第二十六話 逢いたさ募る、電話の声

文字数 4,737文字


 いろいろと整理しないといけない。
 まずは、秋葉原のメイドカフェの従業員から話を聞く件。
 当直勤務に就いた以上、出動要請以外ではウロウロと出歩くわけにはいかなくなった。しかし秋葉原署に無理を言っている手前、明日にしましょうと悠長なことも言ってられない。そこで山中課長と相談した結果、警部が垣内主任と行くことになった。
 垣内主任はもともと自分がバディを組んでいた相手で、それがいつの間にか警部とのコンビにすり替わってしまったことを些か苦々しく思っている様子が半分、自分のような頼りない下っ端のお()りから解放されてせいせいしている様子が半分のようで、それが自分には少しストレスだった。それでも結局は面倒見のいい性分のせいか、口では散々「めんどくせえな」と文句を言いながらも自分と警部のような若手コンビに手を差し延べてくれたのだった。
「――すいません、よろしくお願いします」
 警部が席を外したタイミングで、主任に礼を言った。
「おう。まあ話を聞く限りじゃ、そのアキバの事件は同一犯だとしたら何か意図的なモンを感じねえわけでもねえからな。従業員からそのへんのことを聞けるかどうかは疑問だが、とりあえず行ってくる」
「あの、それと警部のことですけど」
 部屋のドアに振り向いて、警部が帰ってこないのを確認して言った。「発言にいちいち引っかからないように気をつけてください。メンタルやられますから」
「どういうことだ?」主任は顔をしかめ、すぐにふんと笑った。「大丈夫さ、世間知らずのお嬢ちゃんの青臭いプライドをひけらかしたお喋りなんか、こちとらいちいち気にしねえから」
「それが、そうでもないんですよ。割とまともなこと言いますし、結構仕事に対する泥臭い考えも持ってます。ただとにかく、表現と振る舞いが高飛車で」
「……最悪だな」主任はため息をついた。
「ええ。あれはもう仕方ないですね。今までの経験と置かれていた環境の産物だと思います」
「ま、エリートにはありがちだ」主任は肩をすくめた。「おまえ、よくやってるよ」
 ありがとうございますとにっこり笑って頷いた。
「――あと、ちょっと休憩にカフェとか入ったら気をつけてくださいね。底なしに食べますから」
「えっそうなの」
「ええ。学生時代は大食いクィーンの称号を欲しいままにしていたそうです」
「分かった。気をつける」
「いろいろ言ってすいません」頭を下げた。
 そこへ警部が戻って来た。自分と主任のところへ来ると、こちらを見て「じゃ、行ってくるわ」と頷き、主任に振り返って車のキーを差し出した。主任が反射的に掌を広げるとその上に鍵を置き、行きましょ、と言ってくるりと踵を返して再びドアに向かった。
「なんだ――?」主任は右目の下をヒクヒクさせながら言った。
「主任、早速ダメですって。いちいち引っかかってちゃ」どうどう、という感じに両手をかざした。「相手はキャリアです、エリートです。つまりは雲の上の人間です」
「……先が思いやられるな」
 主任は不承不承といった様子で部屋を出て行った。
 ふう、疲れるなと思って肩で息を吐いた。

 引継ぎの報告書に目を通し、時計を見ると五時半だった。これから明朝九時まで、管内で起きるいろいろな事案に対応しなければならない。機捜(=機動捜査隊)で完結してくれればありがたいが、おそらくそうも言ってられないだろう。普段なら当直勤務の時間に合わせて事前に少し仮眠をとるのだが、今日はそれができていなかったから、途中で睡魔が襲ってくるかもしれない。あの昼食のせいで満腹で、風邪薬も飲んでいるし、ここはコーヒーでも飲んでしっかり目を覚まそうと自販機コーナーへ向かった。

