後編

文字数 1,670文字

【翔子】
「な、何かの拍子に?」
【美恵】
「どんな拍子よ……」
【凛】
「……詳しい内容はさすがに聞かなかった。彼氏はすごく優しいし好きだけど、無理って彼女泣きながら言ってたからさ」
【凛】
「泣き止ませるだけで精一杯だったの」
【翔子】
「涼が……涼がそんなことするわけないじゃない!」
【美恵】
「翔子……!」
【凛】
「……」
 私は胸に詰まったたくさんの不安を吐き出すように、大声を出してその場を後にしてしまった。
 帰りの電車はちょうど会社帰りの人たちが多い時間帯で、ちょっと混んでいた。
 座ることはできなかったけど、扉のそばにもたれることはできた。
 涼に連絡して、確認したらいいっていう気持ちと信じてるならそんなことしちゃだめだっていう気持ちがせめぎあう。
 でも、一番心を占めているのは――。
【翔子】
(そう思ってるってことは私、疑っちゃってるってことなんだよね……)
【翔子】
(私、嫌な女だ……)
【翔子】
(でも、どうしても涼のあの辛い顔が頭を離れないよ……)
 泣きそうになるのをぐっとこらえていると、知らない手がスカートをめくり、太ももを触ってきた。
【翔子】
(え、痴漢!?)
 後ろからは荒い息遣いが聞こえてくる。
【翔子】
(や……いやだ……! 涼……!)
【涼】
「何してんだ!」
【男性】
「わ、私は何もしていないっ!」
【翔子】
「りょ、涼!?」
【涼】
「翔子が泣いてるじゃないか!」
【男性】
「知らん! 私は何も知らん!」
 男性はそう言うと、逃げるように開いた扉から降りてしまう。
【涼】
「おい!」
【翔子】
「い、いいよ。もう……何もなかったし……」
 涼のスーツの裾を掴もうとしたけれど、凛の言葉が頭から離れなくて、掴めなかった。
【涼】
「本当に大丈夫?」
【翔子】
「うん……」
 私たちは次の駅で降りて、涼の部屋へと歩く。
【涼】
「たまたま俺がいたから良かったけど……翔子かわいいんだから気をつけろよ?」
【翔子】
「うん……」
 涼が私の手を握ってきてくれる。
 だけど、いつもなら嬉しいその手も、今は体が勝手にびくっと反応してしまう。
【涼】
「翔子……?」
【翔子】
「ん?」
【涼】
「ごめんな。怖かったよな」
 痴漢が怖くて、男性である自分が怖かったんじゃないかと勘違いをしたのか涼はその手を引っ込める。
【翔子】
(そうじゃないけれど……)
【翔子】
(私、このまま涼の部屋には行けない……)
 私が足を止めると、心配そうに涼が顔を覗き込んでくる。
【涼】
「どうした?」
【翔子】
「あのね……どうしても確認しておきたいことがあるの……」
【涼】
「何?」
【翔子】
「……友達がね。涼のこと知ってたの」
【涼】
「うん……」
【翔子】
「友達が友達の元カレだって涼の写真見せたら言ってた……」
【涼】
「うん……」
【翔子】
「それで……」
【涼】
「……」
【翔子】
「……」
【翔子】
(私、本当にこれを聞いていいの……?)
【翔子】
(涼のことを好きなら……聞かずにこのまま……。そもそも私には何も……)
 どうしても、凛の言葉と涼の辛そうな顔が頭をちらついてしまう。
【涼】
「俺が彼女の体の一部を食べたって……?」

【翔子】
「……!」
【翔子】
「え……涼? うそだよね?」
【涼】
「俺、好きな人の体の一部を取り入れたいって思っちゃうんだ……」
【翔子】
「え……」
【涼】
「どうしても自分を止められなくなるんだ……」
【翔子】
「……」
【涼】
「だけど……翔子のことは本当に好きだから……こんな俺のことを知ったら離れるって思って……ずっと……ずっと……」
 涼の頬を涙の雫が静かに伝う。
 私はその涼の言葉にやっと得心がいった。
【翔子】
(ああ、そっか。そういうことだったんだ……)
 そして、そっと涼のことを抱きしめる。
【翔子】
「ずっと辛かったのに、ごめん。私が……私が怖がったばっかりに……。大切にしてくれていたのに……」
【涼】
「翔子……」
 背伸びをして、私は涼の耳元に口を寄せる。
【翔子】
「それなら……私が食べてあげるね。そうすればずっと一緒だよ……」
 私はきっと今までで一番の笑顔になっていたと思う。
 今まで涼からもらった幸せ分、全部を足した……そんな笑顔。
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