【第12章 1974年 後期 その壱】

文字数 9,091文字

  いよいよ高校生活も半年を残すのみとなった。文化祭でジャズ研の活動は終わり、本来ならば私もここから受験一直線の予定だったのだが、そううまく進まないのが私の高校生活だった。ジャズ研には年内にレコードを出すという大仕事があった。そのレコード化がここにきて雲行きがおかしくなってきたのだ。銀巴里セッションからもう五ヶ月以上も経つにもかかわらず、SAMからは何の連絡も無い。さすがにもうタイム・リミットだと業を煮やした甲斐君と私はSAMの事務所に押しかけた。以前訪問したときに比べ事務所内は雑然・殺伐としており、スタジオ機材類が見当たらなくなっていた。以前いたスタッフの姿もこの日は無かった。

「田淵さん、突然押しかけて申し訳ないんですけど、例のレコードの件、どうなっているのか説明してもらいたいんですが・・・。」
 甲斐君が強い口調でいきなり本題に入った。

「ふん、レコードねえ。」

「はい。約束したレコードです。どこまで進んでいるんですか?」

「お前たちもこの事務所見たらだいだい想像つくだろう。」

「どういうことですか?」 
 私が口を挟んだ。

「もううちの会社にはカネがないんだよ。」

「夏の時点で、格安でレコードを作ってやるってちゃんと約束したじゃないですか。」
 甲斐君が喰ってかかった。

「状況が変わったんだよ。一体何枚売れるかもわからないようなレコードを作るなんていう慈善事業はできないんだよ。カネが無ければ何もできないんだよ。そのカネがないんだよ。わかったか。」

「じゃあ、あの約束は口から出まかせの嘘だったんですね。」

「何とでも言えばいいだろう。できないものはできないんだ。」

 田淵さんは元々細身だったが、以前に比べ顔色も悪く、その眼もどんよりとして体調もすぐれないようだった。

「そうですか。後輩にさんざん見栄を張って、最後はそうやって逃げるんですか。」
 甲斐君が更に迫った。

「ふん。」

 これ以上の問答は無用という空気だった。甲斐君も私も唖然としていた。私たちは挨拶もせず事務所を後にした。

「甲斐、どうしたもんだろうなあ。」
 
「どうもこうもないよ。ちゃんと約束は果たしてもらうよ。」

「そんなこと言ったって、あれじゃ無理だろう。」

「別の制作会社に頼むって方法もあるかもしれないけど、あの金額では話にならないだろうし、何としてもやってもらうさ。」

「確かにここまで来て、今更レコードを出すって話は無くなりました。では済まないだろうしなあ。」

「そういうことだ。涼。俺は何としてでもレコードは出すぞ。日を改めて俺とヤツとでサシで交渉するわ。」

「俺はどうすればいい?」 
 私が尋ねると、

「いずれにせよタイムリミットだ。数日のうちに最終結論出すから、待っててくれ。」

 甲斐君がそう答えた。日暮れはますます早まってきた。遠くに見えるススキノに夜の灯がともり始めていた。

 そして数日後、甲斐君が部室に三年生メンバーを招集した。

「今日は例のレコードの件で重要な話があって集まってもらった。」

 メンバーの面々は静かに甲斐君に顔を向けた。

「実は、SAMが資金難でレコード制作をやめると言いだした。」

 皆が驚いたような言葉をそれぞれ口にした。

「ちょっと待て。まだ先があるんだ。そんな投げ出すような真似は許さないとサシで何度かやり合ったんだ。その結果、何とか作ることで合意した。ただもう会社に信用力がないから、作るのなら業者に現金を見せて頼むしかないということらしい。その金額が十五万ということになった。要は十五万先払いするからそれでLP七十五枚作ってもらうという段取りまでこぎつけた。」

「費用の前払いかあ。持ち逃げなんてことにならないよね。」
 黒岩君が心配そうに呟いた。

「一応ヤツも城南の先輩だし、会社が倒産したとしても、後輩に約束したことは一個人として果たせと言ったら、最後にわかったとなったから、そこは信用できるんじゃないかとは思うんだが。」
 甲斐君が答えた。

「で、その十五万どうするの?」 
 飯野君が質問した。

「このような状況だし、最悪持ち逃げされるかもしれない点を考えると、皆に負担してくれとは俺も言えない。だけど俺個人としては何としてもレコードは出したい。なので、この十五万は俺が親に頼んで借りるつもりでいる。」
 甲斐君がきっぱりと言った。