 朝専用と謳ったコーヒーを買って、そばの長椅子に腰を下ろした。勤務開始早々席を外して文句を言われるかなと思ったが、気のせいか、警部と行動を共にするようになってから上司に小言を言われることが少なくなったように思う。それは自分が見捨てられたのか、あるいはなんだかんだ言ってやはりみんな警部に気を遣っているのか定かではなかったが、自分としては後者であってほしかった。
 プルタブを開けて一口飲んで、そうだマロンちゃんに電話しなくちゃ、とスマホを取り出した。
 三度目のコールで彼女が出た。
《――はい、もしもし》少し声のトーンが沈んでいる。
「あっ、今、大丈夫?」
《……はい……大丈夫》やっぱり、明らかに元気がない。
「都合悪かったらまたあとにしようか?」
《ううん、そんなことない。ごめんなさい、気を遣わせてしまって》声に少し張りが戻って来た。《せっかく電話くれたのに》
「いや、こっちこそゴメンね。それに、朝の電話でヘンなこと言っちゃって」
《……そのこと、意味が分かったの。ニュースでやってた》
 ――そうか。それで気分が沈んでいたんだな。
《被害に遭ったあのコ、知ってるの》
「えっ?」思わず声を上げた。「知り合いなの?」
《顔見知り以上知り合い未満……くらい。でも、前に一度、ウチの店の三人と、彼女の店の四人とで、女子会したことがあるの。そのとき一緒だった。座った席が離れてたから、個人的には話さなかったけど、明るくていいコよ》最後は少し涙声になっていた。
「そうなんだ」
《二宮さん、あの事件に関わってるの?》
「直接捜査してるわけじゃないけどね。秋葉原は警視庁の管轄だから」
《ねえ、何があったの? 何で彼女がそんな怖い目に遭わなくちゃいけないの?》
「まだ分からないことが多いんだ。彼女も、その――まだ話せる状態じゃないし」
《えっ、命が危険なの?》
「こっちでは詳しく分からないんだ。それでね、栗原さん――」
《奈那でいいです》
「えっ?」
《名前で呼んでください》拗ねるような言い方だった。
「あっいや――うん、じゃあ、な、奈那ちゃん。これはあくまでボクの個人的なお願いなんだけど、それに、朝言ったことの繰り返しになるけど、しばらくはバイトを休んで、アキバにも遊びに行かないで欲しいんだ」
《また私たちみたいなメイドカフェの店員が狙われるってことですか?》
「そう決まってるわけじゃない。さっきも言ったように、今はまだ分からないことだらけなんだ。だけどとにかく、ボクはきみに危険な目に遭って欲しくない。バイトに行けないとお金が入って来ないからしんどいとは思うけど、もし可能なら実家に戻るとかして――」
《大丈夫です》少し声が明るくなった。《ちょっとくらいならバイトしないで暮らせるよう、貯金もしてるから》
「あっそうなんだ」とこっちも少し笑った。「でも、その貯金を使わせてしまうのは申し訳ないな。ボクの無理なお願いで」
《ううん平気。だって二宮さん、奈那のこと心配してくれてるんだもの。嬉しい》
「心配するよ。というか心配したんだ。最初、アキバのメイドカフェに勤める女性が被害者だって聞いたとき」
 立ち上がり、空になったコーヒー缶をゴミ箱に捨てた。「……生きた心地しなかった」
《えっ……》
「あっごめん、ちょっと大袈裟だったかな」
 彼女はふふっ、と笑い、それから言った。
《実はね、今、実家にいるの》
「えっそうなんだ。やっぱりそうすることにした?」
《違うの。最初から今日は帰る予定だったのよ。お父さんにバレンタインのチョコレートを渡しに》
「え、今ごろ?」
《そう思うでしょ。わざとなの。小学校六年のとき、初めてお父さんにバレンタインチョコあげたのね。そしたらお父さん、ウチは和菓子屋だからバレンタインにチョコレートをもらうなんて抵抗がある、なんて言うから、じゃあウチはバレンタインは無しだね、って言ったら、それはそれで寂しいとかで、仕方ないからちょっと日にちをずらして渡すってことにしたの》
「なるほど。和菓子屋のプライドだね」
《うん。それも何だかなぁって思うけど。しかも結局は貰うって、ちょっとセコくない?》
「お父さん、奈那ちゃんから貰うものは何だって嬉しいんだよ。だからそんな機会をみすみす手放したくないんじゃないかな」
《だったら潔く、バレンタインデーに貰っとけばいいのにね》
 そう言って彼女は笑った。良かった、気持ちが晴れてきたらしい。きっと表情もいつものようにぱっと明るく変わっているに違いない。
「きみのこと、本当に可愛いと思ってらっしゃるんだね」
《そうかなぁ》
 ――分かる。出会って十日ほどしか経ってない俺だってめちゃくちゃ可愛いと思うもの。
《二宮さん》
「あ、はい」
《逢えませんか》また少し沈んだ声になっていた。《……逢いたいです》
「ボクもだよ」即答してしまった。「明日――夜勤明けだから」
《明日? ホントに?》たちまち声が弾んだ。《あ、でも今夜は実家に泊まって、明日は少しゆっくりするので、明日の午後か――夕方くらいだと嬉しいんですけど》
「大丈夫だよ。ボクもそのくらいの方がありがたい」
《嬉しい。もうお酒は飲みません。反省してますから》
「はは、それはいい」
 じゃあまた、明日連絡するよと言って切ろうとすると、待って、と彼女が言った。
《――心配してくれてありがとうございます。二宮さん、やっぱり優しくて素敵な人。好きになって良かった》
 どストレートな告白にまともな返事ができず、「あ、ああ、じゃあ」と言って電話を切った。

