第六章 アニスの探索

文字数 11,233文字




「お利口さんのアニサードにやらせるといいぞ、そういうことは。おまえがやるんじゃ不審すぎる」
 この前、勝手に屋敷を出て行ってしまったこと、おまるの汚水捨てを手伝おうとしたことなどで、『何をするかわからない御寮様』の評判が召使の間に広がっていた。
『そういうこと』というのは、ヌマアサガオとマルメ茸を薬草園で栽培しているかどうか、庭師のバシル親方にたずねてみること、だった。アニスと親しいシャムに聞ければよかったのだが、あいにく彼は薬草園の方にはあまり出入りしていない。
「雨が降りそうだな、坊やは来るのか?」
 ドルメンの外に向かい、カズックは匂いを嗅いでいる。
「さあ、召使の動きについては私よりおまえの方が詳しいんじゃないか、キツネちゃん?」
「やめろ、その呼び方は!」
 カズックの本性を知っているのはルシャデールとアニスだけだ。それ以外の人間の前では、まるっきり普通の犬のふりをしている。彼は誰にでも尻尾を振るせいか、召使たちによく可愛がられていた。猫のようにすり寄っていっては、しばしば厨房の残りをもらっているらしい。
 ただ、「キツネちゃん」という愛称を賜ったことだけは不満のようだった。
その時、噂の主が駆け込んできた。
「御寮様、あ、キツネちゃんも」
「その呼び方はやめろ!」
「えーと、カズック様」
「『様』はいらない!」
 そのやりとりにルシャデールが笑う。
「雨が降ってきましたよ。お屋敷に戻った方がいいです」
 うん、その前に、とルシャデールは彼にヌマアサガオとマルメ茸のことを説明した。
 ユフェリへ行く計画が進んでいる。アニスは嬉しそうだったが、自分がバシル親方から情報を得ると聞くと、素直に尻込みした。
「僕が親方に? なんでそんなこと聞くんだって逆に聞かれますよ。僕はうまくごまかせないし、怒ったら、……いや怒らなくても親方は怖いです」
 ルシャデールは親方の姿を思い浮かべた。ごま塩頭の険しい顔つきで、小柄だがその怒鳴り声は心臓が吹っ飛びそうなくらい迫力がある。黙っていてもその厳然とした気は周囲を支配する。彼に対して気圧(けお)されないのはイェニソール・デナンくらいだろう。
「しかし、けっこうあの親爺はおまえのこと気に入っているぞ。しょっちゅう、バカヤロ、何やってんだ! とか言われてるようだが、あれはあの親爺の愛情表現だな」
 気に入られていると言われて、アニスは複雑な顔をしている。
「それで……どういう風に聞けばいいですか?」
「よし、耳を貸せ」

 翌日、アニスは朝からドキドキしながらバシル親方の動静を見守ることとなった。チャンスは庭の四阿(あずまや)の掃除をしていた時に訪れた。
「あの……親方」
 親方はにこりともせずアニスの方を振り向いた。
「ヌマアサガオとマルメ茸はここで栽培してるんですか?」
「何でそんなことを聞く?」
 もじゃもじゃ眉毛を片方だけ上げ、親方はじろりと、少年を睨む。
 その目線に負けないように、気持ちを落ち着けようと深く息を吸い込む。カズックから教えられた口上を思い出す。
「この前、お使いに出た時に……男の人が『おまえ、アビューで働いてるんだろ』って話しかけてきて、ヌマアサガオとマルメ茸はあるのか? って聞かれたんです」
 もちろん、この話はカズックが考えたでっち上げだ。
「植えてないな、そんなものは。あれはもっと南の乾燥したところでないと育たないぞ」親方は首をさすりながら、独り言のように言った。「で、そいつは初めて見るヤツか?」
「はい、初めてだと思います」
 そうか、と親方はうなずく。
