トロッコでゴー!
文字数 13,351文字
二階を後にした冒険者たちは、白い積みレンガの階段を次の階層へ向けてひたひたと登っていた。
まっすぐ上へと続く階段はそれほど長くなく、登り終えると正面に向かって城内のような廊下が続いている。
網目状に敷かれた艶のある床に、隙間なく整えられている石レンガの壁。窓は見当たらないが、壁には小さなシャンデリアのような照明が等間隔に飾られており、とても明るい。
誰よりも早く三階へとたどり着いたルベルが振り返ると、後にはシグマとトート、それに何やらほおばっているヅガイが追ってきていた。
その後に続いて、検体番号423―9を乗せたダージリンと、しんがりに剛もしっかりついてきているのが見える。
剛が階段の先を行くヅガイの後ろ姿を見上げながら、たしなめるように言った。
注意されたヅガイの口からは茶色く焼き色のついた、先端が白く竹のように穴の空いた長細いものが覗いている。
その長細いものを上下に動かして、しかし口いっぱいで声が出せないのだろう。ヅガイはもぐもぐと急いでそれを口の中へ押し込み、ごっくんと飲み込むと満足そうに「ふう」と息を吐き出す。
それは反省の言葉ではなかったが、移動しながらでも食べられる携帯食は実際便利だ。
ゆっくり休憩する間もないような場所では、それがあるかないかで咄嗟の際に動けるかどうかが変わってしまうくらいに、特に消耗の多い戦士や魔術師には食事は重要である。
こんな場所では言っても仕方ないか、と剛が自らを省みていると、ヅガイの食べていたものを見たことがないのか、ルベルが興味深そうに尋ねた。
その答えにピンとこないのか、よくわかっていない様子で聞き返すと、ヅガイは食べていたものと同じものを懐から取り出し、突きつけるようにして見せた。
そう言うと、見せつけたものを大事そうに竹皮へ包み直していく。
だが、それを聞いてもやはりルベルには理解できないようだった。それでも”至高の”というくらいだ、とにかくすごい代物なのだろうと漠然と納得して、廊下の先へと振り返る。
そんなやり取りの間にも、ダージリン達は前へ進んでいるようだった。
これまでと同じように罠の類がないか解析しながら廊下をゆっくりと前進していく様子を見て、ルベルは何かを考えるようにうつむく。
それから、ダージリンの上にまたがっている検体番号423―9を見ると、あっと思い出したようにその後を追いかけていく。
そう言って、勢い良くダージリンの上へ飛び乗った。
検体番号423―9が「上に乗ってりゃ楽チン」と言っていたが、その通りだ。すっかりその上が気に入ったらしい。
そんな小動物の様子を見ながら、剛は察したように頷いた。
シグマが諦め混じりの視線を向けると、”こいつら”の内の一人と目が合った。
その妖精は、心外だという顔をして、斧を掲げながら答える。
つられて、自分も知っていると言うようにトートが胸を張って言い放った。
”こいつら”の内のもう一人の意見を聞いて、予想通りというか、予想以上の軽い考えに頭が痛くなりながらもシグマは冷静にツッコミを入れていく。
一体どこから起動した罠を回避できるという自信が湧いてくるのだろうか。そもそも、その罠自体に気付いていなければ避ける暇すらないだろうに。
そう思って、しかしダージリンがいる限り罠に気付かないということ自体がないのかもしれない、とその本人を見れば、ちょうど解析を終えたのか廊下の先から車体をこちらへ向けたところだった。
トートが小走りにそこまで追いつくと、ダージリンが向き直った方向、廊下の突き当たりは左に曲がっており、壁に等間隔に並んだ照明の先には扉が一つあるのがわかる。
古びた木材で作られた板のような大きな扉は少し開いており、間から黄色いタイルの床が見えていた。どうやらその先にも明るい空間が続いているらしい。
そして扉へ至るまでの空間には罠の気配はなく、それを示すようにダージリンは先陣を切って扉へ向かって進み出す。
そんな様子を見て、シグマ達も彼らの後を追った。
大きな扉の前まで辿り着くと、やはり仕掛けがあるようには見えない。どう見てもただの木の扉だ。
思い切りよく堅強な車体でずいと押し開けてみれば、その先には冒険者ならば鉱山などで一度は見たことがあるかも知れない光景が広がっていた。
広場のように開けた空間には黄色いタイルの床が広がり、その広場を半分に断つようにして中央に線路が一本敷かれている。
