慮る男エピローグ
文字数 3,206文字
誰も口を開かないまま、がらがらの電車に揺られ家に帰りついた。ただただ海をみていただけなのに、全力でフルマラソンをした後のように体が重たかった。
「あら、お帰りなさい」
玄関のところで植木鉢の世話をしていた母が、戻ってきた3人を見て続ける。
「……海の匂いがすごいわ、お風呂沸いてるわよ。博くんもよかったら、どうぞ?」
その言葉を受けて顔を見合わせる。
3人はそれぞれ自分の匂いをフンフンと嗅ぐがよくわからない。母が多分靴かしらね?と指差す。それを受けて勝が足元を見た。あぁ、参った。靴を洗わなくては……とぼんやりした頭で考える。
「ばあちゃん、お先にお風呂どうぞ」
勝が祖母の背中を軽く押しながら言った。帰りの電車のなかでうつらうつらしていた祖母が一番、しんどいだろう。
「ありがとうねぇ。お言葉に甘えるよ」
祖母が答えてゆっくりと浴室に向かうのを母が付き添う。
その背中を見送った博が、お風呂の事、甘えていいんだろうか?という目を向ける。
「もういっそのこと泊まってけよ。ヘトヘトだろ?こんな時間まで付き合わせてごめんな」
勝がその目に答えると
「実は、そうなんだけども。今歩いて帰ると路上で朝を迎える自信しかない。けど、いきなり過ぎるし迷惑じゃないか?」
「父さんも職場の人とか急につれてきたりするし、一人増えるくらいなら全然誤差の範囲だよ」
あぁでも、とつづける。
「家に連絡はいれとけよ?」
「もちろん。じゃあ、俺もお言葉に甘えさせてもらうわ」
ポチポチとスマホを操作する博。
「友達のところに泊まります」
手慣れた様子で文章を打ち込みそのまま送信ボタンを押す様子を見る。
「甘えさせてもらうって言ったものの、本当にいいのか?」
心配そうに博が重ねて聞くので、勝が母に声をかける。
「母さん、今日、博泊めていいー?」
「はいはいどーぞ!!お家の方に連絡はしてねー」
思った通りに台所の辺りから軽い返事がかえってくる。
「大丈夫~!!」
な?と不安そうな博を安心させた。
博が風呂から出たあと勝が入浴する。芯まで冷えた体をぬるめのお湯が包んでくれる。お湯の栓を捻って足しながら両手でお湯を掬い、顔にバシャンとかける。今日は本当に驚いた。博は幽霊の声を聞いたことになるんだろうか?嘘をついてないとして……。そして、あんな場面で博が嘘をつくはずがなかった。
勝が髪の毛をタオルで乾かしながら居間に向かうと
「超絶感動っす!!」
風呂上がりに僕のパジャマを着た博が目を輝かせ言っているのが見えた。先に風呂に入ったことでいく分疲れが癒えたのか、嬉しそうに食卓に並んでいる料理を見つめている。並んでいるのは、ホウレン草のゴマ和え、小松菜の白和え、豚汁、ひじきの煮物、豚こまのしょうが焼き。勝にとってはいつもの夕飯。
「いや!これ!全部勝くんのお母さんが作ったんですか?」
「若い子の口に合うかわからないんだけど……足りなかったら卵焼きかウィンナーくらいなら焼けるから言ってね」
母が心配そうに返す。
「いやいや!急に泊めてもらう上にこんなごちそうまで!!本当にありがとうございます!」
博が頭を下げた拍子に、ゴン!と頭をぶつけた。いててとおでこをさする。
「大丈夫?冷やす?」
保冷剤をハンカチでくるみながら母が言う。
「いえ!唾つけときゃなおりますんで!」
「そう?ならいいのだけど。でも一応これ」
ハンカチでくるんだ保冷剤を博に手渡しながら続ける。
「ごちそうなんて言ってもらえると作りがいがあるわね。こちらこそありがとう」
「どの料理も色鮮やかで、丁寧に作られてるのがわかりますもん!」
「誉めすぎよ~!博くん、家の子になっちゃう?」
