冒険者の日常
文字数 5,694文字
※これは前書きです。筆者の独断と偏見で創られたリプレイではない部分となります。
濃緑のなだらかな丘陵の間に川のように続いている砂利道を、ゴトゴトと土煙を上げながら進む馬車が一台。
大きな馬のような鹿のような生物が御者台から繋がれているが、そこに御者の姿はない。これは特別に教育された帰依本能の高い馬を使用した格安の馬車であるためだ。
荷台を改造して客車として運用しているような小さな車体は頑張れば四人乗れる程度の広さであり、進むたびにぐらぐらと揺れるその乗り心地は恐らく最低であろう。
そんな客車の右側に空けられた四角い窓枠から、若い男性が顔を出した。
風を受けて灰色の短髪が揺れる。まだ成人していないと思われる風貌ながら、年齢にそぐわず凛々しく見えるのは、纏っている岩のような鎧のせいであろうか。
青年の名をシグマ・ステリオスという。
シグマは馬車の進む先――道の終着点である小さな森林へ視線を動かす。
呟いて、受けた依頼の内容を思い起こす。
あの森林――”杜”と呼ばれるその土地は本来、関係者しか立ち入ってはならない指定の区域だ。
そんなところへ向かっているのはもちろんその関係者様に命じられたからに他ならない。
シグマの隣で馬車の振動に動じずあぐらをかいていた男性が、首を伸ばして反対側の窓枠から杜の周囲を見渡しながら答えた。
裃を着込み腰には鞘を携え、鋭い目つきの強面を隠すように長く伸びた茶髪が目立つ。歳は三十手前くらいだろう。
彼の名を淦金鋼 剛(あかがね つよし)という。
彼らが受けた依頼とは、数日前にこの近辺を震源地とした地震が発生したことによる現地確認であった。
しかし、たまたま近くを通っていたという商人の目撃情報を聞けば耳を疑うような内容なのだ。
話によると……商人が馬車で町へ向かう最中、突然大きな揺れが起こり……その振動によって道に亀裂が入ったかと思うと瞬く間に裂け目は森林へと達し、まるで杜を左右に切断するように地面がパックリと割れたのだと。その商人の馬車はすんでのところで逃げ果せたらしい。
それを聞いた杜の管理者達がシグマや剛のような”冒険者”を雇い、危険な地へ調査へ行かせているという訳だ。
周囲に地割れの形跡一つ見受けられないことを目視した剛は、シグマの方へ向き直ると小さく頷く。
冒険者は基本的に数名からなるパーティを組んで依頼をこなすのが通常だ。
そして依頼のほとんどは人類に害をなす魔物や妖魔などの各地に存在するモンスターを討伐するといった内容だが、たまに遺跡や未開の地の調査・偵察などもあり、依頼の難易度は報酬に比例するものが多い。
依頼の難易度が高くなるほど、前衛となる攻撃や防御に特化した者、後方で魔法などの遠距離支援・攻撃を行う者、回復を行う者、探索に長けた者など……バランスよく複数人で組むのが定石となる。
今回の依頼の報酬は前払い一割、残りは後払いではあるが……現地調査という依頼にしては破格の金額を提示されていた。
つまるところ、”杜”には何かあると推測できる。
例えば強大な魔物が封じられていたり、地下に爆発物が埋まっていたりする可能性だって否めない。
シグマの足元には布で包まれた槍が置かれており、剛は刀を抱えている。すなわち彼らは前衛職であるが……何が起こるかわからない依頼地へ二人だけで赴くつもりは毛頭なく、現地入り口にて集合という形で他のパーティメンバー達と合流する予定となっていた。
問題は、そのメンバー達に不安要素しかない点であるが。
心配事を頭のなかにいくつか並べたところで、シグマの耳にキュラキュラという異音が飛び込んできた。
馬車のガタガタという音とはまるで異なるこの機械のような音には心当たりがある。
土煙を上げながら向かってくるそれに向かって軽く手を振ったあと、違和感に気づく。
言いかけて、窓枠から顔を出し上空を見上げる。
先程まで晴れていた空は徐々に雲に覆われ始めていた。
