「兄」と弟

エピソード文字数 1,981文字

 父の政弘が陶弘護と義兄弟の契りを結んで以来、弘護は常に政弘の傍らにあり、その政務を助けると共に、戦場においても数々の功績をあげた。もはや、どの戦でどのような手柄をと言い出せば切りがない。そして、その英姿颯爽たる様は居並ぶ家臣らの中でも輝いていた。
 亀童丸はこの「叔父」が(元は同族であるという以外、系図を延々と辿らねばその血縁関係を一言で語るのは既に難しいのであるが、父の「義弟」となったのだから「叔父」なのである)「大好き」であった。何より、遊び友達・鶴寿丸の自慢の父であったし、あれらの口うるさい傅役だのお傍仕えだの教育係だのの老臣とは次元が違う。そしてまた、当主として国を治める父よりも、気軽に甘えられる相手でもあった。
 しかし、最近、父と叔父とはよく揉めていた。詳しいことは子供には分からないのだが、二人が会見するたびに、互いに機嫌が悪いように見えるのである。何かにつけて意見があわないようなのだ。それもまた仕方のないことなのであろう。家臣の申状はそれぞれだから、たまには主と意見を異にすることもある。それをまとめるのが当主の務めであるし、また、家臣筆頭のようになっている弘護がそれらを代表して意見することも多かろうから、そういう機会も当然増えるのだ。
 とまれ、結願を終え、父のおこもりが済むと、また来年まで二月会の楽しみはお預けである。政弘の九州攻めはまだ続いていたし、此度はその武運長久たることも、祈願の一つであったという。
 しかし、この「楽しみ」にも亀童丸にはやや気がかりなことがあった。なぜなら、大内家の世継ぎたる若子(わこ)は元服前に興隆寺の上宮に籠もってその身分を明らかにしなくてはならなかったからである。父も、祖父も同じようにしてこの儀式を経て家を継いでいる。
 それで、三郎と鶴寿丸とにそれがいやだと不満を言ってみた。
「兄上は『お世継ぎ』だから、特別の『お勤め』なのです」
 幼い三郎が拙い口調で言う。難しい言葉は分からないのだが、常に傅役から言い聞かされているから、意味が分からずとも口をついて出るのだ。
「『お勤め』ならきちんとやらなくては」
 鶴寿丸はそう言って呵々と笑う。
 自分には関係ないと思って誰も同情さえしてくれぬ。つれないものだ、と亀童丸は思う。しかし、僅かに五歳と八歳の彼らにとって、あれこれの決まり事を押し付けられた挙句、一つ部屋で大人しくしておれと命じられるのは「お勤め」とはいえ、かなり辛いことである。
 しかし、父の政弘がおこもりを行ったのは十四歳の時だったという。ゆえに、実際にはまだまだ先のことになりそうではあったが。
 その日が来たら、残り二人がいつも通りやんちゃに遊んでいる間に、亀童丸は沐浴を済ませ、きちんと盛装させられて上宮にお籠りさせられることになる。当然、当主である父親の政弘も同じようにして、領国や民のために祈るが、父子はそれぞれ別の場所に籠る。
 この上宮は幼いお世継を除いては僧侶以外立ち入りが禁止されているという神聖な場所なのである。当主であれ、成人した後には入ることはできないのだ。

 兄弟と遊び友達のうちの一人だけが、そこに出入りができる身分であるということは、幼い彼らの「身分」を分かつ目には見えぬ巨大な壁であった。一人はやがては国を治めていくことになる地位にあるのに、ほか二人はたとえ兄弟であっても、やがてはその臣下となるにすぎない、そういう定めなのである。
 無論、そんなことはまだ三人には理解できないであろう。今のところ三郎は弟だし、鶴寿丸も「臣下」などではなく、ただのいくつか年上の兄のような存在。そもそも、近しい親戚どうしであった。
 とは言え、兄弟のほうは、既に互いに微妙な違和感を抱いていた。「嫡子」であることで次郎こと亀童丸と弟の三郎との間には、どうも生れ落ちてすぐからある種の「差別」があったからだ。何につけても次郎のほうが大切に扱われている。そのくらいのことは幼児でも何となく理解できる。しかも、「お世継ぎ」である兄とは違う、ということを日頃から徹底して叩き込まれてきたからだ。
 胸の内に、常に依怙贔屓される兄を「ずるい」と思う気持ちが芽生えていたとしてもなんの不思議もない。例の不届き者が「降って来た」時も、家臣たちは一斉に兄だけを守り、自分は放置された。「お世継ぎ」ではないからだ。あの時の恐ろしさ、心細さは幼い心に深い傷跡を残した。そんな思いは長ずるにつれますます強くなった。大人になってお家の在り方について理解できるようになれば、そんな僻みは消えるであろうが、今はまだそこまでは分からない年ごろであった。
 その点、鶴寿丸にはそうした無用な「違和感」がないため、亀童丸は弟よりも鶴寿丸を好んだ。文字通り実の「兄」のように慕っていた。
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登場人物紹介

