全1話

文字数 6,643文字

 二年ぶりに友人の宇野弘樹と会うことになった。
 弘樹とは高校時代からの親友で、当時はいつも一緒につるんでいたが、大学進学を期に疎遠になっていた。俺は午後の講義が終わるとキャンパス近くの喫茶店へと向かい、ブレンドコーヒーを注文したところで彼が現れた。
「よう康雄、元気そうだな。どうだ、大学の方は?」弘樹は久しぶりの再会に屈託のない笑顔を浮かべる。
「なかなか大変だよ。入学前はもっとキャンパスライフを満喫しようと思っていたんだけど、教授が厳しい人でレポートを山の様に提出しないと単位が取れないんだ。おまけに実家からの仕送りだけだとキツキツだから、バイトも掛け持ちしないといけないし。――弘樹の方こそ大工の見習いはどうなんだ」彼は高校を卒業して地元の小さな建設会社に就職している。
「親方が昔堅気の頑固者でしょっちゅう殴られてばかりだよ。お陰で頭の形が変形しているだろ」頭を向けながら笑い声をあげた。
「それは元からだ。……ところで今日はどうした。何だか昨日の電話では大事な話があるって言っていたけど」
 すると弘樹の声のトーンが急に下がる。
「そうなんだよ。いいか、こんな事話せるのはお前くらいしか思いつかなくてな」弘樹はおどけた表情から一変して神妙な顔つきとなった。「実はオレ、ゾンビなんだ」
 一瞬間が空いた。言葉の意味が理解できなかったからだ。
「そうそう俺もゾンビだよ。毎日レポートとバイトに追われて正に死に体だよ」
難しい顔になった弘樹は、テーブルに肘を載せ、前のめりの姿勢になった。
「真面目に聞いてくれ。オレは真剣に話しているんだ!」
 弘樹は拳を握るといきなりテーブルを叩きつける。その眼は血走っており、両目を見開いてすがるような表情を向けていた。
これは本気(マジ)なヤツだ。
 俺は声を低めて出来るだけ冷静に努める。
「分かったからちゃんと説明してくれ。俺が理解できるように」
 テーブルに置かれたおしぼりで軽く手を拭うと、弘樹は興奮して済まないと頭を下げた。
「一週間前の事だ。いつも通り、朝、目が覚めると何だかいつもと違う気分がした。どこがどうって訳じゃない。ただ何となく頭がすっきりしないというか、逆にはっきりしすぎるというか……とにかく普通の感覚じゃないんだ。視界も妙にぼやけているかと思ったら急に鮮明になったりしてな。ほっぺたをつねってもまるで痛みを感じないし、それどころか物を触っている感触すらしないんだ。夢でも見ている感覚さ。――何だか怖くなって体のあちこちを触ってみたら、何と心臓が止まっているみたいなんだ」そう言って弘樹は左手を差し出すと、脈を計るようにと促してきた。
 そんな馬鹿なと思いつつも、恐る恐るその手を取り、脈を診てみると、確かに鼓動を感じない。
「試しに心臓、触ってみるか」そう言って上着を脱ぎ隣の椅子に掛けると、シャツをめくり上げる。俺は震える指先を弘樹の左胸の部分に押し当てる。
「な、言ったとおりだろ」絶句して口のきけない俺に、彼は勝ち誇ったような顔を向ける。
「……病院には行ったのか」そう言葉にするのが精一杯だった。