キョロキョロと頭を動かし何かを探していたシグマは、杜の方向を睨むように見つめて動きを止める。
そして苦虫を噛み潰したように顔を歪めるが、すぐに諦めたようにその表情は崩れ、大きく溜息を一つ。
――杜の木々の間から顔を見せている赤い鳥居の上から、馬車の方へ向けて誰かが大きく手を振っているようだった。
***
濃緑のなだらかな丘陵に川のように続いている道――をだいぶ逸れた丘の上。
謎の稼働音を響かせているのは長方形の鋼の箱だ。
箱の上には砲塔があり、左右の巨大な履帯が子供の背ほどもある草を巻き込み轢き潰しながら丘を上がっていく。どう見ても戦車である。
そして砲塔の裏にまたがるように座っているのは、その乗り物の全長の半分より少し大きい少女――というと少女が大きく感じてしまうが――否、この戦車が小さいのである。恐らく全長2・5メートル程度しかないであろう。
少女の名を検体番号423―9という。
白と黄色が混在したような長髪をなびかせ、検体番号423―9は走行中の戦車の上で器用に立ち上がると、丘の向こうを眺める。
ちょうど丘の頂へ差し掛かったところだ。
彼女の両目に、燃え上がったような森林が映り込む。
その真っ赤な瞳の奥、細長い瞳孔はまるで獲物を発見した蛇を思わせる。
丘を下った先に見える小さな森林を指差し、検体番号423―9はドコドコと砲塔を蹴った。
するとそれに答えるように砲塔から伸びる主砲が動き、森林を捉え――
しゃべった。
機械音声ではなく、中性的な人間のような声が丘に響く。
普通に考えて戦車の中にいる誰かの声だと思われるだろうが、実はそうではない。
人類と同じように精神を持ち感情豊かで、心臓のように『コア』を動力源とし、ゴーレムの派生生物とされる種族。
その中でも人形や動物型など様々な形態に分かれるが、彼は別段珍しい戦車型の形態なのである。
彼の名をダージリン・チャーチルという。
そこへ、30センチ程の大きさの蝶のようなものがふわりと舞い降りた。
よく見ると背中にアゲハチョウのような羽が生えているものの、それはちゃんと人間の形をしている。妖精というやつだ。
動物のような何かの頭蓋でできた兜から覗く髪は肩までの銀髪で、一見して性別のわからない顔は幼く見える。
――が、その手には身長の五倍以上はあるであろう竜狩り用の大斧が握られていた。
この妖精の名をヅガイという。
けど……と、ヅガイは丘の下の森林へと繋がる道のほうへ斧を向ける。
ぷくーと頬を膨らませる仕草は子供っぽく愛らしいが、どこか危険をはらんだ雰囲気を醸し出していた。
ヅガイの報告を受けて、丘を下ろうとしていたダージリンは一時停止する。
キュラキュラという音を立てながら履帯の向きを杜から道の方角へと変更し始めると、検体番号423―9はダージリンの主砲へしがみつきながら期待に満ちた表情で問いかけた。
二人は首を傾げる。
車体から離れようとしたヅガイの持つ大斧を、すかさず検体番号423―9が掴んで引き戻す。
ヅガイの主張など全く聞こえていない素振りで前方を指差し、発進を指示する。
直後、『パンツァー・フォー!!』という謎の掛け声をかき消すように、小さな妖精の叫び声が轟いた。
***
広大な丘陵の中にポツンと存在する森林の入り口で、馬車と戦車が一台ずつ止まっている。
戦車の傍らでは小さな妖精が何かに耐えるような表情で口を手で抑えて屈んでおり、その背を少女が無邪気に笑いながらバンバンと叩いていた。
その近くでは、侍のような格好をした男性が付近に生えている太く頑丈そうな木に馬車を繋いでいる。
簡易な木の柵で区切られた杜と呼ばれるその土地の入り口からは石畳が森林の奥へと続いているが、石畳の隙間からは雑草が伸び放題となっており、人が出入りしているようには見受けられない。
遠目から眺めると森林は小さな丘の上にあり、中腹あたりに赤い鳥居が見えていたことから想像するに、道の先にあるのは神祠の類だろう。
