敦盛と蓮生

文字数 3,501文字

 須磨の一ノ谷を訪れた蓮生は里人に乞われ、滅び去った平家の公達を盛大に執り行った。
 そのあと彼は里から離れた荒寺で一人誦経をしていた。一人で想ふことこそ人は知らねど。荒れ果てた板目の僧坊で過ぎたる合戦の熱さと激しさを思い浮かべていたとき、ただ一本の蝋燭の炎が風に揺らいだ。すると広い法堂の暗闇の中に誰(た)れか佇む人の影。

 妖魔か!蓮生は数珠を鳴らし経を誦(よ)む。

 突如若く高らかな歌の声。
「淡路潟」
 和歌の朗詠か。
「かよふ千鳥の声聞けば」
 源兼昌の歌のやうだが少し違う。
「寝覚めも須磨の関守よ」
 一瞬まどろんだ儂のことか!

「いかに蓮生」
 蓮生和尚は目を見張って僧坊の暗闇を凝視めた。
「其の声は!」
「お忘れになったかや。敦盛がこそここに」

 何という!儂が哀れんで首掻ききったあの少年の亡霊か!
「不思議やな。つい先方鳧鐘(ふしょう)を鳴らし供養をしてまどろむ暇もないほどに。我が手にかけた敦盛殿が現れたとは!」

 蓮生に恐怖はなかった。あのとき以来、頭から離れなかった少年の生身へのあくがれが、心の底から湧いてくる。これは自分の欲からでた夢なのだろう。今の儂は眠っているのだ。

 亡霊は言う。
「これが夢と思(おぼ)されるのか?あなたとの因果を晴らさんとこの世に帰ってきました」
 蓮生は返した。
「因果・・・私はあなたを助けなかったことを悔い、こうして法然上人に帰依をして日本各地に寺を勧請して放浪し、ついにここへ至りました。あなたのことを想うと、ここには怖くて来れなかった。だが、今・・・」

 蓮生はあぐらを正し、敦盛に向き合った。

蓮生「うたてやな(情けなく)、ただ一念弥陀仏即滅無量(いちねんあみだぶつそくめつむりょう)を仏に祈るばかりでござる。あなたとの因果を」

敦盛「深き罪と認めなさるのか」

蓮生「いかにも。今はただ貴方様の成仏を願い、この身の苦しみを超えるため生きております」

敦盛「こうなったのはわたしの前世の功力(くりき)でしょうか?こうしてあなたと見(まみ)えるのは!わたしはあなたをもっと苦しめたい!」

蓮生「ああ、確かに我らは金輪際の敵であった」

 その時敦盛の全身が暗闇に浮き上がる。夜叉の能面を着け金襴緞子の衣装からは若く細い首と手首が見える。

「いかに蓮生!いや熊谷直実!刀を取れ!このわたしと今一度、命の取り合いを参らせやう!」

 敦盛は左手に握っていた大太刀を蓮生の方に投げ出した。

 蓮生は端座したまま祈る形で熱盛を見つめた。
 敦盛が叫んだ。
「ええい!剣を取れ!またわたしを辱め、この首を取れば良い!」

 蓮生は元は武士の頭領。豪のものである。またその気質は直情であり単純であり一途な男であった。だが、敦盛を殺めたときからその後悔を想うとき、彼を沈着の人に変えていた。

