第3話 灯

文字数 10,322文字


伝道者 ~エヴァンジェリスト~



なぜ死を恐れるのですか。まだ死を経験した人はいないではありませんか。   

ロシアの諺









 この家を出る。

 そう決意した一人の青年がいた。

 生まれてからずっと、同じ景色しか見て来なかった。

 小さい頃は、両親の言っていることが全てだと思っていたし、信じていた。

 だが、きっかけは何の変哲もない、埃の被った一冊の書物だった。

 そこに記されていた英雄たちの名は、実在していたのかも分からないものばかり。

 それでも、青年のとっては夢でもあり、希望でもあった。

 しかし、両親だけではなく、この国に住む者たちは皆、その名を信じてはいないし、口にしただけで嫌な顔をされる。

 自分は変わっていると、言われた。

 青年からしてみれば、周りの大人たちの方が変わっていると感じた。

 同じ人間が死んでいく、殺している、必死に生きている姿を見て、どうして笑っていられるのだろうと。

 不思議でならないが、それも決して言ってはならないこと。

 「なにを読んでるの?」

 「ティラミス!勝手に部屋に入ってくるなよ!」

 「何よ!エドワードだって、私の部屋に勝手に入ってくるじゃない!女性だっていうのに!失礼しちゃうわ!」

 「うるせぇな。てか、お前女だったんだな」

 「なんですってー!?」

 キ―キ―と喚いているのは、青年、エドワードの幼馴染とも言える、ティラミス。

 エドワードの両親とティラミスの両親は仲が良く、頻繁に互いの家で食事をしているのだ。

 小さい頃から変わり者と言われていたエドワードだが、ティラミスの両親はそこはあまり気にしていなかったようだ。

 やがては結婚、なんて言葉もちらほら聞こえてきている。

 ティラミスは令嬢らしく、宝石をちりばめた綺麗なドレスに身を包み、髪の毛も豪華に着飾っていた。

 変な髪型、とは言えないが。

 「ねえ、それ何の本なの?」

 「・・・お前みたいな馬鹿には読めない本だよ」

 「私の方が博識よ!」

 「だからお前はつまんねぇ奴なんだよ」

 「?どういうことよ?」

 エドワードが座っているベッドに寄り、本を覗きこもうとするティラミスだが、エドワードに睨まれてしまった。

 他人のベッドに上がり込むと、ティラミスはエドワードに胸をつけるように背後からもう一度覗き込む。

 ちなみに、この胸をつけるという行為は、ティラミスは意図的にしているが、エドワードは全く気にしていない。

 だから余計にティラミスはグイグイと寄せる。

 「ちょっと!これ、読んじゃいけない本じゃないの!?」

 「そんなこと書いてない」

 「書いてないけど!お母様たちに言われてるじゃない!この国の歴史以外の本は読んじゃいけないって!ちょっと貸しなさいよ!」

 「耳元で喚くな!うるっせーな!」

 ついにカチン、ときたのか、エドワードはティラミスを軽く払った。

 我儘に育てられたからかは知らないが、こういうとき、ティラミスはすぐに頬を膨らませて見せる。

 まるでフグみたいだ。

 自分では可愛い表情だと思っているらしいが、全く可愛くはない。

 きっと世間一般的には、綺麗な顔をしているのだろうが、そんなものには興味なかった。

 なぜなら、今エドワードの心を支配しているのは、まだ見ぬ知らない世界なのだから。

 「あら?」

 そんなとき、ティラミスは気付いてしまった。

 ベッドの下に、隠すように準備してある荷物に。

 「なに?これ」

 「触んな!」

 言う事を聞かないティラミスは、さっさと荷物を開けてしまう。

 その中身を見て、さらに発狂してしまった。

 「ちょっと!まさかエドワード、ここを抜け出す気じゃないでしょうね!?」

 「・・・・・・」

 荷物の中には、洋服やタオル、保存食などが沢山入っていた。

 以前この部屋に来たときにもそれがあったのかは分からないが、エドワードの思考を察するに、逃げ出す気だったのだろう。

 ティラミスはエドワードの手から、本を取りあげた。

 「おい!何すんだよ!」

 「こんなものがあるからいけないのよ!!!エドワードは私と結婚するんだからね!この国で一緒に暮らすんだから!」

 窓を開けて、そこから本を捨てようとしたティラミスの手の本を掴み、エドワードは急いで窓を閉める。