大内義興(おおうちよしおき)

大内家三十代当主。通称、次郎、新介。幼名、亀童丸。父は応仁の乱で活躍した大内政弘、母は畠山家の養女。周防、長門、筑前、豊前、山城ほか7カ国の守護。

下向した元・将軍義材の復職を助け、共に上洛し相伴衆として幕閣の一員となる。しかし、あくまでも将軍家の家臣として生涯を終え、後の織田なにがし、豊臣なにがしのように自ら天下人に就こうという意思はなかった。あくまでも、天下ではなく、天下人=将軍に近い(親しい)人であった。

一言:

その義理堅く忠義なお人柄にアホな歴女は熱を入れあげて卒倒する。後に『捏造大名家の野望』という永遠に終わらない荒唐無稽なバカ話に出てくる捏造大名・有川家の当主昌興は恐らく、このお方がモデルである。本当はこのインチキな人物で評伝を書くはずが、何の因果で史実人物で書き始めたのか。永遠の謎である。どうやら、周防・長門は強固にして盤若な地盤すぎて、「捏造大名家」はたとえゲームだからと言って適当に捏造することが憚られたため(所謂国人衆林立状態の安芸や石見とは違うのである)、あの話は嘘過ぎて続きが書けなくなった……。要するに史書を読みすぎた上に発生した弊害です。

※アイコンはロン様。これ以上ないくらいイメージ通り※

陶武護(すえたけもり)

生没年不詳。正確なところはなにもわからない=勝手に想像できる、はずはないのだが、勝手に「創造」した。勿論、元ネタはある。偉い歴史学者の先生方の仮説・推測の幾つかを都合のいいように組み合わせた。但し、一つだけ誤りのない事実がある。この人は、陶興房(史実的にかなり詳細が分かっている)の兄であり、つまり、その息子隆房、これで分からない人は、厳島の戦いで毛利元就に敗れた陶晴賢と言えば多少聞いたことがあるはず、の伯父である。

一言:

限りなくいい加減に書き手の意見を代弁させている。ゆえに、信じられないほど現代的思考感覚で動いているものと思われる。これも、どこかで『捏造大名家……』の山田こと鷲塚昭彦からなにがしかのレクチャーを受けた可能性を否定できない。ついでにゲーム機ももらえたら、足利家なんか速攻で潰し、吉見家と細川家は絶滅に追い込んだはず。史実というのは本当につまらない。

※アイコンはロン様です。うう、お美しい……※

東向殿(ひがしむきどの)

義興の正室。父は内藤弘矩。嫡男・義隆の生母。

かなり年上、という事以外、婚礼をあげた年月すら不明。

歴史学者の先生方は、きちんと史料が残っていないことについては、断言するのを避けます。

女性の場合は名前すら史料にない。誰それの女(娘)のごとく記されているだけです。

しかし、名無しのゴンベな上に、歳も分らないでは困るので、適当に名前と年齢を設定。

よって、後から変わるかも……。

(何気にこの人物紹介が、とてつもないネタバレとなっていることに気付く。しかし、どうしようもないですね……)

※アイコンご依頼予定※

足利義材(あしかがよしき)

室町幕府第十代将軍。父は八代将軍義政の弟・義視。母は義政の正室日野富子の妹。

応仁の乱の後、父義視とともに、美濃国へ下向。若くして病死した九代将軍義尚に子がなかったため、義政や富子らの後援で将軍職に就く。義材→義尹(よしただ)→義稙(よしたね)と名前だけでも三回も変わるほどの波乱に満ちた人生を送る。

義興の生涯において、縁浅からぬ人物となる。ネタバレては困るので、今はここまで。

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