線路を挟むようにして左右には簡易的な乗降台が、冒険者たちが入ってきた扉から向かって右奥へと伸びている。その線路の端、壁際には暖炉のような何かの出入り口のような盛り上がった空間があるが、現在は線路を遮断するようにシャッターが降りており、そしてシャッターとは反対側の乗降台の先端には怪しげな赤い取っ手のレバーが一つ。
駅のような何かの乗り場のような空間を見回せば、扉は入ってきた箇所を含めて全部で四つあることがわかる。
一つは入ってきた扉の正面の壁、線路を超えた先に。二つは乗降台の奥、シャッターのある壁の両側に向かい合うようにして存在する。
それから、シャッターから伸びている線路は広場の左側にある洞窟を掘ったような狭く暗いトンネルの先へと続いているようだった。
トートは興奮しながら周囲を見回すが、アトラクションにしては肝心の乗り物が見当たらない。
しかし、例の”カラクリ”の一つであることには違いないのだろう。
そう考えると、気になるのは意味ありげに設置されているレバーの存在だ。
周囲に罠がないことを確認し終えたダージリンがレバーへと近づくが、見たところ罠を起動するような仕掛けではない。
となると、やはりこの線路に関係する仕掛けだろうか。
一同がレバーの周囲に集まっていると、興味深そうにそれを眺めていたルベルがダージリンの上から身を乗り出すようにして提言した。
その言葉に、レバーを引きたくてうずうずしていたトートが賛同の声を上げる。
そしていち早くそれに手をかけると、赤い取っ手を反対方向へと動かした。
動かしたはいいが、期待していたような手応えを感じない。
手を離すとレバーはすぐに元の状態に戻ってしまうのだ。
ルベルが残念そうに身を引っ込めると、ダージリンが周囲を見回すようにして言った。
この空間だけでも、怪しい扉は三つもある。
カラクリというならば、別の仕掛けと連動している可能性が高いだろう。
言うが早いか、その言葉には「手分けして」という意味がこめられていたかのように、途端に蜘蛛の子を散らすようにパーティは散開した。
それぞれが好き好きにその場を離れ、それぞれの目的地へと向かっていく。
ダージリンやトートはシャッターの右側奥にある扉へ。反対側、シャッターの左側奥への扉へはヅガイが。
一方で、剛は線路が続くトンネルの先を覗き込んでいた。
もしかすると、シャッター側が終着点で反対側に乗り物が停車している、という可能性もある。または途中で止まってるということも、ないとは限らない。
それを確かめるべく、剛は線路を辿るように、その上を歩き始める。
暗闇へと姿を消して行く剛に気付いたシグマは、思い思いに探索を始める仲間達を見回し、ただひとり困惑していた。
パーティメンバー達はバラバラに散ってしまった。
まとまりがないというか、ある意味一致団結しているというか。
とにかく、これまで危険な目に遭わなかったからといって危機意識がなさすぎではないだろうか。
最低でも二人以上で行動すべき、などと言うと、このまま一人でこの場に取り残されるのもまずい状況だ。
ダージリン達についていくか、ヅガイを見張りに行くか、剛を追いかけるか、それとももう一つの誰も行っていない扉の先を見に行くか。
思案して、思い切ったように線路の上へ踏み出した。
今は、何があるかわからない暗いトンネルの先へ向かった剛を一人にするべきではないだろう。
そう考えて、荷物からランタンを取り出すと、剛の姿を追って線路の続く暗闇の先へと向かった。
***
ダージリン達が向かう先、シャッターの右側奥へ向けて乗降台の横を壁に突き当たるまで進むと、その右手にはこの広場へ入ってきた時と同じような大きな木の扉が一つ。
扉を押して中を覗くと、扉の先は狭い部屋へと通じていた。
廊下と同じ壁掛けのシャンデリアに照らされた明るい部屋だ。
正面には、壁のシャンデリアに挟まれるようにして立っている大きな石柱が一本。その頭には水晶のような透明で丸い電球が置かれているが、点灯はしていなかった。
そして扉から右側、部屋の中央の床には、赤く丸いボタンのような、子供が乗れるほどの大きなスイッチが一つ置かれている。
トートは部屋の中央へ向かうと、床にある赤いボタンを足で踏み込んだ。
すると、カチッとハマるかと思われたスイッチは予想とは違って何の反応もなく、足を離せば反発する力によって元に戻ってしまう。
先程のレバーの時と同じだ。
ダージリンの上で退屈そうにくつろぎながら、検体番号423―9が赤いボタンを見下ろして呟いた。