 ティラミスの叫び声が聞こえたのだろうか、使用人達が数人、エドワードの部屋にやってきた。

 「いかがなさいましたか!?」

 「ティラミス様!?どうしました!?」

 「ああ、何でもない。下がってくれ」

 「しかし、ティラミス様が・・・」

 「・・・ただの痴話喧嘩だ」

 「さようですか。失礼しました」

 上手く使用人に嘘を吐くと、エドワードはティラミスをベッドに座らせた。

 未だに嗚咽交じりに泣いているティラミスに、エドワードは多少の面倒臭さを感じていた。

 昔からそうだ。

 エドワードは自由を求めているだけなのに、いつもそれを回りに邪魔される。

 ティラミスもその一人に過ぎないからだ。

 自分のことを心配しているのかもしれないが、余計なお世話だと思っていた。

 「幾ら泣いたって、俺は止めねーよ」

 「っく・・・だって・・・私と、結婚・・」

 「しねーって言ってんだろ。別の野郎としろよ。ほら、あの、なんだっけ?一番裕福なとこのジ・・・ジ・・・」

 「ディル―」

 「そうそうソレ」

 「やだ」

 「やだじゃねーよ。じゃあ、あいつ。えっと、なんだっけ?ワイン?」

 「ワイモン」

 「それ」

 「やだ」

 「めんどくせー女だな!」

 「何よ!だからエドワードが結婚してくれればいいんじゃない!私、ずっと、ずっと・・・エドワードのこと・・・!!」

 「わかったからさっさと帰れ」

 あーあー、と大きいため息を聞かせるように、エドワードは額に手をあてた。

 ぐすぐすと泣きながら、ティラミスは部屋を出て行こうとする。

 これでやっと静かになると、エドワードは再び本を読もうとした。

 だが、くるりと踵を返して、ティラミスはエドワードの頬に軽くキスをすると、今度は大人しく帰って行った。

 エドワードはキスされた頬を枕でごしごし拭く。

 家に帰っていったティラミスは、どうしてもエドワードを手放すことをしたくないと、心を鬼にすることにした。

 「お父様、お母様、お話があります」







 ガシャン・・・

 「しばらくはここで大人しくしてなさい」

 「・・・・・・」

 「睨んでも無駄よ。エドワード、あなたはもう少し賢い子だと思ってたわ。ママはとっても寂しいわ」

 「・・・・・・」

 冷たく閉じられた扉。

 エドワードは、家の地下室にある牢屋に閉じ込められてしまった。

 殺されなかったのは、きっとエドワード以外の子が生まれる保障がないから。

 母親は子が出来にくい身体だと前に聞いたことがある。

 家を守る為だけに、自分も生かされているんだ。

 本も荷物も、今頃綺麗さっぱりにされてしまっていることだろう。

 「はあ・・・」

 きっと、あいつが言ったんだ。

 だからと言って、全部を責めることは出来ないが。

 コツコツ・・・

 聞こえてきた牢屋への階段を下りてくる靴音。

 「・・・見物料とるぞ」

 「ふざけてる場合じゃないでしょ」

 「よくもまあ、そんなこと言えるよな?どうせお前が告げ口したんだろ」

 「・・・だって」

 ティラミスが、密告していた。

 どうしてもエドワードが欲しくて。

 どうしてもエドワードと結婚したくて。

 ただ、エドワードと一緒にいたいと願っただけだった。

 「お願いだから、国を出るなんてこと考えないで。そうすればすぐにここからも出られるわ!ねえ、エドワード!お願い!」

 「・・・・・・」

 しばらくティラミスはそこに佇んでいたが、迎えに来た使用人によって、去って行った。

 こうして一人でゆっくりしていられるのも久しぶりだと、エドワードは天井を仰いだ。

 牢屋とはいえども、しっかりと家具は揃えられている。

 ベッドもあるしシャワールームも備えられている。

 正直、ここで不便はない。

 ただ一つ言うとなれば、窓が高い位置にあるため、外が見られないということくらいだ。

 エドワードはその牢屋で半年もの間過ごし、心を入れ替え、牢屋から出ることになった。

 その時にはすでに、ティラミスとの結婚話が進んでいて、挙式はいつだとか、そんなことで盛り上がっていた。

 「おかえりなさい!エドワード!」

 「・・・・・・何してんの」

 「何って、花嫁修業に決まってるじゃない!見て見て!可愛いでしょー!」

 なぜかキッチンにはティラミスがいて、花嫁修業と言いながら、ドレスをヒラヒラさせてクルクル回っていた。

