第5話 Re女子大生バイト生活

文字数 2,513文字



 チェーン店のケーキ屋さんでのバイトは通常は暇だった。でも一年に一度だけ、恐ろしいほど忙しくなる。
 クリスマスソングを永遠とかけて、朝からずっとケーキを売っている。予約された人には冷蔵庫の中からケーキを取り出して渡す。次々来るので、バケツリレーのようだ。 
 予約で、会計済みの人は早いけれど、予約して会計がまだの人は会計をしなければいけない。レジは一つしかなくて、私は暗算で消費税の計算をする。消費税はまだ三パーセントの時だった。後でレジに打ち込むのだけど、千円のケーキは千三十円。千五百円は千五百四十五円といった具合だ。
 一番大変なのは小さなケーキをいくつか迷いながら買われるお客さんだ。後ろに列ができる。その場合は違うバイトが後ろの人の注文を聞く。いつものんびり働いているから、今日はみんな、それぞれがびっくりするほど、てきぱきと動いた。私もその一人で高校生と一緒に朝から夜まで働いた。
「お昼行ってー」
「大丈夫ですか?」
「今なら行ける!」と追い立てた。
「すみません。急いで行ってきます」となぜか高校生の子が謝る。
 私は結局、このバイトを卒業するまで続けたのだった。クリスマスはずっとここでアルバイトしていた。
 近くのお弁当屋さんで昼食を買って、裏で食べてもらう。昼を過ぎて、三時から八時までが怒涛の忙しさだった。小さいケーキが売れたら、補充しなくてはいけないし、お客さんは来るし…で息つく暇もなかった。
 少しお客が引いたな、と思った夜。お父さんが女の子を連れてお店に来た。小学生低学年くらいの女の子はホールケーキを指さした。お父さんは小さいケーキを買おうと思っていたのか、ポケットからお金を取り出したが、十五円足りなかった。お父さんは小さなケーキにしようと言ったが、女の子は丸いホールのケーキが食べたいようだった。お父さんは困ってしまい、決断できずにいると、他にもお客さんがお店に来た。私はバイトのエプロンのポケットを探る。偶然のように十五円入っていた。
「あ…の…ここに十五円あります。だから…買えます」と言って、私はケーキを売ってしまった。
 お父さんも女の子も喜んでくれたけれど、今の五十歳のおばちゃんの気持ちからすると、本当は買えない方がお父さんには良かったのかもしれないし、女の子は我慢をすることを覚えたのかもしれない。どっちがよかったのだろう、と思いながら、やっぱり私は十五円をぽけっとから取り出した。そこにそのお金が入っていたというのが、偶然にしても不思議だったから。

 そんな二日間を過ごして、私はケーキを山ほど抱えて、帰宅した。家族は驚いたような喜んだような顔で「冷蔵庫に入らない」と言っていたけれど、私は疲れて、お風呂に入るとすぐに眠った。
 今みたいにスマホがないから、寝る前に誰かに連絡を取ることも、取ろうと思うこともなかった。ただ眠る前に少し思った。
(このまま、私はこの時間を永遠に過ごすのだろうか…)と。
 そして深く眠りについてしまった。眠る前にそんなことを考えていたからだろうか。夢で家族で楽しんだクリスマスを思い出していた。
 子供たちが寝静まってから、そっと枕元に置いたプレゼント。何が欲しいか聞きだして、いない間に買いに行って、車に隠したり、押し入れの奥に隠したりと大変だった。そうまでしてサンタさんを演じていた自分。ただそれは子供の笑顔が見たいという気持ちだけだった。
 すごく喜んでくれた朝。いつもは起きないのに起こさなくても起きてくれるクリスマスの日。朝からご飯も食べずにおもちゃで遊びだす姿を私は微笑ましく見ていた。
 目が覚めると、どっぷり罪悪感に包まれて苦しくなった。
(今頃…どうしてるんだろう)と思いながら、体を起こした。
 体は軽くて、とっても動きやすい。今までは重くて、布団からでるのも一苦労だった。

 今日は約束通り、富田くんの家にケーキを持っていく予定だった。ケーキをかかえて、大学まで向かう。クリスマスが一日終ってしまうと、もう年末とお正月の雰囲気が街に押し寄せてい。
 それなのにクリスマスケーキを抱えて電車に乗っている私はやはりどこかズレているな、と思ってため息をついた。
(このまま帰らないのなら…)と考えてみる。
 もう一度、恋をしてもいいのかな…、と心の中で呟く。そんなことを思っているから、あんな夢を見たのだろうか。
 どうしていいのか、どうしたらいいのか…分からない。そしてもし選べるとしたなら…、私はどっちを選ぶのだろう。
 
 駅に着くと、家で待っていると思っていた富田くんが改札に立っていた。
「あ…」
「お疲れ」と言って笑う。
「お疲れさまー。本当に疲れたー」と言って、ケーキの箱を見せる。
「おぉ。まさかの大きいやつやん」と受け取ってくれた。
「スーパーで買い物する?」
「うん。そうしよ」と片方手を出してくれる。
 私がそっとその手を触れたら、温かい手が握り返してくる。罪悪感に蓋をしようとして、隙間が閉まらないのに困った。買い物をして、その日はクリームシチューを作ることにしたのだけれど、二人でジャガイモ向いて、ニンジンの皮をむいて、ニンジンが細くなるのが面白くて、私は笑いすぎてしまった。
「そんなに笑わんでも」と言いながら、笑う。
「ニンジン嫌い?」
「あー、なんで分かったん?」
「だって、ジャガイモは上手に剥けるのに。ニンジンの方が簡単なのに」と私は細いニンジンをつまんで笑った。
「見抜かれてたー」と富田くんはニンジンを奪って、小さくカットしていく。
「そんなに小さくしたら…」
 そう注意する私に「ゆうちゃんって呼んでいい?」なんて不意打ちするから、私は黙って、頷いた。
「じゃあ、俺のこともこうちゃんって呼んで?」
「こうちゃん? え?」
「なあに?」
「あ…こうちゃんって、どういう漢字?」
「紘一。糸偏に広島の広で一は数字の…」
「え? 樹じゃないの?」
「だれ、それ?」
 目の前の人はアルバイトの富田樹くんではなかった。
「…勝手に、そんな名前かと思って…た」と私が言うと、一瞬固まって、それから噴き出す。
「ゆうちゃんって、ちょっと変わってるよなぁ。天然?」
 笑ってごまかすしかなかった。
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