第6話

文字数 8,587文字

ミハイルは幾つもあるデパートの出入り口を利用し、その他ゾンビの群れをやり過ごすと後方へ出た。目指すは奴らの乗ってきたトレーラーだ。のうのうと殺戮に興じている奴らの臭う尻を背後からトレーラーで強襲する。二番煎じなどとは呼ばせない。これは逆襲だからだ。
「今度はあいつらがミンチになる番だぜ!」
 完全に出遅れて後方に置き去りなったゾンビ数体の首を高枝バサミでちょん切りながら叫ぶ。殺戮の騒音は彼方、周囲は荒野の静けさである。ミハイルはトレーラーを探した。警備中の定時報告で大型トレーラーが3台入場したのは知っている。今考えればどうにもおかしくなりだしたのもその直後からだ。そして突っ込んできたトレーラーも大型の物である。となれば奴らの乗ってきたのがその大型トレーラーであることはほぼ間違いは無く、横転したトレーラーを除いても、まだ2台はあるはずなのだ。
 そしてミハイルの予想通り、さらに進んだところに2台の大型トレーラーが停車していた。
 窓ガラスを叩き割って荒々しく乗り込もうとしたミハイル、呆気なく開いたドアに物足りなさを覚えつつもまあいい、トレーラーに乗り込む。と、そこには奇妙な先客がいるではないか。助手席には可愛らしい赤ん坊が丸くなって収まっていた(実はトレーラー横転の後、手の空いたゾンビに後方のトラックへ自らを運ばせていたのである)。このような状況下において異な珍客ではあるが、理性に基づいた状況判断とは縁の切れたミハイルの脳髄は何の疑問も無く、意味も無く、眼前の光景を歓迎した。
「ほーら、おしゃぶり!」
 喜び勇んでトレーラーに乗り込むと、その勢いで、いつの間にか胸ポケットに入り込んでいた誰かの小指を赤ん坊姿の悪霊の口に突っ込んだ。すると悪霊、母なる乳首をしゃぶる愛らしさ微塵も発揮せず、欲深い動物が骨の髄までしゃぶり尽くすかの貪欲で誰だかの小指を味わいだし、それに夢中になった。
 というわけで事は万事解決、ミハイルはあらゆるシチュエーションに於ける己の手際の優秀に満足すると、意識は再び殺戮へと帰っていく。
 エンジンをかけるとその巨大な車体、残酷嗜好に目覚めたがように身震い激しく暖気を完了させる。能動的で自立的、独立独歩のミンチマシーン、結果の為の手段では無い、ミンチにする、その目的、それのみに稼働する血に飢えた機械、まさにそれを駆るようにトレーラーを発進させるミハイル。
「全員まとめて踏み潰してあの世に送り返してやるぜ!」
 それこそグッドの時と同様、速度を上げたトレーラーならば殺戮現場へ到着するのはすぐのことである、血生臭い宣言を車内で発するミハイル、さらにアクセルを踏み込む、しかしその時である。
 先程まで隣で熱心に指をしゃぶっていた赤ん坊がおぼつかぬ動きながら、明らかに妨害の意図をもって唐突に飛びかかってきた!与えられた指にむしゃぶりつくは本音といえどフェイクであったか、不意を突いた飛び込み行為。悪霊の身体はトレーラーの大きなハンドルの上に乗っかり、タイヤ遊びをするパンダよろしく右へ左へゆらゆらしたあと、一気に右側へ傾き落ちた。それに伴いトレーラーも急激に右方へ逸れて横転した。
 ミハイルといえばトレーラーによる大轢殺という当初の目的が崩れることも特に気にせず、トレーラーが横転するに任せた。本来、揺れる車体を立て直すことなど簡単にできた。大の大人の腕力をもってすれば赤子の揺さぶりなど幾らでも修正可能であるし、それさえ面倒であれば窓を開けてそこから投げ捨ててしまえば済む話である。だがそれはせず、成り行きに任せた。突如としての赤ん坊の妨害行為。この非常識な行動力によって一体、事の成り行きがどう転んでいくのか、それを見てみたい気分になっていた。
 巨大トレーラーの激しい横転。そこから生ずるはずの死の恐怖とはすでに無縁になっていた。頭の中はすでに殺す殺すの一点張り。地獄の精神だ。不健全な精神には狂気が宿る。眼には地獄が映り、鼻は地獄の腐臭を嗅ぎ取り、耳には阿鼻叫喚が流れ込み、脚は地獄へ向けて行進していく。