 目を細めて、相変わらず馬鹿だな、と思いながら見つめていると、ティラミスは何を勘違いしたのか、頬を赤らめ始めた。

 「そ、そんなに見ないでよ。可愛いからって!」

 「よくお似合いですよ、ティラミス様」

 「・・・俺、部屋行くから」

 「えー!待ってよー!」

 すでに花嫁気分なのか、ティラミスはエドワードの腕に自分の両手を絡め、まるで恋人のように身体を近づけてきた。

 「ねえねえ、気付かない?」

 「なにが?」

 「もー!ちゃんと見てよ!」

 「?なにを?」

 「口!くぅーちッ!わかんない?」

 こいつは何を言ってるんだろうと、エドワードは眉間にシワを寄せた。

 唇を突き出し、何かを気付かせようとしてるティラミスに、適当に言ってみる。

 「えっと、ああ、口内炎?」

 「そんなわけないじゃない!新しいルージュにしたの!もう!にぶちん!」

 「はあ?わかるわけねーじゃん」

 色を変えただの言われたところで、いつもの色を覚えてないのだから、知る由もない。

 部屋に入ると、エドワードはすぐにティラミスの腕を解き、ベッドに横になる。

 随分と綺麗に色々撤去されてしまっていた。

 「ねえねえ、式はいつがいい?」

 「式?」

 「私達の結婚式!来月あたりどう?」

 「来月!?てか、マジでお前と結婚すんの?俺?」

 「そうよ?もう大体の内容は決めておいたから!あとは、詳しい日取り!来月ならみんな出席できるらしいし!どう?」

 「どうって・・・」

 正直なところ、ティラミスを女として見たことはないから、結婚なんて考えたことがなかった。

 だが、折角牢屋から出られた今、また変なところで目をつけられるわけにはいかない。

 「・・・お前に任せるよ」

 「本当!?」

 「ああ」

 「やったー!!!」

 来月の挙式まで、エドワードは大人しく過ごすことにした。

 「エドワード!式は来月で、場所は中央にある教会よ!」

 ある夜、ティラミスがそう言いながら、寝ているエドワードの上に覆いかぶさってきた。

 エドワードはシャワーを終えたばかりで、バスローブしか身につけていなかった。

 一方のティラミスは、ネグリジェを着ている。

 程良く膨れた胸も、女性らしいラインも肌質も、ティラミスはわざと見せるようにエドワードに寄りそう。

 「ねえ」

 「んー?」

 「・・・キスしてよ」

 「は?」

 今までにも冗談っぽく言われたことは何度もあるが、今はそんな感じがない。

 ティラミスにしてみれば、少しでもエドワードに触れていたいし、自分も触れて欲しかった。

 「だって、私達、結婚するんだよ?キスくらいしてよ」

 「・・・・・・」

 天井を眺めながら、エドワードはふう、とため息を吐く。

 そしてぐるっと身体を反転させると、ティラミスに覆いかぶさった。

 すると、思いがけないエドワードの行動に、ティラミスはしばらく口を開けてぽかんとしており、徐々に顔を真っ赤に染める。

 「え!?え、エド・・・」

 「今更恥ずかしがるって、お前そんな純情だったのか?」

 ティラミスには、悪いと思った。

 興味がないならないで、ちゃんと最後まで突き離した方が良かったんだろう。

 もっと良い奴を見つけて、そいつと一緒になれって、説得すべきだったんだろう。

 でもエドワードは、ズルイことをした。

 ティラミスの心を利用して、自分を守ることにした。

 最低だと罵られても仕方ないことをしている。

 来月の式まで、壊すわけにはいかなかった。

 「もっと、してよ」

 「なにを?」

 「・・・キス」

 人としてもクズなんだ。

 けど出来ることなら、ティラミスとは友人としていたかった。

 何よりも夢を見てしまったから、目の前のことなんて、どうでもよかったんだ。







 式当日

 「ようやくこの日が来ましたね」

 「本当ね。あの放蕩息子も、やっと落ち着いてくれるといいんだけど」

 「奥さま方、旦那様方、ティラミス様のご準備が整いました」

 「あらあら」

 純白ドレスに身を包んだティラミスは、どこからどうみても美しい女性だった。

 「綺麗ね」

 「ありがとう」

 「本当に綺麗。今まで見てきた花嫁の中で、一番よ」

 「ふふ」

 国中の人々が、二人を祝福しようと式場へ足を運んでいた。

 みんな見知った顔ばかりだからか、安心もするし、気恥かしい。

