文字数 4,216文字


「あーあ、行っちゃったね」


そういって温もりの残った腕をその男は強引に引っ張っていく。

「え、ちょ、なに、え、誰。離して」

「俺?忘れたの?和磨の弟の麻旺だよ。まーお」
ちょっと話したいことあるからついてきてよ、そういって腕をひく彼は確かに見覚えがあった。

兄弟なのにあまり似ていない色素濃度。
光に透ける毛質は彼とは程遠い。

一度だけ彼の家で出会った気がする。


でもなぜわたしが彼に腕を引かれているのかのこたえには全くなっていない。

「ねぇ、待ってどこに行く気よ」

「あのさー、」

わたしの問いかけに答える気は微塵もないのだろう。

歩を進めながら突然遮るように大きな声を出した。

「あいつの腹の子、俺の子かもしれないって言ったらどうする?」

挑発するように下からわたしの顔を覗き込んでそう告げる。

「…え?」

「やっぱそうなるよね~」
わたしの反応を見ながらもどこかおかしそうに笑いながら淡々と嘘か本当かもわからないことを彼は吐き続ける。

「俺と麗華さ、実は付き合ってたんだよね~。でもさ、突然俺の兄貴と結婚する、っていって振られたわけ。で、今日の式。当然家族だから参列しなくちゃいけない訳で?まーきついったら。家族は俺たちが付き合ってたの知らないからさ、こんな綺麗なお嬢さん捕まえちゃって~ってもうお祭り気分。バカみたいだよな、俺と兄貴は実の兄弟でもあり穴兄弟でもありま~す!って」

