第5話:私の夢が悪夢になる時

文字数 6,241文字

 イブの前日。 仕事からアパートに帰った私は一目散にクローゼットへと向かった。 余所行きの服を、 あれこれ引っ張り出してファッションショーを始める。
 真緒と出かける時は、 ラフな格好で行く事がほとんどだ。 ナイトクルーズに着て行ける様な服が自宅にあるのかは謎だった。

 家捜しをしていたら二十歳の時に買ったドレスが出てきた。 確か友人の結婚式に出席する為に購入したものだ。 着たのはその一度きりで、 今日まで押し入れの奥深くで眠っていた様だ。  

 このドレスなら合格、 ナイトクルーズに着て行ける!
 ドレスをハンガーにかけて皺伸ばしをしておいた。

 その日は食欲が無かったから、 夜は野菜ジュースですませた。 部屋で音楽を聞きながらゴロゴロした後、 お風呂に入った。 柚の香りがする湯船にゆっくりと浸かりながら、 明日のクルーズの事を考える。
 真緒とクリスマスイブにロマンティックなデート…… こんな経験初めてだ。 どんな会話をするのか、 どんなデートになるのか、 想像ができない。

(そう言えば…… クルージングのチケットどこで手に入れたんだろ。 確か半年前に完売したはずだけど)

 コネか何かを使ったのだろうか? いやいや、 真緒はそういう事をする人間じゃないし、 どちらかと言えば他力本願を嫌う性格だ。 オークションで競り落としたとか? いやいや、 ネットオークションのやり方とか絶対に知らない気がする。
 謎を残したままお風呂から上がって、 スキンケアをして、 湯冷めしない様に布団に入った。 時刻は午後の十一時。 真緒は今頃、 ERのラウンドをしている頃だろうか? 
 ERは昼夜関係なく、 二十四時間体制で救急を受け入れしている為、 とにかく仕事量が多い。

(真緒が無事に仕事を終えられますように。 どうかERが落ち着いていますように……)

 真緒の事を考えながら、 私の意識は少しずつ優しい微睡みへと沈んでいった。

* * *

 アラームが鳴る前にパチッと目が覚めた。 朝の六時だった。
 休みの日は、 少しお寝坊さんになるのだが、 夜のデートを考えたら胸が高鳴って、 到底寝ていられる気分ではない。 小学校の頃、 遠足が楽しみで仕方が無かった時の高揚感に少しだけ似ている。

 起床後のルーティンを済ませた後、 真緒に約束していた『丸太のケーキ』の制作に取り掛かった。

 長方形のスポンジケーキを焼いている間に、 チョコを溶かした生クリームを手際よく泡立てて冷蔵庫で冷やしておく。 焼きあがったスポンジの余熱を取っている間に、 バナナやイチゴを一口大に切って、 熱が取れたスポンジの上に並べて、 チョコクリームをかぶせる様に塗って、 クルクルと巻き寿司の様に巻いていく。
 円形になったスポンジの表面をチョコクリームでコーティーングして、 フォークで木の筋を書き入れる。 サンタクロース、 緑色の木の葉、 小屋の砂糖飾りを配置させて、 雪に見たてた白いパウダーをサラサラと振り掛けたら、 童話に出てくる「森の丸太」の完成だ。
 甘いものが大好きな真緒に色々と差し入れを作っている内に、 私の趣味はお菓子作りになってしまった。

 時間を見たら正午前だった。
 丸太のケーキを箱に詰めて、トイザマスで買った真緒へのクリスマスプレゼントを持って、 真緒のアパートへと向かった。


* * *

 「…… なんだこりゃ……」

 アパートの扉を開けると室内が散乱していた。 空き巣に入られた後の様だった。 真緒がここまで部屋を散らかすのは、 初めてかもしれない。
 恐らく勤務が立て込んでいた為、 部屋を片付ける暇が無かったのだろう。 着替えを鞄に詰め込んで病院にトンボ帰りする真緒の姿が目に浮かぶ。
 本当、 仕方ないなぁもう……。
 
