1話完結

文字数 1,998文字

「飲み過ぎた」
 二日酔いでズキズキする頭を押さえながら冷蔵庫の中の缶コーヒーを取り出し、ベッドに腰掛ける。いつもの平日なら、ニュースを見ながら慌ただしく朝食を済ませ、ワンルームの部屋を飛び出して会社に向かうところだが、今日はそんな気になれない。
「休むか……」
 テレビのスイッチを入れてコーヒーを口に流し込む。味がしない。

 昨日の夕方、部長に呼び出され、下請けの運搬業者が建設廃棄物の不法投棄で警察に聴取されていると聞かされた。俺はその下請け業者の担当だった。それで、部長は直々に俺を呼び付けたのだ。
 下請け業者が不法投棄したのは、俺が指示したからだ。ビルの建て替え工事のコストを削減するため、廃材は正規に処理せずに不法投棄するという会社の決定に逆らえなかった。いや、深く考えず上司の命令にただ従っただけだった。
 下請け業者は不法投棄を嫌がった。何の利益もないのに、法律違反を犯したくはないだろう。当然な反応だったが、俺は何としても引き受けさせねばならないと思っていた。それが俺の仕事だからだ。下請け業者に「今後、仕事を回せなくなるかもしれない」と脅し、無理やり不法投棄を承諾させた。その業者はダンプカー一台で営業している個人事業者で、当社から受注した仕事が大半を占めていたので断れないのはわかってのことだった。弱みを突いたのだ。
 警察沙汰になったと聞かされて青くなった俺に向かって、部長は厳しい表情で「警察が来るかもしれない。わかっていると思うが、聴取されても、当社が不法投棄を指示したとは決して言うな。下請けが勝手にやったことにするんだ」と釘を刺してきた。
 俺が何も言えないでいると、部長は穏和な表情に変えて「武田君、君は新卒で入社して十年になるだろう。係長になってもいい頃だ。次の人事を期待して待っていなさい」と言ってきた。露骨な懐柔策だが、俺は「ありがとうとございます」と返答して頭を下げるしかなかった。そうしなければ、会社に居られなくなるのはわかり切っていた。
 俺は退社時間になると直ぐに会社を出た。フラフラと街中を彷徨い、賑やかそうな居酒屋に入った。酒を飲みながら、失業する訳にはいかない、結婚もそろそろしなければならない、ヘマをした下請けが悪いんだと自分に言い聞かせた。その度に、以前下請け業者に見せられた家族写真が浮かんだ。父親と母親に挟まれて幸せそうに笑う幼い女の子が写っていた。
 立場の弱い下請けが指示されて不法投棄したと判明したら、業者の罪は免れなくとも、軽くはなるだろう。投棄した廃材の処理費だって負わなくて済む。だが、下請け業者だけに罪を被せてしまえば、業者が全ての責任を負うことになってしまう。家族は、あの女の子はどうなるだろう。嫌な結末が脳裏に浮かんだ。それを払い除けるように次々に酒をあおったが、酔えなかった。

 重苦しい気分のままコーヒーを飲み干し、ぼんやりテレビのニュースを見ていると、中継画面に変わった。レポーターがマイクを持って線路脇に立っている。
 ――踏切で立ち往生した車椅子のお婆さんを助けようとして、男性が始発電車にはねられました。二人共、病院に搬送され、お婆さんは軽傷、男性は重体とのことです。男性はこの近所に住む消防士のハクタカヒロノジョウさん三十二歳です。
 思わず身を乗り出して画面を凝視した。
「ヒロだ!」
 小学校卒業以来会っていないが、同じ年でこんな珍しい名前の奴が二人といるとは思えない。幼馴染みの白鷹広之丞だと確信した。
 白鷹広之丞は小学生だった頃の同級生で、ヒロと呼ばれていた。ヒロはヒーローごっこが好きで、卒業文集の夢の欄に「いつか本物のヒーローになる」と書くほどだった。
 ヒロのヒーロー好きは遊び以外でも発揮された。先生に不当に扱われている奴に代わって抗議したり、骨折した奴の荷物を持ってやったりしていた。俺も上級生にいじめられている時に助けられた。
 俺はヒロに「友達ならわかるけど、どうして知らない奴まで助けするんだ」と尋ねたことがある。ヒロは「困っているのを知ってて、見ていない振りをするのは卑怯だろ。ヒーローは、卑怯な真似はしないじゃないか」と笑顔で答えた。「痛い目に遭うこともあるだろう。怖くないのか?」と訊くと、ヒロは「怖いよ。でも、こうすると勇気が湧くんだ」と言って、右手で胸を二回叩いてから拳を突き上げてみせた。変身ヒーローのポーズだった。
 テレビの画面が変わり、別のニュースに切り替わった。
「ヒロ、お前は本物のヒーローだよ。死ぬなよ」
 テレビに向かって話し掛け、意を決して立ち上がる。
 素早くスーツに着替え、出社するために玄関に行って立ち止まった。一度深く呼吸してから右手で胸を二回叩き、拳を突き上げる。
「俺は卑怯者にならない!」
 自分に言い聞かせるように大きな声を出してドアを開けると、朝日に包まれた町が現れた。

<了>
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