接触

文字数 4,084文字

「・・・お願いします! ・・・お願いします!」


日曜日、柊正樹が朝七時から駅前に立ち、道行く人にチラシを配っている。現在の時刻は九時。二時間、正樹を観察していたが、チラシを受け取った人間は三人だけだった。その他の人間は皆、正樹を避けるように歩いていく。


「ばーか、最初からそうしていればあいつの苦労も少しは減ったのに・・・」


苛立ちを煙草とともに踏みにじり、自動販売機でスポーツドリンクを買うと、ポケットに忍ばせたICレコーダーのボタンを押して正樹に近寄った。


「・・・お願いします!」


俺はチラシを受け取る。


「ありがとうございます!」

「君、柊正樹さん?」

「は、はい! そうです!」

「噂は聞いてるよ。大変だね。俺、京極蓮といいます。よかったら、少し話を聞かせてくれませんか?」


そう言ってスポーツドリンクを差し出すと、正樹は涙を流して喜んだ。


「あ、ああ・・・ありがとうございます・・・!」

「近くにベンチかなにか・・・」

「あの、すぐそこにあるバス停の前の植え込みのブロックなら、座れるかと」

「じゃ、そこに行こう」


俺達は移動し、植え込みのブロックに腰を下ろす。


「えっと、京極さん、ありがとうございます。どうして、俺、あ、いや、僕のことを・・・?」

「俺、作家やっててね。『高峰事件』について調べてるんだ」

「作家・・・ですか・・・」


正樹は隠すことなく俺を訝しんだ。


「そう警戒しないでよ。安心して、俺は君を誹謗中傷したり、『高峰事件』を面白可笑しく取り扱ったりしないから」

「は、はい?」

「俺、美樹さんは生きてて、どこかに隠れてると思うんだ。正樹さんの真摯な思いを、なんとかして美樹さんに伝えられたら、美樹さんは姿を現してくれるんじゃないかなと思ってる。俺がそのお手伝いをできるかどうかはわからないけれど、俺が正樹さんの思いを本にして、情報を発信できないかなって思ってるんだよ。ちょっと、胡散臭く聞こえるかもだけど・・・」

「は、はあ・・・」


美樹から聞いていたが、こいつ相当馬鹿だな、と思った。一応、警戒は解いてくれたらしい。スポーツドリンクの蓋を開け、中身を飲み始める。図太いだけかもしれないが。


「あの、僕、お金は持ってませんからね」

「お金なんてとったりしないよ。むしろこちらが取材の謝礼として払いたいくらい」

「えっ? いくらくれるんですか?」

「君の話の内容によるけど、五万から十万かな」

「十万・・・」


正樹はスポーツドリンクを握りしめる。


「僕、取材を受けます」

「ありがとう。じゃあ、早速質問させてもらっていいかな?」

「はい」


俺はメモ帳とペンを取り出した。


「もし、美樹さんが見つかったら、どうしたい?」

「一緒に暮らしたいです。姉を苦労させた分。今度は僕が姉を支えたいです」

「それって、二人暮らし?」

「できれば、弟と妹達も一緒に暮らしたいです。大変なこともあるかもしれないけど、僕、頑張って働いて、頑張って家事をして、姉がいきたいって言うなら、大学にもいかせてあげたいです。僕、姉の笑った顔が、見てみたいです」


俺が買い出しから帰っただけで満面の笑みで出迎えてくれる美樹の姿を思い出し、優越感に浸る。


「施設に預けた子達とは会ってるの?」

「・・・会ってません。なんか、施設で虐められてるらしくて。僕が会いに行くと、虐めが酷くなるから、会いに来ない方が良いって施設の人に言われてるんです」

「弟と妹は、美樹さんに会いたがってる?」

「会いたがってます。『お姉ちゃんが帰ってきたら施設からおうちに帰れる』って言って、皆、姉を待ってます」

「君のお母さんは、お父さんを殺したのは美樹さんだって言ってるけど、それについてはどう思う?」

「嘘だと思います。姉は、なんていったっけ、学習性、なんとか、で・・・」

「学習性無力感」

「そうです。それです。それって、抵抗したりできなくなるんですよね? 姉は、親父にレイプされかけて、怖くなって咄嗟に逃げたんだと思います。右目を潰して首を絞めて殺すなんて、できないと思います」

「お父さんとお母さんについては、どう思う?」

「最低です。二度と会いたくありません。あんなクソ親父、死んでよかったと思うし、母も、出所してきても二度と会いません」

「君も、美樹さんを虐待していたよね? それについてはどう思う?」


正樹は深く俯いた。


「・・・すごく、悪いことをしました。でも、僕、その時は、悪いことだとわからなかったんです。姉が、僕達を守ってくれていたから、生活できていたのに。姉が居なくなって、大変な生活が始まって、初めて、悪いことだってわかったんです。だから、姉に謝りたいです。それから、ありがとうって言いたいです」