「好きなようになされませ」
 敦盛の声は怒りに震えた。
「なんと!直実、臆したか!」

 蓮生は眼を敦盛の足元に落としはらはらと涙を垂れた。
「あの時から」

 敦盛が右の薙刀を両手で横大上段に構えた・
「!」

「あなたの美しいかんばせ(顔)が忘れられないのです」
 敦盛の声は怒りに震える。
「なにぞ言うか!命が惜しくばそう申せ!」
「惜しくはありもうさん」

 敦盛の肩が動いた。大上段の薙刀が切って落とされた。

 だが、蓮生は平然と眼を瞑り、切りやすいようにと首を上げ肩を落とした。
 敦盛の薙刀は蓮生の首の皮を一筋付けたところで止まっていた。

 敦盛は焦ったように薙刀を右に引き、間近から夜叉面の節穴で蓮生を睨んだ。

 蓮生の眼は物惜しげに二つの眼を除いた。そこには暗闇しかない。

「あれから夢をみました」
「何を見たのだ!」

 蓮生は黙った。たとえ敦盛が生き返ったとしても、決して口にしてはならないことを。

「ええい!蓮生!お前がそのように開き直っているのが悔しい!お前のためにわたしの悦びに満ちていた人の生が消え失せた!その上お前はわたしを辱めた!恨めしい!」

 敦盛は地団駄を踏んで、くるりと後ろを向きそして薙刀を振り回し舞い始めた。儀典のための麗しい舞ではない。敦盛の苦しみと恨みと怒りを籠めた乱舞である。

「おまえは馬に乗り海に入って逃れようとしていたところを呼び戻した!」

 薙刀が横に払われる。その切っ先は蓮生の喉にぴたりと止まった。

「おまえは組討から非力なわたしの馬乗りになり、鎧通しでわたしを刺そうとしたが、わたしの女のような顔を見て担ぎ上げ、どこかで辱めようとした!」

 敦盛は薙刀の先を真後ろにして頭の上から振り下ろした。これも蓮生の帽子の上でぴたりと止まる。

「お前は、あとから来る味方を見てその汚わらしい情欲が為されんと見るや、わたしをまた馬に担ぎ上げた!」

 敦盛は右左に薙刀を回した。ひょうひょうという鋭い音。

「そしてまた、手柄を惜しんで、わたしを馬から引きずり下ろし、首の付け根から小刀を心臓まで刺したのだ!」

 敦盛の亡霊はだんと両脚を床に踏み込み、薙刀を後ろに構えた。

「忘れたか!おまえのその薄汚い情欲と所業を!」

 蓮生ははっとして二間(1.8m)離れた敦盛を見つめた。そしてはらはらと涙を落とした。

 そうか!そうだったのか・・・蓮生は忘れていたことを思い出した。そうだったかも知れぬ。我は敦盛殿を・・・美しき平家の公達を蹂躙することが出来るやもと、確かに下心を抱いていた。そして敦盛殿の顔を拝したとき、その暗黒の欲望が下腹を打ったのは確かだ。何日も男だけの軍勢で走り回り、里の妻を恋しがり、今身を合わせて嗅ぐ武具の漆と公達の白粉の香が儂の漢を狂わせた。
 だが押し倒してみれば我が子と同じ歳ほどの少年!そのまだあどけない口元への妄執を振りほどき、一度は助けようと馬に乗せた。もし我が子、直家が同じ様に屈強な武士に押し倒されればと考えると、そうせざるを得なかった。

 後ろを振り返れば勢いづいて、浅瀬に残る武士たちに槍をつける雑兵ども。引き戻す波に馬の脚を取られる武将等は次々と槍に貫かれ、手柄を競う雑兵達に切り刻まれていた。ここでこの若者を見逃しても同じ運命になることは火を見るより明らかぞ。

 儂はまた若者を引き倒した。若くしなやかな肉体は疲れ切り、儂に抗う力はなかった。
 ここが最期となりぬべし、お覚悟をと、しばし若者の眼を見た。美しい顔は唇が少し開き、眼は涙が溢れその一瞬が長く感じられた。彼は儂の言葉に頷いた。
 首根より小刀を刺し参らせその顔が美しくも幸悦に浸ったようにこと切れるとき、儂は観音を見た。一瞬そのお顔から光が発せられたやうに思えた。

 蓮生は前に手を突いて敦盛を見た。その顔はくしゃくしゃになり涙があとからあとからこぼれ落ちた。そして崩れ落ち、敦盛の足元ににじり寄る。


 敦盛の亡霊はびくりと体を震わせて恐ろしげに後退(あとず)さりした。
「血迷ったか!蓮生!」

「いいえ・・・敦盛殿・・・はやく引導を渡して申せ。もう・・・苦しいのです。いまさら成仏出来なくとも、あなたの手にかかりさえすれば本望なのです」

 敦盛の亡霊は右手に薙刀を下げ、はあはあと息をついているようだった。
 そして薙刀をがらりと落とし、蓮生の前に歩み寄り、こつんと片膝を落とした。

 ゆっくりと能面の紐を解き、その面(おもて)を顕した。
 そこには能面よりもきめ細かい透き通るような雪の肌、きりとした眉、切れ上がる目尻、得も言われぬ冬椿の唇。整った小鼻。

「おお・・・おおう」

 蓮生は顔の間近まで手を伸ばし懐かしむように覗き込む。

「蓮生殿、いや直実様。わたしも覚えておりまする。わたしの心の臓を貫くときのあなたの御(おん)顔。他の者にわたしを辱めさせないようにして頂いた」

 蓮生はさらに顔をしわくちゃにして嗚咽した。
「あなた様は長谷観音の生まれ変わり・・・」

「冥土の旅に付いた時、あなたを恨みました。そして楽しかったそれまでのことが浮かび上がって来ました。父経盛に請われて今様を吟じ最期まで持した笛で遊んだこと。お山(比叡山)で僧正様を兄と取り合ったことなど・・・しかし本当に契ったこともなく真実の愛を知らずして、あの世に旅立つ悔しさ・・・」

 敦盛。
「小刀を差し込まれた時の痛みと辛さ・・・でもあなたはわたしを愛おしむように看取ってくださった」

 敦盛は蓮生の前に立ち見下ろした。蓮生はそれを犬のように素直に見上げた。

 敦盛の帯が解かれた。幻なのか薄衣のように衣は下に落ちた。そこには玉のように光る肌とはるか西にあるというあらばすたと呼ばれる石に刻み付けられた童子の姿。

「わたしと契ってくだされるか。それがなによりの回向の証」


 今はまた
 まことの法(のり)の
 友なりけり



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