白い壁の小さな教会

文字数 1,930文字

 


 鈴香は窓際のテーブルにもたれかかって、祭壇の十字架を見上げていた。
 テーブルは集会所に置かれているような、そっけなく、古ぼけたメラミン合板の折り畳みテーブル。
 木製の窓は白いペンキで塗られているが、明らかに素人の手によるもの、縦羽目板の壁も同様だ。
 おそらくは神父様がご自分で塗られたのだろう、不器用に塗られ、ところどころ凸凹したり、斑になったりしてはいるが、神父様の手の痕跡が残っていて、その手の暖かさも塗り込められているような心地がする。
 
 ここは鈴香が育った小さな町に唯一つのキリスト教会、信者が多くいるわけでもないので規模はごく小さく、3~40人も入ればいっぱいになってしまう。
 中学生の頃はそんな事を考えもしなかったが、今考えるとよくぞこんな教会が存続しているものだと思う。
 
 季節は早春、開け放たれた窓から、少しひんやりした空気とお日様に暖められた空気が完全に混じり合わずに斑になった風がそよいで来る。

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 もう15年も前のことになる。
 鈴香はこの教会でロバーツ神父様から英会話を習っていた。

 神父様はその当時50代半ば位だっただろうか……あまり外国人を見かけることのない小さな町なので、外国人の年齢ははっきりとはわからなかったが……。
 鈴香はその時、初めて英語を母国語とする外国人に触れた。
 テレビや雑誌では外国人も見慣れていたが、実際に英語を母国語とする神父様と接すると世界の広さを感じることが出来た、アメリカ、そしてイギリス、ヨーロッパ……。
 鈴香は外国語に夢中になり、東京の大学を目指して勉強に勤しんだ。

 英会話教室は中学生対象だったので、高校進学後はこの教会からも足が遠のいてしまった。
 ただ、神父様が体調を崩してアメリカに帰国されたと言う知らせを聞いた時、胸にぽっかりと穴が開いたような寂しさを覚えたのははっきりと憶えている。
既に受験勉強と向かい合っていた鈴香には、感傷に浸っている時間はなかったのだが……。

 大学卒業後は外資系の会社に就職、そしてその数年後、シアトルへ一年間の出向を命じられた。
 シアトルはロバーツ神父様の出身地、日本に来る前にいらした教会の名前も覚えていたので、休日を利用して鈴香はその教会を訪ねてみた。

「ロバーツ神父ですか、確かにこの教会にいらっしゃいましたよ」
 現在の神父様はロバーツ神父のことを覚えていた。
「残念ながら、日本から戻られて半年ほどで亡くなられましたが……」
 目先の仕事や楽しみにまぎれて、なんとなく塞がっていた様に感じていた心の穴……しかし、それを聞いた途端に表面に張っていた薄い皮が破れたような気がした。
「ええ、癌でした、日本にいらした頃、胃に癌が見つかりまして、それでこちらに戻られたのですが、肝臓に転移していまして……私が神父の仕事を引き継いだのですが、亡くなるまでの半年、しばしば病院に伺ってお話をしました、神父は日本の話をよくされていました、とても穏やかで暖かく、勤勉で慎ましく、そして忍耐強い人たちだと……とても熱心に英語を学んでいた少女の事も良く話されていました、たしか、名前をスズカと……」
「鈴香は私です……」
「そうですか、今も語学を生かした仕事を……神父もお喜びでしょう」

 自分が育った町の教会と比べるとずっと立派な教会、かつてこんなに立派な教会の神父でありながら、日本の片田舎の貧しく小さな教会で布教に努めた神父様の心……鈴香はその心に想いをはせた、そして、そんな神父様が自分を覚えていてくれたことにも……。
 ふと涙がこぼれ、その涙が、日々の忙しさにかまけてささくれ立っていた自分の心に沁みた……傷薬は塗った時はひりひりと痛む、しかし、痛みが収まれば傷を癒してくれるものだ。

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 鈴香は取り立てて仏教徒と言うわけでもないが、こうしてお彼岸やお盆には故郷に舞い戻って来る。
 もちろん、それは家族の行事だから、と言う一面もあるが、時々はこの教会を訪れたいからでもある、ここで十字架を見上げると、自分の心の中には今もロバーツ神父が生きているような心持ちがするのだ。
 
 いつか自分もこの世からいなくなる日が来る、その後、自分は誰かの心の中に生き続けるることができるだろうか……。
 そんな人になりたい……鈴香はこの教会を訪れるたびにそう思う。
 成功者になることよりも難しいことではあるだろうが……。
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