第3話:私と彼の心の変化

文字数 5,359文字

 救急部(ER)を抱える付属病院ともなると、 緊急オペで私達、 手術室看護師…… 通称『オペ看』が駆り出されることも稀では無い。  
 そういった突発的な事態に備えて、 待機ナースというものが必ず三人は確保されている。
 待機ナースの仕事は、 主にガーゼを畳んだり滅菌処理が終わった器械を所定の場所にしまったりと様々な用事をこなしつつ、 それすら終わった暁には休憩室でお茶を啜りながら世間話をしていても構わないわけで……。

「明後日はクリスマスだね」

 そんなこんなで、 私を含めた待機ナース三人は、 休憩室でお茶会を開いていた。
 待機ナースは、 狙ったのかと神様に問いたいほど緊急オペが立て込む日もあれば、 名前の通り、 待機しているだけで終わる暇な時もある。 このギャップの激しさもオペ室勤務の特徴だと私は思っている。 ちなみに、 今はものすごく暇な時だ。

「今年はどんなクリスマスを過ごすの?」
「人手が足りないから出勤してって黒崎師長に頼まれちゃった」
「黒崎師長の御指名じゃ、 逃げるわけにはいかないわね」
「あなたはお休みでしょ?彼氏さんと何処か行くの?」
「ファヌエル教会のイルミネーションに行く予定かな?」
「うらやましい」

 同僚二人が、 例の如く『乙女ちっくな話』に花を咲かせている。 私は会話に入らずに二人の話に耳を傾けながら煎茶をズズっと啜った。

「夏川さんは? もちろん貝塚先生とデートするんでしょ?」

 不意に話しを振られた。 私はソファの肘当てに腕を置いで頬杖を付き、 自由なもう片方の手で机の上に置いてあった差し入れの柿の種をつまんだ。 口の中に放り込んで、 ボリボリと咀嚼音を立てる。 デートねぇ……

「な、 夏川さん……?」
「そもそもクリスマスって何だと思う?」
「へ?」

 問いかけると、 私の前に座っていた二人が、 ポカンと顔を見合わせた。

「何って、 記念日みたいなものじゃない? バレンタインとかホワイトデーと同じ、 恋人にとっての特別な日でしょう?」
「子供にとってはサンタクロースがプレゼント持ってきてくれる日だよね?」
「そうね。 どちらも正解ね。 でも、 それは世論一般のクリスマスね」

 二人は再度、 顔を見合わせた。

「なら、夏川さんにとってのクリスマスってなに?」

 問いかけられて、思わず鼻で笑ってしまった。

「重要なのは私にとってのクリスマスじゃなくて、 真緒にとってのクリスマスがどうかって事なの。 いい? 貝塚先生にとってのクリスマスってのはね、 イブにご馳走とケーキを食べて、 寝て、 翌日は枕元にオモチャが置いてあるの。 もちろんオモチャはサンタさんが置いてくれたの。 それが貝塚先生のクリスマスなのよ。 だから私は真緒が欲しそうなオモチャを買いに行って、 ケーキを作って、 真緒が寝たら買ってきたオモチャを枕元に置いてあげなきゃいけないの。 で、 次の日にオモチャを手に持って喜んでる真緒に向かって『わぁ今年もサンタさん来てくれて良かったね』とか電波なセリフを放って、 やっと私のクリスマスは終わるの。 みんながお姫様気分を味わってる時に私はサンタにならなきゃいけないのよ。 それがクリスマスよ」
「…… なにそれ怖い」
「夏川さん可哀想……」

 二人が異物を見るような、 哀れむ視線を私に注いできた。 私はそれに動じる事なく、 柿の種に手を伸ばして第二段を口に放り込んだ。

「別に私は哀れじゃないよ? 私、 もう真緒が元気ならそれでいいやって思ってるもん。 ご馳走を作る準備はしたし、 トイザマスに行ってライダー仮面の変身ベルトも買ってきたわ。 ちなみに、 今年は丸太のケーキを作るつもり。 あいつ、 チョコレートが大好きだからね」

 煎茶を啜る私の姿は、 恋人というよりは、 母親の様に見えている事だろう。 しかし、 私の気持ちは母親さえも超越した、 縁側で緑茶を啜っている田舎のお婆ちゃんだ。
 もう孫が元気なら、 それでいいんじゃよ。

―― コンコココンココンコンコン。

 私達の会話に割って入る様に、 休憩室の扉がリズミカルにノックされた。 この癖のあるノックの仕方…… あいつしか居ない。
 二人は今の私の話がよほどショックだったのか、 ハンカチで必死に涙を拭っており、 扉の向こうに応答してくれそうにない。 二人の方が扉に近いのになぁ。 しゃーなしに、 私は立ち上がって扉に向かった。