「アビュー家は代々癒し手を当主に持つ家だ。素人が扱うには不向きな薬草もある。屋敷の外へ出た時は気をつけるんだぞ」
「はい」
(よし、これで聞くべきことは聞いた)
 アニスはさっさと掃除を終えてしまおうと、手を一生懸命動かす。
「最近、庭で御寮様とよく話しているようだな」
 親方が低い声でアニスに声をかけてきた。
「え……と、そうですか?」
 白い大理石でできた腰かけを雑巾で拭きながら、慎重にアニスは答える。
「おまえのことだから、振り回されているんじゃないのか?」
「いえ……そんなことはないです」
 振り回されているという感じはしない。自分の方が御寮様に頼みごとなどしてしまった。
「おまえがお気に入りだって話だが」
 それはクランも言っていた。使用人の間では噂になっているのかもしれない。噂話というのは、えてして当人の耳には入ってこない。
「年が近いから、おまえのことをいい遊び相手くらいに思っているのかもしれんな」
 トリスタンが成長してずっと、アビュー屋敷に子供はいなかった。昨年の秋にアニスが来たが、彼は自分の立場をよく理解しており、子供らしい『馬鹿げたこと』は一切しない。
 使用人たちの間でルシャデールは評判が悪い。たいがいの使用人は彼女と関わることが少ないから、情報源はほとんどメヴリダなのだが、彼女は愚痴をこぼさぬ日がない。それにルシャデールも子供らしい可愛さがなく、ひねこびているから、大人に愛される子とは言い難かった。
「おれたちの前では口をひん曲げて、毛を逆立てた猫みたいに反抗的な顔しか見せないが。おまえの前では少しは笑ったりするのか?」
「はい、少しは。本当は……たぶん、優しいんだと思います。」
 アニスは薬草園で会う時のルシャデールを思い出す。頻伽鳥(びんがちょう)の歌を聴いていた彼女は、はにかむような笑みを浮かべていた。
 見知らぬ人ばかりのアビュー屋敷に引き取られてきたルシャデール。家族を失って他人の中で働くアニス。親方のまなざしに憐みがにじむ。
「メヴリダはすぐヒステリー起こす女だし、ま、あいつの言うことは話半分に聞いておかないとな。御寮様も、もう少し愛想っ気があるとまた違うんだろうが。しかし……生意気じゃないか?」
 親方はにっ、と笑った。
「はい」アニスは苦笑した。
 親方はふたたび真面目な顔に戻った。
「言うまでもないことだが、御寮様はこのお屋敷のお嬢様だからな。生まれはどうあれ、俺たち召使とは身分が違う。そこんとこ、きちっとわきまえておきな。でないと、いらぬ(わざわい)を招くってもんだ」
 アニスは黙ってうなずいた。
 
 次にすべきことは、施療所にマルメ茸とヌマアサガオがあるか調べることだった。これもアニスの方が適任だった。毎日のように施療所に摘んだ薬草を届けているのだ。
「三蛇草持ってきました。」
 いつものように、施療所の勝手口から修道尼に声をかける。
「ありがとう、アニス。そこに置いて下さいね」
 表の方から返事がした。ドゥラセ修道尼はケガ人の手当をしているようだ。アニスはざっと中を見渡した。大小たくさんの引き出しがついたたんすが壁に沿って並び、棚には薬研(やげん)や乳鉢がいくつも置かれている。手前にはお湯をわかしたりするための、小さなかまどもあった。その横の水瓶はアニスがすっぽり入ってしまえるほど大きい。中の水はけさ彼が汲んだものだ。
 彼がいる裏口と対角の位置に、部屋の角を挟んでドアが二つある。右のドアは治療室へ。猫が通り抜けられるくらいの幅に開いていた。隙間から病人や尼さんたちが見える。左のドアは……薬草の保管庫だ。
 アニスは治療室の方をちらりと見た。尼さんが誰かと話している。忙しそうだ。忍びこんでも見つからないだろうか?
