第1話

文字数 1,999文字

 七度生まれ変わっても國に報いよ。

 これは私の最初の生涯で聴いた、御主君楠木正成公の辞世の言葉である。
 時の帝である後醍醐天皇を御守りすべく、湊川にて憎き朝敵足利尊氏め等を僅か七百余騎で迎え討ち、奮戦するも御切腹。
 その御主君の率いた七百余騎の内の一騎として生きた、それが私の最初の生涯であった。
 御主君は弟君の正季様と刺し違えて相い果てる次第となり、その際にこの辞世を遺された。
 後にこの辞世は「七生報國」、と、改められて戦争遂行の為に利用される事となる。
 正成公御切腹の直後、菊水の御家紋を背にはためかせながら朝敵共の本陣に向かって駆け、そして彼奴らに討ち取られた私の最初の生涯。
 その最初の生涯を終え、初めて転生してから五回目の転生に到る、二度目から六度目迄の生涯の記憶が不思議な事に全く無いのである。
 最初の生涯と転生六回目の前世、即ち七度目の生涯の記憶が遺っているだけだ。
 何故最初の生涯と前世の記憶だけなのか、その理由を私は知らないし、また輪廻転生が如何にして行われるのかも知らない。
 それでも七回転生した八度目の今世迄に、六回転生した事だけは確かだ。
 何故なら私にはそう断定出来る確証がある。
 私の前世は昭和二十年に最期の時を迎えた。
 つまり湊川での戦いが建武三年で前世の終幕が昭和二十年だから、西暦で言うと1336年と1945年でその間凡そ600年。
 私の転生が凡そ100年に1回だとすると、前世が転生六回目と言う事になる。
 その他にもそう言える要素は有る。
 これは飽く迄も私見だが、六回目の転生が他の転生より深く最初の生涯に拘っていたから、最初と前世の二度の生涯の記憶だけが遺ったのではないか。
 何故なら私の前世が大日本帝國海軍の将官だったからである。
 最初の生涯で御主君大楠公(だいなんこう)が遺された辞世の言葉にも大いに関連の有る生涯で、敗戦後戦犯として連合軍に捕われる前に南の島で自害して果てた、それが一軍の司令官としての私の前世だ。
 何と言っても帝國海軍中将として敗戦を迎えた転生六回目の前世が、私の転生の締め括りだと思っていた。
 畢竟七回目の転生など有る筈が無い、と。
 それに前世の私からすると今世の私は有り得ない姿をしているし、また前世の記憶を口にする事さえ憚られる今の身の上である。
 この七回目の転生である今世が前世の私への天罰であるなら、天に向かって声を大にして叫びたい。
 冗談にも程がある、と。
 惟みるに今世は菊水作戦立案に際し、異を唱えようともせず褒めそやした私に対する、それが罪禍の帰結なのかも知れない。
 神風が吹くと嘯き回天や特攻機に乗り込ませ、将兵の命を数多奪った海軍中将の前世の私に対する、それが。
 敗戦間際沖縄戦に於ける特攻に拠り、多大な犠牲を払った菊水作戦。
 最初の生涯で朝敵共の本陣に向かって駆けた時、菊水の御家紋は私の背ではためいていた。
 その菊水の御家紋を作戦名にして戦するなど、最初の生涯では想像だにしなかった。
 確かに湊川の戦いは聖戦だったと言えるが、私の前世で帝國海軍が強行した菊水作戦の如く、味方の命を奪う為の戦ではなかった。
 陸相だった東條英機の戦陣訓も然り。

 生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。

 狂気の沙汰を強要する訓示だ。
 陸軍でもこの狂気の戦陣訓を強要し、数多の味方の命を奪った。
 当時の大本営は陸海軍共大いに狂っていたのである。
 そうして狂気の内に幕を閉じた私の前世だったが、それでも前世で報いた國の神聖な御璽(みしるし)に、今世で叛かねばならぬ悲運は如何なる因果か。
 何より私がそうするのは、今を生きんが為。
 或いはそれこそが今の私の国では、「七度生まれ変わっても國に報いよ」、と、言う最初の生涯での御主君の遺志に従う事になるのやも知れぬが。
 ここに来てふと或る事が脳裏を過ぎる。
 何故最初の生涯と前世以外の記憶が無いのか、その訳について。
 してみればそれ以外の記憶は、転生七回目の今世には必要なかったのだ。
 私が今世に生きる意味を知る上で必要だったのは、転生前の最初の生涯と転生六回目の前世の、その二度の生涯の記憶だけ。
 きっとそう。
 今日は朝から後ろの方に廻り極力その御璽の紙箱だけは避けて来たが、愈々順番が廻って来た。
 どうやら避けれそうにない。
 たとえ前世で報いた國の御璽に仇を為してでも、七度生まれ変わった今世を生き抜く為には、また今の国に報いる為には、どうしてもやらねばならないのだ。
 今日の私は足下の紙箱を踏み付ける為にこそ、ここに居る。
 既に踏み付けられ形の崩れた紙箱を、更にその上から踏み付ける為に。
 一つ大きく息を吐く。
 直後眼前のカメラに眼光鋭く視線を送り、私は勢い良く旭日旗の紙箱を踏み付けた。
 これこそが韓国に生まれ、韓国の女として生きる、今世での私の七生報国なのだ。/了
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