が、その結論にはまだ早い。押し方が間違っているのではないかとダージリンは考え、トートへ指示する。
トートはスイッチの前へ屈み込むと、まるでモグラ叩きのように赤いボタンへと両の拳を連続で叩き込んでいく。
大きな赤いボタンは押されては沈み、元に戻っては沈むを繰り返すが……やはり手応えは感じられなかった。
トートの言葉に、大きな電球の乗った柱に反応がないか見ていたダージリンも、何の変化もないそれらに対してすかを食ったように、結論を呟いた。
なぜだか満足気に笑う検体番号423―9だったが、期待したような収穫を得られなかったトート達は物足りなさを感じつつも、諦めるように小部屋を後にした。
その頃、ダージリン達とは反対側へ向かったヅガイは、やはりそこにも同じようにある大きな木の扉を前に、自慢の大斧を振り上げていた。
そして誰も止める者がいないことをいいことに、問答無用で有り余る力を発散させていく。
木で組まれた扉など、大岩に比べれば紙のようなものだろう。
ヅガイの軽く放った一撃は、それでも扉を破壊するには十分すぎたのか、まるで爆破したかのように扉を粉々に弾き飛ばしてしまった。
しかし飛び散った扉の残骸などには目もくれず、歩くブリーチングチャージはその先へと踏み込んで行く。
粉砕された扉の先には、ダージリン達が入った小部屋を鏡写しにしたような光景が広がっていた。
壁に掛けられたシャンデリアに、点灯していない大きな電球の乗った柱。
一つだけ違うのは、床にあるスイッチが青色だということ。とはいえ、そのことを知らないヅガイはスイッチを眺めて不思議そうな表情を浮かべる。
ヅガイはふよふよとスイッチの真上へ飛んで行くと、斧の重さに体重をかけるようにして勢い良くその上へ着地した。
青いボタンはその重量と勢いによって沈み込むが、ヅガイが浮かび上がろうとすれば、たちまち乗ってきた重りを押しのけるようにして元に戻ってしまう。
その元に戻ろうとする反動を利用するようにヅガイは飛び跳ねると、青いボタンの上へ再び着地した。
トランポリンのように何度かそうやって、やがて飽きたのかふわりと浮き上がると、スイッチを見下ろして顔をほころばす。
乗る前と疑問は変わらないものの、少しだけ満足げな感想を足して、何の変化もないスイッチや柱には興味がなさそうに部屋を出て行く。
ヅガイが小部屋を出ると、ダージリン達も同じように反対側の小部屋から出てきたところだったようで、ちょうど線路を挟んでお互いの姿に気付くこととなった。
他に剛とシグマの姿は見えないが――ひとまず線路を越えて合流すると、お互いの見てきたものを報告し合う。
そう言ってダージリンがもう一つの扉の方向を見た時、そういえば、と思い出したようにルベルがダージリンの上から飛び降り、線路の奥に続くトンネルの先を片足で指しながら言った。
それを聞いて、興味津々の様子でトートがトンネルを覗き込む。
深く続いているのだろう、大きく口を開けた空洞の先は真っ暗だ。
しかしそれを見て恐れるどころか、好奇の目はますます爛々と輝いていた。
その様子に次の目的が定まったのか、ダージリンはまだ誰も行っていないことが確定した最後の扉へと近付いて行く。
ヅガイがダージリンについて行くのを見て、トートもそれに同意する。
そうして、検体番号423―9を乗せたダージリンとヅガイは扉の先へ、トートとルベルは剛とシグマを追って線路を辿るようにトンネルの先へと踏み出した。
***
一人トンネルの先へと向かっていた剛は、かろうじて地形の見える暗闇の中、気配を消しながら注意深く奥へ奥へと潜っていた。
ゴツゴツとした岩肌がむき出しのトンネルにはひんやりとした空気が流れ、線路の上を歩く剛の足音だけしか聞こえない。
そこへ、背後から駆け寄ってくるようなもう一つの足音が耳に入る。
後ろからということはおそらく仲間のうちの誰かが追ってきているのだろう。
そう思って立ち止まり、振り返ってみれば予想通り。やってきたのはランタンを片手に下げたシグマだった。
背後を振り返りながら困ったように声をかけるシグマに対し、剛は冷静に諭すように言葉を返す。
苦笑しながら、追いついたシグマは剛の前に一歩出る。
二階のあの時と同じ状態だ。だが、今はあの時ほど他の仲間を放っておくことに不安を感じなかった。
シグマはトンネルの先を向きながら、ランタンを持つ手を前に動かす。