 その時、外で荷車の音がしてドアが開いた。
「尼さんはいるかね、坊や?」
 出入りの商人バフチェリだった。いろいろな種類の薬草の入ったつづらを抱えている。どれも遠方から取り寄せている薬草だ。それを横目に、アニスはドゥラセ修道尼を呼んだ。運んできた薬草は荷車に一杯ある。
「おじさん、荷物降ろすの手伝おうか?」アニスは申し出た。
「おお、助かるよ。」バフチェリは何も疑わず手伝わせてくれた。
 出てきた尼僧とバフチェリが話しこんでいる間に、アニスは運びながら箱や布袋に書かれた文字に目を走らせる。
 探し物が見つかったのは半分ほど荷物を下ろした時だった。ヌマアサガオとマルメ茸はそれぞれ小さな麻袋に入っていた。そこへバフチェリが戻って来た。
「坊や、悪かったな。他にも仕事があるんだろ? ほら、これは駄賃だ」
 そう言って5デケル銅貨を投げてくれた。
 ありがとう、と礼を言って、アニスは怪しまれないように、すぐ施療所を離れた。計画は着実に進んでいた。

 翌日の午後、ドルメンへ行くとルシャデールが険しい顔で待っていた。カズックはいない。
「どうしたんですか?」
「別に……遅かったじゃないか」
 ぶすっとしてルシャデールは口をとがらせ、軽くにらむ。
「ごめんなさい。料理長のケプトさんに引き止められていました。これを、御寮様にって」
 アニスは持っていた小さなふた付きの籠と真鍮製の水筒を差し出した。
「何、これ?」
ルシャデールは受け取ってふたをあけた。中にはハムや野菜を包んだトルハナが三つとチーズ、ゆで卵、それに干しあんずが三つ入っていた。
 さっき昼食を終えて仕事に戻ろうとしたアニスをケプトが呼び止めたのだ。
『御寮様に渡してくれ。最近、ほとんどお食事を召し上がらないんだ。健康な育ちざかりの子供が食べられないなんて、あるはずがないからな。御寮様は午後からたいていお庭にいらっしゃるんだろう? 持って行って差し上げてくれ』と。
「僕にも干しあんずをくれました」アニスはにっこりと、白い小袋を見せた。
 ルシャデールは口をとがらせてうつむき、上目使いに少年を見る。
「よけいなお世話だ」
「心配してくれているんです」
「……せっかくだからもらっておく」
 ルシャデールはその場に座りこむと、不機嫌な表情は崩さずにがつがつ食いつく。アニスはくすり、と笑みを浮かべた。御寮様が養父を嫌っているという噂はアニスの耳にも入っていた。そのせいか、養父の部屋での食事を嫌がって、ほとんど料理に手をつけない、ということも。
(あんなお優しい御前様なのに。御寮様だって、本当は嫌ってはいないんじゃないかな。ただ、あの薔薇園の家のことで、がっかりしたんだ)
 アニスは彼女の向かいにしゃがんで干しあんずをかじった。食べながら、彼は施療所に二つの薬草があることを話した。
「じゃあ、あとは忍び込んで、必要な分をちょうだいするだけだ」
 空腹を満たしてすっかり機嫌のなおったルシャデールはさらりと言った。
「……忍び込んで?」アニスは聞き返した。
「そうだよ。おまえ、まさか尼さんか誰かに、頼むつもりだったのかい? ユフェリに行くので、マルメ茸とヌマアサガオを少しわけてください、って」
「え……いや……」
 そうは思っていなかったが、『忍び込んでちょうだいする』とは盗みに入ることだ。
 彼の躊躇(ためらい)を気にもとめず、ルシャデールは言った。
「今日はもう病人は来ない。だから、今夜、取りに行っておいで。いいね?」
「今夜? えっ! 僕が一人で行くんですか?」
「他に誰がいるのさ」
 屋敷の本棟では、夜九時くらいまで従僕が急な来客に備えて玄関に侍している。ルシャデールが見つからずに抜け出すのは難しい。
