第6話 Re女子大生生活の恋

文字数 2,462文字

 ご飯を食べ終えた後、二人で歩いてレンタルビデオ屋さんに向かう。そう。ネットで配信なんて存在しないどころか、そんなことができる回線もなかったし、テレビを見るか、レンタルビデオを借りに行くしかなかった。
「何見たい?」
 私は慎重に回答しなければならない。未来のタイトルを言ってはいけないし、三十年前の映画を思い出そうとしても難しい。
「えっと…。お店で決めていい? ホラー以外なら何でもいい」と言いながら、私は段々と自分がどこかで家庭を築いていたのは夢だったんじゃないか、という気がしてくる。
 毎日見る夢が続くことなんてないのだから、それとも心の病気で、私は誰かと結婚して子供を産んで、育てたという妄想が止まらないだけなのかもしれない、と考え始めた。
「そうしよ」
 そうでなければ…富田くんが隣にいて、こうしてここにいる自分は一体、何なのだろうと思う。
「どうしたん?」と言われて、私は富田くんを見る。
 首を横に振ると、手をまた差し出された。
「ゆうちゃんは時々、難しい顔してるけど…。なんか相談あったらしてな」
 優しい富田くんの手を取りながら「うん」と言ったものの、私が五十歳のおばちゃんだと知ったら、どう思うだろう、と想像する。この手だって離されるに違いない。
 でも私は病気かもしれない。私がそう思い込んでいるだけかもしれない。そう思えるのなら…どれだけ楽になるだろう。
 ぐるぐると考えがまとまらない。そうこうしている間に、レンタルビデオの看板が見えた。
「ゆうちゃん、あの時からずっと優しくしてくれて…ありがとう」と関西弁の音程で言ってくれる。
 私は黙って首を横に振る。
 黙ってるということは、私は富田くんにも嘘をついてることになる。
「もし…私が五十歳の」と言いかけたとき、車が急に曲がってきたから、富田くんが肩を抱いて道の端に寄せてくれた。
「あぶな」と言って、私を見る。
 もう勇気が出なくなった。
 本当のことを言ったとして、どうしたら信じてもらえる? そして私はどうしたらいい? 
「ゆうちゃん、大丈夫?」
「あ、ありがとう。びっくりした」と心臓が跳ねるのをどうにか抑えた。
「ゆうちゃんが五十歳になっても、きっとかわいいままやと思うで」
 美しい勘違いに私は泣きそうになった。ちっともかわいい五十歳なんかじゃない。不平不満で膨らんだ五十歳だ。
「そう…なるように…頑張る」と言うことが精いっぱい。
 今の私。情けなさで泣きたくなる。
「ゆうちゃん、何の映画探してるん?」
 私は確か大学二、三年の頃に流行っていた映画を思い出そうとしていた。
「えっとねぇ…。もう一回見たくて。アメリカ映画で…。ちょっとタイトル思い出せないの。知的障害があるんだけど、幼馴染の女の子が初恋で…。六十年代かなぁ? ヒッピー文化の時代で…。最後はエビの養殖で大儲けしてる」と一生懸命覚えていることを説明しても首をひねるばかりだった。
「そんな不思議な映画あったんかな?」
「確か大ヒットだったんだけどなぁ…」
「まだビデオになってないのかな? でも…大ヒットなら知ってるはずだけど」
 私は話を逸らすことにした。もしかしたら、まだ公開されていないのかもしれない、と思ったのだ。
「私の思い違いかも? 富田くんの見たいのが見たいな」と言う。
 富田くんの選択はミセスダウトになった。いい選択をいつもする。幸せな気持ちになって、私たちは一日遅れたクリスマスケーキを食べる。そして駅まで送ってもらって、手を振って「バイバイ」と言った。
「よいお年を」と言われて、私も慌てて「よいお年を」と言った。
「新年、また会える?」
「うん」と言ってしまった、と思いながら、富田くんの素敵な笑顔を見た。
 それはいつもパート先のスーパーで見る笑顔と同じで、私は本当にどうしたらいいのか分からなかった。

 そして年末、高校時代の友達と会った。彼女の恋バナを聞き、
(そうだ。同じサークルの彼女のいる先輩を好きになって、でも結局はサークル内の同級生の男の子とつきあって、確か結婚までするんだ)と思いながら、頷く。
「ゆうの好きな人は?」
「好きな人…」と呟きながら、私はだれを思い浮かべていいかわからないまま、首を横に振った。
 私は少し苦しくなる。きっとこのまま帰れないにしても、富田くんをだますような気持ちでは付き合えない。家族なんて、消えてしまえばいいのに、と少し思った。少し、本気で。
 だから中途半端な場所に連れてこられて、でもそれなのに私はここで新しく生きる勇気も持てない。
「きっと…ずっと一人」と私はそう言って、一人で生きていく覚悟を決めた。
「ちょっと、ゆう、変わったね? なんか…落ち着いたというか…。人生二回目みたいな?」
 五十歳の私が二十歳の友達を眺めているのだから、そう見えるだろう。
「結婚…しないなんて。何かあったの?」
「ううん。なんか…向いてないかなって」
 不思議そうな顔を友達がする。私たちはすごく恋バナをしていたから。それが叶う、叶わない恋だったとしても。夜更けのドーナツ屋さんでコーヒーを飲みながら、時間が来るまで、飽きもせず話し合ったあの頃。
「でも、きっと幸せな結婚ができると思うよ」と言われて、私は作り笑いをした。
 そう。幸せな結婚をした。かわいい子供もいて、それなのに不満を持っていた。さみしかった。結婚がこんなにも乾いた時間になるとは思わなかった。どこで間違った? 誰が悪かった? 私?
「みきは男の子、二人のお母さんになるよ。きっと」と私は自分が知っている未来を言うと、嬉しそうに笑う。
 みきが結婚して旦那さんの実家に引っ越し後、遠くなってから一度も会うことがなくなった。こんなによく会っていたのに、と本人を目の前にして思った。
 特に何かあったわけじゃない。毎年恒例だった年賀状のやりとりも、四十を過ぎた頃、私が年賀状を億劫に感じたという理由でしなくなった。
「絶対に幸せになれると思う」と言って、心で謝った。

 そうして、一九九四年は終わっていき、私は相変わらず女子大生のままだった。
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