第1話 終わりの日の舞台裏

文字数 2,491文字

 私は夢中で駆けている。
 私は聞いてしまったのだ。父である国王の騎士達が私の専任騎士を処刑し、更に孤児院を焼き討ちにするという話を。
「アカーツィエ様、お部屋から出られてはいけません。もし、アカーツィエ様が部屋から抜け出したと国王陛下に知られては私の命が無いのです」
 私は軟禁されていた部屋から飛び出すと裸足で塔の螺旋階段を駆け下りる。目的地は処刑場でも孤児院でもない。そもそも、噂ではエルツ広場では彼の処刑は行われないだろう。だから、お城の地下にある召喚の間に向かうのだ。
 胸にはあの時の礼剣が抱えられている。美しい装飾を施した剣は彼が私の専任騎士となる叙任式で使った物だ。
 私の足りない頭で何度も考えた。そして、一つの方法を思いついたのだ。それは処刑と同時に召喚儀式を行えば、勇者として彼が私の前に現れるのでは無いかと言う事だった。ただ、勇者召喚は通常他の世界から連れてくるのがルールなのだ。だから、失敗する可能性は高い。
 けど、成功したら恨まれるだろうし、失敗してもきっと恨まれているのだろう。しかし、私には迷っている時間も立ち止まる事も許してはいない。
「まったく。アカーツィエお嬢様はお転婆が過ぎますねぇ」
 塔を抜けてお城に入る所で声を掛けられた。声の主は聞き覚えがない。もしかしたら、お父様の騎士かもしれない。そう思うと礼剣を引き抜いていた。
「おぉっと。私はお嬢様の敵ではありませんよ。お嬢様が勇者召喚をしたいと仰られるのならば、全力で支援いたします」
 花の形をした髪留め、それに似合う綺麗な長髪。よく見ればローブの下に鈍く光る鎧。さらに帯剣している。
「今は急いでいるの。貴女が私の邪魔をしないのなら付いていらっしゃい」
 騎士の脇をすり抜けると無人の廊下を折れ、地下への階段を下っていく。
 おかしいわ。普通ならば騎士達が城内を守っているはずなのに誰も居ないのだ。探せば何処かには居るのかもしれない。だけど、今は都合がいい。
 また、螺旋階段が地下へ向かって続いている。塔に造られた螺旋階段と違い、肌寒く、纏わりつく空気がどんより重い。途中で躓きそうになると後ろから優しくも力強い手が私の腕を掴んで引き寄せる。
「お嬢様、あまり無茶はなさらないように」
 私はムッとして左後ろで駆ける女を睨みつける。
「今無茶をしないでいつするというのです。しなければ、あの人は。いえ、私の大切な騎士が居なくなってしまうのですッ!」
 長い螺旋階段の先に扉はあった。鋼鉄の縁取りがされた木の扉。錠前は完全に下りており、女の私の手ではどうにも出来ない。
 何度が扉に拳を打ち付けるもどうにもならない。だったらと左手に掴んでいた礼剣を見つめる。だけど、これが壊れては呼び水となる触媒が……。
「お嬢様、お下がりください。私はお嬢様の覚悟がどれほどの物か分かりませんし、いつかはその覚悟が問われる日が来るでしょう。ですが、この場は私が道を付けましょう」
 カチャと金属が触れ合う音がして、優しい手が私の肩を捉える。そのまま引かれるままに女の後ろに立つと剣を腰から引き抜いた。暗がりの中でも輝く白銀は半弧を描くように錠を叩き斬った。
 やってしまいましたわ。きっと、お父様に怒られてしまうでしょうね。
「えっと、貴女。行きますわよ!」
 先ほど浮かんだ不安を振り払うように声を張り上げる。
「ハイ、お嬢様」
 女騎士は直ぐに私の背後に回り込む。正直、面識の無い者を背中側に立たれる怖い。だけど、そうしなければ話は進まない。
 ボッ。
 急に壁側から焚き火がの薪が弾ける様なが生まれたかと思うと、続くようにぐるりと部屋を一周し、僅かに遅れて火とは思えない様な色の炎が灯った。そこにきてようやく部屋の全貌が見える。
 部屋は本棚に囲まれ、本棚と本棚の間に灯りが点くための台がある。今はそこに火の様な物が灯っている。
「……ッ」
 背後で息を詰める音がして振り向くと女騎士は部屋の様子を見ていた。私はてっきり敵となる騎士達がやって来たのかと思ったがそうでは無かったようだ。
「どうか、なさいました?」
「いえ、勝手に灯りが点いたので敵が居たのだろうと思ったのですが」
 よく見れば女騎士の手は腰にある剣の柄に掛かっている。
「そう、ですか。でしたら、中には誰も居ません。私は勇者召喚の儀に移りますので、それまでお願いします」
 言ったは良いものの勇者召喚の仕方は完全に知らなかった。だから、知っている範囲で召喚を試みるという賭けをしなければならない。
「えっと、血による契約。触媒は無くても問題無いのですが、私にはあの方しか居ませんから」
 礼剣を鞘から抜き放つと指先にそーっと刃を押し当てた。
 プチッと張り詰めていた物が切れる音がした。皮膚の裂け目から血の雫がプツっと湧き出す。指先を、手のひら側を下に向けると床に描かれた魔法陣にぽたりぽたり数滴落ちる。
 魔法陣が血に反応したのか赤く眩い光を放ち、部屋中を真紅に染め上げる。それは鮮血の惨状の様に怪しくも美しい。光はルビーンから太陽の光を通したように綺麗で、ゾクリとする。
 光る魔法陣に血の滴る礼剣と鞘を置くと何でもいいから唱えてみる。
「私の言葉を聞き届けて下さい。あの方を、私の大切な騎士……を私の勇者として召喚することを命じます」
 光が止めばそこにはあの方が、私の勇者が居るはずだ。
「う、嘘……」
 私は真っ暗になった部屋の中で誰もそこには居ないという事だけは分かった。目が部屋の暗さに慣れてゆくとそこには本当に何も無いという事を視覚的に認めざるを得なかった。
「お、お嬢様」
 背後から優しく抱きすくめられる。触れているのは金属部分なのだろうけど、温かい。だけど、私は正確に自身の身に起きている事を感知する事は出来なかった。まるで、頭上からこの状況を俯瞰している私が居るかの様なこの感じ。
「ど、どうしましょう。召喚に失敗したばかりか、礼剣が……」
 私の中にあった全てが消えてしまう。でも、何も出来なかった。
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