幸運な人

文字数 2,310文字

「どんな願いも叶えましょう」
 天からの声が木漏れ日のごとく男に届いた。
 これと言って劇的な人生でもなく、信心深いわけでもなく、たまたま近所の寂れた神社に立ち寄っただけの自分が何故……。
 誰かの悪戯かと周囲を見回すが人気もなく、おかしいと自覚しつつ空を見上げるも、当然、木々の間から青空が見えるだけだった。
 これが幻聴でないとしたら、まさに奇跡的で、神秘的で、神の思し召しによる幸運である、そう解釈するしかなかった。

 男は叶えてもらいたい願いを考え始めた。
 お金――あまり高額では金銭目的の輩にたかられ、強盗に命を狙われる危険もある。かといって少額では神様に叶えてもらう願いとしてはもったいない。
 女――ハーレムは全ての男にとっての夢だが、自分を取り合って女同士で喧嘩を始めるかもしれない。それにその女達をどう養っていけば良いのだろう。
 では最高の女一人ならどうか。しかし彼女が魅力的すぎると、他の男達からの横恋慕に心労が絶えないかもしれない。
 世界平和――子供じみているが、誰もが共通して願うことではないだろうか。しかし、平和とはどんな状態を指すのだろう。神の一存によって与えられる平和は、何が起こるか未知数だ。
 環境問題――地球温暖化、海洋汚染、こうした大自然との戦いは神頼みでもしないと容易に解決できないことだろう。しかし、これらの原因の多くは人間の行いによるもの。己の過ちを正さなければ、再び同じ問題が発生するだろう。

 しばらくして男は一つの願いを決めると、天に向かってそれを唱えた。
「私を幸運にしてください!」
「叶えましょう」
 それきり天の声は聞こえなくなった。特に変わった様子もなく、だんだん本当に幻覚だったのではないかと不安になった。

 神社を出た矢先、美女がすれ違いざまハンカチを落としていった。偶然にも美女は男の高校時代のマドンナだった。この再会がきっかけとなり、二人はトントン拍子で結婚にまで至る。
 幸運と言えばと購入した宝くじ。初めの当選額はわずか五百円だったが、繰り返し購入していくごとに当選額は上がっていき、ついに一等一億円を当て、一戸建てを買うことになった。
 三人の子供に恵まれ、これといった病気もなく、仕事も順調。
 全てはあの神社で願い事をした直後からであることを男は一時も忘れることなく、感謝のお参りをするのが日課になった。

 これ以上ないと感じるほど幸せに満ちた日々を送っていたある時、隣家に強盗が入り、住人が殺された。犯人はすぐに捕まったが、「金がありそうな家ならどこでも良かった」という犯人の供述に男はぞっとした。
 またある時、男の子供が小学校から下校する途中で車の交通事故にあった。幸いにも子供は無傷だったが、少し後ろを歩いていた別の小学生が跳ねられ死亡した。
「こう言っては悪いけど、不幸中の幸いだったわね」
 妻の言葉に男はハッとした。自分が幸せ? そして気付く。人は相対的に幸せを感じるものであるということに。隣家の住人も、後ろの小学生も、自分が幸運であることを認識するための相対的な不運として、神に殺されたのだ。

 月も出ていない深夜、男はあの神社へ駆け込んだ。あれ以来二度と聞くことのなかった天の声を求めて、男は願った。
「神様! どうか世界中の全ての人に幸運を!」
「叶えましょう」
 直後――、
「キャアァァッ!」
 突然の悲鳴。境内の外が眩しい。来るときには無かったスポットライトが若い女を空中に吸い上げていた。周囲でライトの数が増していき、ついには真昼のようになった。
 そして男も光に包まれた瞬間、反重力でふわっと体が持ち上がる。内臓が浮く感覚、踵が地面から離れ、爪先も離れた。暴れても叫んでも天高く浮いていく。自分の身長よりも高く、神社の木々も見下ろし、社の屋根も見下ろし、もう自分よりも高いものがなくなっても、まだ浮き続ける。周りでは何十何百という米粒大の人達が同じように吸い上げられている。抵抗もままならず、視界いっぱいが光で満ち……、もう何も見えなくなった――。

 男が目覚めると、真っ白な部屋のカプセル型ベッドにいた。体を起こし見回すと、人が入っていたりいなかったり、カプセルから出ている人も多い。
 自身の体を確認するが、服は変わらず同じものを着ているし、手術痕のようなもの見当たらない。
 自動ドアから出た長い通路も真っ白だ。ちらほら見える人達は一様に同じ方向へ向かっているので、男もついていった。

 少し広い空間に出る。一面だけ真っ黒な壁があり、そこにたくさん人が集まっている。男は妻と子供達を見つけ、互いの無事を確認しあった。
「あなた、ここどこなの!?」
「さぁ……、まるで映画に出てくる宇宙船みたいだな」
「ヤァ、ミナサン。オ怪我はアリマセンか?」
 不思議な抑揚の機械音声が広間全体に響く。真っ白な宇宙服のようなものを着た人物がやってきた。
「事態は急を要シタので、言語の翻訳が間に合ワず、説明ナク収容シたコトをオ詫ビシます。ミナサン、アチラをゴ覧下サイ」
 指差された方向は、真っ黒な壁だった。男は人を掻き分け進む。それは壁ではなく窓、映っていたのは宇宙空間だった。
 遠くに夜空の月くらいの大きさになった青い地球が横向きであった。地球がひっくり返ったのかと男は内心動揺したが、そもそも宇宙に上も下もないよな、と平静を取り戻す。
「下ですね」
 下を見る。打ち上げ花火のように光線が上がってきて――衝突! 地球を粉々にブッ飛ばした。
「偶然ワレワレが発見シナカッタら今頃ドウナッテイタいたコトか。デモ奇跡的に全テの人を救イ出セタので良カッタです。イヤァ、ミナサンはトッテモ幸運ですよ!」
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