家族曼荼羅

文字数 1,928文字

 祖父の父、つまり私の曽祖父はインドのパンジャブでイギリス人の経営する綿花プランテーションでインド国内の流通を担っていたが、一九一九年にアムリッツァルで起きた英軍の暴虐を機に曽祖母を連れてインドを離れ、商売で縁のあったタイ人を頼り、四千キロの距離をひと月かけ列車や船を乗り継いでタイのチェンマイに渡り、アクバル姓をタイ風にアクラヴァートと変え、ビルマ国境に近いパイという街に居を構えた。曽祖父夫婦が移住したタイで翌々年の一九二一年に生まれたのが私の祖父で、民族的にはインド人だがタイでタイ人として育った。祖父は二十二歳になった一九四三年に、タイ人の女性と結婚し七年後に子を授かったが、それは私の父で、日本軍がビルマに進駐しイギリス軍と戦っていた時だった。アムリッツァルで反英感情を抱いていた曽祖父の影響もあり、彼ら一家は日本軍に後方支援を提供し、知り合った日本の軍人から日本の言葉を学んだが、日本の敗戦のあとは、ひっそりと曽祖父の起こした紡績業に勤しんだ。
 戦後に、日本の自動車メーカーがチェンマイに工場を開き、十八歳だった父は、曽祖父や祖父から日本語を学び言葉ができたことも手伝って、その日系自動車メーカーに職を得た。五年後の一九七三年に日本勤務となり、横浜で母と出会い私が生まれた。父方のルーツをタイとインドに持ちながら日本で生まれ育った私は、子供の頃はタイから遊びにくる祖父に何度か抱きかかえられたが、言葉はなかなか通じず、家族というよりは本能的に好感の持てる遠い肉親だった。
 私が高校に上がる時、父はタイの工場の責任者として単身タイに戻り、私たち日本に残った家族は休みになるとタイへと父を訪ねた。そのころには私のタイ語もだいぶ上達し、一七の時に再会した祖父とはタイ語で意思疎通もでき、祖父は涙を流して抱擁してくれた。祖父、父、私の三世代が顔を合わせて意思疎通できたのは、後にも先にもこの時だけだった。日本人として育った私は世紀の変わり目に日本人女性と結婚し家族を持つに至った。いま大学に通う私の娘は、休みの時に遊びに行くタイに自動車メーカーで働いていた祖父がいる、そう家族を認識している。自身のルーツに目覚めつつある娘は自らの意思でタイ語を学び、私も出来る限り学習を手伝った。
 妻は母方が富山の薬売り、父方が横浜の質屋で、両親ともに何代か遡っても富山と横浜周辺で完結する、日本の特定のローカルな地域の風土文化を遺伝子の中にも刷り込んでいる、典型的な日本人として今日まで生きてきた。何の縁かアジアの大陸にルーツを持つ私と一緒になった妻は、初めこそ戸惑ったことも多かったようだが、今ではタイを時折尋ねる生活にすっかり慣れ、タイ語を学ぶ娘の成長も楽しんでいるようだった。 
 妻は日本とタイだけではないインドの血も流れる私と結婚した自分の世界の広がりを改めて認識するためにも、私はタイのみならずインドにもルーツを持つ自分自身のアイデンティティーの確認のためにも、私たちは思い立ってプロの画家にルーツを理解できる家族の肖像画を描いてもらうと決めた。私たちはご先祖様の古い写真を画家に手渡し、時空を超えて家族を集め、現実には同時に存在し得ない五世代の肖像を、日本の桜、タイのラーチャプルック、インドのハスを背景に描いてもらった。
 タイの屋台料理を前にはしゃぐ我が娘を、洋装でかしこまった我らが挟んで立ち、私の左方向には父方・母方の家族が双方五世代描かれた。「アクラヴァート紡績」というタイ語の看板を掲げたパイの街の小さな紡績会社を背に、祖父母が立ち、その横には頭にターバンを巻き四千キロを旅した曽祖父母が屈強な腕に大きな鞄を抱えて立っている。祖父母のもう一方の横側には、作業着を着て自動車工場で働く父が和服の母を従えて立っている。私の右方向には妻の母方の祖父母が薬箱と風呂敷で行商する姿で、そして質草の鑑定に片眼鏡をはめる父方の祖父母が描かれている。
 写真のあったご先祖様だけであったが、会ったこともない人も含む計三十二名のご先祖さまたちの姿が描かれた。
「私を第一世代としてお父さんとお母さんを第二世代、そうやってお父さんの曽祖父母の第五世代まで行くと、最低でも六十四人は登場するわけね、この絵は写真のあった三十二人しかいないけど、こうやって顔だけ見てると曼荼羅絵みたいね」と娘が言う。
「そうね、私たちの今の人生は、たくさんのご先祖様たちの人生の結果でもあるのね、ほんと曼荼羅だわ」と妻が言う。
「家族は曼荼羅か」そう言うと私は今は曼荼羅の中心に位置する自分たち家族に宿る、多くの祖先に支えられた比類なき唯一無二性を改めて奇跡と感じるのだった。
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