「ねぇちょっと待ってそれって…」

どうして彼はこんなにも楽しそうに残酷な現実を受け入れられるんだろう。



まるで、


演技をしているみたいだ。

「そう、弥里さんと同じ。捨てられたの俺も」


そんなこと、あっていいの。

「だから~この辛さ、弥里さんならわかってくれるかな~ってだからさ」

慰め合おうよ。

とても、とても嫌な予感がした。

「ちょっと意味わからないんだけど!麗華はあんたと付き合ってて、妊娠もして、でも本当は和磨と麗華が付き合っててあの二人が今日結婚したってこと?」

「そーそー。俺もあんまり考えたくないんだよね~」

「そ、それに慰め合うってどういうことよ、そんなこと求めてないんだけど。それに慰め合うって、何するのよ」

「え、弥里さん岩盤浴とかでもいくつもりなの。そんなんで慰められるわけないじゃん、大人の付き合いしようよ。弥里さんも寂しいんでしょ?」

そう言いながらぐいぐいと引っ張って誘導というよりも連行に近い強引さでどこかに向かっている。

きっとこちらの話を聞く気なんて全くない。

「寂しい?そんなことないわよ。わたしも何も考えたくないもの…もう断ち切りたい。あなたもそうじゃないの?」

「残念ながら俺の場合切りたくても切れないもんで。家族だから。ねぇ弥里さん、代わりになってよ麗華の」

ほら?利害の一致でしょ。お互いの穴、俺たちなら埋められるし。


この人は馬鹿なんだろうか。

身代わりになんて絶対にだれもなれないし、必要ない。
わたしは彼が、彼だけがいればそれだけでよかったのに。
代用品なんて必要ない。
意味がない。

「わたしはそんなの必要ない」

そう真っすぐと相手の目を見ていった。
振り払おうとして思いっきり腕を振ったのに、相手はさらに強い力で絞めてきた。

「えーそうなの?じゃあさ、人助けだと思って。俺さーさみしいんだよね。弥里さんってどこか麗華に似てるし」


「それがなに?わたしには関係ないよ」


「それがさーもう着いちゃったんだよね」

5分ほど歩いていたのだろうか。

気付いてはいた。
でも今日私はもうこのまま土地を去る予定だったから、こんなところに来る予定はなかった。

そこがそういう名目のもと建てられたものではないとしても、きっとこの男の目的はそこで繰り返される行為と同じだろうと、電流のように嫌な予感が駆け巡る。



「ねぇあんたここで何するつもり」

「その質問の仕方だと、おおよそ予想ついてるんじゃないの?そうだよ、たぶんそれであってるよ」

平然と言ってのける。
余裕そうに構えたその力のない目が不気味で、その下についた口からでる言葉に恐怖心を覚えはじめる。

男はとまらない。

エントランスを通り抜け、挨拶をしてくる従業員には目もむけず、上向きに書かれた三角を押す。

その場に居合わせた箱がわたしを喰うように口をあけた。

当然のように乗り込み13のボタンを押した。

黒いジャケットからスマホをとりだす。その画面には16:34という数字が浮かんでいる。


男の一挙一動をぼんやりとどこか異空間をみつめるように観察する。

こんなことをしている場合ではない。
わかってはいる。


あの嫌な目でこちらを見下ろしているのが気配で分かる。

どうして、はやく。ふりはらえ。


ふわりとした揺れの後に、静かに到着音が響く。

開いていく扉を掻い潜るようにしてすり抜ける。そのまま腕をひかれ、1321と書かれたドアの前につく。

少しでも自分を強く見せたくて履いたいつもより3センチ高いパンプスのかかとに思いっきり力を入れる。

いつから握りしめていたのだろう。真っ白になったこぶしを、身を守るように引いた。


「あれ?おとなしくなったとおもったら、ここにきて抵抗するんだ。往生際が悪いな~」


「なんでこんなところ、つれてこられなきゃいけないのよ。帰る、離して!」

そう空いている間に、カードロック式のドアにすっと鍵をかざしている。

ロック解除の音が響いた瞬間、今までの比じゃない力で腕を引かれた。

いたっ、と思わず声がもれるほど。


電気をつけないまま、予想通りシーツの上に投げ飛ばされた。

間髪あけずに、わたしの上に影が落ちる。

抵抗する暇もなかった。
そうだよね。男の力に敵うはずないよね。



「大人の慰め方っていったら酒飲むかセックスしかねぇよな。あいつらもこんなことしてたんだよな。麗華には俺がいて、兄貴には弥里さんがいたってのに」


はっ、と吐き捨てるようにいうその表情には悲しみが宿っていてもおかしくはないのに、…なにもみえない。


「もう過ぎたことでしょ、あの二人のことなんかおもいだしたくないわ!」

ベッドに肘をつくようにして上半身をおこそうとしたけれど、肩を思いっきり押されてさらに深く沈められる。


「あのさぁ、さっきも言ったけど慰め合おうよ。それにさ、俺と弥里さんがつながるなんてあいつらからしたら恐怖の対象でしかないじゃん。ずっと傍でさ、俺たちであいつらの幸せぶっ壊してやろうよ」

麻旺くんは本気で麗華を好きだったのだろうか。

「そんなこと全く興味ないわ。わたしは麗華にも和磨にも幸せになってほしいと思ってる。だから、ごめんなさいその提案にはのれないわ」

それをきいた彼の目にさらに陰が増した。

「…へぇ~。それさ、同じこと俺の顔みていってみてよ」

「…麗華にも和磨にも幸せになって…」

「ねぇ今どんな顔してるか気づいてんの?会場でも思ったけどあんたひどい顔してるよ。到底人の幸せをねがってるようなもんじゃないよ」

「やめて!確かに最初は信じられなかったし死にたいと思うぐらいつらかった。でも!でも、一度好きになった人の幸せぐらい、願えるわ」

ずっと、大好きで愛してた人が突然人のものになった。


彼が選んだ幸せを、邪魔することなんてできなかった。


引き留めることなんてできなかった。


あのとき私がこうしていれば、今のこの瞬間はもっと違っていたのかもしれない。


そんなこともう何万回も考えた。
でも彼は今わたしの隣にいない。


それがすべてだ。


彼のとなりにいないわたしができることなんてひとつしかない。


どうかわたしといたときよりも幸せな日々を彼がすごせますように。


ただ、願うだけ。



「そんなのさ、綺麗事だよね」

「だってさ、あんたがそうやって思っている間、兄貴はあの女とこういうことしてたんだよ」

そういって広がったスカートのすそから手をさしこむ。パンスト越しにぬるい体温がまとわりつく。

「やめっ…」

「こうやってさ愛を深めてたんだとおもうよ」

首元に同じ温度の湿りが這う。

「…いやっ」


「耳元でさ、いつも自分に愛をささやいてた声で自分とは違う名前を呼んでたんだろうね」

そのまま耳殻をなぞるようにして唇が北上する。

ピアスごと食うように一度噛んだ後、聞こえた“麗華”と呼ぶ聞きなれた声に、張り詰めた糸が音もなくきれた。

「あーあ、泣いちゃった。」

一度身を引いて私の顔を覗き込んだあと左手の親指の腹で掬い、雫の残る左目にそっと唇で触れてきた。



「俺、兄貴となーんにも似てないけど1つだけ似てるところあるんだよね。この声であの女の名前を呼んだらリアルに想像しちゃった?それでつらくて泣いちゃった?」


そう。あの聞きなれた、一番好きな人の声。

わたし以外の名前を愛しそうに呼ぶそんな声聞きたくない。




なにかが壊れていく音がする。
きこえるはずもない。


「そんなんになってもまだあいつらの幸せが~とか言ってられるの。ほら、さっきみたいに答えてみなよ」


「もう、やめて…こんなことして、どうしたいの」

「弥里さんを慰めてあげてるんだよ。あぁいいこと思いついた。目、閉じなよ。それとも塞いでおいてあげようか?」

そういってさっきと同じほうの耳に近づき、彼はわたしの名前をその声でささやいた。


奪われた視界のなかで浮かぶのは彼の笑顔で。

逆らうように、胸倉をつかみ上げてさっきまでわたしがいた場所に男を押し込んだ。



「…ずっと、愛してたのに」


こんなこと想いたくなかった。こんな日がくるなんて思わなかった。日常なんて壊れてしまえばいいと思った。


「…俺を利用しなよ」


そういう彼に自分の汚さが堰を切ったように溢れ出た。
もう途中からは何を言っているのかわからないほど。
2人が隣に並んでる姿をみておもったこの汚い感情もすべて吐き出した。


そのときなぜか、初めて彼が“生きた”人の目の色をした。







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