
「驚きませんね?」
「うん。人工妖精でしょ?」
「どうしてそれを?」
「わたし、元ヴァルキュアだもん」
「まさか」
ルビィは周囲をぐるっと見回して、散らかっている部屋をしばらく見ると、
「信用できません」
「なんで?」
「“お部屋エントロピー”の値がヴァルキュア平均から大きく乖離していますので」
「……つまり散らかっているってこと?」
「はい」
わたしはムッとしたのと恥ずかしくなったのでカーテンと引き戸を閉めた。わたしは引きつった笑顔で、
「わたし一応レジェンダリアなんだけど……」
レジェンダリア、それはヴァルキュアの最高段位である。
「それならデータベースで照合できるはずです」
「調べてみてよ」
「お名前を」
「愛原ゆめか」
「名前は“愛原ゆめか”ですね、クラスは?」
「ドリーム、ライジングドリーム」
「“ドリーム”クラスのインスタンス、“ライジングドリーム”ですね、段位は?」
「レジェンダリア」
「“レジェンダリア”ですね、データベース照合中――該当者ありません」
「はっ!?」
「残念ですが」
ルビィはベランダの柵に留まった。
「品性Fランク、ヴァルキュア適正なし」
「おい」
「人工妖精のことを知っていたのは気がかりですが――どうかこのことはご内密に」
ルビィはふところから千円分のアップルストアのギフトカードを取りだして、
「おでこの治療費と口止め料です」
「あ、どうも」
わたしは名刺のように差しだされたカードを名刺のように受け取って、
「ってわたしのスマホAndroidなんですけど!?」
ルビィは怒ってるわたしをよそ目に飛び立とうとして、
「それでは失礼します」
と言うので、
「待てロボ子!」
「ロボではありません、A・Iです」
と言うルビィの足を掴んだ。
「どっちでもいいわ!」
「離して下さい」
そんなこんなをしていると突然、向かいにある公園のほうから爆発音のようなものすごい音がした。
「なに!?」
「追手です」
「どうして追われているの?」
「ストレージを狙っているんです」
説明しよう。ストレージとは女の子がヴァルキュアに変身するための凄いアイテムなのだ。
公園からバキバキ木をなぎ倒す音が聞こえてきて、アパートの他の住人もベランダに出てきてざわついている。
「結構ヤバくない?」
「こちらに向かってきます」
「相棒はどうしたの?」
「“シリウス”クラスのヴァルキュアが一人、まだ新米ですが」
「ふうん、どうしてはぐれちゃったの?」
「奴ら空間移動するので」
「じゃあどこかでケリつけなきゃダメってことか」
「しかし――」
ルビィは少し黙ってから、
「もうすでに三回転移しています。正直私たちには打つ手がありません」
「そっか」
愛原はどこか他人事のように言った。
「本当にヴァルキュアなんですか?」
「だからさっきからそう言ってるじゃん」
「――愛原さん!」
ルビィが突然強い語気で言った。
「な、なに」
「ドリームに変身することは可能ですか?」
「無理、ストレージもう返しちゃったし」
ルビィは黙った。わたしは居間に戻ってガサガサコンビニの袋をあさって弁当の蓋を開けて割り箸をわって、
「いただきまーす」
食べはじめた。
「何してるんですか」
「何って、慌ててもしょうがないじゃん、もう詰んでるんだし」
外からはバキバキメキメキという轟音がだんだん大きくなってきて悲鳴も聞こえてくる。
「シリウスちゃんが来なければおしまいだねえ」
テレビでは笑いすぎてクシャクシャになったのか顔つきの芸人が二人で派手で下品なセットの上で漫才をしている。
「このハンバーグおいしー」
「愛原さん!」
ゆめかは割り箸をおいた。
「ルビィ、わたしがヴァルキュアだったのは本当だよ、それは信じてほしい」
「――」
でもわたしはもうヴァルキュアにはなれない。ヒーローは誰も救えない。それはスーパーヒロインも一緒だった。周りの人も、自分自身も。誰かに傷つけられた人が誰かを傷つけて、ヒロインがその人を傷つける。その痛みが恨みになってまた新しい敵がやってくる。痛いのが堂々巡りするだけで、ヒロインになる意味なんてないんだよね。まして傷つき易い女の子がさ――。
わたしは、それを知ってしまったから。
「愛原さん」
「行きなよルビィ、あのきれいな星の下にきっとわたしの最強無敵の友達がいる。あれくらいの怪物だったらワンパンで倒せるはずだよ」
ゆめかはベランダの戸のそばに立って出ていくように促した。その口元にはニヒルな笑いがあった。
「愛原ゆめか!」
機械音声が裏返って音割れするくらいのボリュームで、ルビィはゆめかを叱りつけた。
「うわっ!」
ルビィは興奮を抑えるように静まってから、絞りだすように、
「ドリームです」
「え?」