「もちろん直ぐに行ったさ。医者も驚いてたよ。すぐさま大学病院で精密検査を受ける様にと言われ、紹介状も出してもらったんだ。……下手すると救急車でも呼びかねない剣幕だったな、あれは」彼はすまし顔でどこか他人事のようである。
「それで精密検査は受けたのか」
 だが、弘樹は首を振った。
「いや、仕事が入ってるから直ぐには無理だよ。でも違和感の正体がわかると案外、気が楽になってな。検査は今度の休みでもいいかなって」
「いやいや、正体なんて全然分かってないでしょ。心臓止まっているんだよ。どうしてそんなに冷静でいられるんだ」俺は訳が分からなかった。目の前にいるのは本当に弘樹なのだろうか?
「何でかな。元々小さなことは気にしない性格だから」
「気にしろよ! 全然小さな事じゃないだろ。俺だったら、もうパニックで心臓が止まっちゃうよ」
「そのジョーク、面白くないって」弘樹は何でもないように首を回した。
 渋々ながらも現実を受け入れようとしたが、手の震えが止まらない。コップの水を飲もうとするが、うまくいかずに半分がこぼれた。見かねた店員が、水を入れに来ておしぼりを差し出した。俺は黙って注がれた水を飲み直すと、ようやく少し冷静になった気がした。
「だからゾンビなのか。……で、体調はどうなんだ」
「それがすこぶる快調なんだよ。いくら働いても全く疲れないし、夜になっても少しも眠気が来ない。もう一週間以上寝てないが何の問題も無い。むしろ元気がみなぎっているくらいさ」弘樹は力こぶを見せ、元気さをアピールする。
「食欲はどうなんだ」
「全く無いんだな、これが。一応食べたり飲んだりは出来るんだが、内臓が機能していないのか、口に入れたものがそのまますぐに出ちゃうんだ。気持ち悪いから最近何も食べていない」確かに弘樹はさっきからテーブルに置かれたコーヒーに一切口をつけていない。
「親御さんとか会社の人には話してないのか」
「誰にも話せる訳ないだろ。こんな荒唐無稽な話。お前だから話したんだよ」
「それで、その、やっぱり噛み付いたりしたくなっちゃうワケ?」俺は怯えながら訊いた。
「そうビビるなって。あれはテレビや映画での話。俺がその気なら、今日、会った瞬間に噛みついているって」言いながら両手を前に出して噛みつく仕草をみせた。
「それもそうか」俺は安心して胸をなでおろす。
「他にも急に力が強くなったり、見境なく人を襲ったりなんかしない。人権、いやゾンビ権侵害もいいところだ」苦笑いの弘樹。こうしてみると彼がゾンビだとはどうしても思えない。
「それで、これからどうするんだ」俺は弘樹のことが心配でしょうがなかったが、敢えて何気ない風を装った。
「ま、さっきも言ったけど、気にはなるから今度の休みにでも一応精密検査は受けるつもりさ。ひょっとしたらはめ殺しの窓で、外側からしか鍵のかからない病室に監禁されるかもしれないけどね」
 その後、しばらく雑談をしたのちに、新しくなったメアドを交換して別れた。弘樹は平気な素振りを見せていたが、果たして人はそんな状況に陥ってもあんなに冷静にいられるものだろうかと、彼の背中を見送りながら思いを巡らした。

