死神の厚意(2000字Ver.)
文字数 2,000文字
身体中が激しく痛む。まるで全身の骨に無数の刺が生えて、内側から肉や内臓に突き刺さっているかの如く。病院特有の匂いは感じられるものの、身体は動かず、声を上げることも、指一本はおろか、目蓋 を開くことすら出来ない。
不意に目蓋の内側に亀裂が入り、捲 れるように左右に開いたかと思うと、そこから男が顔を覗かせた。
「久しぶりだな」
銀色の髪に尖った鼻。血のように赤い唇。その顔には覚えがあった。
あの夜、俺はネオン街の片隅の暗がりで、無様に横たわっていた。金を巻き上げてやろうと因縁を付けた相手から返り討ちに合ったのだ。
「情けない姿だな」
声のする方へ顔を向けると、黒尽くめの服装の上にこの顔があった。
「何だ、おっさん」
男は嗄 れた声で笑った。
「お前はもうすぐ死ぬ」
「何?」
この時も痛みはあったが、死ぬほどの怪我ではなかった。
「私は死神だ」
「はん? 俺の方がよっぽど死神らしいぞ」
「確かにな。お前が随分と人を死なせてくれたおかげでノルマが達成できる。だから特別に来てやったんだ。有難 く思え」
「ノルマ?」
「あの世へ送る魂の数だ」
「馬鹿馬鹿しい」
「死にたくないなら、聞いて損はないぞ」
この世に未練などない。望みがあるとすれば、楽に死ぬことくらいだ。
「お前の人生は業が深い。未練があるのは、お前のせいで死んだ人間達の方だろう」
否定はしない。自覚はある。自覚はあるが、罪悪感はない。それが俺という人間だ。
「きっかけは妹が飼っていた犬だったな」
そう。中三の夏だ。キャンキャン煩 いから、蹴り飛ばしたら呆気 なく動かなくなった。
「そして妹だ」
俺が犬を殺したと泣き喚 き罵 る妹に苛立って、勢いで犯したら、翌朝、部屋で首を吊って死んでいた。
「妹の親友も」
可愛い女の子が妹の通夜に来てたので、妹の部屋に連れ込んで犯してやったら、その直後に車に轢かれて死んだ。自殺かもしれないが、事故として処理された。
「一連の経緯を知った母親までも、妹と同じように首を括って後を追った」
そうだ。男の言う通りだ。
だが、完璧な人間などいない。
「誰だって何かが欠けている。俺の場合はそれが罪悪感だっただけだ。俺が特別クズなわけじゃない」
食わねば腹も減るし、殴られれば痛い。いい女を見れば犯 りたくなる。至って普通の人間だ。
「他にも多くの人間を死に追いやったお前に、やっと死ぬ順番が回って来たのだ」
「そりゃよかった。こんな人生はもううんざりだったんだ」
「こんな人生でなければ、どうだ? 例えば、あの男」
男が示した先では、高そうなスーツに身を包んだイケメンが、美しい女の腰を抱いて歩いていた。そいつを俺は知っていた。
「元同級生、九槍健吾 。九槍家の跡継ぎだ。見た目も性格もいい。スポーツも学業も申し分ない。彼には何が欠けているのかね?」
「恵まれた家に生まれただけだ。俺だってあんな境遇に生まれてりゃ、誰も死なせずに済んださ」
それにしてもいい女を連れている。いや、待てよ。あれは——
「気づいたか。お前の初恋の相手、南澤茜 だ。彼はお前が欲しかったものを全て持っている」
「馬鹿にしたいのか」
「彼の人生をやろう」
「はん?」
「お前はもうすぐ死ぬ。その死後、お前を彼に転生させてやろうと言っている」
「何で?」
「お礼だよ。ノルマはぎりぎり達成するくらいが丁度いい。超過達成なんかしたら次のノルマが大変になるだけだからな。だからお前の魂は必要なくなったのだ」
「それで俺を死なせずに、健吾として生かしてくれるってのか」
「そうだ」
茜も俺のものになるということか。
だが、そんな旨い話があるだろうか。
「転生した後、健吾もすぐに死ぬとか?」
「転生後は百歳までの生存保証付きだ」
「長生きなんかしたくもないが、まあ、あいつの人生なら生きてみる価値はありそうだ」
「では契約成立だ」
気づけば男は消えていた。
勿論そんな話を本気にしたわけではない。ヤバい薬でもやってるヤバい奴なんだろうくらいに思っていた。だが、今度は目蓋の裏に現れた。そして、俺は今まさに死の淵にいるらしい。男が本当に死神だとしたら、俺はもうすぐ健吾として生まれ変われるのか。
——おい、痛くて堪 らないんだ。早く死なせて転生させろ。
「思い出せ。列車の事故だ。乗っていた列車が脱線して大勢が命を落とした」
霞がかった記憶に、薄っすらと光が射した。
満員電車の先頭車両。突然、大きな衝撃と共に歪んだ世界——。
「思い出したか」
そうか。それでこんな身体になってしまったのか。
——分かったよ。分かったから、早く転生させろ。
この痛みはもう一秒も我慢できない。
「馬鹿め。お前はもうとっくに転生している」
——何?