 ケーキを冷蔵庫に入れて、 私は部屋の片付けをすることにした。
 溜まっている洗濯物を洗って、 浴室に干して乾燥のボタンを押す。 キッチンの洗い物を片付けて、 廊下、 寝室、 リビングの順番で掃除機をかけていたら、 リビングの片隅に置かれているクリスマスツリーらしき木が目に入った。 飾り物が入った箱が無造作に置かれている。 押し入れからツリーを出して組み立てて、 飾り付けをしようとした途中で病院から呼び出されて慌てて帰った。 そんな所だろう。
 明後日には片付ける事になるけれどツリーを見て喜ぶ真緒の姿が見たいから、 私は飾り付けを完成させた。
 持参した赤と緑のクリスマス靴下もツリーに吊るしておいた。 プレゼントは、 押し入れに隠しておいた。

 ―― 乾いた洗濯物を畳んで、 クローゼットにしまって、 そろそろ自分の支度もあるので帰ろうと玄関を通りかかった時……。 靴箱の棚に置かれていた書類の束が目に留まった。

(気付かなかった。 なんだろうこの書類、 学会の資料とか?)

 何気なく手に取った書類の束は、 学会の資料では無かった。 書類の正体はベルベルをコピーした紙の束だったのだ。
 『ナイトクルーズに決定』とか『プレゼントの花束は薔薇にしよう』とか『イルミネーションの点灯時間は十二時まで』とか…… そんなメモを書き込んだ沢山の付箋が目に留まった。

(あぁ、 そういう事か……)

 真緒がどうやってナイトクルーズのチケットを入手したのかは不明だが、 真緒が起こした行動の解には辿り着けた。 私の夢を叶える為に、 彼は陰で努力をしてくれていたのだ。
 休む間もないほど、 忙しい時間の合間を字の如く縫って、 ベルベルを買いに行ってくれたのだ。 書き込みする為に、わざわざ、コピーまでとっちゃったのだ。 所詮は月刊雑誌なのだから、 直接書き込んだら良かったのに……。なんて不器用なのだろう、彼は。

 コピーの束を胸に抱いて、私は真緒の不器用な優しさに涙を流した。


(真緒のばか、こういうの苦手なクセに。 慣れないことして…… 嵐でもきたらどうするのよ……)


 涙をそっと拭って、 私は彼のアパートを後にした。


* * *


 自宅に戻った私は、 お風呂に入ってドレスに着替えた。 綺麗なパールのネックレスを付けて、 お化粧して、 準備は万端。 時刻を見たら夕方の六時前。 ここから待ち合わせの港までバスで十五分。
 少し早い気もするけれど家に居ても落ち着かないから、 私は緑丘港へ向かった。

 外に出たらタイミングを見計らった様に、 空から花弁のような雪が降り注ぐ。 ホワイトクリスマスだ。 なんてロマンティックなのだろう。
 私はとても幸せな気持ちに包まれながら、 バスに乗った。

 少し道が渋滞していたけれど、 無事に緑丘港に到着した。 クルーザーの出航ロビーには、 この日を心待ちにしていた乗客達が、 正装に身を纏って出航の時間を心待ちにしている。若いカップルから老年の夫婦まで、 乗客の年齢層は幅広い。

 ふと、 ロビーのスタッフが慌しく動いた。 何かトラブルでもあったのだろうか? 様子を見守っていたら、 窓の向こうが真っ白になっている事に気が付いた。 曇っているのだろうか? 違う。 優しく降り注いでいた雪が、 猛吹雪へと変化を遂げていたのだ。
 乗客がざわ付き出した時、 ロビーに放送が響いた。



『お客様にお伝え申し上げます。本日運行を予定しておりました緑丘湾ナイトクルーズは、 天候の悪化により、 安全の為、 運行を見合わせます。 お客様におかれましては、 何卒ご理解の程を宜しく申し上げます…… 尚……』


