第1話 きっと明日も

文字数 3,601文字

「エリカさん、まぁた黒倶知(くろぐち)工業からクレームが来たんだけど。確か2か月前もやらかしたよねぇ」

 係長の遠藤(えんどう)ミスズが私に向かって、溜息とともにくだらない情報を()き捨てた。どうせまた発注数がどうのこうの、前回、前々回と同じ文句を言われたのだろう。でも仕方ないじゃん、先方に連絡が取れないんだから。

「はあ。発注数と届いた数量が違うって、またいつものやつですか?」
「分かってるならなんで注意しないのよ。ブチ切れで担当かえてくれってさ」

 遠藤さんから目を()らし、頭の中で状況を整理する。事務所と小さな倉庫しかないこの会社で、受注の担当はたったひとり私だけ。誰に代わる? 誰が代わりに先方とやり取りしてくれるというのだ。

「じゃあ、遠藤さんがやればいいじゃないですか。前は受注の仕事もしてたんですよね」
「わたしは忙しい、あぁ忙しい。とにかく、あちらの専務には謝っておいたし、しばらくはわたしのハンコ使っていいから、貴方(あなた)が細心の注意を払って続けなさい」

 えー、なんでよ。この令和の時代にFAXで注文してくる絶滅危惧種。しかも数字の1と2と7の区別がつかなくて、毎回電話で確認してるのに、その電話自体がほとんど繋がらないんだから手に負えません……、って前回も言って口喧嘩になったっけ。

 私、今原(いまばら)エリカの勤務する会社はいわゆる(おろし)業で、工業用の機械の部品を取り扱っている。取引先から受発注システムで、……ここ大事、受発注システムで。受け付けた注文を私がプリントアウトして発送担当の駒井(こまい)ヒトシくんに渡すと、駒井くんがその注文書を確認して顧客ごとに必要な分をピッキング、配送業者へ渡す準備をするという流れだ。

 数年前までは全部FAXでやり取りしていたらしく、その名残(なごり)もあって、いまだにFAXのみで注文を寄越す会社が幾つか存在している。おそらくシステム導入できるような人材がいないか、導入費用をケチっているだけであろうと思われる。

 FAXだって別に()い。綺麗な文字で書かれていれば文句は無い。黒倶知(くろぐち)工業はマジで数字が判読不可能だし、確認のため発信しても電話に出ない。たまに疲れ切った声の女性が電話に出ることもあるけれど、出ないパターンだと何回掛けても永遠(とわ)にコール音を聴き続ける羽目になる。

 私の業務は受注の処理だけじゃない。請求書の作成や出納(すいとう)だってやらなきゃなので、ひとつの会社にかまけていられないのだ。だから時々やぶれかぶれで「これは多分2!」などという処理をする。

 発注が頻繁でないのと運が良かったためか、この2か月はそれで問題なかった。それでもいつかは間違った数字で発送してしまうんだろうと覚悟していたわけで。遂にその日がやってきた、それだけのこと。

「エリカさん、なにボサッとしてるの。早く手を動かしなさい」
「はぁい……」

 私はちゃんと受発注システムを使ってくれる可愛らしい取引先の処理を始めた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 仕事帰り、自宅アパートの最寄駅の3つ手前で降りた。3分ほど歩いたところにあるカレーチェーン店へ立ち寄って、ふたり分のカレーを持ち帰り用として注文する。私がふたり分を食べるわけではない。ひとつは今の彼氏の分。

 注文した品が出来上がるまで、店内で丸椅子に座って待つ。窓ガラスに映る自分は、なんだかとてもやるせない顔をしていた。華の金曜日だというのに、本日の嫌な出来事を引きずったまま。先日ダークブラウンに染めた長い髪は見事なプリンになっているし、枝毛もチラホラ。繁忙期で疲れていて、休日に美容室へ行く気力すら湧かない。

 小雨の降る中を傘もささず、ふたり分のカレーが入ったビニール袋をあまり揺らさないように持ち、さっきの店から5分ほど歩いて彼氏のアパートへ到着。周りに豪奢(ごうしゃ)な佇まいの大きな一戸建てが並ぶ中、こちらは外観だけで寂しい気分になる古びた木造ニ階建て1K物件。鉄板(てっぱん)の階段をカンカンと鳴らして上がり、角部屋が彼の住処だ。

 合鍵を挿して回そうとするも、すでに鍵は()いていた。
 私の彼氏、市村(いちむら)ヨシオは適当が服を着て歩いているような男だ。おそらく部屋には居るのだろうが、帰宅後に鍵をかける時間すら惜しんで作業を始めたものと思われる。