生い茂った雑草を踏み倒し、道の上で青年が腰に手を当て、呆れた表情で目の前にいる人物を見上げていた。
眉間に皺を寄せているシグマに詰め寄られているのは、陸軍のような服を着込んだ大きな鷲だ。
しかしその頭部より下は翼が生えている以外は筋肉質な人間の男性の身体のようで、その身長は恐らくダージリンの全長と同じくらいであろう。
頭にはゴーグルをつけ首には茶色いスカーフを巻き、両手にはグローブを着用しており、その左手には赤くて丸い果実のようなものが握られていた。
彼の名をトート・ハシャマーフという。
そう言うと、おもむろに左手を上げ、手にしていた果実をパクリと嘴の奥へ放り込む。
大きく両手を叩きつけるような素振りで怒りを表現するが、頭に血が上っているためだろうか、説教になっていない。
何を怒っているのだろうと不思議そうに数度ぱちくりと瞬きをしたトートは、原因に思い当たったように「あっ」と呟いてポケットへ手を突っ込んだ。
取り出されたのは赤い果実。先ほど食べたものと同じものだろう。
シグマの眼前に、甘い香りの漂うみずみずしく熟れた赤い皮が美しい果実が突きつけられる。
おいしそうだなと一瞬手を伸ばしそうになった自分に気が付き、思考を掻き消すようにいやいやと頭を振った。
トートのペースに飲み込まれそうになっている思考を元に戻そうとシグマが心の中で必死になっていると、まだ若干青い顔をしたヅガイがフラフラと飛んできた。
シグマは心の中で「いいから果実の話から離れろ」と叫んだが、実際に口から出てきたのは大きな溜息であった。
結局のところ、果実を取ったことも食べたことも問題ではない。……いや問題だが置いておいて。
重要なのは単独行動についてである。
パーティで行動する以上、単独行動は控えるべきだとシグマは考えている。
それは彼の個人的な意見ではなく、もし問題が起こった際に救援を呼ぶことができないことなどを考えても最低限二人以上で行動するというのが冒険者内での暗黙の掟となっていた。
いざとなったら逃げられるから平気などという思考は事故を起こす可能性が高い。恐らくトートはそのような考えで気楽に行動を起こしたのだろう。
目の前でおいしそうに果実を頬張る鳥人間と妖精を尻目に一体どう説明すれば理解してくれるのかとシグマが頭の中で言葉を組み立てていると、背後から声がかかる。
剛に話しかけられたことで頭で組み立てていた言葉が崩れていくのを感じながら、崩れたものを更に「どうにでもなれ」という思考で薙ぎ払った。
問題が解決したような清々しい気分で空を見上げると太陽が真上に来ている。そろそろ商人が言っていた出来事が起こった時刻になるだろう。
どうせ何も起こらないと思いながらも、なんとなくざわつく胸の内に不安を感じながら、他のメンバー達に声をかけようとした時。
突然、心臓が浮くような感覚――すぐに、それが揺れであることに気づく。
地震……杜……地割れ。
話と違う被災した形跡のない丘。聞いた話と同じ時刻。嫌な予感が脳裏をよぎる。
もしもあの話が幻覚、それも予知の類であったとすれば。
どちらにせよ、今すべきは安全確保だ。
シグマが周囲を見回すと、浮いているヅガイだけは揺れを理解していない様子で不思議そうにしている。
揺れに気付いたトートも慌てて翼を開くと地面を蹴った。
震度自体はなんとか立っていられる程度ではあったが、内蔵をかき回されるような感覚に吐き気を覚える。
同時に感じる目眩は揺れのせいかと思われたが、地面に触れていないトートやヅガイまでもが頭を抑え、その表情は曇っていく。
その状況を楽しんでいるのは検体番号423―9だけのようだ。
身動きの取れない状況に危険を感じた剛が言いかけた瞬間。
黒い幕を下ろしたように、全員の視界が闇に包まれる。
まるで目が見えなくなったのではないかと思える暗闇を前に、しかしその異変はほんの序章に過ぎないことを、一瞬の後に気付くこととなる。
闇が晴れた途端、代わりに視界に広がったのは一面の空色だった。