ランタンの灯りによって周囲が照らし出されると、辿っていた線路が少し先で途切れているように見える。
近付いてはっきりと確認すると、正確には線路は崖の下へと続いていた。
急な崖を覗き込めば、その下には気味の悪い紫色をしてゴボゴボと煮立っているように泡立つ沼が広がっており、その中へ向かって線路は続いているらしい。
沼は意外と広く、ところどころに水面から顔を出している岩場は見えるが、ランタンの明かりでは向こう岸がどうなっているかまで確認することができなかった。
そんな沼を神妙な表情で見下ろしていたシグマは、ふと、足元に転がっている小さな石を見ると、それを拾い上げ、崖の下へと転がした。
石は急な斜面を滑るように転がっていき、泡立つ水面に触れた途端、ボジュウという不吉な音と煙を上げる。
そしてそのまま石は見えなくなった。水底へ沈んだのか、蒸発してしまったのかは定かではないが……どちらにせよ。
隣から覗き込んだ剛が呟く。
少なくとも安易に飛び込むべきではないだろう。
そうなるとここで行き止まりとなってしまうが――と、その周囲を見回して、剛はあるものに気付いた。
崖の横の壁に、小さなレバーがついているのだ。
――と、そこへ、聞き慣れた陽気な声が響いてきた。
暗闇の中を走って来るその姿をちらりと見て、シグマはもう一度ぶつぶつと独り言のように呟く。
しかし何のことか理解していないトートはきょとんとして、それから首を傾げた。
剛があらましを説明していくと、聞いていたトートは少し考え込んだ後、ハッとしたように顔を上げる。
後に続いたのは、彼らが見てきた小部屋のスイッチの話だった。
部屋の中央にポツンとあった赤いスイッチに、仕掛けの関係していそうな電球のついた柱。そして、同じ構造で向かい合わせにあるもうひとつの小部屋の存在……。
一通り説明し終えると、トートは目の前の壁にある小さなレバーを指差した。
考えてみれば、カラクリというものはそれ単体で動くこともあるが、複雑な仕組みによって連携して動くもののほうが多く見られる。
あらかじめどこかの仕掛けを作動しておかねば正しく動かないどころか、そのせいでトラップへと変貌することもあるのだ。
何か手がかりが掴めるまでは軽はずみに触らぬほうが吉か、と剛が思案していると、トートの足元からルベルが顔を出し、壁のレバーを見上げながら、あっけらかんと直言した。
その空気よりも軽いノリで放たれたような言葉に、剛は内心ぎょっとしていた。
慎重に行動しようとする空気をぶち壊す一言は、例えそれが罠であったとしても何とかなるんではないかと思わせてしまう力を秘めている。少なくとも、彼らにとっては絶大な効果を持つことは間違いない。
案の定、流された者達がやる気になっていた。
仮に、こうなることを見越して言ったのだとすれば……?
剛は小動物の心の中を覗くように見つめ、しかしそれもすぐにわかることだと、その場から距離を取る。
もしこれで何か起こればそれが裏付けとなるだろう。
壁のレバーへと手をかけたシグマが周囲を見回しながら注意を促した。
言うまでもなく動いていた剛はともかくとして、わくわくした様子で離れる様子のないトートにルベルは……まあ、大丈夫かと勝手に納得し、レバーへと向き直ると取っ手を握る手に力を込めた。
ガシャンと、しっかりと何かを押し込むような感覚でレバーが降りる。
手を離しても元に戻るようなこともなく、だからといって周囲で何かが変わった様子も見られない。
シグマの反応とは違い、少し待ってみてもやはり何かが起こることはなかった。
確かめるように崖へ近づいた剛は沼を見下ろすが、やはりボコボコと泡立つ沼は水位もそのままで何も変わってはいない。
しっくりこない様子でレバーを見ながら首を傾げるシグマを見て、トートは何かを思いついたようにもと来た道へと駆け出した。
何かが作動したということは、例えば乗降台の上にあったレバーが反応するようになったなど何かしらの変化があるかもしれない。
きっとここで何も起こらなかったということは、別のところで何かが起こっているのだろう。
はたしてそれがいい結果かどうかはわからないが、何にせよ確認せねばなるまい。
剛もそれに同意したのだろう、駆けていくトートやルベルの後を歩いて追って行くのを見て、シグマも崖を背に歩き出した。
――内心では、レバーを動かしたことによって分担しているもう一方に何か起こっていませんようにと祈りながら。
