第4話 蟄居

文字数 1,761文字

「ねえ、話していい?」
 しばらく表情をなくしたままホウキのように突っ立っていた咲希は、僕の隣にあるコンクリートの出っ張りに座ると話し始めた。
「私としょうくんがクラスのみんなに、付き合ってるって言われてるの知ってた?」
 僕はパンを頬張ったまま、うんと頷いた。
「でもね、わたし違うと思うんだ」
「違うって?」僕はパンをゆっくり嚥下してから聞いた。
「わたしそういうつもりじゃなかったの」
 彼女の言うことに僕は少なからず驚いた。なぜといって、咲希からLINEでも電話でも僕のことが好きだという言葉を幾度も聞いていたからだった。けれど僕の咲希に対する感情は女性に対する恋心とは違っていた。僕に好意を持ってくる人に対する単純な感謝のようなものだったのだ。だから僕は一度も彼女に好きだとは言わなかったし、僕から先に咲希に接触はしたことはなかった。昼飯であれ放課後一緒に帰ることであれ、ついてくるのは咲希の方だったし僕から誘うことは一度もなかった。
 咲希は僕が戸惑っているのを見ると
「わたし、こんな噂が立つとは思わなかったから」
 そう言うと不幸を一身に背負ったみなし子のように、寂しそうにうつむいた。そして驚いたことに目には涙までためていた。僕は咲希が一体何を言いたいのかわからなかったので、次に動くであろう彼女の薄いピンク色の唇を見ていた。
「ごめんね。しょうくんが私のこと好きな気持ちは嬉しいけど、応えられない。わたし、しょうくんとはもう会えない。本当にごめんなさい」
 咲希は涙を拭く仕草をした。
「わたしがこんなことを言ったのは内緒にしてね。わたしもしょう君の気持ちは絶対人には言わないから」
 そう言うと階段を降りていった。
 僕は彼女のことを女性としては好きではなかったが、噂になることはどうでもよかった。他に好きな子がいたわけでもないし、そもそも人がどう思おうと無関心だった。人の言動に全く興味はなかったからだった。
 パンを食べ終わって屋上から降りて行くと、クラスメイトの視線が僕に向けられているのがわかった。憐れむような、蔑むような視線だった。その夜、見覚えのない電話番号から着信があった。電話の主は一度も話したことのないクラスメイトの女の子、大西佳代(おおにしかよ)だった。
「しょう君、咲希のことそんなに好きだったんだ?」
 佳代の問いかけに僕は答えずにいた。
「残念ね。クラスにはしょう君のこと好きだった子何人もいたんだよ」
 僕は何も言わなかった。
「みんながっかりしてた」
「なんで?」僕は聞いた。
「いくら好きだからって、しつこくして女の子泣かせるなんて」
 僕はこの時咲希のことは好きではないと言おうとは思わなかった。
「でも、咲希を恨んじゃだめだよ。彼女も苦しんでいるから」
 そう言うと電話を切った。佳代の電話で、咲希が僕の求愛を拒否し、そのことで自責の念にかられている可哀想なヒロインになっていることを知った。僕はフンと鼻をならした。そして自分の声が引き金になると声を出して笑った。
 それからの咲希は友達といる時は「わざと元気そうに振る舞っている可哀想な子」を演じながら、時々人に隠れて僕に視線を送ってきた。
 僕は人間の中にある〝あざとさ〟を嫌というほど知った。そもそも絶対人に言わないという約束を破って、僕を振った(振られていないが)と言いふらした。僕を好きだった女の子たちの羨望を一身に受け、悲劇のヒロインを気取る。そして人のいないところで舌を見せて笑っているのだった。僕がこれまで人とはそんなものだろうと考えていたことを、咲希は簡単に証明して見せたのだった。僕を好きな女の子にしても、僕が他の女の子を好きになった途端に、どうして好きだったと過去形になるのか。
 きっとこの手のことはこの先も、進学しても社会に出てからも容易に起こることなのだろうし、それに対して打つ手立ては、弱者になればなるほど無いのだと言うことがわかった。いや、わかっていたことが証明された。残念ながら人生は人を貶めた方が勝ち、裏切った方が勝ち、罠を仕掛けた方が勝つのだ。
 僕はこの学校という社会において、何も得られることのない人間関係に辟易した。そして夏休みが終わった日、僕は学校に行くのをやめた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

主人公 翔 高校生 17歳

早苗さん 25歳 アルバイト店員

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み