第3話 ミノタウロス

文字数 3,765文字

「あ、あれはミノタウロス。アニファスの騎士団長クラスが人の国にいるはず無いのに」
 フィーリアが驚きの声を上げて、そのミノタウロスを見ている。
 ミノタウロスの真紅の瞳が俺を認めた。
 背筋がゾクリとする。
 フッ。
 それを思うと自然と笑みが零れる。
「もう死んだと聞いていたのだが、感覚は残っているのか。フィーリア、下がっていろ」
 告げる瞬間にミノタウロスは口から蒸気を掃き出し、姿勢を低く駆け出す。
 俺は咄嗟に軽くフィーリアを後ろに押し込むと腰元の剣を引き抜いた。
 視界の中央にミノタウロスを置き、端には得物を映している。
 片刃のともすれば分厚いナイフに見えなくもない刀身。
 突撃する双角の魔物は分厚い鉄塊を何度も鎚を打ち付けた刃物と言うには、無骨過ぎる得物を引きずっている。
 不思議と恐怖は無かった。それは死んでいるからか、後ろで見守る者が居るからか。
 分からない。考えるほど深みにはまっていくのだ。
 気が付けば目の前にミノタウロスが迫っていた。
 やはり、体躯の差に驚く。これがアニファス、魔族の国の騎士団長クラスか。
 ミノタウロスは鉄の斧の様な塊を小さく振り被ると右腕一本の膂力のみで振り下ろした。
 十分な距離を取って躱したが、叩き付けられた瞬間に炎魔法による爆裂が起きたのかと思えるほどの衝撃が土くれと共に走り抜ける。
『グルゥゥ、モォオオオ! ユウシャ、ニガサヌ』
 ミノタウロスの喉から奴が発したとも思えない声が響き渡る。
 ルビーの様な瞳は濁り、そこには明確な殺意が混在しているのだ。
 土煙を吹き飛ばす様にミノタウロスが突っ込んできた。
 それに対するリアクションとして、身を屈めて駆け出す。
 ミノタウロスとの距離が縮まる。攻撃の起点を探していると鉄斧を握っている奴の右腕の血管が隆起しているのが目についた。
 フッと周囲が思ったよりも見えている事に驚く。
 ミノタウロスは武器が大地につっかえる事を嫌ったのだろうか、左の拳を潜り込ませる様に捻じ込む。
 その一瞬、意識が覚醒する。失われた? 記憶も僅かに流入する。
 が、今は気にしている時間ではない。
 右足の踵でブレーキを掛けて速度を落とす。眼前、ミノタウロスの拳は既に発射され、頭より大きな拳による打撃は正面から防ぐことを許しはしないだろう。
 目と鼻の先を暴力が通過し、予想通り胴が空いた。
 手にしている剣の重みを感じながら考える。
 この刃ではミノタウロスの筋肉を断つ事は難しいだろう。だとしたら……。
 考える余裕は無かった。
 命のやり取り、か。
「フッ、死人がそんな事を考えるとはな」
 自嘲しながらも短剣よりかやや大きい剣を構える。
 感覚としては手にしっくりくるのだが、どうにも刃を短く感じるのは何故だろう。
 すれ違いざまに鋼鉄の様な皮膚を切り裂き、筋肉に僅かに刃の滑りを阻害されるも駆け抜ける勢いを利用し、強引に振り抜いた。
「短い。だが、悪くはない」
 鮮血が鼻先から顔の右側を撫でると乾いた肌に潤いをもたらす。
 ミノタウロスの血は敵が生身の生物だと教えてくれる。
 傷を負ったミノタウロスはしかし傷口を気にする様子はない。一瞬だけ血が飛んだがその後は出血が完全に止まっている。
 傷痕は消えてはいない。何かがおかしいと誰かが告げている。そんな気がしている。
 先ほどの攻撃によって己の血を見たミノタウロスはその気になった様だ。
 その証左とでも言うべきか、右足を何度も地面に打ち付ける様に地団駄を踏んでいる。
 全身に殺意を浴びる。そんな感覚が残っている事に驚きつつも、何か血が騒ぐような気がしてならない。
 巨躯の牛男は片手を地面に着け、両角を俺の方に向けている。突撃の構えだ。
 空いた片手はと言えば腰だめに構え、矢を番えた弓の様にいつでも撃ち出せる。そんな感じ。
「アマルティアさん」
 俺の後ろにある木々のどれかにフィーリアは隠れているのだろう。たとえ、彼女が俺以上の戦力になるとしてもこの状況で戦わせるつもりはない。
 左手を後ろ手に回すと短い柄らしき物に手が触れた。それを掴んで引き抜くと黒塗りの短剣だった。
 最初に引き抜いた一振りの刃も漆黒に塗られ、これでは騎士でも勇者でも無く、暗殺者のそれだ。
 双に構えた剣はそれぞれ長さが異なるが、同じ設計思想らしく分厚い刃が特徴だった。
 しかも、握れば不思議と力が湧いてくる。そんな感じ。
 前屈みのミノタウロスは土や石くれを巻き上げながら突進を開始した。
 一歩踏み出す度に地面が抉れ、大地が揺れる。