***
トートと分かれたダージリン達は、線路の敷かれた広間にあったいくつかの扉のうち、まだ開かれていない扉の先へと進んでいた。
まっすぐに伸びた城内のような廊下の壁には等間隔にシャンデリアが掛けられており、突き当たりは左へと折れている。
それは、三階へとたどり着いた時に歩いた廊下と同じような光景だった。
何もない廊下を、何かを求めるように無頓着に突き進んでいくヅガイだったが、それに続くダージリンもそれを咎めることなく、どうせただの通路なのだろうと解析を省いて追従していた。
そのうち何事もなく突き当たりまで辿り着くと、左に曲がったその先の行き止まりには空色に塗装された木製の扉が見える。
そう思ったのも束の間、爆音が響いたかと思えば、次の瞬間には扉は跡形もなくなっていた。
扉のあった場所ではヅガイが木屑を払うように大斧を振るっている。この妖精は、扉を見つけたと同時に飛びかかっていったのだ。
だが、その音に反応する他の生物の気配は感じられない。
何もいないのだろうかとその先を覗き込むと、そこは石造りの小さなホールのような空間だった。天井に光源がはめ込まれているようで明るく、難なく見通すことができる。
部屋の四方には天井を支えるように太く四角い石柱が立っており、その中心に大きな時計塔がある以外には何もない。
まるで時計塔のためだけに用意されたような異様な空間だが、構わずダージリン達は中へ踏み込むと、その目立つ時計塔へと近付いて行く。
見れば、時計塔には床から一メートルほどのところに四角く小さな窓のような蓋があるが、時計の針も今は止まっているらしく、ぐるりと見回してみても他に怪しいところはない。
ダージリンは車体から機械仕掛けの腕を出すと、時計塔にある小さな蓋へと手を伸ばした。
不用心にパカっと開いてみると、それはどうやらメンテナンス用の小窓だったらしく、中にはたくさんの歯車が並んでいる。……が、よく見ると一箇所だけ部品が足りないのか噛み合っていないところがあるようだ。おそらく、そのせいで動いていないのだろう。
中を覗き込んだヅガイはそれを聞いて、興味を失ったように時計塔から離れた。
その様子を見て、ダージリンも蓋から手を離す。
例えどういう仕組みか理解していても、部品がなければどうしようもなかった。
とにかくこれで、今行けるところは全て見てきたことになるだろう。
一旦合流し情報をまとめるべきだと考え、ダージリン達は破壊された扉の残骸を踏み越えると、時計塔の部屋を後にした。
線路のある広間へとダージリン達が戻ってくると、ちょうど分かれていた仲間達もトンネルの先から戻ってきたところだったらしい。トートとルベルが駆け寄ってくる。
その後ろから追いついた剛とシグマも合流し、ダージリン達の無事を確認して胸をなで下ろすと、これまでの報告を始めた。
ルベルの何気ない報告に、なぜかシグマは悪いことをしたのがバレてしまった時のようにドキッと心臓が跳ねる。
慌てたように、あの場にいた者達の総意をくんでレバーを動かしたことを説明しようとして、しかし咄嗟に口から出た言葉はきれいにまとまってはくれなかった。
何を言いたいのか自分でもよくわからなくなり、もごもごと口ごもるが、ダージリン達は気にするどころかそれよりも重要なことでもあるかのように、そのことには触れずに話を進めていく。
扉に関しては既に二枚も破壊していたが、シグマも剛も知らない情報だ。それに、あえて伝える必要もないだろうとダージリンは扉破壊情報を記憶データベースの不要フォルダへとそっと移動させた。
すると、話を聞いていたトートが思い出したように背負っていたリュックを降ろし、その中から何かを探すようにごそごそと中身をかき分け始める。
取り出されたのは、手のひらサイズの歯車だ。
三階へ続く階段の手前で見つけ、そのまま持っていたものだった。
直したところで時計が動くだけかも知れないが、試すだけの価値はある。
トートは歯車を握りしめ、嬉しそうにうんうんと頷いた。
線路の広間で待つことにした剛やシグマ達を見て、それまでダージリンの上で暇そうにしていた検体番号423―9が何かいいことを閃いたような顔をして、車体から飛び降りる。
時計塔には興味がないのだろう、残るメンバーにヅガイも加わったことにより、例の部屋へ行くのは案内役のダージリンと歯車を持っているトートだけとなった。
それを確認すると、ダージリンはキュラキュラという異音を立てて廊下へと向きを変えていく。