                   ☆★☆

 いかなる悪魔の加護か、ミハイルはほとんど無傷でトレーラーから這い出ると、横転の勢いでクラッカーのように窓から飛び出ていった赤子を探した。周囲を見回すと、辺りは未だ静けな惨状の後。だがトレーラーである程度進んだせいか、遠く前方にはすでに警官隊をも貪るゾンビの群れが見え、風に乗って無数の悲鳴が聞こえてくる。
 そしてよく見れば、その視線の途上にゾンビ達の方へ這い這いして進んでいく赤ん坊の姿を発見できた。
 時に奇跡というものは節操無く振る舞われるようで、赤ん坊はあんなに遠くに飛んでいったにかかわらず特に目立った外傷は無いようであった。といってもそれはミハイルが赤ん坊の正体を知らないからであり、実際のところただの赤ん坊であれば内臓破裂で死んでいるような状態である。運良くほとんど無事の手足を使い、新しい身体を求めてメルヴィン達の方へ向かっている最中であった。
「元気で結構」
 ミハイルはにやにやしながらそこらに転がっている指を拾うと、ずんずん大股で赤ん坊の後を追っていく。もとより赤ちゃん這い這いと大人の歩みである、すぐに距離は埋まっていく。にやにやが増していくミハイル。目の前にはぷりぷりした赤ちゃんの尻がひょこひょこ揺れる。これを見て何もしないほうが常道を外れた人間としては道から外れる。無論そのような過ち犯さずにミハイル、間もなく赤ん坊に追いつくと、
「ほーら、おしゃぶり」
 肌着をずり下げ、尻を剥き出しにすると、その幼き肛門にさっき拾った指を挿し込んだ。赤ん坊は背筋を伸ばして一時停止。
「良い子だ」
 側面に回ったミハイル、赤ん坊の頭上で足を持ち上げると、優に数秒溜めに溜め、鉄槌でも叩きつけるようにして赤ん坊の頭を踏み潰した。巨大な杭でも打ち込まれたように地に爆ぜる赤子の頭部。ミハイルは思わずぶるっとくる。
 この快感!悦楽の震えが走る。破壊することに躊躇を無くした人間ならわかる、頭蓋を、骨を壊す感覚は太古より本能に刻み込まれた暴力による果てしない達成感であり憧憬と賛美でもあり一旦受け入れてしまえば破壊は暗く虚ろな感情からくる行為とはどこまでも無縁となりどこまでも忘我没我の境地に於ける純粋な没頭作業神々を堕とすトランスに近く変性意識の一種宗教的にまで高まる全知全能至福の高揚と快感これこそが開闢開祖の衝動と生であり蛮性と神性もなくただ崇高であるこの快感にミハイルは身震い!
 トゥンバイヤーの喪失に端を発したミハイルの狂気はもはやそのトゥンバイヤーの面影さえも燃やしつくし、いまや変貌してしまったミハイルを突き動かす燃料として消炭となっていく。

                   ☆★☆

「おい、グッド」
 もはやゾンビの大群は警察署も占拠し、中で僅かな休憩を取っていたグルは延々と物色を続けるグッドに声を掛けた。この男もこの男で、トレーラーの横転などものともせず、後にすぐグルと合流しては警察署を襲っていたのである。
「なんでしょうか警部!」
 いつの間にかゾンビの扮装の上から警官の制服を着込んだグッドが敬礼してくる。その堂々とした様はアンチヒーローな悪趣味映画の主人公然としたどうしようもない風格を漂わせている。
「ほんとにどうしようもない奴だな、お前は。まあいい、あれを見ろ」
「はっ」
 促されグルとともに窓の外を見る。グッドは見晴らしの良い地上3階の窓から首を出すと、
「ってあれ、俺達が乗ってきたトレーラーじゃねえか」
 メインストリートの向こうから迫ってくるトレーラーを指差してやっと警官ごっこを止める。
「そうだ、誰かが乗ってるってことだ」
「メルヴィンは?」
「あいつはほとんどずっと最前線でビデオ回してるはずだ」
「そりゃそうか、じゃああれ誰が運転してんだよ」
 警棒で肩をとんとん叩いてグッド。
「それがわからないから・・・」
 グルが言いかけたところ、突然トレーラーがバランスを失って横転した。
「横転しちまったぜ、まさかカワイコちゃんがトレーラー遊びしてんのか?」
「そんなわけないだろうが、あの身体じゃ物理的に無理だ」
「そりゃそうか・・・」
 そしてグッドが頷いたその瞬間である、トレーラーの窓からスポンッ、と何かが飛び出た。そして携帯していた双眼鏡で見てみると景気良く飛び出ていったのが悪霊であること、すぐに二人にも判明した。
「は、鼻クソ!鼻クソみたいに飛び出た!」
 グッドはそれだけ言うと気が触れたみたいに笑いだした。
「おいおい、笑ってる場合じゃないぜ。ありゃ絶対ここの警官だぜ」
 双眼鏡を覗きながらトレーラーから出てきたミハイルを確認するグル。どう見てもあの騒ぎを起こしているのはトレーラーから出てきた金髪の警官であろう。
「おい、グッドくそ警部補!仕事ができたから仕事をやれ!」
「おうよ、しょっ引いてこの世に生まれたこと後悔させてやんぜ!」
 大笑いはいつ止んだのか、いつの間にか自身も双眼鏡で状況を確認していたグッドは悪霊とミハイルのもとへ急行した。