 放送が終わるのを待たず、 ロビーの至る所から怒号が飛んだ。


「欠航ってどういうことだ!」
「ずっとこの日を楽しみにしてたのよ!?」


 正装姿のお客さん達が運行会社のスタッフに詰め寄っている。 スタッフはただ「申し訳ありません」と頭を何度も下げていた。

 私は気が抜けた様に茫然と、 吹雪く窓の外を眺めていた。 欠航のショックよりも、 真緒が落胆する姿を想像して辛くなった。
 時刻は午後七時になった。 真緒の姿はまだ無い。 もしかしたら仕事が長引いているのかもしれない。
 欠航の事実を伝えるのは気が重いけれどちゃんと伝えなければいけない。 私はバックからスマートフォンを取り出して、 真緒にコールをかけた。
 四回くらい呼び出し音が鳴って、 真緒の声が聞こえた。



『もしもし、夏川?』


 少し息切れした声だった。 こっちに向かっている途中かもしれない。


「真緒? 私だよ。 あのね」
『ごめんね夏川、 ちょっと仕事が遅くなっちゃってさ。 頑張って走ってたんだけど、 船の出発には間に合わないかも』


 私の声を遮って真緒が言った。 元気が無い声音だった。 遅刻をした事を、 悪いと思ってくれてるのだろう。
 …… 欠航になった事を、 伝えてあげなくちゃ。


「うん、それの事なんだけど…… 実は」
『ボクってホント、 なにやってもダメだね』


 また、真緒が私の言葉を遮る。
いつもはちゃんと、 私の話しを最後まで聞いてくれるのに。
 真緒の心がまったく別の場所にあるような、 そんな不安に襲われた。


『そもそもボクが、 こんな慣れないことするから、 雪が嵐なんかに変わっちゃったのかもしれないね』


 私の心の不安がどんどんと大きさを増す。 真緒が話せば話すほど、 真緒が遠くに行ってしまう様な気がする。
 私は電話を持ち直して、 真緒に言った。



「真緒、 今どこに居るの?」
『ほら、 クルーズ終わったら行こうって言ってた教会の前』


 港から歩いて行ける距離だ。


「なら、 私がそっちに行くわ」
『いいよ。ボクが夏川を迎えに行くから』


 優しい声で、 真緒が電話の向こうから囁く。


『渡したいものがあるんだ。 だから、 夏川はそこで待っ……』


 耳を切り裂くブレーキ音が真緒の声を掻き消した。 私は思わず、 スマートフォンから耳を遠ざけた。
 爆発音や衝突音が、 スマートフォンから響き渡ってくる。


「真緒!? どうしたの? なにかあったの!?」


 スマートフォンを耳に戻して、 電話の向こうの真緒に問いかけた。 返事の変わりに、 ドン、 という鈍い音が響いて、 通話が切れた。
 私は吹雪の中に駆け出していた。


* * *

 雪と強風に足をとられながら教会に辿り着いた。 並木道付近は大勢の人で溢れ返って、 これ以上は前に進めない状態だった。

 消防隊が炎上するトラックの消火を必死で行っている。 パトカーや救急車が何台も数珠つなぎになって停まっている。 警官は混乱する道路の交通整理の対応に追われている様だった。

 私は人だかりの後方から、 呆然とその様子を眺めるしかできなかった。 何があったのだろう。 いや、 事故があったんだろうけど。



「トラックがスリップして玉突き事故になったらしいですよ」


 私の横に立っていた、 何かの店員さんらしき女性が私に話しかけてきた。
私は「そうなんですか」と、 店員さんの話に耳を傾けた。


「バイクが車を避けようとしたらしいですよ。 けれど道が凍結してたからバイクもスリップして、 乗っていた人が投げ出されたみたいです。 ついさっき救急車で搬送されて行きました」


 現場の混乱が事故の大きさを物語っていた。 大破したバイクの破片が、 道路のあちらこちらに散らばっている。 乗っていた人は無事なのだろうか? 原型を留めていない車体を見て、 思わず背筋が凍る。

 ……まさか、 真緒も事故に巻き込まれた…… なんてこと、 あるはずがない。そう自分に言い聞かせた。
 私は不安を飛ばす様に首を大きく左右に振ってから、 話しかけてくれた店員さんに言った。