そう言って扉を開け、廊下をずんずんと進んで行く後にトートが続く。
一度は安全を確認した道だ。二人は何の心配もなく時計塔のある広間を目指し、扉の向こうへと消えていった。
***
シグマは沼の前でトートから聞いた、赤いスイッチの小部屋に来ていた。
あの後、歯車をはめに行ったトートとダージリンの二人は思ったよりも早く線路の広場へと戻ってきた。
というのも、別に問題があった訳ではない。トートの持っていた歯車は予想通り、時計塔の内部にピッタリとフィットした。が、それによって得られた成果といえば、時計の針が動き出したということのみだったのだ。
そのため、仕掛けが作動したのではないかと急いで戻ってきたのであるが、広場でも別段変わった点はなく。
沼を見に行った剛と検体番号423―9も、何もなかったという顔をして戻ってきたため、もう一度スイッチを押してみようという話になったのだ。
シグマはスイッチから離れると首を傾げた。
スイッチが入って点灯したはいいが、それ以外に何かが起こる様子はない。まだ何か足りないということだろうか。この小部屋の対面にあるもう一つの部屋にはヅガイが行ったはずだが――と考えたところで、部屋の外から大きな音が聞こえてくる。
ガラガラガラ。
シャッターが上がるような、何かが動き出したような音だ。
シグマは慌てて小部屋を出ると、シャッターのほうへ視線を向ける。そこにあった戸は開いたのか見当たらず、ポッカリと空洞が広がっている。
そして、その空洞の中から大きなトロッコが飛び出した。
鋼のような金属でできた箱型のそれは石などを運ぶためのもののように見えるが、中で二、三人がくつろげるくらいには大きい。さらに、それが三つ連結しておりまるで列車のようだ。
トロッコは線路の上を滑らかに進んでいくと、乗降台の先頭の位置に重なるようにしてピッタリと停車した。
音につられるようにヅガイも部屋から出てくると、トロッコを見て不思議そうな顔をする。
だが、トロッコを見て戸惑ったのはヅガイだけではない。
まるで乗って下さいといわんばかりに目の前に飛び出してきたトロッコに、しかし線路の先を知っている一同の顔は晴れない。
はしゃいでいるのは、予想通りアトラクションだったと喜ぶトートくらいのものだ。
トロッコに乗り込み、乗降台の端に設置されたレバーを引けば発進する仕組みなのだろうということは想像に容易い。
逆に、今わかるのはそれくらいのもので、どんな速度で発進するのかもどこへ向かうのかもわかっていないのだ。
ダージリンが乗降台へと上り、先頭車両を眺めながら人選をおこなう。
呼ばれた二人も乗降台へ上っていき、それを追うようにしてルベルも後に続く。
その後ろ姿に向かって、剛が不安げに声をかけた。
しかしそれを聞いて、不安にかられるどころかキャッキャとはしゃぐような声を上げたのは検体番号423―9だ。
噛み合わない会話と聞き捨てならないセリフに、パーティに亀裂が入る前にフォローを入れるべく、話の方向を変えようとシグマは語りかける。
うまく説得できなかったのか何か考えているのか、黙り込んでしまった剛を見かねて、ダージリンがそもそもの問題点――沼について言い及ぶ。
そう言ってトロッコを見直す。とても大きく、頑丈そうな作りだ。――いや、よく見ればそれだけではない。
なにせ、このトロッコ全体に魔力のバリアのようなものが張られているのだ。
それは水滴どころか風圧まで防いでしまうくらいに強力で、並大抵のことがなければ壊れることもないだろう。
もちろん、かぶれたらの話だが。重さも並大抵ではないことは見て取れた。
一瞬真面目にかぶることができないか考えたトートもダージリンも、さすがにこれは無理だと判断したのだろう。かぶることを諦めると、トロッコへと触れた。
剛もトロッコの性能を聞いて、気が重いながらも乗ることを容認したのか、乗降台へと歩を進める。
その様子を見て、シグマもトロッコの一両目へと視線を向けた。
ダージリンが一両目の奥へ乗り込むのにシグマも続き、ヅガイを膝の上に乗せると、横にルベルを招いた。
剛と検体番号423―9は最後尾に。トートは真ん中の車両へと乗り込んでいく。
本当に心の底からそうならないことを祈りながら、シグマは改めて後ろを見回し、全員が乗っていることを確認する。
そして、乗降台に設置されているレバーへと手を伸ばす。
赤い取っ手を掴み、もう一度仲間たちのほうを見て、覚悟を決めるように言った。