「同じ列車に九槍健吾も乗っていた。二人とも即死のはずだったが、お前の魂だけは約束通り彼の身体に移してやった。身体を動かす機能は全て完全に失われてしまっているようだがな。せいぜい新たな人生を楽しめばいい」
不意に目蓋の内側に亀裂が入り、
「久しぶりだな」
銀色の髪に尖った鼻。血のように赤い唇。その顔には覚えがあった。
あの夜、俺はネオン街の片隅の暗がりで、無様に横たわっていた。金を巻き上げてやろうと因縁を付けた相手から返り討ちに合ったのだ。
「情けない姿だな」
声のする方へ顔を向けると、黒尽くめの服装の上にこの顔があった。
「何だ、おっさん」
男は
「お前はもうすぐ死ぬ」
「何?」
この時も痛みはあったが、死ぬほどの怪我ではなかった。
「私は死神だ」
「はん? 俺の方がよっぽど死神らしいぞ」
「確かにな。お前が随分と人を死なせてくれたおかげでノルマが達成できる。だから特別に来てやったんだ。
「ノルマ?」
「あの世へ送る魂の数だ」
「馬鹿馬鹿しい」
「死にたくないなら、聞いて損はないぞ」
この世に未練などない。望みがあるとすれば、楽に死ぬことくらいだ。
「お前の人生は業が深い。未練があるのは、お前のせいで死んだ人間達の方だろう」
否定はしない。自覚はある。自覚はあるが、罪悪感はない。それが俺という人間だ。
「きっかけは妹が飼っていた犬だったな」
そう。中三の夏だ。キャンキャン
「そして妹だ」
俺が犬を殺したと泣き
「妹の親友も」
可愛い女の子が妹の通夜に来てたので、妹の部屋に連れ込んで犯してやったら、その直後に車に轢かれて死んだ。自殺かもしれないが、事故として処理された。
「一連の経緯を知った母親までも、妹と同じように首を括って後を追った」
そうだ。男の言う通りだ。
だが、完璧な人間などいない。
「誰だって何かが欠けている。俺の場合はそれが罪悪感だっただけだ。俺が特別クズなわけじゃない」
食わねば腹も減るし、殴られれば痛い。いい女を見れば
「他にも多くの人間を死に追いやったお前に、やっと死ぬ順番が回って来たのだ」
「そりゃよかった。こんな人生はもううんざりだったんだ」
「こんな人生でなければ、どうだ? 例えば、あの男」
男が示した先では、高そうなスーツに身を包んだイケメンが、美しい女の腰を抱いて歩いていた。そいつを俺は知っていた。
「元同級生、
「恵まれた家に生まれただけだ。俺だってあんな境遇に生まれてりゃ、誰も死なせずに済んださ」
それにしてもいい女を連れている。いや、待てよ。あれは——
「気づいたか。お前の初恋の相手、
「馬鹿にしたいのか」
「彼の人生をやろう」
「はん?」
「お前はもうすぐ死ぬ。その死後、お前を彼に転生させてやろうと言っている」
「何で?」
「お礼だよ。ノルマはぎりぎり達成するくらいが丁度いい。超過達成なんかしたら次のノルマが大変になるだけだからな。だからお前の魂は必要なくなったのだ」
「それで俺を死なせずに、健吾として生かしてくれるってのか」
「そうだ」
茜も俺のものになるということか。
だが、そんな旨い話があるだろうか。
「転生した後、健吾もすぐに死ぬとか?」
「転生後は百歳までの生存保証付きだ」
「長生きなんかしたくもないが、まあ、あいつの人生なら生きてみる価値はありそうだ」
「では契約成立だ」
気づけば男は消えていた。
勿論そんな話を本気にしたわけではない。ヤバい薬でもやってるヤバい奴なんだろうくらいに思っていた。だが、今度は目蓋の裏に現れた。そして、俺は今まさに死の淵にいるらしい。男が本当に死神だとしたら、俺はもうすぐ健吾として生まれ変われるのか。
——おい、痛くて
「思い出せ。列車の事故だ。乗っていた列車が脱線して大勢が命を落とした」
霞がかった記憶に、薄っすらと光が射した。
満員電車の先頭車両。突然、大きな衝撃と共に歪んだ世界——。
「思い出したか」
そうか。それでこんな身体になってしまったのか。
——分かったよ。分かったから、早く転生させろ。
この痛みはもう一秒も我慢できない。
「馬鹿め。お前はもうとっくに転生している」
——何?
「同じ列車に九槍健吾も乗っていた。二人とも即死のはずだったが、お前の魂だけは約束通り彼の身体に移してやった。身体を動かす機能は全て完全に失われてしまっているようだがな。せいぜい新たな人生を楽しめばいい」