「ただ、俺も貧乏人だし自腹は切りたくない。今回この十五万で作れる枚数は七十五枚。その七十五枚を一枚二千円で全部売り切れば十五万は回収できる。そこで皆にお願いしたいのは、何とか七十五枚売って欲しいということなんだ。クラスの仲間やら昔馴染みやらに話して、できれば販売予約をとって欲しいんだ。」

「わかった。」
 メンバー全員がうなずいた。

「カネは何とか調達したとして、もうこんな時期になっちゃったし、実際の作業はダラダラしていられない。もうあっちに任せてはいられないので、こっちで出来ることは全部こっちでやる。まずはマスター・テープの制作。そしてジャケットのデザイン原案の作成だ。それができ次第カネと一緒に先方に引き渡す。これをこの一週間を目途に進めたいと思う。」

「マスター・テープの制作は藤原君にお願いするとして、問題は選曲だな。あと、ジャケット・デザインはもう河北さんにお願いしてあるから急いで原案を出してもらうようにするよ。」 
 私が答えた。

「涼。よろしく頼む。」 
 甲斐君は私の背中を軽く叩いた。

 こうして甲斐君は母親から借金するという大仕事に臨むことになった。レコードのタイトルだけは「Monument」とすることで既に決定していたが、私はレコード用のマスターテープの作成作業を改めて藤原君にお願いした。彼は快く引き受けてくれた。そして河北さんにはジャケットのデザイン原案を出してもらうようにお願いした。彼女は既に数パターンのデザインを考えてくれていて、後はメンバーで選考するだけだった。また築田君が撮影してくれた銀巴里セッションの写真が八十枚ほどあり、ジャケット用にどれを載せるかも検討課題だった。

 日を改めてメンバー全員で選曲の検討が行われたのだが、これがもめにもめることとなった。演奏時間からして収録可能曲数は最大でも4曲。銀巴里セッションと城南祭コンサートのどちらからどの曲をピックアップするのか・・・。

 甲斐君はこのレコードを高校時代の想い出としてとらえ、多くの友人達が聴いてくれ、声援も入っている銀巴里セッションこそレコード化するにふさわしいと主張した。しかし私はあくまで演奏自体の質、音楽的に優れたものを重視すべきで、その意味でも城南祭コンサート中心で行ったほうがいいと主張した。これは甲斐君と私の一枚のレコードに込めた思い入れの違いでもあったが、二人とも頑として譲らなかった。更にサックスの郷田君とトランペットの矢野君は当然それぞれ自分の出来のいいものをと主張した。しかし全曲が全員参加による演奏ではないことから、片方が押すものにはもう一方が入っていなかったり、妥協したと思いきや今度はギターの甲斐君が全然入っていなかったりと、それぞれの意見を尊重していたのでは最後には収拾がつかなくなってしまった。

 メンバーの意見を充分聞いたうえで、最終的には甲斐君と私に一任するという同意をもらった。二人はその後何度も何度も話し合った。それぞれ相手の言い分も良く理解したうえで、折衷案として城南祭コンサートからの選曲重視のバージョン1(五十枚)と銀巴里セッションを重視したバージョン2(二十五枚)を同時に制作するという結論になった。いわば「想い出」と「音楽的成果」の妥協だった。

 放送局の38㎝のオープンリール・デッキを二台を使い、レコード用のマスタリング作業が行われ、マスター・テープは順調に完成した。

 ジャケットのデザインは、表面は黒地に白文字でタイトルの「Monument」が中央やや下よりに大きく描かれ、その下に「Sapporo Johnan Hi. Jazz Circle '74」と同じレタリングで表記。その下には一見並んだビルの輪郭のようにも、グラフのようにも見える強弱がつけられたシンプルな直線が描かれていた。

 裏面上段にはタイトルの「Monument」と「Sapporo Johnan Hi. Jazz Circle '74」、その下に曲目と演奏時間、一段下に担当楽器とメンバー名を英語表記。更にその下半分強にメンバー六名それぞれのモノクロ写真。最下段に録音日付とカバー・デザインの河北さんと写真撮影の築田君の名前のクレジットが入ったものに決定した。30㎝四方のケント紙にタイトル名やグループ名、曲目やメンバー名を書き込み、そして写真を切り貼りしてジャケット用の版下も完成した。

 甲斐君の資金の工面は難航を極めたようだった。お母さんから「あんたは騙されているだけだ。」と言われなかなか承諾を得ることができず、ついには大喧嘩の末に「勝手にしなさい。」という感じでやっとのこと貸してもらうことができたという。こうして十五万円の資金もできた。私たちメンバーはマスター・テープとジャケットの版下を甲斐君に託し、彼はそれらを大事そうに抱えてSAMに向かった。甲斐君の鬼気迫る迫力に押され、田淵氏ももう逃げられないと腹をくくったようだった。あと私たちにできることは、約束の期日にレコードが出来上がるのを待つことだけだった。その期日は年内一杯だった。


