祖父の晩年

文字数 1,555文字

 あれはもう十年以上前になるか。当時、就職したてだった自分は施設の利用者さんのお薦めで少し離れた海を訪れた。



 人がいるところは避けて人気がない場所で海の冷たさを味わっていた。
 帰りに土産菓子店があった。
 職場の人達に持って行こうと菓子類を買って行った。
 後日、職場の人達に届けるとある年長の職員が「せっかく就職したのだから実家に送ってやれよ」と説得された。
 菓子は宅配便で祖父母のいる実家へと送った。
 
後日、母に電話をかけると「お祖父さんが食べていたわよ」との答えが返ってきた。
 
 そういえば祖父には苦労をかけっ放しだった。自分が過労の為倒れた時も、病気になった後も色々と手を尽くしてくれたことを想った。母との折り合いが悪いのが気掛かりだったが。
 
 祖父は良く愛犬パピを可愛がった。パピに鳥のささ身を分け与えたり、散歩に連れて行ってくれたりしたこともあった。
 ある時、祖父が散歩の最中に転んだらしい。その時、パピは祖父に近寄り傷口を舐めて鼓舞した話があった。

 折しも東日本大震災が起きる数ヶ月前、祖父は急逝した。
 前日まで仕事をして一生涯現役の理容師だった。
 朝方には母が発見し、必死に心臓マッサージをしたが間に合わず、祖母はどうして良いのか判らず近くの親戚を呼ぶのが手一杯だった。
 その知らせは自分に来たのは仕事が終わって夜遅く帰ろうとしていたところ、携帯に着信があったのだ。すぐさま上司に掛け合ったので、とりあえず元々の休みに二つ休みを頂いて翌朝出発した。

 電車の中に揺られながら祖父がいなくなって今後の生活はどうするのだろうかと漠然とした不安に覆われていた。




 叔父の動きが気になった。人格が歪で金銭欲にがめつい人だから。その悲劇は後に実現し、自分達の生活を振り回すきっかけになったのだがそれは又別の話である。
 母方の実家に着き、葬儀をつつがなく終えた。帰りの話だった。祖父のご友人が話していた。
「前日に酒盛りしとったが逝く気配なんてなかった。だけんど、犬だけ判っておったんだなあ。いつもはわしに叫ぶ犬はその場でお祖父さんの傍で静かに座っておった。きっとお祖父さんとわしの最期の酒盛りを見守ってくれていたんじゃな。ほんに静かだった」
 祖父宅で過ごした間は自宅から持ってきた時計で寝起きしていた。
 時計を見ながら考え事をする。
 感謝しなければ。
 思えば、祖父には恩返し出来た試しがない。もし、年長の職員が発言してくれなければ、自分は本当に何のお返しも出来なかったに違いない。
 それだけがかすかな心の安らぎだった。
 とは言っても仕事は忙しい。愛犬と一通り戯れた後、すぐに職場に戻って仕事三昧の毎日である。自分は不器用だから仕事が下手でよく失敗していた。
 そんな時、たまに祖父の言葉が思い出される。

「何事も一生懸命やることだ。そうすればお天道様が見て下さる」

 なるほど、親族は自分と祖父を似ていると評したが同じだ。祖父は仏教の教えを熱心に守り、いつも祈祷を欠かさなかった。
 自分はキリスト教徒でいつも日曜礼拝を欠かさなかった。行けない日があろうとも祈っていた。
 後に聴いた話だが、赤ん坊の自分を最初に抱きかかえたのは祖父だったらしい。祖父にとって家督である叔父は一番大事だったかも知れない。しかし、初孫の自分も祖父にとっては特別だったかも知れない。
 今になって思えば色々支えて貰ったものだ。引きこもりの時代に新聞を読ませてくれたり、学校に受かった時は喜んでくれたりもした。

 今では祖父は天国でかつての友人やパピ達とも穏やかに過ごしているのだろうか。

 自分も祖父程ではないにしろ、必死に働かねばならない。あれから働き続けた。給与が低かろうとも精一杯働いた。
 そして今日も今日とて仕事の為に目覚まし時計はなる。


―了―
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