必殺仕事ペン
文字数 2,000文字
「また昼酒か」
干物屋の隠居翁が長屋を尋ねてきた。忍び声になる。
「念力を用いて裏稼業をするペンギンがいるらしい。残業せぬ方針ゆえ余分な経費を請求されまい。私ら貧乏人の味方だ」
そんな輩が現実にいたとはね。
「ははは、報酬は鰯ですか?」
「彼らは仕事以外の殺生を好まぬ。菜食主義ゆえ昆布か若布」
草食ペンギンか。どうせ生臭い。
「ふん。くだらねえ」
酔っ払い相手の与太話。よちよち歩きの海鳥がお侍に勝てるはずない。
「信じぬなら頼らねばいいだけ。そもそもペンちゃん達が仕事を選ぶ」
「偉そうな連中だ」
「遠州掛川で丑の刻に会える。つなぎの宿の名は『花鳥之園』。どうする?」
「けっ」
「鳥さんに、おかあの仇をお願いしよう。おとうも昔に戻れるよ」
八つになる娘が私を懸命に見つめていた。飲みなおそうとした手がとまる。
「……私だけで無念を晴らせるはずない」
金のため、もとい海藻のため人を殺す。死ねば地獄行きのペンギンだろうとすがるしかない。
*
ご隠居に一人娘を預け、翌朝早くに東海道を西へ歩きだす。六日で掛川宿へ到着した。花鳥之園は表通りにあった。
「はるか南洋の鳥が棲息すると聞き、物見に参りました」
草鞋を脱ぎながら主人へ言う。
「……何がございました?」
「妻が馬に跳ねられました。その傷がもとで……去りました」
治療中に根岸の若い蘭学医とできてしまい、夫と娘を捨て長崎へ去った。皆まで言う必要ない。
「騎乗していた者は?」
「ある旗本の次男です」
「海藻はお持ちで?」
「利尻産の昆布なら」
「汚れがひどい」
主人は足濯ぎの桶を見つめていた。
「ずいぶん強行なさったようですな。……濁った水も時がたてば澄む。だが替えてきましょう」
主人が桶を持ってでていく。待つこと半刻、妙齢の女性が現れた。
「会わせてあげるからついてきな」
私へと妖しく笑う。
「丑三つのはずでは」
今は申の刻だ。
「彼らは早出を厭わない。残業もね」
聞いた話と違う。いまさら断れるはずない。女に続いて宿場をでる。
*
女がふるびた水車小屋の手前で立ちどまった。すでに鳴き声が聞こえている。
「入館料。もとい案内料」
私へ手をつきだしてくる。
「昆布でよろしいですか」
「んなはずねえだら」
銀二枚を受け取り女が立ち去る。私は引き戸を開けようとするが、がたついて――いきなり蠟を塗ったかのように滑る。
おお、念力のなせる技よ。
蜘蛛の巣の向こうにアデリーペンギン達がいた。もっとも攻撃的な輩ども。賑やかだが腕っぷしに問題ない。
二十羽ほどの所帯でも魚臭くない……ひと際大きい一羽が奥に立っていた。
「お前さんの恨み、晴らしておきましたぜ」
巨大イワトビペンギンが目を合わすなり笑う。
「放蕩息子は馬から落馬しやした。全治半年。命は残してやりやした」
古典的重複表現はともかく、面接抜きで早々にとは。
「ありがたい。ではお礼の品を」
「ただし、江戸は俺っちでも遠かった。出張費が発生しやした」
「……昆布だけでは足りぬとでも?」
イワトビペンギンがにやり笑う……。身震いがした。
「ええ。仕事を手伝ってもらいましょうか」
「私はただの酒浸りです」
「兄さんなら朝飯前ですよ。長崎の二枚目医師を殴るよりはね」
お見通しだったか。人を雇って憂さを晴らしたことに今さら後悔する。
「俺っちの表の稼業を知ってますかね」
「一日二回の行進ですか?」
「冗談がお上手だ。……俺っちは年に一度だけ橋になる。その上を離れ離れのお二人が渡り、逢引される」
知る人ぞ知る話ではないか。
牽牛と織女の逢瀬のため、鳥達が天の川の橋渡しになる。しかしその役目は鵲 だ。支那北東や朝鮮ではありふれた鳥だが、この島国では肥前でしか見かけない。それを言うならペンギンも遠江だけで繁殖……。
ペンギンも鵲も白黒で模様が似てなくもない。だがあちらは烏 だ。両者の最大の違いは大きさでも生息地でもなく。
「あなた方は飛べませんよね?」
「だが念力で浮かべます」
「鵲はどうされました?」
「引退しやした。俺っちが横に並べば橋桁として適任だが、さすがに疲れてきた」
私は妻に逃げられるまで一流の大工だった。だが酒に溺れた。……取り戻す機会かもしれない。
「あなた方の代わりになる橋を天に架けるのですね」
「七月七日の宵までに。俺っちも協力しやす」
ペンギン達とともに雲上で鋸や鑿を振るう日々が始まった。念力のおかげで墜落しなくても、難工事に残業が続く。雨の日もあった。暑さに音をあげるペンギンもいた。
「これしき地吹雪を思いだせ」
私が叱咤することもあった。
*
「間に合いましたね」
二人並んで渡るが精一杯の橋を、私はペンギン達とともに見上げる。皆が夕陽に照らされている。
「これで七夕と言わずいつでも逢える」
イワトビペンギンが笑みをこぼす。やはりそれが狙いだったか。