「美樹さんは、君に会いたがっていると思う?」

「・・・多分、会いたくないんじゃないかと思います。僕、顔も声も親父そっくりだから。それに、酷いことしたし」

「正樹さん、今、お父さんが勤めていた会社と、ご近所の人から借りたお金を返している最中だよね? 返済の目途はたってるの?」

「・・・近所の人は、五年くらいかかります。会社の方は、返す金額がバラバラなので、ちょっとわかりません」

「弟や妹が高校や大学にいきたいと言ったら、どうするの?」

「実は、僕の三歳下の妹が、今、高校生なんです。奨学金を借りて、妹もアルバイトをして、残りは、なんとか僕が出してます。他の子達も、高校は私立は無理だから公立にいってもらって、奨学金を借りて、アルバイトをしてもらって、残りは僕が出します。大学は、正直無理です」

「お母さんが出所して、正樹さん達につきまとうようなことをしたら、どうする?」

「絶対に許しません。殴って、怒鳴りつけて、死ぬほど怖い思いをさせてでも、家族を守ります」

「美樹さんに、幸せになってほしい?」

「はい。できることなら、僕が、姉を幸せにしてあげたいです」

「正樹さんの考える、『美樹さんの幸せ』って、具体的にどんなものだと思いますか?」

「・・・母の居ないところで、家族で仲直りをして、一緒に暮らして、大学に行きたいなら、大学に行って、家でゆっくりしたいなら、僕がずっと面倒を見るし、働きたいなら、働いて。結婚したいなら、結婚して、子供を産んで、名前が柊じゃなくなって、素敵な旦那さんと一緒に暮らして。そういうのが、姉の幸せだと思います」


俺は心底呆れていた。全く計画性がない。他力本願もいいところだ。自分が美樹を虐待していたことも、無意識なのだろうが、両親のせいにしている。謝りたいだとか、礼を言いたいというのも、美樹に償いをしたいのではなく、自責の念から解放されたいためだろう。

正樹は間違っている。正樹の考える美樹の幸せは、『正樹基準』のものであって、美樹という人間を尊重して考えられたものではない。自分達がやってきたことを考えれば『家族と一緒に暮らす』のが美樹の幸せだなんて思えないだろう。それは、美樹が正樹達の虐待を『許す』ことが前提の幸せだ。自分達は美樹に許されると思っているのだ。


「もし、美樹さんが、正樹さんを殺したいほど恨んでいるとしたら、どうしますか?」


正樹はきょとんとした。俺はもう一度言う。


「美樹さんが、正樹さんや、他の家族を、皆殺しにしたいほど恨んでいるとしたら、正樹さんはどうしますか?」

「・・・いや、あの美樹が、そんなこと考えるのは、ないと思います」

「どうして?」

「どうして、って・・・。だって、どんなに酷いことをされても、姉は両親から僕達を守って、面倒を見ていてくれたんですよ? 愛がなければできないですよ」

「美樹さんは物心ついた頃から正樹さん達の面倒を見させられていたんでしょ? 学習性無力感、って言ってましたよね? 美樹さんは、そもそも、酷いことをされても反抗する思考すらなかったんです。家事をしても、働いて得た金を渡しても、あなた達『家族』は、美樹さんに暴力を振るう、罵倒する、私物を壊す、まともに寝かせない。奴隷よりも酷い扱いだ。家畜よりも酷い。もう一度言います。美樹さんは、反抗する思考すらなかったんです。その美樹さんが、逃げたんですよ? 逃げたんです。自分の意思で。美樹さんに、愛はありましたか? 正樹さんは美樹さんを愛しているんですか? 弟や妹は、美樹さんを愛していますか?」


正樹は黙り、俯いた。


「美樹さんは、あなた達を愛していたから、家事をして、働いて得た金を渡して、酷いことをされても抵抗しなかったんですか?」

「・・・わからないです。でも、少なくとも、僕は、姉を、愛していると思います」


『思います』ときたか。本当に父親そっくりで、頭の悪い男だ。


「ありがとうございます。大変参考になりました。おっと、名刺をお渡しするのを忘れていましたね」


俺は名刺を取り出し、正樹に渡す。


「それと、少ないですが、謝礼を・・・。ああ、すみません。今、封筒に入れますね」


財布から万札を十枚取り出し、わざとらしく数えてやる。そして白い封筒に入れ、正樹に差し出した。


「あ、ありがとうございます!」

「また取材させてくれますか?」

「もちろんです!」

「では、失礼します。ありがとうございました」

「ありがとうございました!」


正樹はほくほく顔で駅前に戻っていき、チラシを配り始めた。


「・・・お願いします! ・・・お願いします!」


俺は先程受け取ったチラシに目を通す。


「・・・呆れた」


柊美代子がまだ妊娠していて、正樹を含めた子供達と駅で配っていたチラシがそのまま使い回されていた。俺は近くのコインパーキングに停めていた車に乗り、ICレコーダーのボタンを停止し忘れていたことを思い出す。少し迂闊だったかもしれない。正樹に対する怒りが沸いて、喋りすぎてしまった。ICレコーダーのボタンを押し、停止したのをキッチリ確認してから、


「美樹、愛してるよ」


と呟いた。この一言で、美樹は可愛い顔で笑い、『私も』と言ってくれる。正樹は父親にそっくりだ。実の娘をレイプしようとした男にそっくりだ。もし、美樹を見つけたら、なにをしてくるかわからない。


「美樹がやらなくても、俺がやるべきだよな」


殺そう。そう決めた。
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