文字数 1,297文字

「たっだいまー」
「えっ、誰かいるの?」
「あ、いないいない。でも、言ったほうが良いって防犯のなんかで読んで」
「あー、それ、聞いたことある! お邪魔しまーす」 
 玄関ドアが開くと同時に部屋に入って来たのは、賑やかな話声、畳んだカラフルな傘、そして二人の女性だった。静まりかえった無人の部屋の無彩色のような雰囲気が、急にぱっと華やかになる。
「そこのクッションとか使って、適当に座ってー。紅茶でも淹れるわ。あ、インスタントだけどコーヒーもあるよ」
「紅茶がいい! ここのクッキー、紅茶が合うんだよー」
 部屋の主らしき女性は、コンロに薬缶を掛けたり、カップをかちゃかちゃさせたりしたあと、吊戸棚を漁り始めた。どうやら茶葉をさがしているらしい。
 客人らしい女性は、紙の手提げ袋から、透明なビニール袋と鮮やかな赤いリボンで包装された大きなクッキーをいくつも取り出し、ローテーブルに並べている。
「あ、そうだ、ちょっとそこの窓開けてくれる? 換気しないと」
「いいよー。……うわっ、なんか、観葉植物いっぱいだね。サンスベリアかな」
「そー。あたし、タバコ、また始めちゃうかもしれなくってさ。百均で灰皿とか買っちゃったの。でも、いまさら部屋に臭いつけんのも嫌だし。サンスベリア、空気清浄機代わりになるっていうからさ。まあほぼ気休めだと思うんだけど」
「ええ? だって、あの子どうすんの? 可愛い子が来るから、煙草やめる! って言ってたじゃん」
「うん……あの子ね、死んじゃったんだって。病気でね。先々週かな、飼い主さんが、わざわざ挨拶に来てくれて……」
「そうなんだ……」
 部屋の主が、ポットに入った紅茶をカップに注いだ。客人は、白いカップをゆっくりと持ち上げ、少し鼻を近づけた。
「いいにおい。私、この香り大好き」
「そっか。良かった。……あの子も好きだったの」
 なんとなくの沈黙。客人は少し身じろぎして、居住まいを正しつつ、さりげなくベランダのほうに目をやった。
「ねえ、ベランダの様子、見づらくない?」
「だって、見えるとさ。あの子がそこにいるような気がしちゃって。いつもの通り、あたしが網戸を開けてあげるまで、ちょこんとそこに黒い影が、座ってるんじゃないかって思っちゃって……」
「ああ……目隠しなのか……本当に好きだったんだね、あの子のこと」
「うん」
「ん?」
「えっ?」
「なんか、植木鉢の隙間から、茶色いなにかが見える気が。ん、白いとこもあるな」
「え……」
 二人の女性は同時に立ち上がり、窓の外を覗き込んだ。
「ぎゃ! 鳥?! 雀の死骸じゃないこれ?! しかもけっこう日が経ってそうな……」
「……お土産だ……」
「お、お土産?」
「うん。あの子時々、あたしのために、お土産持って来てくれたの。あの、虫とか小動物とかの……ね」
「へ、へえ。えっ、でも……」
「うん。……最後の挨拶に、来てくれたのかな」
「きっとそうだよ。ほら、あれ! 空! うっすら虹、出てるもん! あれ、橋だって言うじゃん」
「うん……」
 声もなく泣いている部屋の主の肩を、客人がそっと抱き寄せる。
 二人は寄り添って立ったまま、しばらくの間、薄くなっていく虹を眺めていた。
 
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