「なにしてやがる!」
 現場は走れば遠くない、グッドはすぐにもミハイルのもとへ辿り着き、殺すことを前提にして声を掛けた。しかしその時には悪霊の寄生する赤ん坊の頭部はミハイルに踏み砕かれた後であった。
「どなたさんだ?」
 ミハイルは目の前に現れた警官姿のゾンビにも余裕のにやにやである。
「うちの稼ぎ頭のカワイコちゃんに何してくれてんだ?」
 警棒を何度も威圧的に掌に打ちながらグッドは詰め寄っていく。
 しかし何があっても動ずること無いミハイルは悪びれもせず、
「稼ぎ頭?このお尻ちゃんが?悪いな、もう死んじまったよ」
「死んだ?何言ってんだ、よく見てみな」
 ここでやっと表情を皮肉に崩してグッド(なんにしてもゾンビの扮装のせいで表情など大してわからないのだが)は警棒で悪霊を指す。
 グッドが余裕たっぷり指し示し、ミハイルも余裕たっぷりに殺したはずの赤ん坊を見下ろすと、二人の視線の先、破壊された頭部から悪霊が這い出ようとしている最中であった。
「なるほど、それが本体ってわけか」
 奇跡と呼ぶにも無事に過ぎることへの理由が判明し、納得顔のミハイル。
「驚かないんだな」
 逆にそこに興味を引かれてグッド。
「ああ、面白い」
 返す。本当に面白い。こんなふざけた存在がいること、目の前にふざけた野郎がいること、ミハイルは何もかもに笑いが込み上げてくる気分であった。
「ふーむ」
 グッドはしばし唸る。
 彼としては逆上した警官がトレーラーに乗って仕返ししようとしたところ悪霊によって横転、気晴らしにまず悪霊の頭を踏み抜いたところ自分が現れ、カッコイイ暴力で相手を葬り去る、と考えていたのである。しかし目の前の警官の態度はそれを成すには違和感ある相手で、どう言えばいいか、なんというか自分らに近いものを感じるのである。
 さてどうするか、思った矢先である、グッドは眼下の光景に悲鳴を上げる。悪霊がいよいよ赤ん坊の身体からもぞもぞと脱け出そうとしていた。
「うわ!待てって!丸裸になっちまう!精神活動を行う者が素っ裸なんて恥ずかしことだぜ!」
 あまりに意外なところでグッドの常識的発言。確かに言葉の意味は文明人が街中で裸になろうとするのを諌める内容である(シチュエーションが違いすぎるが)、この男が言うとなんとふざけた発言に聞こえることか。思わずミハイルも軽く吹き出す。ただでさえ突如現れたゾンビコップであるのに、凄むやら悲鳴を上げるやらでなんなんだこいつは?
(どうにも面白いことになってきたようじゃねえか)
 思う。さっき赤ん坊の邪魔をしなくて本当に良かった、正解だった。誰が想像した、こんな馬鹿げた出会い。あのままトレーラーで轢殺に走ってもそれはもちろん良かったろうが結局一時の大興奮、愉しい思い出の一ページに過ぎない。が、有意義な出会いは可能性の源、数々の興奮、愉しい出来事を生み出す源泉である。それはミハイルの人生を末永くエキサイティングなものにするであろうと予感させた。そしていまやミハイル、その精神はグル達と同種であり、眼前で焦るグッドのお悩み解消など造作も無いことであった。
「おい!おれについてこい!アニマルパラダイスに行くぞ!そこには服がどっさりだ!」
 そう言うとグッドの返事も待たずに駆けていく。
「マジかよ!待てって!」
 グッドは外へ出ようとむずがる悪霊を赤ん坊の身体に押し込みながら急いでミハイルの後を追っていく。

