第4話:成長

文字数 1,734文字

 最初の三年は、あっという間だった。
 この世界の一年は、前の世界の三年だ。今の私は、人間の成長で言えば九歳だった。

「シエラ、いらっしゃい」

 ロヴィが手を振っている。
 彼女がいるのは、最初の日に彼女が案内してくれたネモフィラの丘にあるガゼボ。その建物は私たちの家の庭に移築されていた。

「はーい」

 私は少し大きめの声で返事をする。
 花畑の中には小径が造られていた。敷き詰められた平たい石の上を素足で走る。ほどよい石の丸みがツボを刺激しているからか、足の裏が気持ちよかった。
 テーブルにはロヴィが焼いたお菓子とモースが煎れたお茶が並んでいる。バターの香りを感じた途端、大きな音を立ててお腹が鳴った。

「あらあら」

 モースが弾くように指先を振った。
 私の手は水に包まれ、少し土が付いていた指先も一瞬で綺麗になる。次はロヴィが小さな風を起こし、私の手から一瞬で水分を飛ばしてくれた。
  席につき、柔らかく指先を組むと、二人が笑顔で目を合わせてくれた。

「いただきます」

 三人で同じ言葉を言ってから、お茶の時間が始まった。
 ロヴィとモースには、もっと長い食前の祈りがあったけれど、私の「いただきます」を気に入って採用してくれた。手の合わせ方は、彼女たちの形のままにしてある。
 様々な違いをすり合わせながら暮らして来た三年だった。
 ネット環境がない世界で生きて行けるだろうか、と最初は思っていた。
 赤ちゃんからスタートしたせいか、それは杞憂に終わった。自分自身の成長そのものが刺激的だったからだ。
 転生する前の私は、三十一歳になったばかりの会社員だった。
 幼い頃から視力が落ちるのが早く、小学校に入る前から眼鏡をかけていた。レンズの外側は、いつもぼやけている世界。中学校に入る時にはコンタクトレンズを使うようになったけれど、乾燥に悩まされて結局、眼鏡に戻ってしまった。
 こちらに来てからは、裸眼でも世界が、ぼやけない。
 視力のよい人には理解しづらいかも知れないが、視力がよくない人にとっては劇的な違いだと思う。
 レンズを通さない世界は広く、クリアだった。そして、眼鏡を気にせず走ったり飛んだり回転したりできることの素晴らしさ。ストレスなく体を動かせるって、こんなに楽しいんだと思う毎日だった。

「そろそろ紫陽花を咲かせようと思ってるの」

 ロヴィが言った。

「素敵ですね、ロヴィ様」

 モースが言った。
 私が生まれるまで、この丘には年中ネモフィラが咲いていたらしい。ロヴィは好きなものが出来ると、それをずっと繰り返しても平気なんだとモースが教えてくれたことがある。一度好きになると、なかなか飽きないらしい。息の長いオタク気質、とでも言えばいいのだろうか。モースから、その話を聴いた時、親近感が増した。私も似たような気質を持っているからだ。

「シエラは何色がいいと思う?」
「紫陽花は紫色と青色が好き」

 ロヴィが好きなら、年中ネモフィラが咲いていても私は構わない。
 でも、彼女は私を喜ばせようとしてくれているのだ。
 その想いが嬉しかった。

「じゃあ、それで」

 ロヴィが手のひらを前にして、さっと腕を振った。
 ネモフィラが咲いていたすべての場所が、一瞬で紫陽花に変わる。目に飛び込んでくる色彩の鮮やかさに呼吸を忘れてしまいそうだ。
 ロヴィは私に、世界の美しさを教えてくれる。
 そのたびに、彼女に愛されていることを知るのだ。

「かくれんぼの時、シエラ様を見つけにくくなりましたね」

 モースの言葉に、ロヴィが声をあげて笑った。
 たしかに、ネモフィラより紫陽花の方が背が高い。九歳の私の体は埋もれてしまうだろう。
 ロヴィが手を伸ばして私を抱き上げた。

「シエラがどんなに隠れても、必ず見つけてあげる」

 ロヴィは膝に乗せた私に頬を寄せ、微笑んでいる。 
 モースを見ると、彼女も微笑んでいた。
 見つけてもらえなかったらどうしよう、と不安になった私の気持ちはお見通しらしい。

「ありがとう」

 私は、ロヴィの首に腕を回す。
 本当は彼女の背中に回したいけれど、格好よくそうするには腕の長さが足りなかった。

「大好きよ、シエラ」

 ロヴィが私の額にキスをした。
 瞳が急に潤む。
 幸せな気持ちが溢れてきて、胸がいっぱいだった。



<続く>
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