「心配ならカズックを連れて行きなよ」
「はい……」アニスはつぶやく。
 心の準備ができていません、御寮様。
「邪魔は入らない。大丈夫、必ずうまくいく」
 そう言い切って、ルシャデールはうれしそうに、にっと笑った。初めて見る、楽しそうな顔だった。その表情にアニスの心はぽーんとはじかれた。胸の奥深くで軽快なメロディーが流れだすような感じだ。
(まあ……いいか)
 知らず知らずのうちに彼も笑みを浮かべていた。

 まあいいか、と思ったものの、実際に忍び込む段になると、怖気づかずにはいられなかった。見つかったら、最低でもご飯抜きは覚悟しなければならないだろう。幸いカズックがついて来てくれたから、不安のどん底というわけではなかった。
『おれは昔話の妖精や魔神じゃない。人間の手下になって働くなんてまっぴらだ。しかも、神が盗みを手伝うのか?』
 一緒に来てくれと頼んだら、カズックは渋い顔をした。結局パストーレン三枚で買収した。
 六月。陽の入りは遅い。夕食を早めにすませたアニスは、小さなランタンを手に人目を避けつつ施療所の方へ近づいていく。狐顔の犬も後ろからついていく。
 施療所で働く尼僧は三人いるが、二人は四時頃に、近くのモトレム修道院へ帰る。一人は急な病人やけが人にそなえて、七時頃まで残っていた。
 それ以降は翌朝まで無人だ。しかし、出入り口は施錠されてしまうし、その鍵は執事ナランの預かりだ。
 他人の部屋から鍵を持ち出すのは、アニスには無理だった。施療所に盗みに入るだけでも抵抗があるのに、他人の部屋へ鍵を取りに行くとなると、荷が勝ち過ぎた。それに見つかった時のことを考えると、あまりに危険だ。
 とすると、尼さんがいなくなる前に、忍びこまなければならない。そして、すみやかに目的の物を見つけ出し、脱出。うかうかしていると、尼さんがカギをかけて帰ってしまい、朝まで閉じ込められることになる。
 勝手口のドアの前で、そっと中の様子をうかがう。物音はしない。もっとも、尼さんの動きは静かで上品だから、ガチャガチャ音を立てたりしないだろう。
「よし、いいぞ」一緒に聞き耳をたてていたカズックがささやいた。
 ドアの取っ手をとり、そーっと開けてみる。誰もいない。アニスはもう少しドアを開ける。
 音をたてないようにドアを閉めた。心臓がバクバクする。治療室の方で音がした。
「あわてるなよ」
 そろりそろりと薬草庫へ近づいていく。体を動かすたびに、筋肉が音をたててきしむようだ。
 保管庫のドアをゆっくりと開け、中へすべりこむ。
「よし、探せ。おれは尼さんが来ないか見張っている」
 ドアは少しだけ開けたままにしていた。カズックはそこから治療室の方を見ている。
 アニスはランタンを掲げて棚の札を見ていく。サフラン、サントリーナ、生姜、賽の目、アルテミシア、丁子、ラバーミント……。札の字は薄くなっていて、小さなランタンの灯では読みづらく、上の方の棚は明かりが届かない。アニスは背伸びしてランタンを掲げる。その時、左袖が柱の燭台に引っかかった。
「うわ!」
 ガラン、ガランと音を立てて燭台が床に転がる。
「誰かいるの?」尼さんが治療室の方からやってくる。
「バカ、隠れろ!」
 カズックに言われるまでもなく、アニスは部屋の隅に置かれた大きなつづらの陰に隠れた。
 ドアが開いた。同時にカズックがウォン! と吠える。
「あら、キツネちゃん。どこから入ったの? いやだ、ドアが開いていたのね。いらっしゃい、そこにはおいしい物なんてないわよ」
 カズックと尼さんが出て行く。ガチャン、ビン! と鍵の重い音がした。
(え? ウソだろ?)