 家に帰ると直ぐにパソコンを起動し、ネットで弘樹の症状を検索してみた。
 すると意外な事に世界中で類似した現象が頻発している事がわかった。
 あるサイトによると原因は未だ不明だが、半年ほど前からメキシコを中心に世界各地へ広がりを見せているという。
 記事によると、ある日突然、心停止を起こして、その後何事も無かったかのように生活している、いわゆる“隠れゾンビ”が、現在確認されている八十六人以外にも、数百人いると推定されているらしい。
 弘樹もその“隠れゾンビ”の中の一人なんだろうか。

 それから数か月もしないうちにテレビで頻繁に取り上げられるようになった。
 国内にも弘樹のような発症者が現れ、人々が混乱し始めたからである。
 どのニュースでも、押し並べて『ゾンビたちに危険は無いから、むやみに騒ぎ立てたり、攻撃したりしないように』との趣旨の発言から始まる。『彼らは人に危害を加えない』。『感染の恐れも無い』。『彼らも同じ人間だからこれまでと同じように接するように』等……。
 世間はパニック状態だった。
 ワイドショーに呼ばれたゾンビの専門家(どの分野にも専門家がいるもんだ)の話は様々だった。原因として考えられるのは、何処かの独裁国家が秘密裏に開発していた細菌兵器が漏れ出しただの、エイズやインフルエンザウイルスの突然変異だの、吸血鬼伝説に準え、オカルトめいた話になったり、果ては増えすぎた人類への神からの懲罰だといった、眉唾ものの話をまことしやかに語っている。
 また、ある番組では発症する患者(?)には共通性が見られないとの見解が出されていた。
 例えば過去の病歴はもちろん、年齢や性別、住んでいる地域、人種、血液型、食べ物の種類まであらゆる調査が行われたらしいが、原因は未だに不明。ウイルスかどうかさえも確定されていない。
 原因が特定されないので予防法はなく、当然ワクチンも存在していない。ゾンビの総数はネットで見た時よりも急激に増大しており、隠れも含めて世界中で二万人に昇っている様子だと語っている。
 こうなってくると世の中おかしなもので、一年もしないうちに“隠れゾンビ”が隠れなくなり、弘樹のように堂々と自らをゾンビと公言する者も現れ始めた。
 あちこちでゾンビの人権(ゾンビ権?)を守るデモや集会が起こり、テレビにも出演して自らの存在意義を主張していた。
 彼らはゾンビという呼び方さえも差別だと異議を唱え、自ら“不死人(ふしじん)”や、止まっている時間の人と書いて“止時人”(しじじん)という名称を唱えだした。
 それがやがて発音しづらい止時人から、語感の似ている“詩人”となり、いつしか”ポエマー“と呼ばれるようになっていった。
 政府も対応に追われ、緊急処置として彼らに改めて戸籍を発行する頃になると、街のコンビニの求人募集の貼り紙に『ポエマー歓迎』の文字が目立つようになっていった。ポエマーは疲れを知らず、その気になれば二十四時間働ける為、コンビニの店員にはまさにうってつけだったのた。

 勿論、彼らポエマーにも弊害があった。
 疲れを知らず、飲食の必要も無く、不眠不休で活動できる代わりに、活力が無く感情が次第に薄れていくのだ。
 何の前触れもなく、突然、無気力になったり、映画や音楽を楽しめなくなったり、やがて無口になりただ作業をこなしていく日々になるらしい。弘樹からのメールも、始めの頃は意気揚々とポエマーライフをエンジョイしているという趣旨の文面が多かったが、やがて無機質な事務連絡になり、ついぞ、それすらも途絶える様になっていった。
 さらに問題となったのは痛みを感じないという事だった。
 一見便利そうで、特に問題もなさそうだが、話はそう単純ではない。
 ケガをしても本人は気づかず、周りの誰かが気付いた時には、既に指が無くなっていたり、足が逆の方向に向いていたりして大騒動になるというケースが頻発したのだ。
 そこで政府はポエマーに対して、まるで車のメンテナンスのように、一週間ごとに検査を受けなければならないとの規定を設け、さらに専用のクリニックをあちこちに建設した。
 政府の依頼した脳外科医は、その原因は脳にあると指摘した。
 新陳代謝を行わない彼らの脳は活動が鈍化し、新しく覚えることも、何かを想像する能力も欠落してくるというものだ。痛覚の他に、生殖器官などの神経機能が著しく低下しているとの研究結果が発表された。
 また同時に成長も止まるらしい。ポエマーになると、徐々に成長ホルモンが分泌されなくなることが確認されたためだ。
 例えば三歳児が発症したら何年経っても三歳のまま。六十歳だとずっと六十歳のままの身体でいなければならないらしい。
 ふと弘樹の事を思い出す。彼はどうしているだろうか?

 俺は二年ぶりに弘樹と会う約束を取り付け、いつもの喫茶店で落ち合う事にした。彼の見た目は相変わらずだが、心なしか少しやつれている様にも見える。
「弘樹、どうだ? 最近の調子は」俺は出来るだけ昔みたいに明るく声を掛ける。
「別に何にも。変わった事なんて何もないよ」だが、言葉とは裏腹に弘樹の言葉にはまるで生気が感じられなかった。
「食欲はあるのか」
「それはお前もよく知っているだろう。ポエマーには食欲なんて概念が無いんだ」
「仕事の方は順調なのか」
「それも相変わらずだ。毎日をただ漠然とこなしているだけ。やりがいなんて糞くらえだ」口調に抑揚が無く、まるで別人のようだった。
「みんなも心配しているだろう。大丈夫なのか」
「確かに最初の頃は両親や兄貴も心配していた。職場の親方もな。……だが数か月も経つとみんな慣れっこになったのか何も言わなくなったさ。こっちもその方が有難い。下手に心配されてもどうしようもないからな」
 淡々と語ると、やがて席を立ち、面倒くさそうな面持ちで伝票をひったくると、ここはオレが払う、もう連絡しなくて結構だと捨て台詞を吐くと、弘樹はその場を後にした。
 もうかつての弘樹ではなかった。月並みな表現かもしれないが、ゾンビというよりロボットの様な印象だった……。