 これでやっとエドワードを自分のものに出来ると心躍らせていたティラミスと、変なことを考えないだろうとホッとしていたエドワードの両親。

 「エドワードは?」

 「もう準備が終わりまして、少し外の空気を吸ってくると申しておりました」

 「そう。エドワードも無事に結婚出来て良かったわ。本当に、どうなるかと思ってましたもの。あんな変わり種」

 「いやいや、エドワードくんはとても優秀な子だ。きっとティラミスを幸せにしてくれると、前前から思っていたからね」

 「お父様ったら、恥ずかしいわ」

 「そうよね。小さい頃から、ティラミスはエドワードくんのことしか見ていなかったものね」

 「止めてよ、もう」

 そんな和やかな雰囲気の中、似つかわしい音が聞こえてきた。

 ドタドタ・・・・・・

 「何事だ?騒々しいぞ」

 「も、申し訳ございません!それが・・・」

 「?何かしら?」

 「エドワード様の姿が・・・!!!」

 みな、一斉に探しだした。

 ただ一人、ドレスを着たティラミスだけは、静かに椅子に腰かけた。

 鏡に映った自分を見て、唇を噛みしめる。

 「・・・・・・!!!!」

 頭にささっていたティアラを外して、鏡に向かって投げつける。

 こうなるかもしれないと、心のどこかでは分かっていた。

 自分に触れていた手も、囁いていた声も、全ては嘘偽り、幻だったのか。

 ティラミスは顔を両手で覆い、肩を震わせて泣いた。

 式場はざわつき、なかなか始まらない式。

 花嫁の体調不良ということで、式はキャンセルになった。

 エドワードの姿が見えないことはすぐに噂になって広まり、エドワードの両親もティラミスの両親も、ひっそりと暮らすことになった。

 ティラミスは窓の外から太陽を浴び、腫れた目を摩る。

 「エドワード。あなたは、羽ばたいてしまったのね」







 式場から上手く抜け出せたエドワードは、罪悪感がなかったわけではない。

 両親にも、勿論ティラミスに迷惑をかけることは重々承知していた。

 だが、自由には代えられなかった。

 正装をして、緊張をほぐす為に外の空気を吸いたいと告げた。

 外に出て、なんとも窮屈な服装をしていることに改めて思った。

 「・・・出るなら今か」

 結婚当日になって逃げないだろうと、きっと誰もが思っている。

 それこそが、エドワードにとっての最後のチャンスでもあった。

 「俺の自由は何処にあんだか」

 高さは多少あったが、エドワードは飛び降りた。

 ストン、と着地すると、蝶ネクタイを外して捨てた。

 国のほとんどの人は式場に集まっていたためか、誰にも見つかることなく国から出られた。

 初めて国から出て見ると、今まで自分が生きていた世界とは全く異なるものだった。

 煌びやかな世界も、華やかな時間も、もうなにもその手にはない。

 あるのは、前に進めるその足だけ。

 「行くしかねえしな」

 エドワードは、知っている。

 キングダムと呼ばれていた自分の国は、国から一歩でも出てしまえば、もう追っても来ないことを。

 外の世界を極端に恐れるあまり、動けないことを。







 「はあ、はあ・・・」

 どのくらいの時間、いや、日数、歩き続けていたのだろう。

 汚れ一つなかった洋服もボロボロになってしまった。

 砂だらけの足場は、とても歩き難い。

 体力には多少の自信があったが、もう限界に近かった。

 「喉・・・渇いた」

 ゆっくりと倒れ、目をつむれば、もう二度と開けられないかもしれない。

 ただ、疲れているだけなのだが、空腹もまた然り。

 ザッザッ・・・

 「?」

 砂の音しかしていなかった場所に、何かを踏みしめる音が聞こえてきた。

 こんな場所で人に会えるのだろうかと、エドワードは顔を上げて見る。

 すると、そこにはラクダがいた。

 ラクダから一人の女性が下りてくる。

 「大丈夫ですか?」

 「あ・・・」

 「水をどうぞ」

 女性が差し出してきた水筒を手に取ると、グビグビと勢いよく飲んだ。

 「ありがとうございました」

 「いいえ」

 女性は綺麗な黒髪で、やんわりと微笑むその表情は、なんとも艶やかだ。

 布を全身に纏っている女性は、ラクダの背から荷物を少し下ろした。

 「良かったらこれもどうぞ」

 「いいんですか?」

 「ええ。もうすぐで家にも着くので」