 あわててつづらの陰から這いだし、ドアにかけよる。取っ手を回そうとするが、びくともしなかった。
 治療室の灯りが消えた。
 しばし呆然とし、それからあたりを見回した。薬草の中には、貴重なものも多い。盗難防止のため窓もなかった。額から脂汗がにじんでくる。
 明日の朝、アニスが水汲みに出て来なければ……。厨房や厩、屋内の掃除、いろいろなところに支障が出る。いや、水汲みそのものは誰かがやってくれるだろう。とにかく、彼がいないことが屋敷の人間に知れ渡る。尼さんが施療所に来るまでは、ここから出られないだろう。
 アニスはためいきをつき、その場に座り込んだ。
「ひどいよ、御寮様。大丈夫って言ったじゃないか」
 お小言とご飯抜きじゃすまないかもしれない。暇を出されるなんてことは……。そしたら乞食みたいなことになっちゃう……。
 彼は頭をぶんぶんと横に振った。そんなことはその時になったら考えればいい。まず、ユフェリへ連れて行ってもらうことが先だ。まだ起こってもいないことにやきもきするのは馬鹿げている。それに、カズックがなんとかしてくれるかもしれない。
 しばらく黙ってランタンの灯りを見つめていた。すこしずつ気持ちが落ち着いてくる。「マルメ茸とヌマアサガオを探さなきゃ」
 アニスはランタンを手に立ち上がった。

 今、何時頃だろう……。
 ルシャデールは寝返りを打った。アニスが施療所に閉じ込められたことを聞いたのは、ベッドに入ってからだ。カズックはそのことだけ伝えると、さっさと立ち去った。
(あいつ、最近冷たいな)
 以前のカズックなら、どうすればいいか、ヒントになることぐらいは教えてくれたはずだ。やっぱり、あいつは神なんだな、と彼女は逆説的に考える。人が助けて欲しい時には助けてくれないのが神だ。
 どうしたらいいか、さっぱり知恵が浮かばない。朝までに、施療所の鍵を手に入れるのは不可能に近い。そもそも、どこにあるのかさえルシャデールは知らない。
「絶対うまくいくような気がしたんだけどなあ」
 彼女の勘は十中八九、はずれないのだが。
 ルシャデールは布団から起き上がった。そろそろ玄関の従僕はいなくなっただろうか。
 そっと廊下に出てみる。階段の上からのぞくと、玄関に従僕の姿はなかった。
 ゆっくりと階段を降りて行く。最初の踊り場に着いた時だった。
「御寮様」
 後ろから呼び止められた。振り返るまでもなくデナンだ。
「どうなさいました?」
 だいぶん前にカズックが言っていたことを、唐突に思い出す。
『武術の達人ってやつはユフェレンに近いものを持っている。目に見えない気を感じ取る力が常人に比べて秀でているんだろう。人によっては、眠っていても気の乱れに目を覚ます』
 ルシャデールは振り返った。デナンは階段を降りて来る。
「お休みになれないのですか?」
「……」
 何と答えていいか、しばし考える。デナンなら、他の者(執事や家事頭、他の召使のことだ)よりうまく取り計らってくれそうだ。
「カモミールのお茶でもお持ちしましょうか?」
 ルシャデールは首を振った。今、お茶を飲んで寝てしまうわけにはいかない。アニスが閉じ込められたままになってしまう。
「……他の人には言わないで」
「何をですか?」
 彼女はアニスが施療所の薬草庫へ忍び込み、鍵をかけられてしまったことを話した。
「アニスを叱らないで」
 ルシャデールはデナンの前にまわり、彼を見上げて言った。
「そうはいきません。夜、施療所の薬品庫に忍び込んだ者を、そのまま放っておくことは本人のためにもなりません。なぜ彼はそのようなことを?」
「……薬草を取りに」
「何の薬草ですか? それに、何のために?」
「……」白状すべきかルシャデールは迷った。自分は叱られればすむが、アニスはそうはいかないだろう。
 答えない彼女にデナンが言った。
「では、交換条件を出します」
「交換条件?」
「御寮様が明日の朝から、お食事を御前様のお部屋できちんと召し上がること。話しかけられたときは、無視せず応えること。その二つです。」
「……わかった」
 しぶしぶ彼女はうなずいた。
「では、今回のことはわたくしの胸にしまっておくことといたします。」