 それから数年が経ち、俺は大学を卒業して、とある旅行代理店に就職した。
 この頃になるとポエマーはすっかり市民権を得ていて、俺のような普通(?)の人間は非ポエマーと呼ばれるようになった。
 会社には同僚や上司たちにもポエマーが混じっていて、彼らはポエマー限定のツアーを企画して成功を収めていた。
 趣味を持たない彼らは金を貯め込んでおり、その使い道に難儀していた所、全国の墓地巡りという、俺たち非ポエマーにはどこが良いのかさっぱり分からないツアーが当たったのだ。
 きっと彼らには永遠に訪れない死というものに思いを馳せてみたいのだろう。
 俺は非ポエマー向けのツアー企画を担当させられたが、その規模は年々縮小されていった。

 やがて時は経ち、俺が三十を迎える頃、生涯の伴侶となる女性と出会った。
 その頃にはポエマーはこの国の人口の三割を超えていた。
 専門家の話では隠れポエマーを含めると五割に迫るとの指摘もあるらしい。ポエマー同士のカップルや結婚が珍しくなくなり、ポエマーの自殺が社会問題となっていた。
 彼女は俺と同じ非ポエマーで、出会って三年後にゴールインした。
 俺たち夫婦はあえて子供を作らなかった。
 もし我が子がポエマーになったら、そのショックに耐えられないと思ったからだ。

 ある日、恐れていた事態が起こった。妻がポエマーになったのだ。
 仕事から帰って来た俺に、妻が蒼い顔をしてそう告白したのだ。
 覚悟は出来ていたとはいえ、いざその時を迎えると、衝撃は想像をはるかに超えていた。
 俺は泣きながら塞ぎ込む妻をなんとか元気づけ、どうして自分ではなく妻なんだと神を恨んだ。
 俺が死ぬまでお前を守るからと妻に笑いかけると、じゃあ、あなたが死んだ後の私はどうすればいいのと返してきた。

 やがて数十年が経ち人口の七割がポエマーになった頃、俺は会社を定年して年金暮らしを始めた。妻は相変わらず若いままで、ポエマーになる前と同じように尽くしてくれている。
 このまま、あと数年もしたら俺もこの世を去ることになるだろう。
 そうしたら残された彼女は一体どうなるのだろうか?
 妻はまだ若い。新しいパートナーを見つけて新しい幸せを掴む権利がある。
 別れた方が彼女の為だと独り言を呟くと、いつの間にか涙が止まらくなっていた。
 
 俺は死の淵にいた。
 あれから数年後、流行り病にかかり、あっけなく余命を言い渡されたのだ。
 担当医はポエマーで、その宣告も当然のように淡々としたものだった。
 俺はすでに酸素マスクがないと呼吸すらままない状態で、死期が近い事は明白であった。
 妻はベッドの隣で寄り添っていると、ふと手を優しく掴み笑顔を向けた。
「あなた聞いて、私、妊娠したのよ。もちろんあなたの子供を」
 俺は耳を疑った。ポエマーは生殖機能を失われているはずだ。
「本当よ。最近何だか具合が悪い日が続いていて、気になって今日産婦人科で診てもらったの。そしたら妊娠三十四年目ですって」
 そんな事ってあるのだろうか。だが、妻の顔は真剣そのもの。とても冗談とは思えない。
「それほど珍しい事では無いんですって。医者の話では成長は著しく遅いけど、ポエマーの出産は数年前から二千件以上も報告されているらしいの。私も新聞で読んだことがあるわ」
 涙が出た。俺はゆっくりとまぶたを閉じる。
 この世に我が子を残せる。たとえこの手で抱く事ができなくても、これで何の悔いも無くこの世を去れるというものだ。

 たとえ妻の話が方便だったとしても……。
                                 ――完結――
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