 こうしてレコード制作問題にとりあえずの決着をつけた甲斐君と私は、十月半ばのある日トランペットの矢野君の自宅に誘われた。彼の家は高校に近い中島公園傍の住宅地にあった。立派な一戸建ての住宅だったが、これは親父さんの会社が借り上げてくれた社宅だという。授業が終わって早速矢野君の家に上がり込み、彼の部屋で銀巴里セッションと城南祭コンサートのカセット・テープを聴き始めた。矢野君はせっかくだからと秋田の日本酒「赤い酒」の四合瓶を持ってきた。冷のまま三人でちびちび飲りながらテープの演奏に耳を傾けた。そうこうするうち皆いい感じに出来上がってしまい、自分の演奏について甲斐君が「あーでもない、こーでもない。」と解説するのを聞いて矢野君が笑い転げ、それを見て甲斐君も大笑いするという完全に酔っ払いの集いになっていった。要するに今日の集まりは、矢野君なりの慰労会だったのだ。

 そうこうするうち、矢野君のお母さんが帰宅した。おみやげに鯛焼きを買ってきたので食べるかと聞かれたので、躊躇なく「いただきます。」と声を合わせて答えた。お母さんは赤ら顔で酒臭い私たちを見ても特に何も言わず嫌な顔も見せなかった。こうして三人はジャズ研の演奏をBGMにして、甘い鯛焼きをかじりながら酒盛りを続けたのだった。矢野君は酔っぱらいながらも得意のクラシックギターの腕前を披露した。なかなかのものだったが、それを聴いた甲斐君が「あーでもない。こーでもない。」とトボケた批評し始めた。それがあまりにもバカらしく、何を聞いても可笑しくて三人して笑い転げていた。

 一時間ほど過ぎた頃、今度は矢野君の親父さんが帰宅。私たちは挨拶をしに居間に向かった。親父さんは矢野君に良く似ていた。既に出来上がっている私たちを見て、「しょうがない奴らだなあ」という顔をしたものの、何故か酔っぱらって馴れ馴れしく話しかける甲斐君のことがいたく気に入ったようで、大事にしていたスコッチ「ヘイグ・ディンプル」の封を切って私たちに振舞ってくれた。居間には立派な書が書かれた屏風があった。

甲斐君が「こーれはなーんですか?」と尋ねると、矢野君の親父さんも酔っぱらって、

「ほうほう、お前さんはなかなか目が高いな。これはな、宮沢賢治の書だよ。わっははは。」と一気にご機嫌になった。

 その後食事までご馳走になり、気付けば大宴会になっていた。これで矢野君もすっかり私たちワルの仲間入りが確定したのだが、彼は外では酒もたばこも一切やらなかった。きっとそれが親父さんとの約束だったのだろう。そういう律儀なところのある男だった。 
  

 『さあこれから受験勉強だ。』と、机に向かうようになった私だったが、いざ受験について冷静に向き合ってみると、勉強しなければならない科目と範囲の膨大さに愕然とした。東帝大を含む国立大学の場合は受験科目は基本的に「国語」「数学」「英語」に加え「社会科二科目」「理科二科目」の五教科七科目だった。日常の高校の授業内容をその場その場で完全に理解し自分のものにしていたのならそれでも対処可能だったろうが、毎日の授業をおろそかにして試験前の一夜漬けでその場をその場を凌いできた私にとっては、全てを一から確認していく工程が必要だった。しかし地道にやっていたのでは到底間に合わなかった。

 しかし例の根拠のない自信だけは消えることが無かった。「ハッタリ屋」本来の性根もまだまだ健在だった。『お前だったら、本番一発勝負で何とか乗り切れる・・・かもしれない。』と自分に都合の良い暗示をかけた。その10%にも満たない可能性に賭けることに何ら迷いは無かった。そして迎えた三者面談の場でも、東帝大法学部を受験すると宣言した。

「それは厳しいぞ。」と苦々しく言い放つ担任に対して、

「それはハナからわかっている。しかしわずかな可能性でも挑戦したい。結果がダメならば浪人するのは覚悟の上だ。志望校を下げるとか、今の成績で入れる大学を探すというようなことは微塵も考えていない。」と大見得を切った。