 そう言って彼は部屋へ行き、鍵の束と明かりを持って来た。
「一緒にいらっしゃいますか?」
 ルシャデールは黙ってうなずく。
 施療所に向かいながら、もしかしたらデナンは知っているのかもしれないと思った。ユフェリ行きの計画のことだ。
実は頻伽鳥が来た翌日、デナンにたずねられたのだ。昨夜遅く庭を散策していたようだが、眠れなかったのか、と。庭で、アニスと話していたことを聞いていたかもしれない。
「知っているの?」たまらずにルシャデールはたずねる。
「何をでしょうか?」
「私とアニスが何かしているって、気がついているんでしょ?」
「はい」
「聞かないの?」
「お聞きした方がよろしゅうございましたか?」
「……何か悪さを企んでるかもしれないよ」
 ふっ、とデナンが笑った。
「たとえ悪さであろうと、仲間と何かを企むのは楽しいことではありませんか? ……わたくしにも覚えがございます」
「何をやったの?」ルシャデールは興味を持った。
 たいしたことではありません、と、いつもと変わらぬ顔で彼は答えた。
「あまり友好的とは言えぬ高貴な知人を、芳しき穴で入浴していただく。その程度のことです」
 生意気で鼻持ちならない大貴族の息子を、肥溜めに落としてやった、というところだろうか。
「友人の発案で、計画の細部はわたくしが練りました」
「ふーん、けっこうなことやってるんだ。その友達は今どうしてるの?」
「二年前に亡くなりました」
「え?」
「土砂崩れで家ごと埋まってしまいました」
 それは、と言いかけてルシャデールはやめた。もう施療所についていた。
 鍵を開け、真っ暗な中にデナンがランタンをかざす。棚やかまどが大きな影を作って浮かび上がる。彼は薬草庫のドアへ向かった。
 アニスは……床の上で足をかがめ、横向きになって眠っていた。
「アニサード、起きなさい。アニサード」
 デナンが少年の肩をゆするが、まったく目覚めようとしない。
 どうやら薬草のせいらしい。たくさんある薬草の中には香りだけで眠気を催させるものもあった。
「のんきに寝ているよ」ルシャデールはつぶやく。こっちはさんざん心配したのに。
 デナンはランタンを置き、少年を抱え上げた。
「おそれいりますが、鍵とランタンをお願いします」
 手のふさがった彼に代わってルシャデールが鍵をかけた。
「わたくしはアニサードを西廊棟へ連れていきます。御寮様はお部屋へお戻り下さい」
 
 部屋に戻ると、カズックが布団の上で丸くなって寝ていた。
「肝心な時はいなくて、事が終わってから現れるのか」
「おれは人間の使い走りじゃないからな」カズックは鼻を鳴らす。
 ルシャデールはベッドの端に座り込んだ。
「アニスがこの屋敷に来たのは偶然じゃなかった……」
「偶然なんてこの世に一つもないぞ」
「デナンはアニスの父親を知っていたみたいなんだ」
「そうか」
「アニスはそのことを知らないと思う。だけど、デナンはずっとアニスを気にかけていたのかもしれない」
 ルシャデールはため息をつき、そのまま後ろに倒れこむ。
「まともな親にはまともな知り合いがいる。ろくでもない親の周りにいるのは、やっぱりろくでもない奴ばかり。でなけりゃ、誰もいないか」
 ルシャデールはカズックの方に顔を向けた。
「『神様』はそういう奴らに何もしようとしないんだね」
「届かないことが多いな」カズックは少し顔をゆがめた。「おまえが言う『ろくでもない奴』に、おれやユフェリにいる連中の声は届かないことが多い。聞こうとしないしな。だから、坊さんや巫女さん、おまえのようなユフェレンが必要なのさ」
 カズックの口調には、どこか悲しげな響きがあった。

 次の日、アニスはドルメンでルシャデールを待っていた。
 けさ、目が覚めた時の困惑はまだ続いていた。昨夜、確かに薬草庫に閉じ込められていたはずなのに、いつの間にか西廊棟の自分の部屋に戻っていた。もしかしたら薬草庫に忍び込んだこと自体が夢だったのかと思ったが、小テーブルの上にはマルメ茸とヌマアサガオが布に包まれて置いてあった。
 とすれば、誰かが部屋へ連れてきてくれたのだろうか? 誰が?