 玄関の扉を開けて靴を脱ぎ引き戸を開くと、やっぱりヨシオはヘッドホンを着けて独りで喋っていた。

「このモンスターは倒しても大したアイテムを落とさないので無視します!」

 彼の座るゲーミングチェアの前のテーブルには大きなマイクが置いてあって、それに向けて元気な声を吐き出している。2つ並んだディスプレイの片方にはゲーム画面、もう片方にはツールが幾つか立ち上がっていて、彼の視線はチラチラ2つの画面を行ったり来たり。

 彼は登録者数およそ20人を誇る底辺Vtuberなのだ。

 わざとらしくガサガサとビニール袋の(こす)れる音を鳴らしてやる。するとヨシオは人差し指をピッと立てて、口の動きだけで「静かに」と注意してきた。

 キーボードの横に、配信中の画面を映したタブレットが置かれている。リアルタイムの視聴者数は3人となっていた。このタブレットのアクセスで1人分水増しされているんだろうから、他に2人が配信を観ているということ。

 今日は視聴者数1人きり、つまり他人が誰も観ていない状態ではないようだ。珍しいなぁと思いながら私だけ手を洗い、小さなダイニングテーブルに置いたカレーのプラスチック蓋を開け、さっさと食べ始める。すると、すぐに奴のお腹がグゥと鳴った。

「今日はここまで。また観に来てね!」

 最後の挨拶も異様なほどの元気で済ませ、配信を切り上げたようだ。

「エリカ、カレーの匂いは……素晴らしいな」
「はいはい。手ぇ洗って早く食べないと冷めちゃうよ。私たちの関係みたいにさ」

 薄ら笑いを浮かべながらヨシオはキッチンで手を洗い、カレーを持ってまたディスプレイの前のゲーミングチェアに座った。

「……コメントを確認しないと。ゲームに夢中で読めてないのがあるかも」

 鏡で見ないと分かんないけれど、私はきっと、とてつもないうんざり顔になっている気がする。さっき確認した限りではリアルタイムでのコメントは5件くらいしかなかったはずだ。配信中に読めたのでは。

「あのさぁ、カレーは無料(タダ)じゃないよ。視聴者コメントの確認よりも大事なことがあるでしょう」
「あー、ありがとな」

 軽く手を挙げて答えた彼は、顔も気持ちも私の(ほう)を向いていない。コイツどうしてくれようか。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 冷蔵庫に入っていた缶ビールを勝手に飲み干して、私は至極当然の指摘をする。

「もう3か月、毎日のように配信しても20人だよ、20人。才能ないんだから、諦めなさいよ」

 カレーを黙々と食べながら、ヨシオはうんうんと(うなず)いている。顔は相変わらずディスプレイに向かったままで、登録者数ン十万人の配信者の動画を観ている。本人いわく研究だそうな。

「夜に配信したいからって夜勤のバイトも辞めて時給の安い……何のバイトだっけ?」
「データ入力だよ。まあ、必要に応じて架電もするけどね」
「そう、それ。前より300円も安くなって、どうやって生活していくつもりよ」

 ヨシオはにやつきながら言葉を返してくる。

「おふくろみたいな言い方。そんなに眉間(みけん)(しわ)寄せてると戻らなくなっちゃうぞ」
「それでアンタが心変わりするなら、皺でも何でも刻むわよォ!」

 ああ、自分かなり酔ってる。もちろんアルコールのせいだが、もとはといえば仕事とコイツのせいだ。

「ハァ……。最近、()い事が何にも無いわ……」
「気持ちの問題。好きなことやってれば楽しいじゃん」
「……じゃあさ、もしもだよ。もし私が年収1千万の男に言い寄られたら? アンタどうすんの。私と配信、どっちを取るの」

 マウスカーソルで動画のシークバーを操りながら、ヨシオは困り果てた顔をした。ように見えた。

「うーん。俺はエリカが今より幸せになれるなら、そいつにお任せするよ」

 (から)になったビールの缶を投げつけたらヨシオの頭にジャストヒット。彼は(おこ)りもせず、床に落ちた缶を拾い上げた。

「あっぶね。マイクに当たったら大変だ。俺で良かったよ」
「なんぃもよくないお!!」

 カッとなってしまい、バッグを持って靴を履き外へ飛び出す。勢い良く階段を()りようとした時、最初の濡れた鉄板の上で足を取られ、その勢いのまま尻もちをつきながら階段を滑り落ちていった。降り続く雨でぬかるんだ土にビシャッと浸かり、スキニーパンツが泥塗れになってしまった。

「イタタタ……。いたぁい!!」

 ニ階の角部屋まで聞こえるくらい大きな声で叫んでみた。その(あと)しばらく様子を見ていたが、待てども待てどもヨシオが心配して部屋から出てくることはなかった。

「なんなの! なんなのよ! ……うわあぁぁああん!!」

 私は尻が濡れたまま盛大に泣き、(わめ)いた。

 きっと明日(あした)も来週も、イマイチな日々が続くんだ!
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