《アニマルパラダイス》
 なんてことはない、そこは動物との触れ合い広場である。規模も中程度、中にいる動物も目新しいものはいないがフェスティバルの際には常に開かれる催しではある。この世にあらざる“生物の平等”を体験できるイベントはなるほど一種のパラダイス、特に女子供に対して安定した集客力を持っている。
 だがそのパラダイスもいまや荒れ果て、見る影もない。今回の騒動によって柵は壊れ、パニックの伝染した動物達は四方へ狂奔し、またパラダイス内には逃げ惑う人々の足に蹴られ死んだ小動物やショック死した動物が沢山転がっていた。ゾンビ自体は人肉以外に興味が無いようで喰い荒されることもなく、綺麗な動物の死体が多く転がっていた。
「ここだ、さあ好きなものを着せろ」
 フェスティバルを警備する者としてどこで何をやっているかなど完全に頭に入っていたミハイルは、そこまでグッドを案内すると死屍累々たるパラダイスを指差した。
 するとグッドは、まるでノアの箱舟墜落現場の如きパラダイス内へ踏み込むと、熱に浮かされたようにうっとりと、
「すげえ、選り取り見取りだ。大きいのや小さいの・・・スラっとしたのやモコっとしたの・・・厳ついのや可愛いの・・・ふふ・・・迷うなあ・・・」
 死体と欲に目が眩み、にたにたして呟きだす。それを見るとミハイル、グッドが服選びを終えるまでしばらく掛かると見て瓦礫に腰を下ろすと、待っている間預かっている悪霊を赤ん坊から引っ張り出し、その身体を遠くにぶん投げた。壊れた住いからやっと抜け出た悪霊は喜んでいるようであった。そいつを肩車するように頭に乗せるとミハイルは胸ポケットをごそごそと。煙草を取り出し、火をつけ、それを吸う。全ての欲望も狂気も受け入れた後の一服、それは最高に旨いものだった。

                    ☆★☆

 結局、グッドは沢山の服(死体)の中からハムスターを選んだ。小回りが利き、いつでもポケットに入れて連れ出しも楽々簡単。グッドは早速ポケットに悪霊を入れると、己の姿をデパートのショーウィンドウに映し見る。
 胸ポケットからハムスターが顔を覗かせるゾンビコップ、この姿が気に入ったのか、グッドは一人でポーズを取りながら口々に叫んでいる。「警察だ!」「逮捕する!」「覚悟するんだな!」「人質を解放しろ!」「さもなくば撃つ!」「解放しなくても全員撃つ!」「撃ってやるからな!」「殺す!」「逆らう奴などクソ喰らえ、いや、死肉を喰らえ!」
 等々、ビジュアルを裏切らない小汚い言動の数々を披露するとやっと飽きたか、グッドはミハイルへと歩み寄った。
「でもさっきはおれが何を探しているかよく咄嗟にわかったもんだな」
 悪霊の服飾問題も解決して冷静になってみると、ミハイルへの関心が湧いた。素っ裸になることへの拒否感を出しはしたがあの状況、通常の人間がすんなり現状へ導くことなどできないとグッドにもよくわかっている。
 だがミハイル、グッドのその言葉に対して我が意を得たとばかり、
「当たり前だ、悪霊のオベベといったら・・・」
 それを聞くとグッド、顔に歓喜をみなぎらせ、ミハイルの言葉に被せるように、
「肉の身体さ!」
 指をバチンと鳴らして会心の笑み。この時になるとミハイルへの殺意などきれいに失せていた。

                   ☆★☆

「そいつか、グミの替わりにスカウトしてきた警官てのは」
 グッドとグルはミハイルを連れてメルヴィンと合流していた。場所は州庁のエントランス。すでにここもゾンビの侵攻によって地獄の装飾が成されていた。
「ああ、だけどグミよりもずっと使える男だぜ」
 グッドが言うと、頷くグルがそれを引き取り、
「本当だ。グミと違って肝が据わってる」
 保証する。ミハイルの登場はなかなか豪気なものだったし、グルは悪霊の頭を容赦無く踏み抜いたところも双眼鏡で見ていた。そしてその後のグッドとのやりとりを聴けばなかなかの逸材だと認めることに異論などない。
「まあいいんじゃないのか。つうか俺はお前らの上司ってわけじゃないし、お前らが良いってんのならそれで良いさ」
 メルヴィンは値踏みするようにミハイルをしばらく観察した後でそう言った。とは言っても自分の作品作りに大きく関わる人間に無能を入れるわけがないのだ。メルヴィンもミハイルを認めたということである。
「そういうことなんでこれからよろしく頼む。今日みたいな出来事が目白押しだと思うと今からワクワクする」
 短く挨拶を済ませ、凄味のある笑みを浮かべる。地獄の笑みである。
「よし、そうと決まればそろそろ撤収だな」と、メルヴィン。
「そうだな、カメラは?」グルが訊く。
「全部回収済みだ。あとは俺が今持ってるやつだけだ。行くぞ。ラストシーンを撮って速やかに撤収だ!」