 「こんなところに家、ですか?」

 それは簡単に作られたサンドイッチ。

 具も大したものではないが、今のエドワードにとっては御馳走でしかなかった。

 「俺はエドワードって言います。ちょっと迷ってしまって」

 「私はキュートと言います。今はこの近くにあるオアシスを拠点に旅をしています」

 「オアシス・・・旅・・・」

 「ええ」

 本で読んだことはあるが、自分が今いる場所が砂漠なのだと、エドワードは知った。

 キュートは胡坐をかいて座ると、木の実か何かを食べ始めた。

 「それは?」

 「名前はちょっと・・・ただ、栄養があるんだって、聞きました」

 そう言って、キュートに少しばかり手渡された実を食べると、酸っぱい味がした。

 「これから、どうするんですか?」

 「これから?」

 エドワードは、キュートに自分がここに来た詳しい経緯を話した。

 本当は隠す心算だったのだが、キュートなら受け入れてくれると思ったのだ。

 「そうだったんですか」

 「本当に悪いことをしたと思ってます。でも、俺はあのままあそこで一生を終えるなんて嫌だった」

 「不思議なもので、自分の手にあるうちには、その幸せには気付かないものです」

 「へ?」

 ふふ、と小さく笑ったキュートに、エドワードは心奪われた。

 「あの・・・」

 「はい?」

 ゆっくりと立ち上がり、オアシスまでエドワードを連れて行く心算だったキュート。

 だが、キュートの手を取って、エドワードはしばらくキュートを見つめた。

 「俺と、一緒に旅してほしい」

 「私で、いいんですか?」

 「君が良い。俺はまだ旅ってのも良く分かってないし、砂漠のことも知らないけど、君と一緒にいたい」

 「・・・・・・」

 こんなに緊張したことなんて、きっと今までないだろう。

 エドワードにとって、女性なんて人生で必要ないとさえ思っていた。

 だが、一人になって心細くなったからか、一目惚れなのか、分からない。

 それでも、キュートといると安心している自分がいる。

 「私も、心強いです」

 ふわり笑ったキュートを、気がついたら抱きしめていた。

 「エドワードさん?」

 「俺、多分君と比べたら世間知らずだと思う。でも、君を、キュートを幸せに出来るように頑張るから・・・」

 「・・・私だって、まだ世界を全部知ってるわけじゃありません」

 腕の中に収めたキュートは小さく、細い。

 しかし声は真っ直ぐで、強い。

 「これからです。これから広い世界を見て、色々考えていくのも、悪くないと思います」

 砂漠の海を歩く、ラクダがいた。

 その背中には一人の女がいた。

 ラクダの鞍を引っ張るのは、一人の男。

 二人は砂漠を進んでいく。

 その後彼らがどこで生きて行くのか、誰にも分からない。

 だが、二人は背中に希望を背負い、まだ見ぬ世界を目指していくのだ。







 ドカーン・・・・・・

 「み、見ろ・・・!」

 「おい!みんな見ろ!」

 何百年、何千年と壊されなかった強固な壁が、ついにこの日壊れた。

 壊れたという表現は正確に言えば合っていないかもしれない。

 壁に人が通れるくらいの穴が開いたのだ。

 何も、昨日今日の出来事で穴が開いたわけではない。

 それは、長い年月をかけて戦ってくれた騎士たちによるもの。

 特に大きかったものとしては、少し前に起こった反乱である。

 騎士の名は、確かデルトと言った。

 その騎士一人で出来たことではなく、騎士たちの協力があってこそ、その攻撃も可能だったのだ。

 騎士は後に捕まり、拷問を受けた後殺されてしまったのだが、突破口が見えたのもまた事実。

 希望を捨てずに、今日までも少しずつダメージを与えてきた甲斐があったのだ。

 「壁をもっと崩せーーー!!!」

 「全員でここの壁を壊すんだ!」

 徐々に広がっていく壁の穴は、一人、二人と通れる大きさにまでなる。

 ついに壁に大きな穴が開き、横五メートルほど、縦二メートルほどの穴が生まれた。

 「あいつらを捕まえて、殺してやるんだ!」

 「先人たちのカタキを取るんだ!」

 キングダムへと足を進めて行くと、小さな扉があり、そこを開ける。

 鍵はかかっておらず、簡単に入れた。

 「なんだ?誰もいないぞ?」

 「どういうことだ?」

 ザーザー、と流れている映像もすでに自分達の手によって壊したカメラが、砂嵐のみを映し出す。