担任もそこまで言われてはもう返す言葉もなかった。
「じゃあお好きにどうぞ。」とその表情は語っていた。

 それでも私自身、自分の将来がどう展開していくのかは正直不安だった。親とは経済状況を含めどの程度まで負担ができそうか真剣に話し合った。親の答えは「一度きりの人生なんだから、思い切って東帝大に挑戦してみれば良い。ただし浪人させられるのは一年のみ。浪人の期間は受験に有利になる予備校へ行けば良い。それが東京なら上京して構わないが、来年は必ずどこかに進学を決めること。」というものだった。私は「正直、現役合格は難しい。受験に失敗したら東帝大合格に一番近いと言われている駿英予備校に行きたい。」と具体的な計画を初めて口にした。

 こうしてダメ元東帝大受験がスタートした。さすがに高校の全教程をおさらいするのは無理で、各科目ごとに出題の山を張ってそこを集中的に勉強する以外に残された方法はなかった。札幌の予備校に通ったところで今更何の役にも立たないと、自分で東帝大の過去問題をいろいろ眺めまわしては山を張る作業に集中した。しかしいくら山張り作業に時間を費やしても、その分知識や理解が深まるわけではない。結局は自分自身、心の底ではもう現役合格は諦めていたのだ。勉強しているのも、今年のためではなく来年のためだった。


 そして十一月、まりあの採用試験がスタートした。それは書類選考、面接、一般教養の筆記試験、英語の筆記試験、英会話試験、そして健康診断・体力検査という内容だった。全てが東京で行われるため、まりあは頻繁に東京・札幌を往復することとなり、学校を欠席することが多くなった。彼女の人生を賭けた挑戦を私は静かに見守るほかなかった。彼女の邪魔をせぬよう少し距離をとり、彼女が何か話したいというときに耳を傾けるという態度で臨んだ。これは取りも直さず彼女が話してくれなければ、今何がどうなっているか私には一切わからないということだった。そうではあったが、それはそれで仕方のないことだと私は割り切っていた。まりあがいないこの時間を私も勉強に当てた。現役合格は諦めていた私だったが、それでもわずかな可能性を信じて勉強に励んだ。もちろんそのバックにはいつもジャズが流れていた。

 こうして十一月が過ぎて行った。まりあとは数回電話で話をした程度だった。去年のように彼女の誕生日を祝う余裕すらなかった。そして十二月に入ったある日、彼女は教室で私の横に来ると真剣な顔で話し始めた。

「ねえ柏木君、私の試験の結果が出たの。採用内定だった。」

「やったね。まりあ。自分の夢をしっかり叶えたね。おめでとう。」
 私は笑顔で拍手をした。

「ありがとう。ほっとしたわ。でも入社してもまた厳しい研修漬け。そっちも不安なんだ。」

「そうかそうか。やっぱり体力測定が抜群の成績だったのかな。ははは。」

「バカ。一生懸命英語も勉強したんだからね。」
 まりあにいつもの柔らかい表情が戻ってきた。

「ごめんごめん。冗談だってば。」

「次は柏木君の番ね。頑張ってね。」

「うん。やれるだけやってみる。でも現実はかなり厳しいな。わかってた事だけど。」

「そっかあ。私は三月の卒業まで残りの高校生活しっかり過ごそうと思っても、周りはみんな受験で相手をしてくれる人は誰もいなくなっちゃった。」
 まりあは寂しそうに呟いた。

「それはまあ仕方ないさ。でも俺がいるって。正直今年の受験はダメ元みたいなもんだから。そういうことで、時々は俺を励ましに来てくれたら嬉しいんだけどな。」

「そんな、大丈夫なの?」

「来年一年、本気出して何とかするさ。まりあとも入社後はまたしばらく話すらできなくなりそうだし、今のうちに二人の時間を少しでも持ちたいと思ってるんだ。」

「私も少しでも一緒にいられたらって思うけど、そんな我儘言っちゃいけないって我慢しようとしてたの。」

「俺も実際の受験が目前になったら、上京やら何やらで好き勝手に動けなくなるだろうし、あと二か月の間は何とか二人きりの時間を大切にしたいなって思ってさ。」

「それじゃあ、ときどき私が柏木君を激励に行くようにしようかな。」

「嬉しいなあ。来てくれたら元気百倍だよ。でも遠くまで悪いなあ。」

「全然よ。私はいくらでも時間あるんだし。」

「じゃあまりあに甘えちゃおうかな。」

「うん。そうしよ。」

 こうして二人は残り少ない高校生の時間を大切に使いきる約束をした。この日から私は週に一度か二度放課後まりあを私の家まで連れて帰った。ともすれば目標を失ってしまいそうな私の受験勉強にあって、まりあと過ごす夕方の二時間は将来の夢と希望を与えてくれるカンフル剤だった。残り少ない時間を名残り惜しむかのように、私とまりあは部屋で二人きりの時間を過ごした。夕方再放送されていた「奥様は魔女」を見て笑い、ユーミンの「ひこうきぐも」のアルバムを聴いた。ときどきキスもした。そしてまりあは必ず二時間だけ居て夕食前には帰宅した。まりあと過ごす時間は私にとって勉強の促進剤になっていたのだが、母親はどうやらそうは思わなかったようだ。