「私の所有しているストレージは“ドリーム”です!」
一方その頃、新米のヴァルキュア、アイシクルシリウスは焦っていた。
敵の魔法生物が三回転移するうちにすでにビル二棟と民家三軒が破壊されている。シリウスの少ない戦闘経験のなかで最大の被害だった。
シリウスは未熟な自分のせいだと汗でにじんだ顔を青白くしていた。しかしシリウスは夜の街を駆けて流星となった。
髪はショートの銀髪、銀と黒を貴重にしたオーソドックスな
シリウスは昼間の出来事を悔やんでいた。この夜、
それも当然の話で、中学生にもなって自分がプリキュアになったなんて告白するのは普通じゃない。どんなに仲が良かったとしても関係を一発で破壊しかねないインパクトがある。
不安は的中してその友達からはドン引きされてしまい、関係を修復するためにその話はごまかして現在に至る。
「はあっ、はあっ」
息切れする。もう何十キロ走っただろうか。三回も阻止に失敗していたシリウスはもう疲れていて、やさぐれたような気持ちになっていた。
最悪の場合、生まれ育ったこの街が跡形もなくなってしまうかもしれないという絶望感、そのプレッシャーを受けとめきれない若い戦士は、何とか粘るよりも投げ出したい気持ちを抑えられなくなっていた。心が折れる寸前という状況だった。
どうして自分だけがこんなに苦しい思いをしなければんらないんだろう。まみだって普段はいい人ぶってるくせに、いざというときは何もしてくれないじゃん。みんな綺麗事ばっかりで、損をするのはいつも行動した人間だ。本気の人間はいつもバカにされる。そうやって上澄みだけを掬って生きていければいいと思ってる奴らばっかりなんだ。
「はあっはあっ」
そういえばルビィ言ってたっけ。ヴァルキュアになれる資格がある女の子はどんどん減ってるって。まあそうだろうな。いい人を演じるだけで自分のことしか考えてないよううな奴ばっかりだもん。だったらどうして――。
シリウスは膝に手をついて止まった。
「はあっ――」
そんな奴らを助けてあげる意味、あるのかな?
次の一歩がでない。汗が頰をつたって地面に落ちていく。心が折れかけているのは自分でもわかっている。しかし粘ろうにもどうしようもない。シリウスは街を救えない理由を街のせいにしようとしていた。
「ルビィ――!」
シリウスは一抹の望みをかけて懐からストレージを取りだした。ルビィとの通信を試みる。もしかしたらルビィが何かしてくれたかもしれない、もしかしたら、何かトラブルで敵が自滅したかもしれない。ほとんど有り得ない確率だが、その可能性に賭けるしかないほどシリウスは消耗していた。
さあ、天を見あげなさい。星を数えることができるならそれを数えなさい。
シリウスは通信専用のアプリを立ちあげて、ふと夜空を見あげた。目に真っ先に飛びこんできたのは、他の星よりもひときわ大きく輝くピンクの星だった。そしてシリウスは不思議とこう思った――。
あのピンクの星の下には、ドリームがいるに違いない――私が手にすることのできたストレージ、“ドリーム”の資格をもつ女の子が。
それは祈りだったのかもしれない。追い詰められた精神がうみだした幻だったのかもしれない。しかし彼女には弁明の余地があった。それは希望だったのである。たとえ虚しい空想だったとしても誰が彼女を責められるだろうか。
「お願い――!」
通話する前にルビィから着信があった。
「!!」
咄嗟に受話する。
「ルビィ!」
ルビィはその声でシリウスが追い詰められていることを察して、「落ち着いてください」と声をかけた。
「あいつはどこ!?」
「中央公園です、マップを送信します」
中央公園――よりによって住宅地か。
期待は裏切られた。それでも心を持ち直す。
「五分で行ける、どこかに隠れててね」
「いいえ、もう見つかりました、中継します」
ルビィの言葉の意味がわからずストレージの画面を見た。暗い公園の木々を背景にして一人の女の子が立っている。セミロングの髪が肩くらいまであって、シングルサイドアップというのか、小さい女の子がちょこんと二つ結ぶのを右側だけしていて、顔は可愛いがやつれていて睨むように笑うような表情をしている。上は近所の学校の長袖のジャージで下はかなり短いスカートの裾から黒いスパッツが少し見えている。
愛原ゆめかがスカートのポケットに両手を突っ込んでいる。
『あ、シリウスちゃん繋がった?』
ゆめかはルビィの瞳の光学レンズの向こうのシリウスに話しかけた。こちらを覗き込むとき、ゆめかの人相はぱっと明るくなった。
「もしもし?」
急に話しかけてきたゆめかに、シリウスは心の準備ができていなくて、
「も、もしもし」
と硬くなって言った。
「一人でヴァルキュアやってるんだって? 大変だねえ」
「え、あ、はい」
