第1話:再会
文字数 2,408文字
建物を出ると、入り口にベンチがあった。腰かけて、暮れていく空を眺める。こういう時間は嫌いじゃない。穏やかな風とヒグラシの鳴き声が心地良い。
「隣、いいですか?」
桜子 だ。彼女も抜け出してきたらしい。
「どうぞ」
二人で並んで座る。少し照れくさい。
「タバコ、吸いますか?」
そう言って彼女はHOPE と書かれた小箱を差し出した。
「あれ、タバコ吸ってるんだ?」
「最近ですけどね」
「へえ。じゃあ一本貰おうかな」
「じゃあ、あっちへ」
誘導されてすぐ近くの喫煙所に入る。
もらったタバコを咥えたが、ライターがない。だから座ってぼーっとしていたのだけれど。
カチチ。
しかし、こちらがそれを言うよりも早く、彼女がライターで火を点 けてくれた。
「ありがと」
煙を吐きながら言うと、ふと思いついた。
「俺のタバコも吸う?」
「はい、ください」
差し出したhi-lite の箱から桜子が一つ、抜き取った。
「点けてあげるよ」
ライターを借りて、彼女が咥 えたものに火を点ける。
スウ、パア。
二人並んで静かに煙を吐く。
「久しぶり、ですね」
「そうだね」
「髪、切ったんですね」
「そっちだって、前はもっと長かったろ」
「でも新 さんは丸坊主じゃないですか。前と全然違います」
桜子が少しムキになったのが可笑 しくて、つい笑ってしまった。
「面倒くさいから坊主にしたんだよ」
「女の子みんな残念がってましたよ、新さんかっこよかったのに〜って」
彼女の口角がぐいんと上がる。
「それは悪いことをしたね」
「思ってないくせに」
そう言ってまた笑った。
トト、トト。
灰皿に灰を落とす。横目で桜子を見ると、短くなった髪に目が行く。それは向こうも同じか。以前はお互いに胸くらいまで髪が伸びていた。今の桜子は耳のすぐ下くらいまでしかない。
スウ、プウ。
最近吸い始めたと言う割には様になっている気がする。灰の落とし方も、煙の吐き方もどこか手慣れている風に思える。……単純に器用なだけかも知れないけど。
彼女がタバコを吸うのを見て気付いた。指輪をしていない。以前会った時には指輪を見せてくれたのに。
スウ、プウ、スウ、パア。
自然と生まれた沈黙に、何か言ったほうが良いような気がして、言葉を探す。
「……昔さ、好きなバンドがあったんだけどね」
「はい」
彼女は静かに頷く。手にはいつのまにか缶コーヒーを握っている。
「そのリーダーがさ、ホープ吸ってたんだよ」
「そうなんですね」
「それについて歌った曲もあるんだ。もう解散しちゃったけどね」
彼女は小さく笑い、ふうん、と答えた。
「そう言えば、新さんは何でハイライトなんですか?」
タバコは大学の頃からずっと同じものを吸っている。
「周りに吸ってるやつがいなかったからかな」
スウ、プウ。ジリジリ。
すっかり短くなったタバコを灰皿に押し付ける。たまには普段と違うタバコも悪くない。
「コーヒー、飲みます?」
「あるの?」
「私の飲みかけですけど」
そう言って缶コーヒーを差し出される。
「半分くらいしか無いじゃん」
しかも、あまり冷たくなさそうだ。
「はんぶんこですよ」
「良いように言うなって」
渡されたコーヒーを飲むと、思ったとおり、甘かった。
「これは変わらないんだ」
「コーヒー苦くて」
「そっか」
気がつけばもう、辺りは暗くなっていた。
「新さんはもう帰りますか?」
「うん、でも先輩たちとちょっと話してからにするよ」
「じゃあ、待ってます」
「うん」
立ち上がり、建物の中に戻る。
今日は大学時代に所属していたバンドサークルの創設三十周年パーティーだった。サークルの人たちとは長らく連絡を取ってなかったが、世話になった先輩たちも来るとのことでせっかくならと顔を出してみた。だが正直この手のイベントは苦手で、ライターも持たずに早々に抜け出してくるはめになった。
中に入るとすぐに、賑やかな音楽と派手な装飾に囲まれる。
