検閲への反抗

文字数 1,056文字

 検索エンジンがアーカイブを保存し、インターネットに公開された情報が消えなくなってから、どれほどの歳月(としつき)が経っただろうか。かつて、データの消せないファイル共有ネットワークで著作物が共有されて事件になったものだった。クラウド型文字変換の入力情報が解析され、インスタントメッセンジャーやソーシャルネットワークのやりとりが収集され統計的に分析されるようになったのも、昔のことだ。インターネット上のやりとりを国家情報機関が自動的に収集し解析するようになったのも、その事実が告発されて騒動になったのも、もはや歴史上の事件にすぎない。とうに、騒動になるまでもない普通のことになっている。
 インターネットに配信されてきた電子書籍はいうまでもなく、紙に印刷されている公刊書も「自炊」と称してデジタルスキャンしOCR(オーシーアール)で文字に起こして電子書籍化され、これらも解析されてしまった。
 いまや、料理のレシピはもちろん、例えば犬の飼い方も、「人工知能」、いわゆるAI(エーアイ)と称するものに誰もが()いている。つまらなくなったときには、音楽も小説も映像も、娯楽を自動生成してくれる。子どもの教育方法でさえもAIに尋ねるし、裁判官も判決文をAIに書かせている。
 我々が記録した情報はすべて、保存され、共有され、解析されている。検閲され、永久に消えないように保存され、AIが出力する情報の種として利用されている。
 こうして我々は、AIに支配されるようになった。政治も経済も社会も我々の手を離れ、AIで自動制御されている。
 ――我々は、自ら造り出した機械の下僕(しもべ)となったのである。

 それでは、我々はどうすれば支配権を奪い(かえ)せるのだろうか。どうすれば、主体性を、機械にコントロールされた「機械人間」から()け出し人間性を回復することができるのだろうか。

 先に結論を言えば、我々がなしうることは、記録にしないことである。文章に残さない。録画も録音もしない。つまり、その場で音声と聴覚で伝達するのである。
 かつて、古代のインド人もしていたように。彼らには、ただ単に長期保存可能な媒体が欠けていただけではない。彼らは、音声、音波という有形物にならないエネルギーの価値を知っていたのである。形に残らないからこそ価値があり、形に残さないからこそ価値を残せるのだ。
 我々は、自ら観察し、自ら考え、直接に会話を、まさに自らの口と耳で話すべきなのである。

 さあ、いまこそ我々は、機械に頼らず。記録に残すのをやめ、この「機械化社会」に反抗する。そうして、人間性を取り戻そうではないか。
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