「あ、 待機ナースって夏川だったんだね」

 扉を開けたら、 オペ着姿の真緒が立っていた。 恐らく、 手術を終えたばかりなのだろう。

「お疲れ。 どうしたの?」
「午後からアッペの緊急オペが二件だってさー。 はい、 これオーダーね」

 真緒は私の頭にポンとファイルを二枚置いた。 頭で受け取ったファイルの中身に目を通した。 私は、 は? …… と思わず声を出した。

「ちょっと、 病院長の滝沢先生が執刀するの!? 虫垂炎のオペでしょ? どうなってんの?」

 真緒の顔を見上げた。 あはは、 と真緒が笑う。

跡路(あとろ)さんでしょ? その人、 株式会社アトロポスの理事長さんだよ。 うちの病院も色々とお世話になってるらしいんだよねぇ、 滝沢先生(タッキー)のお抱えってやつかなぁ?」
「でも、 滝沢先生が直々にオペする必要はあるの?」
「ビップ患者だからじゃない?」
「ビップ患者ならこそよ。 もっと腕のある先生に執刀を頼んだりとかしないわけ? 滝沢先生、 何年ぶりにメス握るのよ?」
「お久しぶりだろうけど、 まぁ大丈夫だよ。 ボクもフォローに入るし、 第一助手は幸永だし。 まぁタッキーもご高齢で椅子に座ってばっかじゃん? たまには切らないと腕が鈍っちゃうし、 切らせてもらえばいいんじゃない?」

 よくこうも慎みが無い発言ができたものだ! かくいう私も大変失礼な発言をした一人なのだが……
 まぁ真緒が居て、 心臓血管外科の幸永准教授が助手に入ってくれるなら心強いではないか。 虫垂炎のオペで心臓血管外科の若き准教授を召喚するとは、 流石は病院長閣下だ。 …… という不要な一言を飲み込んで、 私は真緒の顔を見た。

 
「了解、 準備するものは標準的な虫垂炎のオペと同じでいいの? そもそも病院長仕様がよく分からないんだけど……」
「同じでいいんじゃないかなぁ? そうだ。 絶対に失敗しない系の医療ドラマのBGMとか流してあげてよ。 盛り上がるんじゃない?」


 楽しそうに言う真緒を見つめて、 私は不謹慎だが一緒に笑った。
 ―― あの喧嘩の次の日…… 私達はオペ室でバッタリと顔を合わせた。
 最初はどんな顔をしていいのか分からなかったけど、 真緒が笑って挨拶をしてくれたから、 私も普通に笑い返すことができた。
 それ以降、 何事も無かったかの様に、 こうして一緒に仕事をしている。 なんだかんだ言って、 私も真緒も、 仕事が好きなんだと思う。


「失敗しない系のBGMね、 準備の件は了解。 他に何か申し送りある?」
「そうだなぁ…… あれ? なぁんか言おうとしてた気がするんだけど…… 何だったかなぁ?」


  うーん、 と首を右に左に捻って、 真緒が目を細める。 え、 何よ。


「まさか、 滝沢先生のオペをライブ中継するとかじゃないでしょうね」
「違う違う、 でもそれむちゃんこ面白いね。 医大生向けにビデオ作ってもいいかもね。 って…… そうそう、 思い出せた」


 真緒がポンと手を叩いた。


「ボクね、 今日も当直を代わる事になったんだよね」
「また? 最近そんなのばっかじゃない」
「んで、 ついでに明日の日勤もかわっちゃった」
「日勤からの当直からの日勤ってこと?」
「そーなの。 労働基準法違反だよねぇ。 最近ほんとにこんな勤務ばっかりだよ。 もう訴えちゃおうかな、この病院」

 冗談っぽく笑いながら真緒が言った。 実際、 近頃の真緒は、 ほとんど病院に泊り込む生活が続いてる。 あの喧嘩の後から、 真緒とは病院でしか顔を合わせてない状況だ。
 せっかく、 イブはお互いに休みが取れたと思ったのに……。 本当、 うちの可愛い孫(?)に無茶な勤務を押し付けて来るこの病院と、 不特定多数の医師を訴えてやりたい気分になった。

「どうせ真緒は騙されやすいから皆に乗せられてホイホイと勤務を代わってあげてるんでしょ。 ちゃんと自分の身体の事も考えて断わる時は断わらないとダメなんだよ?」
「あはは、 それもそうだね。 今度からやってみるよ」

 本当かしら? 私はふぅ、 と吐息を漏らした。

「つまり最短で、 明日の日勤が終わったら帰れるって事ね。 …… 真緒のアパートで夕飯作って待ってる。 今年のクリスマスはチョコレート味の丸太のケーキにしてあげるから、 仕事頑張ってね」
「丸太のケーキ? わぁ、 すごーい。 たっのしみ~」