「今夜の酒はきっとうまい。一献傾けませんか」
「肴の昆布だけ頂きましょう」
私も笑う。
干物屋の隠居翁が長屋を尋ねてきた。忍び声になる。
「念力を用いて裏稼業をするペンギンがいるらしい。残業せぬ方針ゆえ余分な経費を請求されまい。私ら貧乏人の味方だ」
そんな輩が現実にいたとはね。
「ははは、報酬は鰯ですか?」
「彼らは仕事以外の殺生を好まぬ。菜食主義ゆえ昆布か若布」
草食ペンギンか。どうせ生臭い。
「ふん。くだらねえ」
酔っ払い相手の与太話。よちよち歩きの海鳥がお侍に勝てるはずない。
「信じぬなら頼らねばいいだけ。そもそもペンちゃん達が仕事を選ぶ」
「偉そうな連中だ」
「遠州掛川で丑の刻に会える。つなぎの宿の名は『花鳥之園』。どうする?」
「けっ」
「鳥さんに、おかあの仇をお願いしよう。おとうも昔に戻れるよ」
八つになる娘が私を懸命に見つめていた。飲みなおそうとした手がとまる。
「……私だけで無念を晴らせるはずない」
金のため、もとい海藻のため人を殺す。死ねば地獄行きのペンギンだろうとすがるしかない。
*
ご隠居に一人娘を預け、翌朝早くに東海道を西へ歩きだす。六日で掛川宿へ到着した。花鳥之園は表通りにあった。
「はるか南洋の鳥が棲息すると聞き、物見に参りました」
草鞋を脱ぎながら主人へ言う。
「……何がございました?」
「妻が馬に跳ねられました。その傷がもとで……去りました」
治療中に根岸の若い蘭学医とできてしまい、夫と娘を捨て長崎へ去った。皆まで言う必要ない。
「騎乗していた者は?」
「ある旗本の次男です」
「海藻はお持ちで?」
「利尻産の昆布なら」
「汚れがひどい」
主人は足濯ぎの桶を見つめていた。
「ずいぶん強行なさったようですな。……濁った水も時がたてば澄む。だが替えてきましょう」
主人が桶を持ってでていく。待つこと半刻、妙齢の女性が現れた。
「会わせてあげるからついてきな」
私へと妖しく笑う。
「丑三つのはずでは」
今は申の刻だ。
「彼らは早出を厭わない。残業もね」
聞いた話と違う。いまさら断れるはずない。女に続いて宿場をでる。
*
女がふるびた水車小屋の手前で立ちどまった。すでに鳴き声が聞こえている。
「入館料。もとい案内料」
私へ手をつきだしてくる。
「昆布でよろしいですか」
「んなはずねえだら」
銀二枚を受け取り女が立ち去る。私は引き戸を開けようとするが、がたついて――いきなり蠟を塗ったかのように滑る。
おお、念力のなせる技よ。
蜘蛛の巣の向こうにアデリーペンギン達がいた。もっとも攻撃的な輩ども。賑やかだが腕っぷしに問題ない。
二十羽ほどの所帯でも魚臭くない……ひと際大きい一羽が奥に立っていた。
「お前さんの恨み、晴らしておきましたぜ」
巨大イワトビペンギンが目を合わすなり笑う。
「放蕩息子は馬から落馬しやした。全治半年。命は残してやりやした」
古典的重複表現はともかく、面接抜きで早々にとは。
「ありがたい。ではお礼の品を」
「ただし、江戸は俺っちでも遠かった。出張費が発生しやした」
「……昆布だけでは足りぬとでも?」
イワトビペンギンがにやり笑う……。身震いがした。
「ええ。仕事を手伝ってもらいましょうか」
「私はただの酒浸りです」
「兄さんなら朝飯前ですよ。長崎の二枚目医師を殴るよりはね」
お見通しだったか。人を雇って憂さを晴らしたことに今さら後悔する。
「俺っちの表の稼業を知ってますかね」
「一日二回の行進ですか?」
「冗談がお上手だ。……俺っちは年に一度だけ橋になる。その上を離れ離れのお二人が渡り、逢引される」
知る人ぞ知る話ではないか。
牽牛と織女の逢瀬のため、鳥達が天の川の橋渡しになる。しかしその役目は
ペンギンも鵲も白黒で模様が似てなくもない。だがあちらは
「あなた方は飛べませんよね?」
「だが念力で浮かべます」
「鵲はどうされました?」
「引退しやした。俺っちが横に並べば橋桁として適任だが、さすがに疲れてきた」
私は妻に逃げられるまで一流の大工だった。だが酒に溺れた。……取り戻す機会かもしれない。
「あなた方の代わりになる橋を天に架けるのですね」
「七月七日の宵までに。俺っちも協力しやす」
ペンギン達とともに雲上で鋸や鑿を振るう日々が始まった。念力のおかげで墜落しなくても、難工事に残業が続く。雨の日もあった。暑さに音をあげるペンギンもいた。
「これしき地吹雪を思いだせ」
私が叱咤することもあった。
*
「間に合いましたね」
二人並んで渡るが精一杯の橋を、私はペンギン達とともに見上げる。皆が夕陽に照らされている。
「これで七夕と言わずいつでも逢える」
イワトビペンギンが笑みをこぼす。やはりそれが狙いだったか。
「今夜の酒はきっとうまい。一献傾けませんか」
「肴の昆布だけ頂きましょう」
私も笑う。