第1話

文字数 1,774文字

リアルエステート・インフェルノは、4階建ての小さなビルのペントハウスにあるという。
案内の看板に従ってビルの外の螺旋階段を登って行くと、バーベキューコンロやデッキチェア等が置かれた屋上に壁に『real estates inferno』と直に書かれた建物。
大きな掃き出しのガラス戸が開いていたので、そこから
「すみません、誰かいますか?」
と声を掛けると
「どうぞ」
という低く気怠そうな声で返事があったのでガラス戸から覗くと、大きな社長デスクの上に年季の入った感じの味が出たライダースブーツを履いた脚を投げ出した裸の男がいた。
「中へどうぞ。約束あったっけ?」
男はデスクから脚を下ろして立ち上がると、そこに座れと言うように部屋の中央の応接のソファに手で指し示した。
パンツは穿いていてくれたので安心したが、牛乳を流したような白い肌にヘーゼルの瞳、長い睫毛に赤い唇の美少女のようなオッサンに、オッサンだと分かっていてさえ思わずドキッとしてしまった自分に戸惑う。
「なんだよ、今時ガイジンなんて珍しくもねえだろ?」
左の口角を吊り上げて皮肉そうな笑顔を見せながら、自嘲するように彼は言った。
「い、いえ。そういう訳では…」
見惚れていました、とは言えずに濁してソファに座る僕の言葉など気にする様子もなく、彼は さっきまで座っていた社長椅子の背に掛けてあったTシャツを着ると、僕の向かいに腰掛ける。
「で?君は誰かな?用件は?」
僕はハッとして訪問の目的を告げた。
「僕は帝都大の一年で山田隆男と言います。佐藤先輩が卒業後は地元に帰られると聞いて、今お住まいのシェアハウスに佐藤先輩の出られた後、入居させていただけないかと思いまして」
「ああ、シュガーの後輩か。そいや そういう事言ってたような気も…」
彼は僕に断るでもなくテーブルにあった煙草を取り火を点けると、煙を吐き出しながら思い出そうとするように目を細める。
「だったら聞いてるだろ?うちのシェアハウスは家賃安い代わりにルール厳しいよ。俺のモットーは『自分に甘く他人に厳しく』なんでね」
それは聞いていた。町内会の行事の強制参加や門限まであるらしい。しかし、近隣の相場の3分の2程度の家賃に朝食付きで大学まで徒歩圏内とくれば、少々の不自由など何て事はない。
不景気なご時世で父の勤務先の業績が悪化してボーナスがカットされたり、母のパートのシフトが減らされたりする中で、2つ下の弟は実家から通える範囲の大学しか進学させてやれないと告げられたらしい。
去年までは実家の経済状況が今よりマシだったことと、記念受験のつもりだった帝都大に受かったことで東京で一人暮らしをさせてもらえているのに、弟は県外の大学を受験する事さえ許されない。申し訳なくて、少しでも仕送りしてもらう金額を減らせないだろうかと思っていたら、たまたま佐藤先輩が住んでいるシェアハウスの話を聞いたのだ。
僕が この美しい社長らしきオッサンに それをポツポツと話したら、オッサンはずっと煙草を吸いながら、黙って僕の話を聞いてくれた。
話が終わるとオッサンが何か言おうとして口を開いたが、バターンと大きな音がそれを遮る。
「話は聞いたわよ!」
見るとドアが開いていて、祖母が大事に床の間に飾っていた博多人形そっくりの美人がそこにいた。ただし、髪は寝癖でぐちゃぐちゃで首の部分が伸びたヨレヨレのTシャツをまとった博多人形…
博多人形はソファのオッサンの膝に乗ると
「元リネン室だったとこが空いてるじゃない。他の部屋より狭くて窓小さいけど、そういう事情なら少しまけてあげたら良くない?」
と言ってくれた。
オッサンは眉間にシワを寄せて黙って考えていたが、博多人形がキスをして
「ね?いいでしょ」
と顔をのぞきこむと
「わかったよ」
と言って博多人形を膝からおろした。

博多人形が淹れてくれたお茶を飲みながら、僕の身元の確認や今のアパートからの引っ越しの段取りなどの話をしていると、僕が入って来た掃き出しのガラス戸から
「ただいま~」
という声が聞こえて180後半はあると思われる長身で痩せたピシっとしたスーツ姿の男が入って来た。
オッサンはその姿を見るとニヤっと笑い、僕に
「なあ君、焼肉好き?財布が来たからメシでも行こうぜ」
と言った。
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