「こんなご飯が食べられるなら、それはもう喜んで!!」
博は今すぐにでも食べたいとばかりに箸へ手を伸ばしては、膝の上に戻している。
「うふふ、冷めないうちにどうぞ」
その様子を見て嬉しそうに母が笑った。
「いただきます!」
母の言葉に間髪いれず応え、箸をつかむ博。ちゃぶ台に並んでいた料理はものの20分ほどで空になった。
「頂き物のお菓子もあるけど食べる?」
博の食いっぷりに気を良くしたであろう母が問いかける。
「お腹一杯です!!お気遣いありがとうございます!!」
博は元気に母にそう返して勝に耳打ちする。
「ごめん、そろそろ眠くて意識飛びそう」
博のSOSに勝は慌てて母に話す。
「母さん、一足先に休むね。もうヘットヘトだから」
「あら?なら客間に布団だすね」
なにか客人に振る舞えるものはないかと、台所をごそごそ探していた母が答える。
「いいよ。僕の部屋で」
客間だと夜に喉が乾いても博が動きにくいだろうと考えた勝が断る。
「じゃあ、布団一式もって上がっとくね」
母の答えを聞いて、
「あ、自分がします!!」
博が答えた。
博は、勝の部屋に入るなり布団にダイブして大いびきをかきはじめた。
眠る直前までハイテンションを保てるのはさすが博だと言うべきか。
「おやすみ」
その様子に声をかけて、勝は引き出しからノートを一冊取り出す。
体は重力に負けそうなほど疲れきっていたが、あの彫り物を投げた後の情景を書かないことには眠れそうになかった。僕のただのエゴかもしれない。というかまぁ、エゴには違いない。だけどあそこで物語を終わらせるのはもったいないと思った。
【フクロウの彫刻】そう題をつけて書き始める。
―――とぷん。
海に彫刻が投げ込まれた。泡に包まれてすぅーと降りていくそれが、鈍色の魚の群れを割る。
岩の隙間からタコの足が延びてきて引き込んだ。ペタリペタリと彫刻をなで回す。見たことのないその動物を品定めするように少し離れた珊瑚に飾る。彫刻も息を殺して見つめ返す。しばらく見つめた後、岩の隙間へ引っ込んだ。
珊瑚の中からみていた小魚たちが彫刻を取り囲む。時折彫刻からくすぐったいと上がる泡に驚き距離をとっては、つつくを繰り返す。
タコの手が伸びて小魚の1匹を捕らえた。
キラリキラリと小魚の群れが逃げ惑う。
ぶつかって転げ落ちてゆく彫刻。
周囲を照らしていた光が遠ざかる。
彫刻から立ち上る気泡は不安をのせて上へ上へ。
ようやく
砂を舞い上げて海底にたどり着いた。
海底を這うものが寄ってきて彫刻にこびりついた人の手垢を消してゆく。
しばらくしてチョウチンアンコウが通りかかる。
仄かな光を受けて、彫刻は美しい木目を誇示するように気泡をひとつ吐いた。
勝は出来たお話を何度も読んでペンをおく。
海の底であの彫刻が本来の姿を取り戻す、そうだったらいいなと、そうあってほしいなとそっとノートと目を閉じる。
「そんなとこで寝ると風邪引くぞ。なにか書いてたのか?」
博に声をかけられて振り替える。
「ん、寝てなかったのか?」
「いや、今、起きた」
外をみてみるとうっすらと空が白んでいる。思っていた以上に没頭していたらしい。
「ん、こうだったらいいなってね」
書けたばかりのそれを博に渡す。
「あぁ。いいな。あのフクロウの彫刻が海の中で純粋に幸子さんの幸せを願ってる。きっと」
博は読み終わると目をつぶってうんうんと頷きあくびをひとつ。
「もう少し眠りなよ」
勝に促されるまま、起こしていた体をごろんと横たえる博。しばらくしてスウスウと寝息をたてはじめた。
その様子を見ながら僕はいつの日かこの親友に贈り物がしたいと思った。
物に込められた想いを時と共に歪めてしまうのが人であっても、
込められた想いを色鮮やかに蘇らせていくのもやっぱり人なのだから。
