二度目の出会い

文字数 2,411文字

 だから、大学が同じってことすら、構内で鉢合わせるまで知らなかった。
 間違いない、ヤツだ。
 講義室から出てきた一団に、見覚えのある顔。
 あたしとすれ違っても、気付かないみたいだった。
 眼中にナシかよ。チッ。
 ずっと、同じ学校に通えたらと思ってた。
 だけど「住む世界が違うから」って、諦めてたこと。
 叶ってたんだ。
 知らなかった。諦めてた。
 今更叶っても、もう喜び方を忘れちゃったよ。
 あたしの心は、もうとっくに壊れてるんだ。
 もう、あの頃のあたしじゃない。
 奨学金も取った。この大学を出て、ちゃんとした会社に入って、たくさん給料をもらう。
 そしたら、もう、あんな悔しい思いはしなくて済むんだ。
「篠原星也」
 あたしは、そいつの名をフルネームで呼んだ。
 あいつは振り返る。端正な顔立ちだ。さぞかし、モテるんだろう。
「あんたもここの大学入ったんだ」
「ああ――優菜か」
「え? 誰? 元カノ?」
 隣のモブが茶化す。誰が元カノだ。
「何か用?」
 ――え?
「…星也…だよね?」
 星也は、顔をぴくりともさせずに言う。
「そうやけど。用がないならもうええ?」
 そう言うと彼らは校舎から出て行った。
 びっくりして茫然としていたが、だんだんムカついてきた。
 あいつは、星也じゃない。
 あいつは泣き虫で、バカで、のんびり屋で、わがままで、どっちかと言うと「癒し系」のタイプだった。
 なんで、あんなふうになったのかは、分からない。いつから変わった? 思春期から? 反抗期から? いや、その頃の星也と話したこともある。そんな口調じゃなかった。よくわからない。双子? 二重人格? 大学デビュー?
 あたしもあたしで、奨学金のために勉強ばかりしてたから、高校生の頃はほとんど会ったことがない。その頃に何かあったのか?
 じめじめ湿った梅雨の夜。そんなことを考えながら、いつものようにぼんやりベランダを眺めてたら、やつがバルコニーに出てきた。あたしを捕捉して、手招きをする。
 じわっとした生ぬるい風が、肌にまとわりつく。
(こんなふうに、ベランダに出るのすら、何年ぶりやろう)
 何年ぶりでも、違和感はなかった。幼少期は、ほぼ毎日こうやって星也と話していたのだ。体が覚えている。
 あたしはそっと振り向いた。家族はテレビに夢中である。
 暖かくなった。もう、大学二年生の春だ。就職活動も始める時期。
 あっという間に大人になったんやね、あたしたち。
 久々に見る星也は、もう誰がなんと言おうと男の人だった。もう泣きわめかないし、奇声も発しない。なんかおしゃれなブラウスなんかを着てバルコニーに佇むその姿は、やっぱり王子様みたいだった。
(オレ様系にして、モテるとでも思ったんやろか)
「東京の大学に行ったと思ってたわ」
 あたしは努めて明るい声を出す。
「近くにいい大学があるやん。それに、俺がまだ住んどるのも知らんかったとか」
「生憎、あたしも忙しいんで、お隣さんの動向なんて知りませーん」
「優菜が通ってるち知っとったら、もっと早く会いに行ったとに」
「頼んでないから」
 あたしがぴしゃりと言うと、星也は黙った。
「なんであんなチャラい系にしとったん。一瞬ドッペルゲンガーかと思ったわ」
「俺、外ではあんな感じ」
「嘘。いつから?」
「小学校から」
 嘘だあ、とあたしが言いたくても、ヤツの顔は、なぜか悲痛そうだったので、飲み込んだ。
 男子にも色々、あるんやろか。
「…俺はさ」
 星也が先に口を開いた。
「こげな家に住んでるち、誰にも言ってないくさ」
「え」
「コンプレックスたい、裕福なんが」
 裕福なのが、コンプレックス?
 そんな人おる?
「でも、私立やったし、みんな裕福やろ」
「私立じゃなか、国立たい」
 え。国立やったんや。知らんかった。
 こういうのは親伝てに聞いたりするのかもしれないが、うちは親の関わりが一切ない。
「だから、ありのままでいられるん、優那とだけったい」
 …んっ?
 えっ、待って何この流れ。
「俺は、優菜が好きたい。でも、嫌われとんのは分かっとる」
「はぁっ!?」
 わたしは声に出して叫んだ。
 嫌ってなどいない、嫌ってなどいない。断じて嫌いではない。
 私が、私を許せなくなるから、おまえが怖いだけだ。
「もう、二度と話し掛けない。それだけ伝えたかった」
「待っ…アホやなか!?」
 思うより先に、足が動く。
 宙を舞って、バルコニーまでダイブ。
 小学生まではできたんだ。二十歳にだってできないはずはない。
 彼の胸に飛び込む。まぁ、飛び込むって言うか、突き飛ばしたけど。二人で部屋にころがり込んだけど。
 星也は、目を白黒させてる。かわいい。それからふっと目を細めた。
「空から降ってくるなんて、まるでお姫様みたいやね」
 いや、そのポジションはアンタだろ。
「あたしの王子様は、あんたやし」
 ん!?
 ツッコミと告白が混ざって、めちゃくちゃ恥ずかしい台詞になっとるばい!
「いやっ、今のは勢いで…」
 ぎゅうと抱き締められて、言葉を止められた。
「もう離さない」
「離して」
「嫌だ」
「みんな見とる!」
 二人でアパートの方を見れば、アパートじゅうの人がこちらを見てニヤついている。姉と妹も、その気色悪い笑みをどけろ。
 隣に立ってるヤツは、恥ずかしくもなんともないという顔でニコニコしている。
「やれ、兄ちゃん!」
「キスば! キスばしーや」
「…」
 二人で黙りこくった。
「大学では俺のキャラに合わせてくれんか?」
「何? 亭主関白に酔いしれるメンヘラ女にでもなれと?」
「いや、お前は普通でええけども」
「幾らで?」
「…は?」
「その口裏合わせ幾らでやらせるんか?」
「は、金取んの? 彼氏から?」
「嫌ならバラしたってもええけど、家でどんなに…」
 私が言い終わる前に、彼の顔が近づいて、唇が触れる。
「…代わりに、キスじゃあかん?」
「…悪くなかね」
 お隣の王子様は、やっぱりあたしの王子様やった。
 口笛も、野次も歓声も、もう聞こえない。
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