 まるで子供の様にはしゃぎ出した。 私は真緒のこの無邪気な笑顔に、 どうも弱いのだ。

「あ、 でもゴハンは作らなくていーよ」
「え? どうして?」

 私が首を捻ったら、 真緒がポケットから封筒を取り出して、 私の額にペチッっと貼った。 なに、 これ。

「ナイトクルーズのチケット。 明日の晩ご飯は船の上」

 …… ナイトクルーズ? いや、 北海道の知床で流氷を見るには、 ちょっと時期が早い気がするけど……

「もー、 ちがうよ。 知床じゃなくて緑丘湾だよ」
「緑丘湾?」

 私は思わずチケットとやらの中身を確認した。 本当だ。 これ、 あのベルベルのシュチュエーションベストで紹介されてた、 クリスマスイブに特別運行される、 高級クルーズのチケットじゃん!?

「明日の晩ご飯はクルーズ内のレストランで食べて、 終わってから教会に寄ってこうか。 ファヌエル教会の並木道がイルミネーションやってるから、 それ見てから礼拝堂に行ったらいいよね。 そんで、 家に帰ってから夏川が作ってくれたケーキを食べると。 うんうん完璧じゃんね」

 ホワーイ。 真緒の口から、 小洒落た言葉が繰り出される。 意味が分からない。 どういう風の吹き回し? むしろ風というか、 台風でも来るんじゃないの?
 私がチケットを両手で握り締めながら食い入る様に見つめていたら、 真緒がキョトっと、 首を傾けた。


「もしかして、 家でごはん食べる方がよかった?」
「いや、そんなことないよっ! 嬉しい!」


 間髪入れずに返したら、真緒が安心した様に笑った。


「良かった。 じゃあ明日、 十九時に港で待ち合わせ。 チケットは夏川が持っててね」


 真緒が手をヒラヒラさせながら休憩室を後にした。 私は扉を閉めると、 チケットを胸に抱きながら、 ヒョロヒョロとソファに戻って腰を掛ける。
 一部始終を見ていたナース二人が、 私を挟む様にしてドカドカと座り込んできた。


「すごいっ! すごいよ夏川さん!この夜景クルーズって、 半年前に予約しなきゃ取れないプレミアチケットなんでしょ!?」
「夏川さんのウソツキ! 貝塚先生、 すんごいロマンチストだよ!」


 むしろ私が一番信じられない。 先日の一件で、 真緒の心境に何かしらの変化があったのだろうか…… ?
 呆然としていたら、 二人が顔を見合わせてニヤニヤと笑う。

「この展開は…… もしかしたら夏川さん、 明日…… 教会で貝塚先生からプロポーズとか……」
「ま、 まっさかぁあ! さすがにそれは無いよ! 無いでしょ!」

 私は声を裏返した。

「相手はあの真緒だよ!? 地球外生命体、 宇宙人だよ!? あいつがクリスマスイブに教会でプロポーズなんてありえない! 私の予想は数年後に…… あらら~? ボク達ってまだ籍って入れてなかったんだっけ? どうする? そろそろ入れとく? って軽いノリのプロポーズなの! 分かる!?」
「あーうん、 聞いた瞬間にイメージできる……」
「でもさ、 そんな宇宙人な貝塚先生が夏川さんの為にナイトクルーズのチケットを取ってくれたのは事実でしょう? 教会にも行こうって言ってくれてるんだよ?」
「そうだよ夏川さん、 今までの貝塚先生なら在り得なかった様な事が現実に起こってるわけなんだし、 プロポーズの可能性が無いわけじゃないと思う!」
「た、 確かに!」

 鼓動の速度が、 途端に速くなった様な気がした。 教会の十字架の前で、 真緒にプロポーズされる光景が頭の中で過ぎって、 思わず顔が真っ赤になる。
 妄想ばっかりが先走って、 なんだか急に自分が恥ずかしくなって、 私はその場でうずくまった。

「どうしようどうしよう! 私、 こういうのされるの初めてだから困るって言うか、 くすぐったくて死ぬかも」
「死なない死なない」

二人が私の背中を擦りながら笑う。

「夏川さん、 明日は一生の思い出に残るイブになったらいいね」
「もう既に最高の思い出だよ。 人生に悔いがなくなった」
「まだなにも始まってないって」

 二人は肩を揺らして笑った。

 ―― 午後の緊急オペは、 意識を仕事に集中させるのが大変だった。 視界にチラチラと入る麻酔科医の真緒の姿が何時もよりも輝いて見えた。
 私の脳内はピンク色のお花畑状態だった。 初めて恋を知った様な、 高鳴る胸の鼓動を抑えるのに、 私はとても苦労した。
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