この子、ヴァルキュアを知っているのか。
「でももう大丈夫、このわたしが変身すればどんな敵でも二秒で片付けちゃうよ」
ゆめかは得意気な顔をして言ったがシリウスは不信感を募らせていた。
「あの、私たちと何か関係があるんですか?」
「もちろん、レジェンダリアだよ」
「はあ」
あり得ない。ヴァルキュアの最高位であるレジェンダリアは世界の均衡を保つために日夜、核攻撃級の化物と戦いを繰り広げているというのに、こんな所にいるわけがない。
そもそもシリウスはレジェンダリアと会ったことすらなかった。噂でしか聞かないような幻のような、憧れの存在。世界を掬ったスーパーヒロインのみに与えられし称号。それがこの不良っぽい、いかにも頭が悪そうなやつれた女の子のはずがないんだけど。
「ルビィ、本当にそうなの?」
「それは――」
言葉に詰まったルビィを見てシリウスは確信した。
「あの――お嬢さん」「ゆめか、愛原ゆめか」
「ゆめかさん、冷やかしは良くないですよ。どこで知ったか知りませんがプリキュアごっこじゃないんですから」
「え」
「じゃあ助けに行きますから、できるだけ安全なところに避難してくださいね」
シリウスはお姉さん的な対応をして、通話を切ろうとした。
「は? 助ける? わたしを?」
ゆめかはその雑な扱いに納得できない。
「じゃあ切りますね」
「ちょっと!」
通信は切れた。
「またこの扱い……」
ゆめかは一度天を見あげて呼吸した。その視線の先には輝くピンクの星があった。
「さてと――」
ゆめかが向き直ると、そこには唯と名乗るネオ魔法少女と、その傍らには六、七メートルくらいはある樹木の幹とか枝が絡みあって人のカタチになった魔法生物と言うらしいそれがいた。腕や脚がミシミシとしなって音がする。
「お話は終わった?」
唯が両手の爪を掃除するしぐさをしながら言った。唯はネオ魔法少女を名乗るとおり魔法少女らしくピンクの衣装で見たまんま魔法少女だ。
「なーんだ、やっぱり信用されてないじゃん」
「おっかしいなー」
「悪いけど、唯にそんなブラフは通用しないんだよ」
唯はゆめかに近づいて、強引に顎を右手でつまんで、
「ナメてんの?」
と睨みつけた。
「えへへ」
ゆめかは友達ににんまり笑うように言った。
「――」
唯は無言でゆめかの右頰を思いっきり平手打ちした。ゆめかはよろめいて後ろに下がったが痛がるそぶりもせずに、
「できればケンカはしたくなかったんだけどなあ――」
ため息をついて、もういちど向き直って、
「これが最後のチャンスだよ。大人しく帰ってくれれば、わたしも手出しはしない、でもこれ以上関係ない人たちを傷つけるなら――」
ゆめかは目を閉じて、それから唯を睨んで、
「ボコボコだよ」
と言った。
「あはははははっ」
唯は引きつったような病的な笑い方をした。人を小馬鹿にしたようなそういう笑い方でもあった。
「結構面白かったけど、もういいや、ムカつくんだよねそういう正義ズラしてるヤツ、もう死んじゃえ」
唯はふわっと軽く跳躍すると、樹木の怪物、モリアーティの左肩に座った。
「モリアーティ! あの子を殺しなさい!」
右手に持ったステッキでゆめかを指した。怪物の身体はミシミシと唸りをあげた。
「ゆめかさんッ!」
「ルビィ、ストレージを!」
ルビィの周囲に淡いピンクの光の粒が集まってやがて薄い立方体の実体となった。紛れもない“ドリーム”のストレージだった。
「やっぱり隠し持ってたじゃん!」
ドリームのストレージは愛原ゆめかに譲渡された。それを見ていた唯にはなぜか一抹の不安があった。
「ドリーム、ストレージはドリーム――」
まさか。
聞いたことがある。伝説的なチーム、『ヴァルキュア5』を抜けたリーダーである行方知らずの少女の話を。
その性質は純然たる光。警戒するべきは必殺技『シューティングスター』で、光のオーラを纏い自ら流れ星となり、圧倒的な速度で敵めがけて突進する。致命的な発動の遅さを除けば最強クラスに並ぶ技だ。
単騎での勝負なら十分警戒していれば簡単に回避できるが、連携に組み込むと厄介で特にヴァルキュア5の5人での連携攻撃は高い連携率によって回避は困難であり、決まれば一撃で勝負がつきかねないという。
唯はゆめかを見た、その顔は自信に満ちている。
「うっ……」
「希望の聖霊よッ!」
ゆめかは変身モーションに入った。もはや逃げることはできないだろう。もうじきシリウスが来る。仲間が増えればシューディングスターを回避することは難しくなるだろう。ならば。
「殺すッ、変身する前に殺すッ! エアロバインドッ!」
ゆめかの両手両足首に急激な空気圧が生じてガチガチに拘束した。変身モーションは途中でストップした。
「な、なにこれ」
「あれえ、魔法を見るのは初めてだった?」