 しばらく人がいた様子もなく、埃だらけ、家具も動物たちによって噛まれた後や、鳥は巣を作っていた。

 「俺達は、戦わなくても良かったのか?」

 「そんなことより、外の壁を開けるスイッチか何かがあるはずだ!」

 思った以上に広かったキングダムの中を、男たちは捜索する。

 「これか?」

 映像を操作する機械の中に、一つのレバーを見つけた。

 赤いそのレバーを引いてみると、ゴゴゴゴゴ、と大きな音を立てて、何かが動き出した音がした。

 皆、なんだなんだと思いながら、キングダムを出て外の壁を見渡す。

 すると、遠くから男が走ってきた。

 「おーい!あっちの壁に出口が出てきたぞ!!!」

 「本当か!?出られるぞ!!!」

 一斉に、わーっと出口に向かって走りだした。

 出口は一つではなく、四つあった。

 それは四方に囲まれた場所だからこそで、それぞれの出口に人は集まった。

 一つは海に繋がり、他三つは砂漠に繋がっていた。

 海に飛びだす者もいれば、砂漠に向かって歩き出す者もいた。

 そのまま壁の中で暮らすという者ももちろんいたが、ほとんどの人は壁の外へと出て行った。

 そんな中、一人の男が壁の中へと入ってきた。

 男は壁に吊るされていた屍を縛る縄を切断すると、土を掘って埋め出した。

 「ありがとう」

 「・・・・・・」

 後ろから、一人の男が現れた。

 男の背中には、青に燕のマントが蠢いていた。

 「それ、俺の友人なんだ」

 それからも黙々と屍を埋めて行く男。

 「あんたは何処に行く?どこを目指す?」

 「・・・・・・」

 マントの男は、友人の墓の前に座り込み、立ち上がろうとしない。

 「俺は、わかんなくなっちまった。あいつとは、幾らでも夢を見られた。ここを出て、二人で旅でもして、そんな夢を語り合ってた。けど、俺はもう一人だ。これから何を目指して生きて行けば良いのかわかんねぇ」

 「・・・・・・」

 座ったままの男を尻目に、壁の出口に向かって歩き出したもう一人の男。

 「人生は、思っているだけでは長く、夢見ていると短い」

 「え?」

 「生まれながらに決まっているのは、名だけで十分だ。生きる道も信じて行く道も、いつだって変えられる。それでも迷うのなら、立ち止まって考えれば良い。死んだ奴は決して生き返らない。だが、死んだ奴の意志を受け継ぎ、生きて行くことは誰にでも出来る。まあ、生き急ぐ必要はない。お前はまだ若い。友人に酒でも注いで、一杯やってから歩けば良い」

 そう言った男の右目は、緑色をしていた。

 「あんた・・・」

 去って行った男に、ただ頭を下げた。

 手にしたものが何であろうと、ここにいては先に進めない。

 逆の立場なら、きっとこう思うのだろう。

 ―未来に向かって進んでくれ、と。

 「・・・そうだよな、デルト」







 「そういえば、最近ボヌールの映像が流れてこないわね?」

 「まあ、いいじゃないか。別の・・・ほら、似たような町なんて幾らでもあるんだから」

 「私、あんなところに産まれなくて良かったわ」

 「そうだね。同情さえするよ」

 愚かな時代は巡りゆく。

 一つの造形物が壊れたとしても、また新しいものを作る。

 籠の中の鳥は、空を眺めながらも飛び立てないことを知る。

 そしていつか、自分は飛べないのだと勘違いする。

 だが、それでも羽根を動かす。

 空に向かって飛び立つ日が必ず来ると、そう信じて生きて行くだけ。





 ある騎士の意志を継いだ者たちは、戦う事を諦めない。

 自由を手にした者は、これから先の希望を掴むため、旅に出る。

 過去や未来を書き記す者がいることを知った少年は、彼の意志を継ぐために後を追う。

 それぞれが見た時代を唄い、それぞれが見た世界を紡ぎ、それぞれが見た景色を憂う。

 「ねえ、どうして泣いてるの?」

 「泣いてないわよ。ちょっとね、思い出しただけ」

 「何を?」

 「昔、愛した人のことよ」

 きっと、誰にも知られていない史実がある。

 それを記すのが、彼の役目。

 彼の名は、誰も知らない。

 ただ、彼はいつのどの時代、どの世界にも姿を見せた。

 まるで、自分の存在を示すかのように。



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