 ――ああ、なんだろうこの幸福感。こんなことってある? あんな可愛い子に、ここまで好かれるなんて、ちょっと信じられないんだけど。俺明日死ぬんじゃねえか?

 そばに置いたスマホを眺め、たった今の彼女の言葉を思い出してデレッとしていると、急にあることを思い出した。――中川だ。まずい、最後に位置確認してから二時間近く経っている。
 スマホを取って地図を開き、左右にスクロールして目印を探す。すると中川はみなとみらいに移動していた。目印の立っていた地点にはイタリアンレストランがあった。
 家族で食事ならいい。だがもし遠藤さんにつきまとっているのなら、見過ごすわけにはいかない。
 遠藤さんに電話を掛けた。五回のコールで反応があった。
《――二宮さん?》
「すいません突然。遠藤さん今、どこにいらっしゃいますか?」
《今ですか? ちょうど仕事を終えて、リハビリセンターを出るところです》
 ――良かった。どうやら今日の中川は家庭サービスの一日を過ごしているようだ。
「いえ、それならいいんです。このままご帰宅の予定ですか」
《いいえ、今日はこれから、大学時代の友人と食事の約束をしています》
「それはどちらに?」みなとみらいは避けてくれ。
《……まだ決めていませんが、久しぶりに中華でもどうかなと思っています》
「いいですね。中華街は名店選びに困りません」
《……あの、どういうことなんでしょうか? 何があって――》
 大きな声では言えない方法を使って中川を監視していて、やつは今みなとみらいのイタリアンレストランにいるとは言えなかった。
「特に何もありませんよ。ただ、この前のことがあってから、どうなさっているかなと思っただけです」わざと明るく言った。「念のため、お帰りはあまり遅くならないようにしてください。ご自宅まではできればタクシーで」
《……分かりました。ご心配いただいてありがとうございます》
 よろしくお願いしますと言って電話を切った。

 ――ひとまず安心だな。綱渡り感は否めないけど。

 スマホをポケットにしまい、大きく伸びをして前方に視線をやると、今夜一緒に当直勤務に就く三係の嶋田(しまだ)主任が仁王立ちしていた。やばい。
「……二宮、おまえなに呑気に休憩しとんのや」
 なまはげのお面にそっくりな顔をした主任は、地の底から響いてくるような低音の関西弁で言った。
「すっすいません――」
 飛び撥ねるようにして立ち上がると、また頭がグラッとした。

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