スマホにつけたフクロウのストラップの鈴をチリンと鳴らして勝も眠ることにした。
「あら、お帰りなさい」
玄関のところで植木鉢の世話をしていた母が、戻ってきた3人を見て続ける。
「……海の匂いがすごいわ、お風呂沸いてるわよ。博くんもよかったら、どうぞ?」
その言葉を受けて顔を見合わせる。
3人はそれぞれ自分の匂いをフンフンと嗅ぐがよくわからない。母が多分靴かしらね?と指差す。それを受けて勝が足元を見た。あぁ、参った。靴を洗わなくては……とぼんやりした頭で考える。
「ばあちゃん、お先にお風呂どうぞ」
勝が祖母の背中を軽く押しながら言った。帰りの電車のなかでうつらうつらしていた祖母が一番、しんどいだろう。
「ありがとうねぇ。お言葉に甘えるよ」
祖母が答えてゆっくりと浴室に向かうのを母が付き添う。
その背中を見送った博が、お風呂の事、甘えていいんだろうか?という目を向ける。
「もういっそのこと泊まってけよ。ヘトヘトだろ?こんな時間まで付き合わせてごめんな」
勝がその目に答えると
「実は、そうなんだけども。今歩いて帰ると路上で朝を迎える自信しかない。けど、いきなり過ぎるし迷惑じゃないか?」
「父さんも職場の人とか急につれてきたりするし、一人増えるくらいなら全然誤差の範囲だよ」
あぁでも、とつづける。
「家に連絡はいれとけよ?」
「もちろん。じゃあ、俺もお言葉に甘えさせてもらうわ」
ポチポチとスマホを操作する博。
「友達のところに泊まります」
手慣れた様子で文章を打ち込みそのまま送信ボタンを押す様子を見る。
「甘えさせてもらうって言ったものの、本当にいいのか?」
心配そうに博が重ねて聞くので、勝が母に声をかける。
「母さん、今日、博泊めていいー?」
「はいはいどーぞ!!お家の方に連絡はしてねー」
思った通りに台所の辺りから軽い返事がかえってくる。
「大丈夫~!!」
な?と不安そうな博を安心させた。
博が風呂から出たあと勝が入浴する。芯まで冷えた体をぬるめのお湯が包んでくれる。お湯の栓を捻って足しながら両手でお湯を掬い、顔にバシャンとかける。今日は本当に驚いた。博は幽霊の声を聞いたことになるんだろうか?嘘をついてないとして……。そして、あんな場面で博が嘘をつくはずがなかった。
勝が髪の毛をタオルで乾かしながら居間に向かうと
「超絶感動っす!!」
風呂上がりに僕のパジャマを着た博が目を輝かせ言っているのが見えた。先に風呂に入ったことでいく分疲れが癒えたのか、嬉しそうに食卓に並んでいる料理を見つめている。並んでいるのは、ホウレン草のゴマ和え、小松菜の白和え、豚汁、ひじきの煮物、豚こまのしょうが焼き。勝にとってはいつもの夕飯。
「いや!これ!全部勝くんのお母さんが作ったんですか?」
「若い子の口に合うかわからないんだけど……足りなかったら卵焼きかウィンナーくらいなら焼けるから言ってね」
母が心配そうに返す。
「いやいや!急に泊めてもらう上にこんなごちそうまで!!本当にありがとうございます!」
博が頭を下げた拍子に、ゴン!と頭をぶつけた。いててとおでこをさする。
「大丈夫?冷やす?」
保冷剤をハンカチでくるみながら母が言う。
「いえ!唾つけときゃなおりますんで!」
「そう?ならいいのだけど。でも一応これ」
ハンカチでくるんだ保冷剤を博に手渡しながら続ける。
「ごちそうなんて言ってもらえると作りがいがあるわね。こちらこそありがとう」
「どの料理も色鮮やかで、丁寧に作られてるのがわかりますもん!」
「誉めすぎよ~!博くん、家の子になっちゃう?」
「こんなご飯が食べられるなら、それはもう喜んで!!」
博は今すぐにでも食べたいとばかりに箸へ手を伸ばしては、膝の上に戻している。
