なんでもない日

文字数 1,498文字

『ほら、もう起きなさい。遅刻しちゃうわよ』
 早起きが苦手な僕はいつもこうして親に起こされる。朝食を済ませると、通学カバンを背負い、お気に入りの黄色い帽子を被る。ようやく学校に通えるようになり、僕もとうとう一年生になったのだ。
 家を出る際は必ず義足を装着しなければいけない。これが無ければまともに外も歩けない。でもこれは僕の問題ではない。義足がなければ外出もままならない環境が悪いのだ。だから僕は自分の体を不便だと思ったことは一度もない。

 通学路でいつもの相手と出会う。同じ学校に通う仲間だ。
「やぁ、おはよう。今日もまた随分と眠そうだね」
「毎日親に起こされてるからね。自分のタイミングで起きたためしがないよ」
「ならいっそのこと切っちゃえば?」
「それで遅刻したら、どう責任取ってくれるんだよ」
 僕だって、通信拒否にしてしまおうかと何度も考えたけど、やっぱりモーニングコールがないと困るのは僕なのだ。
 そうこう話しているうちに高校が見えてきた。僕は先生と別れて、自分の教室の席に着いた。それから担任がやってきて授業が始まる。
 担任の授業は分かりやすくて面白い。こうした一対一の授業は、僕の理解度や得手不得手をよく分かってくれるのでありがたい。

 午前の授業を終え、昼食を求めて購買へ行く。販売員が僕をじろりと見てくる。その視線を気にしながら、僕はサンドイッチに目をつけた。販売員が他の生徒に視線を向けている隙に、サンドイッチをさっと掴んで何食わぬ顔でその場を離れる。
 教室に戻って、ようやく緊張が解ける。購買に行く時が人見知りの僕にとって最も緊張する場面なのだ。携帯端末を見てサンドイッチ分の金額がしっかりと口座から自動引き落とされているのを確認した。
 僕の担任は今ごろ薬を飲んでいるのだろう。あの病的なまでに痩せた体で、毎日主食のように服用している。もちろん、高栄養価のサプリメントなので食事はそれで十分なのかもしれないが、僕はやっぱり本物の食べ物から栄養を取る方が生き物らしくていいと思う。

 帰宅してすぐ義足を外し、スカートも脱ぐ。体がふわりと浮くような身軽さが心地いい。
 それから筋力維持のために行う電気刺激装置のパットを全身にペタペタと貼り付けていく。チクチクとした刺激がくすぐったくて苦手なのだが、毎日やらないとすぐに筋力が落ちてしまう。
 それを終えると、夕食前のシャワーで汗を流す。僕は上の脚から洗う派だ。

 夕食を済ませると、窓辺の椅子に腰掛け、趣味の望遠鏡を覗き込む。木星の縞模様、土星の輪っか。ここから見える星は綺麗だ。親の反対を押しきって、単身ここに引っ越してきた甲斐があったというものだ。
 それから外せないのは、水の星、地球。今でこそ美しいが、かつてはこの辺りに棲む原住生物が自らの稚拙な科学と倫理観を以て同族で殺し合い、母星ひいてはこの星系さえも蝕んでいた。それを宇宙環境保全委員会が害獣として駆除したのは有名な話。
 再生が始まってから、地球の公転で千二百周ほどが経った。その美しさから地球に住む人もいるが、僕はここ地球衛星の月から眺める方が好きだな。
 一つ難点を挙げるなら、重力が少し弱いかなってところだろう。体が安定しないから、活動補助用に装着する義足が必須だが、今さら脚が四本増えたところで大した数じゃない。
 地球といえば、あの星には同一種で雌と雄がいるケースが多いらしい。僕たちのように、雌雄同体なら誰とでも愛し合えるというのに。

 さぁ、明日も学校だ。どうせ明日も母親のモーニングコールに起こされるんだろう。そんな毎日だけど、こういうなんでもない日が幸せだなとつくづく思う。
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