                    ☆★☆

 いまや生き残った人々は駅前の広場でゾンビの大群に包囲されていた。もちろん山間といえども都市である。生きている人間は実際には他に多数いる。が、それらの人々はビルや自宅の最も奥まった一室で息を潜め、これら悪夢が過ぎ去るのを震えて祈るばかり、今まさにゾンビに喰われんとする者達を助けようなどと思う者は皆無である。
 しかしそれら自室で隠れている者達は賢明である。街から逃げ出そうとした人々は主要な交通線で待ち構えるゾンビに襲われ、運良く無事な道を選択してもそこは狭隘なる山の道路である。恐怖とパニックに襲われた者達はすぐに事故を起こし二次災害によって勝手に死んでいった。至る所で同様の事故が起こり、人間の愚かさを証明するように各地で火の手が上がった。惨めな死。だがそれらの人々も生きながら喰い殺される恐怖に曝されている者に比べればまだマシであろう。
 駅前広場に追い詰められた人間は約百人。全ての人間の顔は歪み、震え、底無しに絶望を深くしていく。対して取り囲むのは千を越えたゾンビの群れ。虚ろな表情を腐った顔面に張りつけながら、その実、自分らを喰い殺すために狂暴な食欲でもってどこまでも追ってくる。もはや逃げ場も失い、抗う勇気も無い。ここに及んで助かるなどという希望は誰の胸にも湧き得ず、ただ一噛みで楽に死にたいと座りこむ者、恐怖も痛みも忘れたいがために正気を失っている者、泣き喚く者、それらの塊であった。
「そろそろ頃合いか」
 それを物陰から見ていたグル達、監督であるメルヴィンが呟くと承知したとばかり、グッドは胸ポケットに入れた悪霊に指示を下す。
「よし、やれ!」
 そしてグッドが言うやいなや、全てのゾンビの頭部が盛大に破裂した!千人が一斉に天に向けてクラッカーを鳴らしたかのよう、ゾンビ達の頭部が派手に舞い上がる。それらの血飛沫はまるで空に付着せんばかりに大きく噴き上がり、追い詰められた人々は何も理解することができずにただ静止した。
 一切の音が消えた中、次々と糸が切れたようにゾンビの身体が倒れだす。するとそれに引きずられるように飛び散った血が豪雨となって落ちてくる。それは下界のあまりに酷い有様に胸糞悪くなった神々が吐き散らすタンや唾のように汚らしい音を立て、人々を打ち濡らし、汚した。
 ゾンビは突然に謎の全滅。人々は生き残ったのだ。青天の下、彼らは臭い血濡れ姿で言葉を失い、しかしすぐに誰かが叫び声を上げた。そしてその叫びには暴力が伴っていた。誰かが誰かを殴った。それをキッカケに不発弾が突然炸裂したよう、再び駅前広場に狂乱が発生した。この追い詰められた人々は全て死と絶望を厭々ながらも完全に受け入れており、すでに一種の正常さを手放していた。それが突然死から解放されたところで、いまや誰も涙を流して天に幸運を感謝することなどなかった。恐怖で壊された人々には恐怖から解放されてももはや恐怖しか残っておらず、恐怖しながらも自らの手で再び恐怖をつくり出し、その中へ帰っていった。
 そしてそれは人間同士殺し合う凄惨な光景を形成しだした。熱狂は瞬く間に地獄の業火を呼び込み、倒れたゾンビの四肢を踏み散らして殺し合い、次々と死者が続出。この一大地獄絵図、遠目に見れば賑やかなダンスパーティーにも見えるが実際は血みどろで酷い。もはや神々も悪魔も呆れるほか無い浅ましさで満ち返り、本格的な鎮圧部隊がやってきた頃には全員漏れなく死亡することになる。
 そして映像は殺し合いが最も最高潮を迎えた時点で引いていき、エンディングナンバーとスタッフロールが流れ、後にブラックアウト。これにて完結である。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み