「私の彼がこの辺りにいるはずなんです」
「お姉さんの彼氏さん?」
「彼を探しに来たんです。 でも見当たらなくて」
「よければ、 一緒に探しましょうか?」


 不安そうな私を見て、 店員さんが気遣ってくれる。 私はお願いしますと頷いて、 震える手でスマートフォンを操作して、 真緒の写真を見せた。
 あ…… と、 店員さんが手で口をおさえた。


「この人を知っています。 間違いないわ、 さっき私の店で花束を注文してくれた人だわ」
「花束…… ?」
「彼女の歳の数だけ薔薇を包んでくださいって言ったの。 今時そんな素敵な注文をしてくださる方が居るんだなって感激していたんですよ。 あなたが、 あの素敵な男性の彼女さん?」


 頷いて、 私は涙を堪えた。
 真緒の馬鹿。 私の為にこんなに慣れないことばかりするから…… 雪が降って嵐になったり、 ワケわかんない状況になるのよ。
 真緒に会いたい。


「彼を見ませんでしたか?」
「私も騒ぎを聞いてここに来たばかりなんです。 でも彼の姿は見なかったわ」


 店員さんと一緒に、 私は人混みの中で真緒を探した。 真緒、 何処に居るの? ちゃんと無事だよね。 トイレか何処かに行ってるんだよね?



「あれは……」


 店員さんが呟いた。 何かを見つけた様だった。 店員さんの視線は事故現場の中心を向いている。 私は人の群れの隙間から視線を辿った。


 白雪に散らばる、 薔薇の花弁と、 緑色のレースのリボン
 雪を染める血だまりの痕が、 薔薇の花弁と共に広がっている。
 

 私はゆっくりと店員さんの顔を見た。
 散らばった薔薇の花弁を見て、 店員さんは顔を青くさせていった。


「あの、 リボンは……」


―― 嘘でしょ…… 
その先の言葉を聞くのが怖くなって、 私は手に持っていたスマートフォンの画面を見た。 真緒からの着信は無い。

 私は震える手で画面をタップして、 真緒に電話をかけた。
 お願い、 繋がって。 お願い電話に出て ――



(~♪)


 遠くで、 聴き慣れた着信メロディが響く。 真緒の着信メロディだ。 真緒、 近くに居るの?
 私は必死に周囲を見渡した。

 音を辿る様に人混みを掻き分けて、 最前列に躍り出る。 真緒の姿は見当たらないけど、 音はすぐ近く。
 軽快な童謡のメロディが、 事故現場に不気味に鳴り響く。 音の発信源を辿って、 私の視線が、 ゆっくりと、 花弁と血痕を辿った。
 血の海の中央に無造作に放り出されたスマートフォンから、 童謡が鳴っていた。 私はぺたんと、 その場に座り込んだ。

 どうして真緒のスマートフォンが落ちているの? 真緒が居ないのに、 どうして……
 頭の中が混乱して状況が理解できない。 理解したくない。 ここが、 現実世界じゃないような気がした。

 呆然としていると、 今度は私のスマートフォンが鳴った。 私は通話のボタンを押した。



『夏川か?』



 着信相手を確認していないから声の主が分からない。 真緒の声じゃなかった。



『俺だよ、ERの駿河だ』
「駿河、 先生……?」


 駿河先生が私に何の用だろうか。 鈍くなった思考で考えていたら『俺に代わってくれんね』という声が聴こえた。


『夏川さんか、 俺ばい。周防たい』


 今度は周防くんの声が聴こえてきた。 少し緊張した様な、 強張った声だった。



『夏川さん落ち着いて聞きんさい。 今……』



 周防くんの言葉を聞いた私は、 通話を切るのも忘れて走り出していた。


自分の身に何が起こったのかよく分からない。
周防くんの言葉も意味がわからない。 わかりたくない。

どこで運命が狂ったのだろう。 ほんの数十分前までは、 とても幸せな気持ちだった…… なのに

どうして…… こんな……
こんなことに……




『今…… 真緒先輩が事故に遭って運ばれてきた』
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