シン、ワアワア、シン、ザリザリ、シン、ダンダン。
「……すいません、ちょっと」
会場に戻るや否や言葉と身体で絡みついてくる先輩たちをくぐり抜けて、挨拶をしに行く。
「松 さん、僕もう帰りますね」
「新、またな」
「はい、また」
言い終わると同時に頭を下げ、背を向ける。
「……もうバンドやらないのか?」
帰ろうとする背中に、問いかけてきた。
「どうですかね」
散々言われたことに曖昧な返事をしてしまう。もう心は決まってるはずなのに。
「また新のギターが聴きたいよ」
あんたまでそんなこと言わないでくださいよ。
「またそのうちですね」
その答えに先輩は喉に骨が刺さったみたいな顔をした。
「……またな」
「はい、また」
鞄を持って逃げるように会場を出ると、桜子が待っていた。
「……行こうか」
タン、タン、タン。
二人で並んで歩き出す。二人ともスニーカーだ。
「先輩は電車ですか?」
「いや、歩き。家近いんだよ」
そう言うと意外そうな、それでいて何か言いたげな顔で見てきた。
「……来る?」
「良いんですか?」
顔がぱっと明るくなる。
「来たそうにしてたろ」
「しょうがないから行ってあげますよ」
久しぶりなのに久しぶりに感じないのは、桜子のすごいところなんだと思う。数年ぶりだろうが一週間ぶりだろうが対応が変わらない。もちろん変わった部分もあるし、本当は訊いてみたいこともある。
でも訊かない。訊けばきっと全部崩れる。そういうのが嫌でここまで来たんだから。
「飯……コンビニとか寄る?それともどっか行く?」
「コンビニがいいです」
「おっけ」
ザフ、ザフ、タン、タン。
通り道にあったコンビニで買い物を済ませ、レジ袋をぶら下げて並んで歩く。
ツウ、ツツ、ツウ、ツツ。
お互い自然と相手側の手が空になり、触れ合う。
どっちつかずな人差し指を、彼女の右手がそっと、摘 むように、戯 れるように握ってきた。
タン、タン、ザフ、タン。
そのまま歩き、マンションの前に着く。エントランスを抜け、エレベーターに乗る。八階のボタンを押して、ドアを閉める。
ゆっくりと上昇するエレベーターの中で、二人の呼吸だけが聞こえた。
「隣、いいですか?」
「どうぞ」
二人で並んで座る。少し照れくさい。
「タバコ、吸いますか?」
そう言って彼女は
「あれ、タバコ吸ってるんだ?」
「最近ですけどね」
「へえ。じゃあ一本貰おうかな」
「じゃあ、あっちへ」
誘導されてすぐ近くの喫煙所に入る。
もらったタバコを咥えたが、ライターがない。だから座ってぼーっとしていたのだけれど。
カチチ。
しかし、こちらがそれを言うよりも早く、彼女がライターで火を
「ありがと」
煙を吐きながら言うと、ふと思いついた。
「俺のタバコも吸う?」
「はい、ください」
差し出した
「点けてあげるよ」
ライターを借りて、彼女が
スウ、パア。
二人並んで静かに煙を吐く。
「久しぶり、ですね」
「そうだね」
「髪、切ったんですね」
「そっちだって、前はもっと長かったろ」
「でも
桜子が少しムキになったのが
「面倒くさいから坊主にしたんだよ」
「女の子みんな残念がってましたよ、新さんかっこよかったのに〜って」
彼女の口角がぐいんと上がる。
「それは悪いことをしたね」
「思ってないくせに」
そう言ってまた笑った。
トト、トト。
灰皿に灰を落とす。横目で桜子を見ると、短くなった髪に目が行く。それは向こうも同じか。以前はお互いに胸くらいまで髪が伸びていた。今の桜子は耳のすぐ下くらいまでしかない。
スウ、プウ。
最近吸い始めたと言う割には様になっている気がする。灰の落とし方も、煙の吐き方もどこか手慣れている風に思える。……単純に器用なだけかも知れないけど。
彼女がタバコを吸うのを見て気付いた。指輪をしていない。以前会った時には指輪を見せてくれたのに。
スウ、プウ、スウ、パア。