 ミノタウロスの双角を用いた突撃は確かに脅威ではある。
 だが、有角種の弱点とも言える部分を晒した捨て身とも言える攻撃は取り乱さなければチャンスでもある。
 腰を落とし、右手の剣を斜めに倒して構える。高さは丁度角と同じ高さ、角を下若しくは横から打撃を入れてやるつもりだ。
 距離が詰まるほどに体が強張る。が、ここまで来て憶したら間違いなく貫かれるだろう。
「アマルティアさん!」
 木々のざわめきの中からフィーリアの声が届く。
 本当に心配性だな。
 ミノタウロスの渾身の突撃を斜め後ろに滑る様に躱す。
 相手が止まるためにスピードを緩めた瞬間に合わせて打撃を加える。
 ガンッ、と鈍い音と体が後ろに持っていかれるのを知覚しながらも敵を視界に留める。
 斬撃から打撃に切り替えたのは単純に効果を考えての事で、外傷を負わせても俺の膂力では致命傷に至らせる事は出来ない。だったら、脳を揺らして相手の動きを制限することにしたのだ。
 が、有角種のそれも角を武器とする種族はその衝撃を逃がすための機能が備わっている。だから、目の前には頭を強引にかち上げられながらも気を失ってはいないミノタウロスが居る。
「少しやり過ぎたか」
 そう。奴の頭は高い位置に移動してしまったのだ。
 だから、次の俺の取る行動は敵の膝を起点として複数回剣による斬撃を叩き込む。
 ミノタウロスは煩わしそうに、小虫を払うべく振り上げた左手を視界の隅に捉えると胸を蹴って後方宙返りで飛び退る。
 相当に怒っているのか、鉄塊の様な斧を何度も地面に叩き付けた。それを終える頃には奴の周りは穴ぼこだらけである。
 そろそろ終わりだろう。
 再度の接近戦に持ち込む。
 先ほどの突進周りのやり取りで、突進を捌いた腕にちょっとした違和感があった。
 些細な事であったが、次は違和感では済まないと判断したのだ。
 それに敵の運動範囲を縮める事で膂力を利用した攻撃の威力を少しでも弱める事も狙っている。
 間近で対峙するとやはり体のサイズ差を圧力として感じる。
 俺の中での最終戦が始まる。
 初手はミノタウロスの挨拶代わりの鉄の大斧による横薙ぎ。
 風を巻き込むような膂力のみでの攻撃に対し、両手で掴んだ剣の背を当てる。
 ガッ、と鈍い音と衝撃が駆け抜けた。
 それと同時に俺の予想と反する動きをミノタウロスは見せていた。
 インパクトの瞬間、手首を締めたのだ。これは人間の技で、力を効率的に伝えるため、両手で掴んだ得物を雑巾を絞る様に捩じり斬り付ける。
 ミノタウロスは片手のためにそこまでの効果は無いのだが。
 大斧を振り切ったミノタウロスは隙を晒す。それが今回はがら空きの胴である。
 まず左の逆手で腰に差してある短剣を引き抜いた。
 短剣を筋肉の切れ目とも言える部分に差し込んだ。それ以外の場所では刃を通す事は許してはくれないだろう。
 あ?
 少しミノタウロスの頑強な肉体を甘く見ていたらしい。
 刃は浅く突き立ったという事実だけが目の前にあった。
 やはりミノタウロスは羽虫を払う様に左の掌を無造作にぶん回す。
 その動作に入る僅かに手前、旋回し、剣の側面で手首を締めて打撃した。
 苦悶の表情を一瞬見せたが、ミノタウロスは全力で空を払った。払ってしまった。
 ザク、ブチッと肉が断たれる音が連なる。次の瞬間にはミノタウロスの強烈な打撃が風を巻き込み断裂音が連続で生まれ、余波によって数歩下がらされた。
 結果としてはミノタウロスへの攻撃は一見なんのダメージもない様に見えたが、僅かに、僅かだがその動きが鈍ったようだ。
 機を見計らって懐に潜り込むと一気に短剣を掴んで思いっきり肉を裂いた。熱を持った血が飛び散るとミノタウロスの動きが止まった。恐らくだが、内臓に刃が当たったのだろう。
 止めに首に刃を差し込む。驚くことにすんなりと刃が通った。
 声と血泡が口から漏れる。やがて、音が止まるとミノタウロスは頽れる。
「や、やりましたね。流石です」
 先ほどまで隠れていたフィーリアがひょっこりと顔を出した。
 その顔は何も心配していた様子はない。
 あぁ、あれは。
 ぼんやりとした頭でも何となく分かる。相手をどこまでも信頼している表情なのだろう。
 接近するフィーリアの手元が光り、「離れて下さい」と言う。
 急ぎ、戦利品としてミノタウロスの角をへし折る。肝は刃によって僅かに裂かれていた。
「燃えなさい。魔界の民よ」
 炎がミノタウロスの全身を包み、一瞬で灰燼に帰した。
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