 足音がして、振り向くとルシャデールとカズックだった。
「ばーか」開口一番、彼女は言い放った。それから、夕べ何があったか話してくれた。
「デナンさんが……」
「なんだ、何にも聞いてないんだ。デナンと話をすることはないの?」
 アニスは首を振った。食事の時ぐらいは顔を合わせるが、言葉を交わすことはなかった。
「デナンさんは御前様のおそばにいる方だし、僕なんかとは違います」
「ふーん……で、首尾は?肝心の物は手に入った?」
 アニスはかくしから布の包みを出し、開いてみせた。傘の真ん中に丸く黒い模様が一つ入っている白いきのこが二つと、黒いヌマアサガオの種だ。
「もしかしたら、デナンさんはこれを見たんでしょうか?」
「あの人、私たちの計画に気づいているよ。何をしようとしてるか、この二つを見ただけでわかったんじゃないか」
「……」
「でも、何も言わない。なんでだろうね」彼女は片頬を上げて笑った。
 アニスにはそれをどう受け取っていいのかわからなかった。僕童ふぜいが御寮様をユフェリ行きに利用したのだ。とがめられて当然に思えた。だが、ルシャデールはそれほどデナンのことを気にはしていないようだった。
「大丈夫、あの人は邪魔しないよ」
「大丈夫って、御寮様……昨日もそうおっしゃったけど」
 アニスは苦情を申し立てようとする。
「うるさい!」ルシャデールはさえぎった。「私は邪魔は入らないって言ったんだ。それは当たっていただろ。閉じ込められたのは、おまえがのろまだからだ。心配してデナンと迎えに行ったら、ぐーぐー寝てるし。それに、結果的には薬草も取ってこれたじゃないか!」
「はあ……」まくしたてられて、アニスは黙る。 
「あとは、いつ、どこで実行するかだ」
「ドルメテ祭の時はどうですか?」
 アニスが言った。夏至の日をはさんで五日間行われる祭りだ。
「その間、御前様はお祭の御用がありますから、お屋敷を留守にされます。もちろん、デナンさんも一緒です。それで、僕たち召使は少しのんびりした感じになるんです」
「気が緩むってこと?」
「はい」
 常日頃の生活態度については、家事頭がいつもうるさく使用人たちに言っている。酒は飲むな、たばこは体の毒だ、賭け事は人生を狂わせる、悪所通いは病気をうつされる……。どれも子供のアニスにはあまり関係ないが、それでもよく忠告やら戒めの言葉などをもらう。
『仕事は常に三歩先を考えて行わねばなりませんよ、アニサード。そうすることで、効率的に動くことができ、同じ仕事をしても疲れ方が少ないのです』とか、『物事は一つ一つ終わらせてから、次のことに移りなさい。ねずみの食べかけみたいなやり方はだめですよ』などと。
「普段厳しい家事頭さんも、ドルメテの時は大目に見てくれるんです」
「うん、じゃあ祭りの時にしよう。薬草はどこで煎じる?」
 アニスはちょっと考えた。人に見つからないところとなると、このドルメン以外に考えつかなかった。
「ここがいいと思います。ただ、煎じる時、まるっきり誰もついていないのは心配なんですが。僕は仕事がありますし、御寮様見に来れますか?」
「午前中は勉強がある。午後なら来れるだろうけど……。カズック」
 ルシャデールはそれまで黙っていた犬の方を振り返った。
「おれにやってくれっていうのか?」
「頼むよ」
「お願いします」アニスも手を合わせて頼みこむ。
 仕方ねえな、とカズックは承諾してくれたが、それほど嫌そうではなかった。
「必要な道具はそろえてくれよ。煎じるための土瓶やラペム、燃料は……とろ火にするなら炭団(たどん)だな」
 ラペムは携帯できる簡易コンロだ。土製で炭団や炭を入れて煮炊きをする。
「それは僕が用意します。心当たりがあります」
「土瓶は?」
「探してみます」
「うん」
「うまくいくんでしょうか?」
 少し不安になってアニスはたずねた。
「いくさ、きっと」
 ルシャデールは笑みを浮かべて言った。
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