自然と生まれた沈黙に、何か言ったほうが良いような気がして、言葉を探す。
「……昔さ、好きなバンドがあったんだけどね」
「はい」
彼女は静かに頷く。手にはいつのまにか缶コーヒーを握っている。
「そのリーダーがさ、ホープ吸ってたんだよ」
「そうなんですね」
「それについて歌った曲もあるんだ。もう解散しちゃったけどね」
彼女は小さく笑い、ふうん、と答えた。
「そう言えば、新さんは何でハイライトなんですか?」
タバコは大学の頃からずっと同じものを吸っている。
「周りに吸ってるやつがいなかったからかな」
スウ、プウ。ジリジリ。
すっかり短くなったタバコを灰皿に押し付ける。たまには普段と違うタバコも悪くない。
「コーヒー、飲みます?」
「あるの?」
「私の飲みかけですけど」
そう言って缶コーヒーを差し出される。
「半分くらいしか無いじゃん」
しかも、あまり冷たくなさそうだ。
「はんぶんこですよ」
「良いように言うなって」
渡されたコーヒーを飲むと、思ったとおり、甘かった。
「これは変わらないんだ」
「コーヒー苦くて」
「そっか」
気がつけばもう、辺りは暗くなっていた。
「新さんはもう帰りますか?」
「うん、でも先輩たちとちょっと話してからにするよ」
「じゃあ、待ってます」
「うん」
立ち上がり、建物の中に戻る。
今日は大学時代に所属していたバンドサークルの創設三十周年パーティーだった。サークルの人たちとは長らく連絡を取ってなかったが、世話になった先輩たちも来るとのことでせっかくならと顔を出してみた。だが正直この手のイベントは苦手で、ライターも持たずに早々に抜け出してくるはめになった。
中に入るとすぐに、賑やかな音楽と派手な装飾に囲まれる。
シン、ワアワア、シン、ザリザリ、シン、ダンダン。
「……すいません、ちょっと」
会場に戻るや否や言葉と身体で絡みついてくる先輩たちをくぐり抜けて、挨拶をしに行く。
「
「新、またな」
「はい、また」
言い終わると同時に頭を下げ、背を向ける。
「……もうバンドやらないのか?」
帰ろうとする背中に、問いかけてきた。
「どうですかね」
散々言われたことに曖昧な返事をしてしまう。もう心は決まってるはずなのに。
「また新のギターが聴きたいよ」
あんたまでそんなこと言わないでくださいよ。
「またそのうちですね」
その答えに先輩は喉に骨が刺さったみたいな顔をした。
「……またな」
「はい、また」
鞄を持って逃げるように会場を出ると、桜子が待っていた。
「……行こうか」
タン、タン、タン。
二人で並んで歩き出す。二人ともスニーカーだ。
「先輩は電車ですか?」
「いや、歩き。家近いんだよ」
そう言うと意外そうな、それでいて何か言いたげな顔で見てきた。
「……来る?」
「良いんですか?」
顔がぱっと明るくなる。
「来たそうにしてたろ」
「しょうがないから行ってあげますよ」
久しぶりなのに久しぶりに感じないのは、桜子のすごいところなんだと思う。数年ぶりだろうが一週間ぶりだろうが対応が変わらない。もちろん変わった部分もあるし、本当は訊いてみたいこともある。
でも訊かない。訊けばきっと全部崩れる。そういうのが嫌でここまで来たんだから。
「飯……コンビニとか寄る?それともどっか行く?」
「コンビニがいいです」
「おっけ」
ザフ、ザフ、タン、タン。
通り道にあったコンビニで買い物を済ませ、レジ袋をぶら下げて並んで歩く。
ツウ、ツツ、ツウ、ツツ。
お互い自然と相手側の手が空になり、触れ合う。
どっちつかずな人差し指を、彼女の右手がそっと、
タン、タン、ザフ、タン。
そのまま歩き、マンションの前に着く。エントランスを抜け、エレベーターに乗る。八階のボタンを押して、ドアを閉める。
ゆっくりと上昇するエレベーターの中で、二人の呼吸だけが聞こえた。
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