「うふふ、冷めないうちにどうぞ」
その様子を見て嬉しそうに母が笑った。
「いただきます!」
母の言葉に間髪いれず応え、箸をつかむ博。ちゃぶ台に並んでいた料理はものの20分ほどで空になった。
「頂き物のお菓子もあるけど食べる?」
博の食いっぷりに気を良くしたであろう母が問いかける。
「お腹一杯です!!お気遣いありがとうございます!!」
博は元気に母にそう返して勝に耳打ちする。
「ごめん、そろそろ眠くて意識飛びそう」
博のSOSに勝は慌てて母に話す。
「母さん、一足先に休むね。もうヘットヘトだから」
「あら?なら客間に布団だすね」
なにか客人に振る舞えるものはないかと、台所をごそごそ探していた母が答える。
「いいよ。僕の部屋で」
客間だと夜に喉が乾いても博が動きにくいだろうと考えた勝が断る。
「じゃあ、布団一式もって上がっとくね」
母の答えを聞いて、
「あ、自分がします!!」
博が答えた。
博は、勝の部屋に入るなり布団にダイブして大いびきをかきはじめた。
眠る直前までハイテンションを保てるのはさすが博だと言うべきか。
「おやすみ」
その様子に声をかけて、勝は引き出しからノートを一冊取り出す。
体は重力に負けそうなほど疲れきっていたが、あの彫り物を投げた後の情景を書かないことには眠れそうになかった。僕のただのエゴかもしれない。というかまぁ、エゴには違いない。だけどあそこで物語を終わらせるのはもったいないと思った。
【フクロウの彫刻】そう題をつけて書き始める。
―――とぷん。
海に彫刻が投げ込まれた。泡に包まれてすぅーと降りていくそれが、鈍色の魚の群れを割る。
岩の隙間からタコの足が延びてきて引き込んだ。ペタリペタリと彫刻をなで回す。見たことのないその動物を品定めするように少し離れた珊瑚に飾る。彫刻も息を殺して見つめ返す。しばらく見つめた後、岩の隙間へ引っ込んだ。
珊瑚の中からみていた小魚たちが彫刻を取り囲む。時折彫刻からくすぐったいと上がる泡に驚き距離をとっては、つつくを繰り返す。
タコの手が伸びて小魚の1匹を捕らえた。
キラリキラリと小魚の群れが逃げ惑う。
ぶつかって転げ落ちてゆく彫刻。
周囲を照らしていた光が遠ざかる。
彫刻から立ち上る気泡は不安をのせて上へ上へ。
ようやく
砂を舞い上げて海底にたどり着いた。
海底を這うものが寄ってきて彫刻にこびりついた人の手垢を消してゆく。
しばらくしてチョウチンアンコウが通りかかる。
仄かな光を受けて、彫刻は美しい木目を誇示するように気泡をひとつ吐いた。
勝は出来たお話を何度も読んでペンをおく。
海の底であの彫刻が本来の姿を取り戻す、そうだったらいいなと、そうあってほしいなとそっとノートと目を閉じる。
「そんなとこで寝ると風邪引くぞ。なにか書いてたのか?」
博に声をかけられて振り替える。
「ん、寝てなかったのか?」
「いや、今、起きた」
外をみてみるとうっすらと空が白んでいる。思っていた以上に没頭していたらしい。
「ん、こうだったらいいなってね」
書けたばかりのそれを博に渡す。
「あぁ。いいな。あのフクロウの彫刻が海の中で純粋に幸子さんの幸せを願ってる。きっと」
博は読み終わると目をつぶってうんうんと頷きあくびをひとつ。
「もう少し眠りなよ」
勝に促されるまま、起こしていた体をごろんと横たえる博。しばらくしてスウスウと寝息をたてはじめた。
その様子を見ながら僕はいつの日かこの親友に贈り物がしたいと思った。
物に込められた想いを時と共に歪めてしまうのが人であっても、
込められた想いを色鮮やかに蘇らせていくのもやっぱり人なのだから。
スマホにつけたフクロウのストラップの鈴をチリンと鳴らして勝も眠ることにした。