 親心というものは難しい。わが子を思う気持ちが冷静な眼を濁らせてしまうことはよくあることだ。母親は私に期待しすぎていた。やれば何とかなると私以上に私をかいかぶっていた。自分の果たせなかった夢を私に投影し、知らず知らずのうちに自分の思うように支配しようとしているなどとは気付きもしなかったろう。私にはそれが我慢できなかった。自分の人生、母親にも誰にも口は出させない。それは既に中学時代から心に決めていたことだった。

 十二月も深まりいよいよ年の瀬近くなった頃、私は暖房の効いた部屋でまりあに将来の夢を語った。

「年が明けたらいよいよ受験も本番かあ。何かあまり実感が湧かないなあ。」

「二月の中頃から私立の受験が始まって、国立一期校が三月上旬だっけ。」

「うん、そうそう。」

「私立の受験が始まったら学校ももう授業どころじゃないわね。きっと。」

「あと二か月ってとこかあ。」

「私も年が明けたら、ここに来るのはもう遠慮させてね。さすがにこれ以上は、ね。」

「ああ、そうだね。まりあに嫌な思いをさせるのは僕の本意じゃないし。」

「柏木君もやっぱり試験の少し前から東京へ出て、慣れておくようにするの?」

「具体的なことは何も考えてなかったけど、今から手配しとかないとまずいよな。」

「うん、そうよ。早いにこしたことないと思う。」

「試験がひな祭りの時期だから、東京に慣れる時間を含めて十日前に行くとして、上京は二月の二十日過ぎ。その後合格発表を見て帰るとなると、更に十日くらい居ることになるだろうから都合二十日以上東京に行ったっきりになるわけか・・。待てよ、そうなると帰ってくるのがもう卒業式の直前だよ。わあ。厳しい日程だなあ。」
 
「三月はもう無いに等しいくらい忙しくなるわね。私も四月からの新生活の準備とかでバタバタするだろうし。」

「受験が三月だからって、まだ丸二か月あるなんて言ってられないんだなあ。ほんとに年が明けたら大変だあ。」

「柏木君、ちょっとノンビリし過ぎよ。」

 まりあはふざけて拳固で私の頭をコツンと叩いた。
 私はその手をとって彼女の眼を見ながら真面目に話し始めた。

「まりあ、この間ママとの席で言ったことは本当の気持ちなんだ。まりあとの将来のこと真剣に考えているんだ。うまくいっても俺は学生、まりあは世界を飛び回るスチュワーデス、そんな二人が果たして付き合いを続けていけるものなのかどうか、先のことはその時にならないとわからないけどさ、今は将来まりあと一緒になりたいって真剣に思ってるんだ。」

 まりあはしばらく黙って俯いていたが、私の眼を見返して言った。

「ありがとう。とっても嬉しい。私もそうなるのを何度も想像してみた。」

「これから大学へ進んで就職して。一人前になるまで最低でも十年近くかかるし、結婚とかの話ができるようになるのはその頃だと思うんだ。一口に十年って、とてつもなく長い時間だよね。俺はずっと待つつもりでいるけど、まりあはそこまで待てるかい?」

「そうよね。考えてみれば私たちまだ十八歳なんだものね。」

「先のことはその都度その都度二人で良く話し合って、この気持ちを深めていって、そしていつかは結婚できたらって願ってるんだ。」

「そうよね。その都度その都度、一歩づつ。でも、私もこの先何が待ち受けているのか全くわからないし、今から確実な約束って、正直できそうもない・・・。」

「もちろんそうさ。それは俺だって同じだよ。でも立場的にはちょっと俺の方が分が悪いかな。ははは。」

「バカ。ちゃんと立派な学生になって、立派な社会人になってもらわなくっちゃ。」

「うん。そうなれるよう頑張るよ。」

 私はまりあの身体を引き寄せ抱きしめた。そして情熱をこめてキスをした。


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